第六話 魂は災禍で燃ゆる 前編
雨木透は無能である。数ヶ月間といえど、魔力と魔術の訓練を繰り返してきた。元々魔力が無い、魔力回路も後付けの彼は人よりも魔術を身につけるのが困難だ。同級生の海斗の方がよほどセンスが良い。それでも少しずつは使用できるようになってきていた。
たかだか数ヶ月間の努力、されど努力。自分の全力を出してぶつけたナイフは、世紀を跨いで生きるアニマには届くはずも無かった。アニマからすれば、雨木は何も出来ない無能にしか見えないのだ。塔の鍵を取りに行かせたのも、全てアニマの掌の上であった。
だからこそ、空の魔女が関わっている事の意味がわからない。己を殺した空の魔女を評価するのも癪ではあるが、こんな奴を作っていることは理解できないのだ。
雨木も同様だ。アニマは彼から見て明らかな脅威。だが、どこか爪が甘い。何か一手を刺す事ができるはずだと自分に言い聞かせてきた。
「クソッ!」
しかし現実は甘くない。リックやヴィドであったから対応できたものの、この場にいる雨木と羽山では彼をどうすることもできない。圧倒的な差。差があると言ってもおこがましいほどだ。
宙に浮いていたアニマは龍のそばに降り立つ。ひび割れた地面、魔力が乱れ切ったせいで常世と現世の境界が吹き出している。
「ッ!」
アニマはふらつき、動けない龍に手を置く。一瞬の隙、雨木は叫んでいた。
「羽山さん!」
「わかってる!」
仕込んでいた残りの魔術、その全てを一点に集中させる。ヴィドと羽山が共同で仕込んだものだ。羽山も同様に起動させる事ができる。ヴィドの魔術ならば届きうる。しかし、全てアニマの眼前で落ちた。飛び道具ならまだしも、体内に直接干渉する魔術も全てが無かった事になる。
「ダメだ。あれは……」
羽山は一歩下がる。一瞬の出来事、彼女の脳裏にフラッシュバックしたのは、災禍。ソフィアが命を落としたあの日と同じだった。これは立ち向かってはいけない相手だ。目の前にした彼女だからこそわかったこともある。だが、全て遅かった。
「私たちじゃ無理だ。雨木、早く逃げーー」
プツン。
雨木は、突如電池の切れたロボットのように崩れ落ちる。次元に干渉されれば、見えず、聞こえず、なす術もないままただ事切れるだけなのだ。
「あ……めき……?」
羽山は何が起きたのか理解できなかった。
「雨木!」
側に駆け寄り、必死に声をかけるが彼はぴくりとも動かない。力が入っていない体は重く、瞳孔は開き、脈は止まっていた。何が起きたのか、羽山は考える余裕なんて無い。叫ぶしかない。
「なんで! 早く起きなさい! 倒れてる場合じゃないの!!!!」
叫ぶ声が響く中、乾いた笑い声が聞こえる。アニマだった。
「ははっ」
龍から力を吸い取っていた彼は、瞬く間に雨木の命を奪った。無限とも言える力を、彼は取り込もうとしていた試験運用でもある。それだけでも、因縁のある相手をいとも簡単に屠ってしまった。
「はははっ」
アニマは笑う。高まる力を元に、ようやく目障りな存在を殺せたのだ。喜びの渦中にもあった。しかし、動くことのできない龍が彼に語りかける。
「随分とやられたな。我が息子よ」
リックとヴィドの連携は確かにアニマにダメージを与えていた。もう少し遅ければ粉微塵になっていた可能性も否定できない。龍の問いにアニマは睨みつけるのみだ。
「何も言わぬか。我の力を取り込んだところで今のお前に耐えられるのか。興味深い」
「……イデアを消すためには必要な事だ。それに今、彼女の使徒である雨木は死んだ。何を意味するかわかっているだろう」
龍の口角が上がる。
「楽しみにしておるぞ」
龍の身体中から力が抜けていき、アニマに流れ込んでくる。彼の計画の最重要項、概念を操作できると言っても過言ではない力を吸収し尽くすこと。そして全てが吸収され、龍は池奥底へと突き落とされる。
体の中で力が渦巻く。蓄積したダメージのせいで馴染むのがあまりにも遅い。地面に這いつくばる。体が軋む。だが耐えられなければアニマの目的は達成できない。
「まだ埋まらない」
力にもがき苦しみながら、アニマは池から力を奪わんとした。龍だけじゃ足りない。彼の欲は満たされない。吸い尽くす。エネルギーはいくらあっても足りないのだ。踊り、忘れ、己の身がどうなってもアニマにはやるしか選択肢は無いのだ。
黄泉から呼び出せば、そのエネルギーは火霊の渡りとして彼の体内に取り込まれていく。アニマは力を身に受け続けていた。体はだんだん形を変え始め、身体中に鱗が生え始める。裂けるような痛みの中、叫び声が彼の耳に響く。
「あぁあああ!!!!」
羽山だった。彼女は仕込んでいた魔術以外にも、身体中の魔力を絞って魔術を繰り出すがアニマには届くはずも無かった。しかし、声が耳障り。アニマは興味も湧かない羽山を殺そうと決めた。
人がアニマのような存在を見れば、祈るしかない。祈って彼のご機嫌を取るしかない。牙を向くなんてもってのほか。彼ら同士の戦いに巻き込まれても、それを運命として受け入れるのが幸せなのだ。
羽山は自身に何が起こるかもうわかっていた。自分は次に瞬くことは無いだろう。それでも、彼女は抵抗せずにはいられなかった。だが、彼女の身には何も起きなかった。
それどころか突如、再燃したはずの火霊の渡りが終わりを告げる。
アニマの額から後頭部にかけて、透明な刃が貫通していた。彼の意識が反応する前に身体中の力が込められ、刃は回転する。バターをナイフで切り出すように、滑らかに動くようにも見えた。
「あんたの言った通りだったよ、エドワードさん」
黄金の稲穂が散る。力を失い、ただ次世代の種子として地に落ちた。
「綺麗事じゃない。ただ、僕は郵便局に帰りたい。帰らなきゃいけないんだ」
刃が抜かれ、後退する。全身が震えた。何か違う。普通でないものが体を貫通した。生え始めていてた鱗も剥がれ落ち始める。
「だから死んでくれ、アニマ」
たった今殺したはずの存在、雨木透がアニマを見下ろしていた。




