第五話 鏡よ鏡そなたは何を映す 後編
頭の中に残る影。夢のようなモヤ。無くならない。音が平坦に聞こえる。全ての景色が作り物のように見える。目の前で行われている龍と狼の攻防も、どこか自分には関係の無いものではないかと思ってしまう。
「雨木!」
怒気の籠った声で意識が晴れる。声の主はドゥーハの背に乗っていた。
「羽山さん!」
雨木が叫ぶとドゥーハは彼に向かってくる。雨木を口に加え、自身の背に投げた。狼の背に乗った雨木の胸ぐらを、羽山は掴む。その手からは血が滴っていた。ドゥーハの体もすでにボロボロだ。
「凪は? エドワードどこだ?!? まだ中かい?!?!」
ようやく気がつく。自分だけしか外に出ていない。雨木は最悪を想定し、歯軋りをしながら叫んだ。
「また、僕のせいじゃないか……」
雨木は地脈の集合体に触る直前の会話を思い出し、頭の先から魂が抜けるような悪寒が走った。だが思考の沼に落ちそうな彼の頭を、羽山はクシャクシャにする。涙目の雨木はすでにボロボロの羽山を見つめた。彼女はまだ笑っていた。
「わかった。よく頑張ったな。今は龍をどうにかするから、それだけを考えろ。あいつの力も次第に弱くなっているんだ」
ドゥーハも鼻息を鳴らす。
「我はわかる。龍の力は次第に弱まっているのだ。あれを池底へ叩き落とせば、全てのまだ可能性はある。底にいる時は一点の光を見るのだ」
雨木は目元を拭う。泣き言は後だ。落ち込んでいる暇は無い。
「ヴィドさんはどこに。ここにいたはずでは?」
「最初から来ていない。初めはエドワードを騙くらかすために私が化けてたんだよ。数百年一般人として変装してきたんだ。技術は誰にもわかりゃしないよ。それに、凪がエドワードに気付かれないよう、認識阻害の魔術をかけてくれていた。きっと現世で襲われた時、魔道具でも使ったんだろうね。全く、抜け目のない子だよ」
彼女の笑顔は、少し悲しみと安堵が混ざっていた。
「ただ、凪には悪いけど、もう友人同士が殺し合うのは見たくないからさ。ヴィドには彼方の書庫に行ってもらった」
会話を仕切り直すように、羽山はドゥーハの背を叩く。
「仕込んだといえ、流石にドゥーハには気がついて欲しかったけどねぇ!」
「魂の形まで変えているものがわかるわけ無いだろう。それより栞、どうする。龍の力が弱まっている原因がわからない以上、時間を稼ぎ続けるのも危険だ」
実際、火霊の渡りは勢いを増していた。森は凄まじい勢いで焼けていき、草木も土も空気も魔力ですらも火霊は燃やし尽くさんとしていた。亡者達は生を求めて彷徨い続ける。放置していればいずれは何もかもが飲み込まれるだろう。空中で飛んでいるだけでも危険だ。龍も次の瞬間には何をしてくるのか見当がつかない。
羽山は口角を上げる。
「まずは火霊の渡りだ。この時のために、ヴィドと共に用意しておいた。そろそろ起動するはずだよ」
雨木の手にポツポツと雫が落ち始めていた。
「意図的に雨を降らす魔術。雨木がここに来た時の話を聞いて仕掛けておいた。それにただの雨じゃない。時間稼ぎにはなってくれるはずさ。龍に集中し――」
「……しまった」
ドゥーハの動きが止まった。最初は戯れていた龍だったが、自身の力を強め、ドゥーハを池の奥底へ引きずり込もうとする。実際は瞬きもしない間に、雨木と羽山ごと池の真上に移動していた。今度こそ底へ押しやられる。
『 繋げよ風よ 地よここよ 』
雨木はドゥーハから魔力を吸収し、言葉を唱えていた。ポケットから媒介となる薬を取り出し、ドゥーハの足元に投げる。
『 灯火はここに 今開かん 』
液体は湿った空気の中、蓮の葉に転がる水の如く流れていく。羽山は乾いた笑いを見せ、雨木の背を叩く。
「はは! 考えたねぇ! ドゥーハ、仕方ない。最後の力を振り絞ってそこに飛び込みな!」
雨木と羽山はドゥーハの背から飛び降りる。一匹の狼は雨木の魔法の失敗によって生み出された、虚数空間への入り口に放り込まれた。
ジーーッ、ジーーッ ジーーッ、ジーーッ、ジーーッジーーッ
空間にノイズが走った。龍は目を細め、雨木を見つめる。矮小な存在に興味など無かった龍がその意識を初めて雨木に向けたのだ。
「あーもう。ヴィドさん来てくれないかな……?」
怖い。エドワードが自身に施している魔法もどこまで持つか、通用しているのか未知数だ。ドゥーハが池の底で分解されて、龍がさらなる力を取り戻すという最悪だけは防いだ。だけど、ここからどうすればいい。
「雨木、よく見ろ。龍が弱まっている理由がわかった。あいつの体は粒子になっている。不完全に顕現した結果、存在が不安定になっているんじゃないか」
羽山の言う通り、龍の体は全体的に粒子になっていた。だが、二人ともここからどうすれば良いのかを考えるが八方塞がりだ。虚数空間にドゥーハを追いやったとはいえ、これもいつまで持つか予想ができない。
二人が考え込む中、龍が視線を外した。突然翼をはためかせ、飛び立たんとする。
生み出された猛烈な風が雨木たちを襲うが、その風は一瞬で止む。目の前の光景を雨木は理解できずにいた。
龍は飛び立つことができなかったのだ。翼はもがれ、地に伏せ、その場に倒れ込む。その長躯によって池の底へ落下することは無かったが、もがき苦しみ始める。
龍の頭上、雨木には黒い何かとしか認識できないもの。龍から見れば魔法陣が現れ、その翼をもいだ。やがて龍の周りに無数の魔法陣が現れ、不完全な龍は干渉を受けてしまう。その瞳は虚空を睨みつけていた。
「やはり我の力を奪っていたか」
どこからともなく無数の粒子が集まり、人のような形をなす。かの存在は頭を抱え、酷く憔悴したような表情を見せていた。だがその巨大な力、雨木は瞬時に何者なのか理解した。
「エリム!!!」
エリムと呼ばれたアニマも、雨木の姿を見ると途端に表情を明るくした。
「名前が違うぞ出来損ない! ボクはアニマだ! お前も彼方の書庫に来ると思っていた。だが、こんなところで惨めったらしく泣きべそかいてるとはな! 随分といい表情じゃないか!!!」
雨木は瞬時に刃を作り出してアニマに向かって放出した。彼は全ての原因がアニマだということをまだ知らない。しかし、ずっと決めていた。初めてこいつと出会った時に感じたこと。
人間の根源たる本能、生命としての危機感。この世界で唯一、いらない命だ。




