第七話 それはあなたの選択 前編
雨木は死地に立っていた。力を取り戻すどころか、龍のさらなる高次元の力を手に入れたアニマは現世および魔法界において敵などいない。ヴィドもエドワードも、龍ですらも彼には敵わない。
右腕の感覚が無くなっていた。己の血は相手に降りかかる。爆ぜた右腕は地面に転がり落ちる。しかし、雨木はまだ残っていた左手を使って治療薬を傷口にかける。腕は治らないが血は止まる。
アニマは祈っていた。
「 暗い 暗い 海の底 誰そが願う 庭の海 見た 聞いた 無視をした 時間は響く匣のなか あなたのこと 私のこと 」
魔術なのか判別がつかない。言葉は優しく生きた証を残すように、彼は言葉をおろす。
自らの邪魔を今度こそさせないため、持てる力を使って世界中に災害を撒き散らす。地震や噴火のような自然災害、悪食のような異形の化け物たちも召喚した。混乱もあるが、現世や魔法界では決死の抵抗がなされているに違いない。
一方の雨木への援軍は無いに等しい。加えて、魔力も底をついていた。元来、魔力を持たないため、魔力効率は最悪だ。
「何もしないのか。ボクはこんなに無防備なのに」
「近づいても近づかなくても、お前は次の瞬間には僕の頭を吹き飛ばすじゃないか。どうしろと?」
「イデアでも呼んだらどうだい。雨木透、キミの魂は彼女から作られている。まさか人間の胎児の魂と混ぜるとは思わなかったけど、何が目的だったんだろうね? この状況、もしキミへの愛情の一つや二つでもあるなら呼ぶことはできるはずだ」
雨木は舌を出した。
「やだね」
アニマは雨木へと近づく。彼は動かない。ただじっとアニマを見つめていた。
「まだ反抗するのか。イデアが残したとはいえ、キミは本当に何も無いのか」
「あるのかな。もし何か持っているのならお前に勝てそうだけど。残念ながら僕は正義の味方でもなんでも無いからね。都合よく何か起きるとは思えない」
雨木はアニマから視線を外さない。
「何かが起きる時、全てが準備されていることだ。必然だ」
「そう、ボクのプロットはおおまかには進んだ。キミの行動も、周りの行動も、潜在的に刷り込むようにしたんだ。だからこそ気になる」
アニマは雨木の額を掴む。
「どうやって気がついた。気がつくわけないだろう」
雨木が答える前に、アニマは魔術を使った。
『 繋げよ 開けよ 魂の線 在りし日 ここにあれ 』
記憶を覗き込む魔術、アニマにとっては記憶を改竄することも容易だ。しかし、読み取ることができない。
「それを待っていた」
急にアニマの力が入らなくなる。立てない。
「もう逃すものか」
アニマは自分が雨木に引っ張られる感覚を覚える。
「まさか……!」
雨木はアニマの首根っこを掴む。
「そうなんだよ。全ては準備されていた。僕も、お前ですらも! 何なんだお前らは。 そこまでして……そこまでして……いや、僕も同じだ」
感情が溢れきらない。さっきまでムシャクシャしていた気持ちも、どこか冷めてしまう。
「僕の体が魔力を持たないこと、アドニスさんの魔力を一度取り込んで新たな魔力回路が生まれた事、全てはこのためだった」
アニマは気がついた。原理は魔法界と現世と同じ。魔力が高い力は低い方へ拡散される。そして、雨木の魔力は完全に空である。ミアが雨木に触れた時、魔力の核が揺らぐと感じた症状。それのさらにキツい流れだ。
「何が何もやりきれないだ。お前だって同じじゃないか。全部取り込んでやる。お前の魔力、魔法、魂でさえも。終わらせてやるよ」
「面白いな」
アニマは抗うどころか雨木の体内に飛び込んだ。このまま抵抗しても無駄だというのなら、作り上げて取り戻した自身の体を捨ててでも、雨木の策に乗っかることにした。
抜け殻となった体は鈍い音を立てて床に転がる。
「そのまま興味に殺されてくれ」
雨木は取り込んだアニマの魔力で透明なナイフを作り出し、自らの胸を刺した。
「ッツがぁぁ!!」
心臓、腹、首、致命的になるように何度も刺す。脳内ではアニマの声が響く。
「自分の中に取り込んでボクごと自滅するつもりだったのか。だけど間に合うかな」
吹き飛んだ右腕が再生された。刺した箇所は次々に治っていく。
「追いついてやるよ」
自ら首を落としても、地面に落ちる前にくっつく。辺りにはひたすら己の血がばら撒かれるばかりだ。フラつきながらも彼は歩く。彼が必死に進んできた道は、ひたすら己の血で作り上げられている。郵便局員として、彼は魔法のように荷物を運んできたのだ。しかし結局、残った軌跡はその程度のものだった。
やがて、アニマの意思によって右腕も言うことを聞いてくれなくなる。刺そうとする左手を押さえる。
「そうだ。このままイデアの元へ向かおう。いい提案だと思わないか」
「……嫌だね」
雨木は抵抗したが、意味が無い。
膝をついていたはずなのに、どこか知らない村にいた。道の魔術には比べ物にならないほどの精度の力だ。目の前では家が燃え、抵抗できない住民達は無惨に災禍に飲まれるしかない。雨木は言葉を失い、アニマはほくそ笑む。
次の瞬間には、彼の体は大都会のスクランブル交差点のど真ん中に飛ばされていた。目の前に広がる光景は町中が異形達に破壊されている様子だった。茫然自失となっている人々も少数派では無い。
「見えるだろう。これも全てキミがボクの筋書き通りに動いた結果だ。さぁ、存分に目に焼き付けておこうか」
声だけは優しい。目の前で人々の悲鳴が聞こえる。今の雨木ではなす術などない。
「趣味が悪いな、はは」
実際、これが魔法界および現世を含んだ世界中で起きているとすれば猶予はない。己を殺し切るにはどうすればいい。首を振る。彼はわかっていた。この魔術が彼への特攻。
どんなに痛みを伴おうとも、その身を焼こうとも構わない。
「何度でも唱えてやる」
『 見えない刃よ 焼ける刃よ 繋げよ血潮 ほどけぬ手でかき回せ 』
自らの腹を刺し、燃え上がらせる。アニマを体内に封じ込めた今、痛みは全て自分に帰ってくる。これが本来の痛み、魔力を持つ者の苦しみだ。
襲ってくる異形達も雨木に迂闊に近づけない。体にはヒビが入り、そこから魔力と炎が漏れ出し始める。
自分の人生がどんなものだったのか関係無い。郵便局に帰りたいのも事実だ。生きたいし、つまらないことを話したいし、一緒に朝ご飯を食べたいし、何気ない日々を過ごしたい。だがそれ以上に、雨木はアニマに対するあまりにも純粋な殺意があった。
身も焦げる。脳も焼き尽くされる。
意識が途切れる寸前、アニマの声が囁く。
「祈れ、祈れよ。ボクを殺したいってさ。神にでも祈れ。すがって、ボクのように祈ろう。奪われた苦しみはキミにもわかるはずだ。祈れば解決する。キミ達の薄い人生では、それが正解だ」
「……なら、その薄さの中にある……深みを見つけろよ」
彼は地面に突っ伏す。久しぶりの混凝土は随分と暖かく感じる。普通ならとっくに意識なんて無い。だがしかし雨木の意識は途切れず、痛みが続くのみだった。




