バックナンバー3 永遠の輪廻は昔話に
失敗した。リックは彼方の書庫から出ていく黒い粒を見て確信していた。姉の仇を、村を焼き尽くした元凶をこの手で仕留めることは出来なかった。おそらく彼は目的を果たすのだろう。止めたい。自らと同じ境遇の人を増やしたくない。でも、彼女にはもう出来ない。
ドシャ
ヴィドの守りは彼女を激烈な吸引から身を守ってくれた。だが、彼女は自らを罰するように許容を超えた力を使っていた。この世にある禁術以上の魔術は、彼女の身体中にヒビを生むように傷をつけていたのだ。外側も内側も焼かれていた。立つ力などない。その場で崩れ落ちる。
「リック!」
ヴィドが駆け寄り、治療薬をリックの口元につける。彼女は飲むが、治るどころか時間が経つたびに傷は増えるばかりだ。リックが行ったのは高次元への干渉。魔術ではどうにも出来ない。魔法かそれと同等の力を使わなければ魔術に触れることすらできないのだ。
「…………」
ヴィドは瞳を閉じる。リックは今、この瞬間に事切れてもおかしくない。顔色が急速に白くなっていく彼女を前にして、すべき事は一つだけ。もしリックの傷を移すことができるものなら。ヴィドがリックの生きた証を背負うことができるのなら、彼女を救うことができる。
リックの頬に触れる。暖かい。虚な表情の彼女と視線があう。この顔が笑顔になるのならば、どんなことでもしよう。ヴィドは思考する。エドワードの記憶を覗いて知った事。彼の家の中で見つけた事。これらが鍵だった。覗いて知った彼の言葉を思い出す。
『ヴィドの反応が楽しみだ』
魔術は魔法に成り得ない。だが、ヴィドの一番の友人は、彼の魔法を取り戻そうとしていた。決して救いたいという類のものではなく、もしヴィドが魔法を取り戻したらどんな反応をするのだろうかという純粋な興味。流石にこの記憶を見た時、ヴィドは狼狽えずにはいられなかった。
エドワードは計り知れないほど失敗していた。だが、一つだけ不完全ながらも成功していた。
使い方を思い出す。単純だ。自分は何でもできると思い込み、その力を行使すれば良い。今度こそ最後。友人が残した、ヴィドの魔法。弱く、不完全な、一度限りの奇跡。
『 灯火は風に 吹かれて咲く声 花が紡いで 種は芽吹く 』
暗く、崩壊しかけている彼方の書庫で光が溢れる。オレンジ色の淡い光。灯籠流しのように流れれば、リックの体を包み込む。
彼女の傷はみるみるうちに塞がっていく。そして、朦朧としていたリックの意識も鮮明になるが、彼女が目にしたのは、身体中にヒビが入ったヴィドだった。
「ヴィドさん?」
思わず彼の名を呼んだ。ヴィドは目を合わせようとしない。
「…………ここから去りなさい。いつ崩れ切るかわからない。私はまだ動くことができないんだ。先に行っててくれ」
リックは呼吸がしやすくなっていることに気がついた。状況を理解した瞬間、ヴィドの手を引っ張って行こうとする。
「嫌だ、嫌だ! もう二度と家族と別れたくない。絶対に嫌だ。置いて行けないよ! ねぇ帰ろう! お願いだから!」
「リック!!!」
ヴィドの大声を初めて聞いた。怒りも悲しみも溶け合った大声だ。リックはその声に萎縮するが、ヴィドは優しく彼女の頭を撫でる。
「いきなさい。私は元々魔法使いだ。リックより耐えれる。ゆっくりでも追いつく」
彼方の書庫の崩壊は止まらない。だが、リックはその場から離れようとはしなかった。リックは魔力が無く、ヴィドは不完全な魔法を使った事によって魔力が体に焼きついていた。いつ空間が崩れ去ってもおかしくない状況だった。
彼はリックを引き剥がそうと手を伸ばした。しかし、瓦礫の動きが止まる。
そして――
「リック。あなたも、ヴィドさんも、郵便局に帰らなきゃ」
声がした。リックにとってもヴィドにとっても懐かしい声。大切で、一度は忘れてしまった声。でも、誰かはすぐにわかった。リックの視線に、一人の女性が映る。
「……お姉ちゃん?」
「リック、ヴィドさん。また……会えた」
通常ならあの部屋からは出られないはずだ。だがエリンはヴィドに歩み寄ると、彼の背に触れる。彼の体内にあった魔力の焼きつきが治り、魔術も使えるようになった。
「エリン……か?」
ヴィドも困惑の表情を隠せない。エリンは二人の表情をジッと見つめていた。
「ずっと、ずっと準備してきた。あの日からこの瞬間のために。でも、魔術の才能が無い私にできる事はたかがしれていた。どんなに時間を使っても、アニマの行動を一瞬止めること、彼のやった事を模倣して部屋から出ること、一時的に彼方の書庫を止めること、この三つが限界だったよ」
エリンは俯いていた。
「アニマがわざわざ注意を引くために何を起こすのか話してたのにね。それの準備しかできなかった」
エリンはリックを抱きしめる。リックの耳は彼女の胸に近づくが、エリンの鼓動は聞こえなかった。
「ごめんね。一緒にいてあげられなくて。もう少し出来たお姉ちゃんだったら良かったのに。こんなにボロボロにならなかった」
「そんなこと……言わないでよ……私は、お姉ちゃんに会えたのが嬉しいから……」
「……ありがとう」
エリンはリックを抱きしめながら、ヴィドを見つめる。その表情は真っ直ぐ彼を見つめていた。
「ヴィドさん。あなたに最後のお願いがあります。彼方の書庫を守って。アニマを止めるために必要です。この崩壊は一時的に止めているだけ、あなたの力で外の部分を修復してください。内は対処しています」
ヴィドはエリンの体がソフィアとは似て非なるものであると気がつく。おそらく彼女は時間が無い。冷静に対処しなければと自らを鞭打つ。
「エリンは知っているのか」
「リックと羽山さんが複製した本、あれはこの書庫の核となる部分です。複製体であっても十分。あとはそれを元の場所に戻してください。場所は本の1ページ目に」
エリンの体は少しずつ粒子になり始めていた。ため息をつき、エリンは物憂げな表情を見せる。
「あーもう時間? まぁルールを曲げちゃったし、私の体じゃ耐えられないのは当然か」
伝えなければいけないことは伝えた。ほんの一瞬だ。エリムである彼女が部屋から出るということは、世界に溶けていってしまうのと同じだ。ウィン祭に来ることもできず、彼女という情報は消えてしまう。
それほどの覚悟を持って、彼女は部屋から一歩を踏み出していたのだ。
そして、時に本能というものは想定以上に敏感になる。リックもヴィドも、薄々感じていた。
「エリン、すまなかった。私のエゴのせいで君を……守れなかった」
「全てが過程なら、私の死も必要な事だったんだと思う」
エリンは涙ぐむリックの目元を拭う。
「だから、謝らないで。悪いのはアニマ。彼からこの子を、世界を守るためには避けられなかったんだよ。ヴィドさん。どうか、妹を頼みます」
「お姉ちゃん……」
「元気でね、リック。短い間だったけど、もう一度あなたの顔を見れて良かった」
体のほとんどに感覚がなくなっていたエリンは、リックの体から離れていく。
もう皮膚と世界の境目がわからない。
意識もどこか遠くに行ってしまうんだ。
風になびかれ、飛んでいく蒲公英の種のように。
それでも最後の瞬間まで目は閉じない。最愛の妹の姿を、その目に焼き続けるため。
「お姉ちゃん!」
リックの声が聞こえる。日々を力強く生きて、大きくなった妹の姿はより鮮明に刻まれる。
「ずっと大好きだから!!!」
短い言葉、語る時間など無かった。それでも全てが届いた。
「リック、私も……大好きだから……!」
二人の目の前で、エリンが世界に溶ける。跡形もない。魂の欠片すらない。立ち尽くすリックの背中はに声をかけずにはいられなかった。
「リック……」
崩壊が再び始まる。
「いこう、ヴィドさん。お姉ちゃんの……お姉ちゃんが残したんだ。次はきっとやり遂げるよ」
強がっていただけ。リックは涙が溢れていた。彼女は胸元にあるペンダントに入っていて写真を見る。忘れない。リックとエリン、二人の何気ない笑顔の写真だった。エリンはいつだって、リックを見守っていた。




