第六話 雪は帷が降りるよう 後編
駐屯地の見張りをしていた騎士達はプチパニックになっていた。突然、兵士の駐屯地の門前に御伽話か法螺話でしか聞いたことのないような巨大な狼の魔獣が現れたのだ。無理も無い。門の見張りは慌てて門を閉めようとするが、背中から降りたジードの声によって静止される。
「門は閉じなくて良い!副長を呼んでくるのだ!それと訓練用の木刀を2本持ってくるように伝えろ!」
見張りの一人は慌てて副長を呼びに戻る。ジードは欠伸をしながら待ち、見張り達は持っていた武器の握る力が強くなっていた。雨木はとりあえずドゥーハの背中から降りてジードが呼んだ副長を共に待っていた。しばらくすると血相が青なのに無理矢理真っ赤になった人が走ってきた。眼鏡がずり落ちそうになっている。
「団長!どこに行っていたんですか!?弟さんみたいに消息不明になったんかと思いましたよ。で、後ろの獣は何ですか?」
ドゥーハが口を開く。
「三骸体が一体、ドゥーハだ。ジードとは古き仲でな。詳しい事は彼に聞くといい」
副長は口を開けたまま、再び落ちようとする眼鏡を直す。
「三骸体と知り合いって団長の話って法螺話じゃ無かったんですか。まぁいいでしょう。我々は何をすれば良いですか」
「うむ、ワイバーンを狩ってきたのでな。素材の一部を持ってきた。雨木君、ここで出して貰えるか?駐屯地の中に部外者を入れるわけにはいかなくてな。残りは我々で運ぶ」
雨木は彼の指示通りにハコを展開した。中からワイバーンの羽が現れると、駐屯地中からどよめきの声が響く。目の前の光景を目の当たりにした副長は頭を抱えながらその場にしゃがみ込む。
「全くあなたって人は……ふらっと出ていって、これを狩ってこれるなんてどれだけ規格外なんですか」
「では素材庫への運搬を頼む。私はこの者ともう少し遊ばなければならないのでな。雨木君、ドゥーハの背に乗れ。最初の草原で行うのが丁度良いだろう。副長、では木刀を持っていくぞ」
ジードは半ば強引に副長から木刀を奪う。
「え、ちょっと!?また仕事ほったらかしにするんですか?!胃薬いくつあっても足りないですよ!」
「はっはっは、頼むぞ〜」
「頼むじゃねぇだろ!降りて来なさいよ!!!!」
副長の叫びも虚しく、二人を乗せたドゥーハはワイバーンがいた草原へと駆けていく。雨木が駐屯地を見下ろすと、肩を落として深くため息をつく副長の姿が見えた。雨木は流石にいたたまれなくなった。
「良かったんですか?」
「む、別に良いぞ。私は団長と言っても老いぼれだ。仕事は若い奴がやらなければ今後の騎士団を守る事はできない。それに、これくらいの無茶振りはやっておかんと、将来もっと苦労するだろうからな!今のうちに耐性を付けさせんとならん」
ジードは笑いながら答える。そういうものかと雨木は目の前の快活な老人を見て思った。
「あれ?あの人って」
空を駆けて戻ってきた草原に、見覚えのある人影があった。ドゥーハから飛び降りた雨木は彼に駆け寄る。
「ヴィドさん。お疲れ様です」
「お疲れ様、配達は終わったのかい?時間のずれはそこまで無いみたいだね。丁度良かったみたいだ」
「ヴィドさん、依頼人の騎士団長が僕に剣の扱いを教えてくれるみたいなので、しばらく待っていただく事はできますか」
「構わないよ。私もドゥーハと龍涙の池の件について話さないと行けないからね。ジード騎士団長なら、リックが教えた実践経験と違う種類の実践経験を教えて貰えるはずだ。しっかり学んできなさい」
「わかりました」
ヴィドが会釈をするとジードも返す。雨木はジードの元へ歩き始める。
「さて、ドゥーハ。龍涙の池についての話だが」
「待て」
獣の眼光はヴィドを酷く睨みつける。
「どうした」
「貴殿は一体何者だ?ヴィドでは無いな。魔力の色が違う」
ヴィドは口を閉ざす。ドゥーハは毛を逆立て、彼から視線を外さない。沈黙が流れ、ヴィドは懐から小瓶を取り出した。小瓶の中から赤黒い液体が溢れ出す。ドゥーハはすぐに距離を取るが、地面を這いつくばっていた液体は空中に逃げたドゥーハを逃がそうとしない。音速に近いスピードであったが、彼はその赤黒い液体に捕まってしまう。この間、わずか三秒。
「ドゥーハ、俺はこれをやれって言われたから役目をこなすだけさ。獣だけど優しいねぇ、あの人間たちを俺から引き離そうとするなんて。俺はお兄ちゃんと戦えればそれでいいからどうでも良いけど」
一つの影が飛んだ。雨木は背を向けて、事に気がついていない。だが瞬きの間、離れた場所にいたジードがヴィドに大剣を振り下ろしていた。
「おっとぉ?!残念」
だが剣は届かなかった。ヴィドの前にはすでに障壁が構築されていた。
「くっ!!」
「全く兄さんも老いたねぇ……って、は?」
次の瞬間、障壁が最も簡単に砕け散った。驚愕の表情を持つ者の前には、アドニスのナイフが障壁を紙切れのように切り裂いていた。そのナイフは魔法使いであろうと破く事ができない結界を壊すほどの代物。並大抵の結界や障壁が耐えられるはずも無い。だが剣の達人であるジードよりも、戦場で考えると雨木はかなり遅れての到着だ。その代わり、彼は迷いなくアドニスのナイフを振り切っていた。
「ヴィドさんがこんな事するわけないだろ」
「これは予想外っ!」
ジードの振った大剣はヴィドの体を袈裟斬りにした。しかし、彼の体は黒い液体状に変化し始め、別の人物の形となる。
「よっ!久しぶりだ。お兄ちゃん」
ジードの次の一撃はすでに繰り出されていたが、その男は難なく自分の剣で受け止めた。
「レンカン……!貴様やはり人の身を捨てたか、この愚弟が!」
「そうだね〜俺は使徒様の言うとおりにしたら、お兄ちゃんと命懸けで戦えるって気がついたんだよ。ほれ、早くしないと三骸体がどうなっても俺は知らないぞ〜」
ジードの攻撃をレンカンと名乗る人物は捌いていく。とても雨木が入る隙は無かった。そしてドゥーハを見れば、彼は赤黒い鎖で身動きが取れずに声にならない声を上げる。彼は強い瞳を失わず、何かを唱えた。
「 ◼️◼️◼️◼️◼️ ◼️◼️◼️◼️ ◼️◼️◼️◼️ ◼️◼️◼️ 」
何も起こらない。雨木は獣が焦燥する顔を見るのは初めてだ。一刻の猶予も無い。雨木は考える。どうすればいい。何者かは知らないが、男がドゥーハを解放するとは思えない。今も狼は苦しんでおり、ジードが男を引き留めている間にどうにかしなければならない。時間が経過し、鎖から何か黒い蒸気のようなものが吹き出し始める。ドゥーハはより一層もがき苦しみ、立っているのもやっとの状態になっていた。雨木は思考のアクセルを踏み込む。
『今の間にジードさんが男を倒すか?いや、倒した所で鎖が外れるとは考えにくい。本物のヴィドさんが駆けつけて解決するか?これもダメだ。彼は道の魔術を使う。すぐに来る確証はない。あの鎖をどうにかしないと……!」
雨木は羽山とドゥーハの姿を思い出していた。あの光景を奪わせるわけにはいかない。
『一体何のための二ヶ月間だ。今の状況を切り抜けるためじゃないのか』
実際、雨木の力はリック達の協力によって格段に向上していた。彼の魔術に関する知識、経験は特訓によって体にすでに刻み込まれていたのだ。
『鎖をドゥーハさんから引き剥がさないと。鎖を……ドゥーハさんから……違う、逆だ」
試した事はない。エドワードさんへの配達の時は、まだ卵だった。今とは状況が違う。だがー
「試す以外選択肢には無い」
雨木はドゥーハの下へ走って行き、ドゥーハの下に潜り込んだ。彼は懐からハコを二つ取り出し、全神経を集中させて素早く開く。そして、入れる対象をそれぞれドゥーハと鎖とし、ハコの中に閉じ込めて分断した。だが分断には成功したが、赤黒い鎖を入れた方のハコはすぐに腐食し始めて膨大な熱を帯び始めた。雨木はとても手で持ってられず、地面に落としてしまう。そして高まった力に耐えきれず、ハコは爆風を伴いながら砕け散った。
ジードとレンカンは剣戟を繰り広げ続けていた。ジードの戦い方は大剣を振りながら、隙あらば魔術を繰り出して相手の動きを阻害する。レンカンは手の内を見せようとはせず、剣の雨のなかを傘もささずに躱す。だがドゥーハと鎖が分断された瞬間、レンカンの意識はそちらに向かった。
「あの子やるねぇ!お兄ちゃんの弟子か何か?」
「これからその予定だったんだがな!貴様は何でここに来た!」
ハコから生じた爆風が二人のもとに届き、剣戟は幕を閉じる。二人が見つめる爆発があった場所では赤黒い水たまりが生じており、吹き飛ばされた雨木は何とか体を起こす。幸い爆発に巻き込まれたのにもかかわらず、彼は五体満足のままだった。
「もう十分。情報を移す事ができた。じゃあな、お兄ちゃん。今度はもっと本気でやってくれると信じてるぜ」
レンカンは距離をとった。赤黒い水たまりは彼の意思に従い、彼が持っていた小瓶に入っていく。レンカン自身の体も黒く溶けて地面に染み込んでいってしまった。雨木はその場で座り込み、残った魔力でハコからドゥーハを出す。彼の体も問題は無さそうだった。懸念点はあった。雨木が生き物をハコに入れた事は初めてであり、成功した安堵感で体から力が抜けていく。
「助かった。礼を言うぞ」
「それは良かったです……」
雨木はドゥーハの体にもたれかかる。ドゥーハの体は柔らかく、雨木はそのまま気絶してしまった。




