第八話 薬は毒 後編
エドワードが着ていた白い衣は泥まみれになっていた。殴られた痕はくっきりと赤く腫れ上がり、彼は地面に伏した。だが、彼はすぐに立ち上がる。ゆっくりと、雄大に。彼の表情は笑顔のままだった。凪は拳を解かず、彼を見下ろしながら言う。
「これまでの事は感謝してるけど、それはそれ。これはこれだ。心は痛まねぇし、私を傷つけたから代わりに殴ってもいい?金塊がいくらあっても足りないほどの価値の人間を傷つけたんだ。ぶん殴られるのも当たり前だろ。場を整えたのは評価してやる。だが、まだ足りないくらいだ!それでもいい。次は、あんたの情報を教えてもらう」
彼女は天に中指を突き立てた。
「臓物を全部吐き出させるぐらい、全てを語らせるからな!」
エドワードは泥を掴みながらもリリーの支えを元に立ち上がる。そして、彼は自身の体についた泥を一度だけ払い落とす。一瞬だった。彼の衣はたったそれだけで元の綺麗な状態に戻り、顔の傷も癒えた。
「心配しなくても大丈夫ですよ、凪さん。いくらでも殴っていただいて構いません。そしてあなたが教えて欲しい事、時間の許す限り全てお話ししましょう」
「私は雨木やヴィドさんみたいに甘く無いから」
「えぇ、知っていますよ。では、何からお話ししましょうか」
「何であんたがここで私達を狙う事ができた。私と龍涙の池の関係性は、私達ですらさっき知ったばかりだ。あんたが知っている筈がない」
エドワードは凪が投げて砕け散った瓶を指差した。
「あなた方が飲んでいたポーションの中に魔術を仕込んでおきました。詳細な魔術論は省きますが、あなた達をずっと見ていたのです。一瞬でも情報が得る事ができれば、狙うことなど容易です。今はヴィドもいない。絶好の機会ですよ」
凪は背にしていた木の根から出る。
「私の肉と雨木の血で何を作った。何をする気だ」
「複製ですよ」
「複製?何言ってんの……?」
「言葉の意味そのままです。龍涙の池を開くには三骸体が必要です。時期が来れば彼らの本能を元に見る事ができるでしょう。しかし、それはいつですか。私は早く龍涙の池の奥地へと向かいたい。そのために三骸体をはやく池に連れて行かねばならない。だがそれは難しい」
エドワードはリリーの頭を撫でていた。
「あなたた達は龍の骸ではあるが、生も意識もある生き物だ。そのような者たちに死ねと言うことは難しい。ですが雨木くんの血があった。彼の血は素晴らしい。天性より魔力が含まれていない彼の血は、どんな生き物の情報の器となる可能性があった。そこにあなたの肉体の情報を組み込む魔法を使えば、三骸体の代わりになりゆる。複製したあなたの情報を使って龍を呼び起こすつもりです」
「気持ち悪い。そんな事できる訳がない」
「凪さん。魔法というのはあなたが思っている以上に、時には理不尽なほど何でもできるのです。不可能ではない。あなた方もヴィドの道の魔術を使っているはず。あれも常識を遥かに凌駕するものであり、彼は魔法を失っていますが私はまだ魔法を失ってはいないのです」
エドワードはリリーを撫でる手をとめ、太陽を見る。降り注ぐ光の原点は、空の頂点を過ぎたあたりだった。
「時間的に次が最後の質問です」
凪は海斗に本を預け、ヘッドフォンを握りこむ。
「あんたは、魔法の起源を知ってどうするつもりだ」
「ただの知的好奇心ですよ。魔法という理不尽な力、その根源を知りたい。なぜ私が選ばれたのか。私は私がいつ産まれたのか覚えていません。ですが、私はこの好奇心にずっと執着していました。それだけのことです」
「そう、それだけの気持ちがあるならー」
凪はヘッドホンに付いてある特定のボタンを複数回押した。キィィンという回転音が鳴り出し、特定のリズムで音が途切れる。エドワードも海斗もその音は聴こえていない。聞こえているのは凪だけである。
「好奇心のために死ねるな」
彼女の吐き捨てたような言葉を聞いた後、エドワードは手を袖に隠し、リリーは彼の衣の中に隠れる。そして、彼は笑顔で凪に手を振った。
「えぇ、ここに私がいる事がその証明です。では、また」
凪はヘッドホンから手を離し、エドワードに一歩近づいた。その途端に彼の体は真っ黒になり、地面に溶けて消えた。彼は凪達を消すことはできた筈なのにそれはせず、本当に去っていった。残ったのはエドワードに向かって伸びていた、壁のような草木のみ。凪はため息をついた後、足の力が抜けていってしまった。立っていられず、その場に崩れ落ちる。
海斗が駆け寄る。凪の肩を揺らすが、彼女は張り詰めていた緊張が解けた反動で意識が飛びそうだった。実際、彼の魔力に当てられていたのも事実。エリムの時もそうだったが、彼女はあまり耐性がない。エリムの部屋の最奥ほどではないが、魔力を垂れ流しにしているエドワードの目の前で、彼女が立っていられた事だけでも奇跡だ。海斗もエドワードがいる間は動く事ができなかった。魔力に当てられて疲労困憊していた体ではどうする事もできなかったのだ。
しばらく、凪の肩を揺らしていた海斗の手が止まる。凪は彼の視線の先を見る。壁となった草木達が切り倒されていた。一つ一つ切り倒されていき、やがて人が一人が通れるぐらいの穴が空く。そして、その奥から息の切れた青年が姿を現した。
「……雨木?」
凪が呟いた。
「ごめん、遅れた」
青年は雨木だった。彼の腕は包帯で巻かれているが、隙間から赤黒い火傷のような痕が見え隠れする。雨木の姿を見た海斗は深い息を吐いて手を大きく広げた。
「待ってたぜ〜雨木。今回は流石に俺でもさ、今の状態だと人を背負うのはしんどかったから助かるわ」
「ごめんね、海斗。僕も気絶するぐらい色々あって遅れた。詳しいことは歩きながら話そう。とりあえず、すぐにここから離れないと。僕が来た時にはすでに下の方で騒ぎになり始めていた。住民が向かっていてもおかしくない。こっちの人に見つかったら大変だ」
「お、おう。というか雨木もボロボロじゃねぇか。大丈夫か」
「これはいい。とりあえずはー」
雨木は凪を背負う。そして、彼は力が入らない凪に言った。
「帰るよ、琴吹郵便局に」
意識が飛びそうになりながらも、凪はヘッドホンを切る。凪は微睡にながら思う。雨木の背中は前よりも傷を抱え、大きく感じた。そして琴吹郵便局にたどり着くまで、彼の背に揺られながら眠りに落ちた。




