第7話
ロットが好きな人は、五年前に、赤ちゃんだった弟を抱っこしていたらしい。
そういえばクレアも、ちょうど五年前に、赤ちゃんだったマークを抱っこしていた。
ん? ロットが好きな人って、まさか。
言葉が出てこないクレアに、ロットがゆっくりと告げる。
「俺の好きな人は、クレアだよ」
カーテンを閉めきった子ども部屋は薄暗いままだ。開いたドアから入る光と、ちらちらとカーテンの隙間から細く差し込む光だけでは、ロットがどんな表情をしているのかがわからない。
クレアはそっとロットの腕の中から抜け出して、思いきってカーテンを開けた。
部屋の中が一気に明るくなる。
「……ロット、顔が真っ赤だよ?」
「当たり前だろ! というか、なんでクレアはそんなに冷静なんだよ! 俺、クレアのことが好きって告白してるんだけど!」
「だって、信じられないし」
そもそもクレアのどこを好きだというのだろう。
クレアが勢いでロットのことを好きだと告白したのにつられて、ロットもなんとなく告白してしまっただけなのではないだろうか。
疑いのまなざしでロットを見ると、ロットはムッと口を尖らせた。
「わかった。さっきクレアが俺の好きなところをたくさん言ってくれたから、俺もクレアのどこが好きなのかを言う」
「…………」
「初めて会ったときから、可愛い子だなって思ってた。そんな可愛い子がさ、俺のあとをちょこちょこ追いかけてくるようになって、目が合うたびに嬉しそうに笑うんだ。そんなの好きになるに決まってんだろ」
ロットは耳まで真っ赤にしながら、真剣な顔で言う。
なんか真剣すぎて、こっちまでドキドキしてきた。
「それに、クレアは俺が困ってたら、絶対に助けてくれるよな。そういう優しいところも好きだ」
ロットの言葉を聞いていると、じわじわと頬が熱くなってくる。
やたら速い鼓動を落ち着かせようと、クレアは胸にそっと手を当てた。
「わ、私は優しくないよ? ロットみたいに、困ってる人なら誰でも助けるっていうわけじゃないもの」
「そもそも俺が困ってる人を助けるようになったのは、クレアがきっかけなんだけど」
「え?」
「子どもの頃、クレアが俺に言ってくれただろ? 『みんなと一緒に遊べなくて困ってる私を、ロットくんが助けてくれた。困ってる人を助けるロットくん、かっこいいね!』って」
そんなこと、言ったっけ?
首を傾げるクレアに、ロットは眉間の皺を深くした。
「なんで忘れてんだよ! 俺、クレアに『かっこいい』って言われたくて、人助けを始めたっていうのに!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
ロットはがしがしと頭をかき、気まずそうに視線を下に落とす。
「それなのに、どんなに困ってる人を助けても、クレアは全然『かっこいい』って言ってくれなかった。だから、俺、クレアのことは諦めた方がいいのかと何回も思ったんだ。でも、無理だった」
はあ、とロットが息を吐く。
「五年前、赤ちゃんだったマークを抱っこしたクレアが『私、マークのことが世界で一番大好き』って言ったのを聞いたときには、嫉妬で気が狂いそうになった。そのとき、俺は決めたんだ。絶対にクレアに俺のことを好きになってもらって、結婚するんだって」
結婚という単語に、クレアの心臓が跳ねる。
クレアはロットのことがずっと好きだったけれど、結婚までは考えてなかった。そんなこと想像しても無駄だと思っていたから。
ロットがふいに顔を上げて、こちらを見つめてくる。
クレアとロットの目が合う。
「クレア、俺のこと好きって言ってくれたよな。……俺も好き。俺は、クレアのことが世界一大好き」
クレアは思わず両手で顔を覆った。
きっと今、クレアの顔は先ほどのロット以上に真っ赤になっているに違いない。
なんなの、これ。
振られるつもりで告白したら、倍以上の熱量の告白が返ってきてる。
まさかの、告白の倍返し……?
しかもロットは、さらに畳みかけてくる。
「クレア、俺と結婚して」
告白だけじゃなく、求婚まで……!
クレアは指の隙間からロットの様子を窺う。
彼は不安そうにこちらを見ていた。どうやら求婚の返事を待っているらしい。
クレアの気持ちはもうわかっているだろうに、それでも断られるかもしれないと緊張している。
本気なんだ。
ロットは、本気で、求婚してくれている。
そう思うと、ふわっと気持ちが軽くなった。嬉しくて口元が緩んでしまう。
「……うん、いいよ。私、ロットと結婚する」
「本当か!」
ぱっとロットの表情が明るくなる。
クレアが小さくうなずいてみせると、ロットはクレアを改めてぎゅっと抱きしめてくれた。クレアもおそるおそる抱きしめ返そうと手を動かす。
そのとき。
ドアの向こうから、赤ちゃんと五歳児の可愛らしい声が飛んできた。
「あぷー?」
「『ちゅーするの?』って、ゴッちゃんが聞いてるよ?」
クレアとロットは瞬時に離れ、ふたり同時にドアの方を振り返る。
そこにはマークと、赤ちゃんを抱っこしたママが立っていた。
ママは「ゴッちゃんったら!」と言いつつも、何かを期待するかのように瞳を輝かせている。マークと赤ちゃんも、キラキラした瞳でクレアとロットを見つめていた。
いや、期待されても困ります。
「ちゅーはしませんよ?」
「ええー!」
クレアの言葉に、その場にいた全員が揃って残念そうな声をあげた。
*
食堂が開店する時間になった。
赤ちゃんもお腹がすいたらしく、元気よく「ふにゃあああ!」と泣き出した。
クレアたちはみんな一緒に食堂で昼食をとることにする。
赤ちゃんにはミルクだけでなく、離乳食も用意した。ママさんがその離乳食を赤ちゃんに食べさせる。
「ああ、もう、ゴッちゃん! べーしないの!」
「ぶうぶう! あだだーい!」
赤ちゃんは盛大に文句を言いながら、離乳食のツナ入りトマトソースパスタを拒否していた。
赤ちゃん用なので、パスタも細かく刻んであるし、トマトの甘みやツナのうまみが感じられるので、食べやすいメニューのはずなのに。
一体どうしたのだろう。
もう一度、ママが赤ちゃんの口にトマトソースパスタを運ぶ。
けれど、赤ちゃんはかたくなに食べようとしない。
ママの表情がとたんに暗くなる。
クレアとロットはハラハラしながら、赤ちゃんとママを見守るしかない。
やがて、赤ちゃんが「だう!」と言って、小さな手で離乳食の入ったお皿を払いのけた。
お皿からトマトソースパスタがこぼれて、テーブルに散る。
それを見たママは悲しい顔になり、とんでもないことを言い出した。
「やっぱり私、ゴッちゃんを育てていく自信がないです。……ロットさん、クレアさん。おふたりの子どもとして、ゴッちゃんを育ててもらえませんか?」




