バックナンバー2 ボクがエリムでは無くなる日
青年エリムはソファに座りながら、テーブル上で何かをこねくり回していた。うすら笑みを浮かべながら粘土遊びをしている様相は、どこか無邪気に見える。テーブルの上にはいくつかの白い塔が建てられていた。他にも様々な物を作っている途中、塔の一つが崩れ始めた。
青年エリムはその一番巨大であった塔が崩れ始めた事に気がつくと、目も口も大きく開いた。青年エリムが撫でると机上は揺れ始め、他に建っていた細身の塔も崩れ落ちる。
「……ようやくだ」
加えて、青年エリムは地面に触れようとした。しかし、老人がその手を止める。興が冷めたように青年は老人を見つめる。
「一番の障害、白い塔が崩れたんだ。もうすぐ僕の望みの一つが叶う。邪魔しないでくれ」
青年エリムはフッと息を吐く。すると、たちまち老人の右手は消えてしまう。
「君が海斗という青年に渡した本。あれは僕がすり替えておいた。君の気持ちや考えは全て裏目に出ている。大人しくしておいた方が良い」
消えた右手を見ることは無い。老人は青年に問いかける。
「やはり、全てあなたの仕業だったんだな」
青年は老人を一瞥する。目で全てを悟った老人は話を続けた。
「あなたはここから出られない。それ故、本を使って人々をコントロールした。全ては自分がここから出るための条件を整えるためか。黒い魔術は人の思いを爆発的に増大させる。現世で生きたい。魔法の根源を知りたい。戦いたい。個人が持つその感情を個人から離脱させ、あなたの思い通りに動かした。違うか」
「違うか、か……君はもう自分なりの答えが出ているじゃないか。僕が答える必要はあるのか。君もエリムであるのならば、彼方の書庫にある本をいくらでも読めるはずだ。万物のあらゆる事柄が、この場所には記される。僕は話し相手欲しさに君を勝手に呼んだ。君が読む権利ぐらいはある」
老人は目を細める。
「あなたは、己の黄泉がえりを計り、自分をここに追いやった空の魔女を消す。そう考えている」
「そうだ。僕は本当は死なないはずだ。だけど、空の魔女はそれをやった。君の考えは僕の背景と見事に繋がっている。良かったね」
彼らの間にしばしの沈黙が生まれる。口を開いたのは老人だった。
「あなたは……何者だ。これから、何をするつもりか」
「自分の考えを信じればいい。悪いけど、僕はこれまで通り勝手にさせて貰う」
青年は老人に微笑んだ。
「少なくとも、君と話すことは楽しい時間だった。これまで人間と話すことなどほとんど無かったのだけど。存外、悪く無かった」
青年が椅子から立つと、部屋の扉が開いた。この部屋はエリムであれば開けることができないはず。そして、扉が開いても彼らは出ることができない。
だからこそ、扉の先に人ではなく、脈打つ何かがあるだけというのは奇妙であった。モノは透明な液体が滴っており、主人を探していた。モノは白い塔から離れた後、主人がいるこの部屋に向かっていた。やがて、モノは青年エリムの体内に入り、不鮮明だった彼の体に輪郭が宿る。
青年の顔つきが変わった。
「ボクは今日でエリムとしての役目を終える。彼方の書庫は勝手にすればいい。誰か他の人に継がせるのも良い。輪廻の渦に還って、ここごと消しても良い。全ては君次第だ」
青年は扉に手をかける。そして、出られなかったはずの空間から、彼は体を出す。
「この扉の嫌がらせも切っておくよ。ボクの話し相手になってくれた、せめてもの御礼だ。さようなら、雄一郎。ボクにとって、ただ一人の友人よ」
返答がなされないまま、重厚な扉が閉まる。
老人は部屋に残される。彼も青年が座っていたソファに座り、一人考え込んだ。全ては青年の掌の上だった。自分が郵便局員に与えた情報も、悉くが間違いであったのだ。全てが裏目に出ているという指摘は正しい。老人は選択を間違えた。
うなだれている老人の肩を誰かが叩く。後ろを見ると、そこには女性が立っていた。老人はその女性と話したことは無い。青年が出て行くこのタイミングを伺っていたようだった。女性はゆっくりと口を開く。
「初めまして、雄一郎さん。こうして話しかけるのは初めてですね」
「あなたは……」
「“エリン”と言います。あなたの力を、貸してください」
女性の眼差しは力強い。老人には、彼女が携えた黒髪がひどく眩しく見えた。




