第九話 踊者は花の中 前編
時は遡る。
彼がドゥーハにもたれかかって気絶したのはほんの数分だった。柔らかな風と共に現れたのは、ヴィド。偽物ではない本物のヴィドだった。彼は爆発に巻き込まれ、ボロボロになった雨木を介抱していたジードと話していた。ジードからヴィドへの説明が終わった直後に雨木は目を覚ました。
両腕にはハコが爆散した際に、飛び散ったであろう赤黒い何かが付着していた。ヴィドからもらったポーションを飲んでもその痕は消えなかった。そして空気に触れるとわずかだが痛む。
「これは私でも見た事がない。雨木君、大丈夫か」
「えぇ、何とか。ヴィドさん、他の方々は大丈夫でしたか」
「大丈夫、安心しなさい。ドゥーハは少し体力を消耗しているが問題ない。まずは全員で琴吹郵便局に戻る。サンプルも何もない以上、ここに長居するのも時間が惜しい。まずは帰ろう」
ヴィドは雨木の腕に空気が触れないよう包帯を巻き、肩を貸す。身長差で腕が引っ張られて若干腕が張る。雨木は一度立ち上がった後は、彼は肩を借りずに己の足だけで歩く。
しかし、事は転がり落ちるようだった。琴吹郵便局にたどり着いた後、雨木は受付のカウンターで羽山に怪我を分析してもらっていたのだが、そこにリックが息を切らして戻ってきた。
「た、ただいま!」
受付にいた羽山がリックに深呼吸するように言う。リックは一度息を深く吸うと、凪と海斗が現世に行ったこと。それが空の魔女に関連するかもしれない事だと言った。雨木はそれを聞いた瞬間、緩んだ包帯のまま立ち上がって郵便局を出て行ってしまった。そして、ほぼ同時にリックも郵便局から出て行かんとした。
「現世の出身は僕しかいない。凪達を追いかけます!」
「あの本の複製は私に託された。私は彼方の書庫に戻ります!」
ヴィドが冷静に二人を止める。
「二人とも待て」
止まった二人に対し、ヴィドはポーションを二人に投げる。
「これを持っていきなさい。リックは羽山と一緒に彼方の書庫へ向かってくれ。今の状況、該当図書の複製の重要さはわかっている。複製が終わり次第、すぐに戻ってくれ。雨木は凪と合流したらすぐに戻ってくる事。私の魔術でカラスを現世に出しておく。逐次、情報共有をしてくれ。二人とも頼んだ」
雨木とリックの声が揃う。
『わかりました!』
リックはその後、羽山と共に彼方の書庫へ向かった。
一方、雨木は草木を掻き分け、現世へと向かう。
「なんだこれ……」
目の前の光景で雨木は確信する。凪達は何かに巻き込まれている。間違いない。彼は走り出していた。何か強大な魔力の流れを追う。走っていると振動で包帯が解けるが、雨木は走りながら不格好に巻きなおす。遅いかもしれない。間に合ってないかもしれない。嫌な予感は関係ない。走るしかない。余計な思考は頭を過ぎ去り、雨木は凪達の元に辿り着く。
彼がたどり着いた時、凪は膝をついていた。隙間から見えた彼女は肩で呼吸しているような状態だった。手は勝手に動いていた。雨木は目の前の木の根をナイフで切り、へし折り、千切り、曲げ、投げ捨て、凪達の前に辿り着いたのだ。
これが雨木が現場に辿り着くまでの過程だった。
話を聞いた海斗は雨木の無茶に呆れる。それでも雨木は淡々と事実を最後まで話した。
「こんな感じだよ。凪はまだ寝てるかな?」
相変わらず凪は雨木の背中で眠っていた。そして、彼の肩には一羽のカラスが留まる。雨木と一緒に歩いていた海斗の息も整っていた。アドレナリンが切れ、海斗は自身の怪我の痛みを知る。一方、雨木は凪を起こさないよう注意を払って、海斗に何があったかを尋ねた。
「なぁ、海斗。そっちは何があったんだ?」
「あーそれはだな」
海斗は龍涙の池こと、凪の体のこと、そしてエドワードの行動について話した。凪の体については話すことを少し躊躇っていたが、いつかわかる事だと考えて海斗は雨木に話した。
「そうだったんだ」
「あぁ、凪さんにはキツい事が多く起こりすぎた」
「そうだね。あんまり背負い込まなかったら良いけど。強がってるだけかもしれない。ねぇ?ヴィドさん」
雨木は肩に乗っているカラスに話しかける。情報を聞いたカラスは黙っていたが、やがて口を開く。
「そうか、エドワードが……雨木君とドゥーハを襲った者といい、状況がよくわからないな」
「とりあえず僕たちは琴吹郵便局にもどります。海斗も連れて行って大丈夫ですか?」
「構わないよ。ゆっくり休んでおいてくれ。私はー」
カラスは首を横に振る。
「いや、とりあえず帰って羽山の言うことを聞いてくれ。凪さんを頼む」
途端にカラスは羽を広げる。そして飛び去っていったカラスは雲に消える。まるでそこが故郷であるかのように。しばらく様子を見つめていた雨木に対し、海斗は彼の頬を指で突いた。雨木は怪訝そうな顔を浮かべて海斗を睨む。
「男にそれされても全く嬉しく無いんだけど」
「お前、凪さんと随分親しくなってんじゃん。実際どうなんだよ〜どこまでいったの?」
彼はすぐに恋愛事にしたくなる性分がある。雨木は今はそれどころではないとは考えるが、海斗は一度こうなると止まらない。雨木は観念して彼の問いに答えた。
「残念だけど、何も進展してないな。けどー」
「けど?」
海斗はニヤつき顔を隠せていない。そして、雨木は眠ったままの凪を一瞥する。
「出会ってまだ数ヶ月しか経っていない。それでも彼女は自分の生き方を決めていることは理解できる。海斗の話も聞いて思ったよ。自分の真実を知って、裏切りにあって、それでも出た言葉は ”って言うとでも思った?” だってね。凪らしいよ。僕は彼女を真似ている。今は恋愛とは違うかな。僕は彼女の背中を追いかけている。だってさー」
雨木の口角が上がった。彼を見て、凪の笑い姿を海斗は彷彿とした。
「こんな格好いい女性、憧れない訳無いだろう?」
「お前、良い顔するようになってきてんじゃん。たしかに、凪さんに似てきたかもな?」
雨木は歩き出す。
「それなら良いけどね」
雨木の気掛かりは自身の両腕とヴィドの事だった。腕はまだ良い。羽山さんやミアさんに見てもらうしかない。だがヴィドは違う。エドワードは彼の友人。そしてヴィドの姿をしたレンカンと名乗る男が現れた。今、一番頭を悩ませているのはきっとヴィドだろう。
一体、自分に何が出来るのだろう。何かできるのかを考える方がおこがましいのだろうか。口から言葉が溢れる。
「雨が降りそうだ」
彼は暗く、曇り始めた空を見つめていた。




