第二話 翼は黒く染まる 前編
目の前には草原が広がっていた。吹く風は肌を撫でて、辺りは草の擦れあう音しか聞こえない。見渡す。周りは連峰が連なり、彼らがいる草原は盆地のようになっていた。羽山は前方を指差す。
「どう見てもあれだな」
道の魔術を使ってたどり着いた場所、その中にある人工物はたった一つだけ。それはうんと高く、天まで届くような白い塔だった。向かうべき場所は、目の前の建造物以外考えられなかった。
「思ったよりも遠そうだ。リック、あれで間違いないかい」
「はい。解読した本にはたどり着くための言葉、空の魔女に関することがあそこにあると書いてありました」
「よし、じゃあ向かおう。二人とも、くれぐれも慎重に」
雨木とリックは頷き、三人は塔へと歩き出す。塔はあまりに巨大であった。そのためにわからなかったが、彼らが思うよりも距離があった。なぜこんな巨大なものが今まで見つからなかったのか、存在すらわからなかったのか、雨木は不思議で仕方なかった。考え込む彼に、羽山が声をかける。
「二人は郵便局の成り立ちは知らなかったかな?」
知らない。二人が頷く。
「丁度いい。少し距離がありそうだし、話しておこうかな。もうそろそろ良い時期だろう」
羽山は風を触って、過去の思い出を呼び起こす。その様子を二人が見つめていていると、彼女は語り出した。
「あの郵便局を作ったのはソフィアなんだ。彼女は生前、名のある魔法使いでさ。人懐っこいでしょ?彼女、魔法使いにしては珍しくて、積極的に他人を助けていた。例えば色んなところに行って、その土地の問題を解決したり。私の里もそうだった」
ソフィアらしいと感じた。時々人使いが荒いことはあるが、彼女は優しい人物であるのが滲み出ていた。雨木の頬は綻ぶが、羽山の表情は引き締まる。
「だけど、魔法界全体の魔力が大きく乱れる事件があった際、身を挺して乱れを鎮めたんだ。結果、自らの体が無くなって魔力のみで構成された体になった。その説明が面倒くさくて、彼女自身は幽霊って言っているけどね。魔力が乱れた傷跡は酷かった。森は燃え、炎の山は涸れて、海は黒く染まった。それを全て鎮めるには、魔法使いであったソフィアでも流石に無事ではいられなかった」
羽山の表情が少し緩む。
「鎮めたあとはね、私はソフィアと話し合って魔力が乱れた場所に何か象徴を建てることにしたんだよ。辺りは大きく乱れている状態だけど、郵便局のある場所は問題が無かったんだ。だから何か使えるかもって考えた。それで建てたのが琴吹郵便局。まぁ、何を作るかは別になんでも良かったんだけど。当時、ヴィドが魔道論として、魔法使いでなくても使える道の魔術を発表してね。これを活かすと面白いって話になったんだ。ヴィドが琴吹郵便局の一員になるのはそれから数百年先のことなんだけどさ」
突然、思い出したように羽山は腹を抱えて笑い出した。
「そうそう!私たちが勝手に使ってただけなんだけど。ヴィドが郵便局員になる際に、自分の魔術が使われていると知った時は、アワアワしながらひどく驚いていたよ!自分が発表したものはリスクが大きい。世界で最も自由な場所に行ける転移魔術だけど、時間がズレる欠点があるからさ。それを使っているどころか事業にしている人がいるなんて考えられなかったんだって!あの時のヴィドの顔をあんた達に見せたいぐらいだよ!」
話を聞いていた雨木とリックは若かりし頃のヴィドを想像するが、狼狽えているような描写が思い浮かばない。二人の共通の記憶としてリックの故郷が燃えた時のヴィドの姿があったが、その姿ですら彼は頼り甲斐があった。いつでも何かを受け入れている。そんな印象だった。
「それからー」
羽山の話は塔にたどり着くまで止まることなく続いた。時々悲しむようでもあった。ただ、それ以上に楽しそうに彼女が話すものだから、二人はずっと聞いてられた。彼らが時々質問して、羽山が答えることもあった。塔までの散歩は、距離はあったはずなのに随分と短く感じられた。
「さぁ、着いたよ」
塔だ。思わず手を伸ばしてしまいそうで、雨木は心の手を引っ込める。その白い柱は天を貫くよう。そして、何かの象徴のようだった。
塔の周辺は建物一つも無い。青年エリムが雨木に見せた風景とは異なる。しかし、白の塔は彼方の書庫の奥で見たものと同じだ。羽山は雨木からその事を聞くと、まずは塔周辺において何か問題が無いかを調べる。
「よし、罠も無い。まずはさらに塔に近づいてみようか」
塔は魔力の流れを掻き乱していた。雨木が龍涙の池で使ったものと同じ。明らかに魔術で作られていた。そして近づく前に、彼らは塔を一周する。だが、どこにも入り口は見当たらない。
最初に近づいた羽山が塔に触れる。魔力が流れている。空の魔女の手がかりなど何も無い。空の魔女が作ったのであろうという事ぐらいしかわからない。リックも塔に触れる。しかし、首を横に振るのみで何もわからない。
「雨木くんも触ってみたら?」
「そうするよ」
雨木も塔に触れる。触れたはずだった。
「雨木、動くな」
羽山の指示通り、雨木はその場で動きを止めた。
「…………」
雨木は黙り込む。そして三人の視線は、突き出した右腕の先に集約する。本人が一番驚いていた。雨木の右腕は水面に手を突っ込むように、塔に入っていたのだ。




