第五話 鏡よ鏡そなたは何を写す 前編
金が欲しい。家族が欲しい。権力が欲しい。時間が欲しい。わがままを言える相手が欲しい。自由が欲しい。魔力が欲しい。知恵が欲しい。達成した事実が欲しい。飲み物が欲しい。世界が欲しい。自分を理解して欲しい。
欲。大なり小なりあれど、獣である人の本能だ。声を上げなければ、行動しなければわからない。だが人間はそれができずに蓄積を行うという、進化とも退化とも言える変化を遂げた。
蓄積が多ければ多いほど、人は達成感を得るのだろうか。それとも、やっと終わったという安堵だろうか。だがやはり、人が長年追い求めたものを得た時、感嘆の声を上げるのだろうか。
魔法使い。それは地脈の孤児。エドワードは自我を持ったその瞬間から、欲を蓄積してきた。そして、ついに彼は魔法の根源たる力を目の前にしていた。龍涙の池の底は黄泉の国と言っても差し支えない。生きとし生けるものがプラスのベクトルを持つのであれば、ここに存在するものはマイナスのベクトルを持つ。
肉体を失った魂たちが空間に漂っていた。死んで、より高次元の存在に達した彼らはエドワードの体を意識も理由も無く欲する。まさに風。次元の風と言うべきだろう。それはいとも簡単にエドワードの体内に干渉し、彼の体は見えないダメージが蓄積される。
「ほう」
視覚的に理解できた時には、エドワードの周りが鮮血で染まっていた。皮膚と世界の境界が曖昧になったせいで血液が外に出てしまっていたのだ。自分の体の異変に気がつき、魔法を使って身を防御する。リックが長年かけて作り上げた魔術と同等のものを、彼は一瞬にして構築する。
エドワードの目の前には彼が追い求めてきたものがあった。彼は触れる。暖かかった。
触れた途端、魔法使いである彼の体の情報は書き換えられていく。高次元の技術である魔法を使うことができる彼は、ついにその身も魔法に近いものになるのだ。
頷き、噛み締める。彼が見たかった魔法の起源。それが何なのかを理解する。描かれた絵画の全体が見えるように、高次元の存在になった彼は三次元の世界全てが見える。魔法の解釈が広がっていくのを理解した。副次的な産物であったが、自身の体がそのままであれば説明も無しに理解するのは困難だったであろうとも彼は理解する。
しかし、エドワードが噛み締めた時間は長く無い。ノイズとなるような二人の声が聞こえてきた。
『うわぁぁああああああ!!!!!! 』
エドワードは見上げる。雨木と凪の二人が落下してきていた。雨木は必死に凪の体から溢れる魔力を奪いながら、なんとか減速しようと試みていた。速度は落ちない。
「ふむ」
エドワードが雨木達を意識すると途端に減速し、彼らは無事に着地することができた。雨木は警戒しながらも、困惑している表情をエドワードに向けている。一方の凪は龍の侵食が進んでいたのか、すでに息が絶え絶えだ。
加えて彼らを次元の風が襲う。彼らにはすでに耐える力は無い。呼吸も困難なほどだ。しかし、エドワードが彼らを守った。すでに彼らに魔法を施しており、身体中を襲っていた風は彼らの体を通り抜ける事はなく、雨木達の体はまともに機能し始める。
「……何が目的ですか」
凪に肩を貸しながら雨木はエドワードに問う。彼は随分と満足そうな顔を浮かべていた。
「目的は達成した。魔法の起源、それをようやく知ることができた。今、私の目の前に存在するものがそうだ。物質として目に見える物だとは思わなかった。だが私はすでにこれが何であるかを理解できている。魔法も、龍も、世界も、知りたいと思える事は全て知ることができた。もう君たちと敵対する理由は私には無いのだよ」
「随分、自分勝手ね……!」
凪がエドワードを睨みつける。しかし、彼は穏やかだ。ただ学問的な興味で彼女の体を見つめていた。そして、魔法の起源である地脈の集合体への道を開ける。
「おそらく君の体は龍の力が暴走しているのだろう。龍が君の体に干渉しているのだ。あれは理と言って差し支えない。今の君では打ち勝てず、いずれは情報としてこの空間に拡散されるのみだ。それが三骸体の基本原理、理解できるだろう」
「あんたに言われなくてもわかってる。頼らなくても何とかしてやるよ」
雨木の肩から凪は離れて立とうとするが、雨木は彼女の手を離さなかった。彼の手が一層強く握られる。
「行こう、春香」
「何言ってんの?エドワードさんは私を傷つけた。このままホイホイ聞いてでもしたら、また同じことかそれ以上のことが起こるはず。透の身も危ない」
「僕はいい。だけど春香、今の君はとても耐えられそうにない。エドワードさんの話はやってもいい賭けだと思う。それに見て」
雨木は視線をエドワードへと向ける。エドワードはすでにこの空間の方に体を向けていた。
「彼、僕たちそっちのけでブツブツ言いながら何か考え続けてる。僕たちに危害を加えるような余裕はないんじゃないかな? 」
「……あれは引くなぁ」
空間は、彼と雨木達それぞれで認識される形が違う。雨木が鏡のように見えた世界も凪からすればだだっ広い平原であり、エドワードの目には空間そのものの構造が見えていた。もはや、体が変わったエドワードは空間自体に魅了されていたのだ。彼に生まれたのは新たな知恵欲だった。
「でしょ? 怖いなら僕も一緒に触れるからさ。それにさっさと戻らないと。ドゥーハさん達もいつまで持つかわからない」
「…………」
凪は頷く。
不思議だった。雨木達はこの空間に着いてから、口調はまだしも心は穏やかだった。地脈の集合体を見てからだ。今がどうしようもないことも、エネルギーの集合体に触れるというリスクもあるというのに、彼らは惹かれてしまう。考えるということができなくなる。必然だと思ってしまう。
そして食虫植物に誘われる小虫のように、彼らは魔法の起源たる物に触れた。
彼らの体に許容外の力が流れる。細胞を構成する原子から書き換えられていく。己が己で無くなっていく気がした。錯覚か、夢を見ているのか。わからない。巨大な魔力が流れている気がするし、違う気もする。だが何度も繰り返し、繰り返し続ければ意識も溶けていった。
そして、雨木は目を覚ます。すでに彼は龍涙の池から放り出されていた。エドワードとその後、何か会話した記憶もない。どうして自分が池の奥底から出ているのかも知らない。確かなものは一つだけ。
凪の姿は、どこにも見当たらなかった。




