第六話 雪は帷が降りるよう 前編
人がどんなに抗おうとも、季節は巡っていく。動物達は冬支度を始め、植物達は実りの季節となる。魔法界も同じだ。夏の暑さも近頃は和らぎ始めた。
「雨木、これをヴィドに持って行ってくれ」
「わかりました」
羽山に指示を受け、雨木は荷物の入った木箱をヴィドの工房へ運んでいた。彼が琴吹郵便局に来てから二ヶ月程度が経っていた。来たばかりの頃は慌ただしい日々であったが、今はもうすっかり郵便局の日常に体も馴染んでいた。彼はここしばらく仕事が終わればリックによる魔術の指導、夜ご飯を食べた後は凪に座学を受け、魔法に対して研鑽を行っていた。アドニスのナイフから魔力を補う感覚は体に叩き込んだ。彼の魔術はリックと凪には遠く及ばないとしても、来たばかりの付け焼き刃の魔術よりは使い物になった。
空の魔女に関してはリックが海斗と共に解読を進めていた。つい最近とある場所に痕跡を見つけたらしく、明日はミアの定期検診後、雨木もその場所に向かうつもりだった。同一面の破壊については未だにわかっていない。エリムについては羽山もヴィドもその存在を知らなかった。何もかもが不明、調べても情報は何も出てこなかった。
重い。木箱の中身はわからないが、それなりの重量があった。おおよそ何かしらの材料だろう。ヴィドの元に運び、雨木は彼の指示に従った。工房から郵便局に戻る途中、一際強い風が吹いた。木枯らしにはまだ早い。しかし、落ち葉が一点に集まり始めて大きな球体状になる。
落ち葉の球の回転速度は上昇していった。隣を見ると、郵便局の中から羽山がカーディガンを羽織りながら出てくる。
「来客だよ、雨木」
落ち葉は霧散した。そして紅葉のような真紅の毛並みを携えた狼が現れる。見上げるような巨躯、その毛一本一本の毛先に魔力が詰まっているような。かの存在が有する力強さを証明していた。狼は一歩前に進む。歩くたびに落ち葉が足元に現れ、夏の暑さが和らいだ風が雨木達に吹く。だが威圧感は、以前出会った狼魔獣との格の違いを表していた。
「相変わらず季節に合った毛なみだな。あんたの所ももうすぐ秋かい、ドゥーハ?」
「久しぶりだな、栞。ここは何も変わっていないようだ。木々の香りが良い。素晴らしいことだ。君のその姿も懐かしい」
ドゥーハは雨木を一瞥すると彼の体を嗅ぎ始めた。
「不思議な匂いだ。栞、この者は?」
ドゥーハは顔を近づけ、雨木の体の匂いを嗅ぐ。その間、雨木はなんだかくすぐったくて笑いを堪えるのに必死だった。
「新人の雨木透さ。結構面白いやつだよ」
「ほう、雨木透と言うのか。貴殿のサイドポーチには何が入っている。懐かしい香りがする」
雨木はサイドポーチからアドニスのナイフを取り出し、彼に見せる。ドゥーハの目に、翡翠色のナイフが映り込んでいた。彼は驚いたような表情を見せて一歩下がった。
「そうか、アドニスは務めを果したのだな。我と切磋琢磨して戦っていた時が懐かしい。貴殿が彼の最期を見届けたということか」
「はい、この目で見届けました」
ドゥーハは鑑賞に浸っているようで、しばし口を閉ざす。
「すまない、老いた獣の悪い癖だ。近頃は昔話を思い出すことも多くなった。今はアドニスと切磋琢磨して魔術の力を高め合っていた時を思い出していた。彼の結界を破る魔術は我でも扱えないのだ。自分一人の力だけで龍涙の池に向かうことができるのも彼ただ一人。アドニスは容易にあの結界を切り裂いたのであろう?」
雨木が頷くと納得したようで、ドゥーハは羽山を見る。
「我がここに来たのにも龍涙の池に行く準備をするためなのだ。今日は行かぬ。しかし、群れへの労いのために肉を振舞おうと思ってな。そのままでは運ぶことは困難、ハコを使って運びたいのだ」
「ドゥーハも行くのか。寂しくなるね」
羽山は口を結ぶ。彼女のそんな表情を見たのはこれが初めてだった。ドゥーハは笑みを浮かべた後、鼻で彼女の額を小突いた。
「悲観するな、栞。我も三骸体が一体。龍涙の池で務めを果たさねばならぬ。季節が数巡するまではまだ留まっておるから、その間にまた話でもしよう」
「あぁ、そうだな。また来てくれ。思い出話を咲かせよう」
羽山はドゥーハの顔を抱きしめ、頭を撫でる。ドゥーハは目を瞑って、ただその時間が過ぎるのを待った。雨木の目の前で御伽噺が開演しているのかと錯覚する。これはエルフの羽山と、言葉を使う巨大な狼の古き縁だ。雨木は決して邪魔せぬよう、一歩も動かず言葉も発さずに見守った。
彼らが離れた後、ドゥーハは羽山に問う。
「この者を連れて行って良いか。アドニスの話を聞きながら肉のある場所へと向かいたい」
「構わないよ。ほら、雨木。準備してきな。迎えはヴィドに行かせる。座標の場所をドゥーハに設定すれば、時間のロスはそこまで無いはず。それと、肉はかなりの量があるかもしれないからハコは二つ持って行っておいで」
「わかりました」
雨木はすぐに準備をして戻ってきた。窓から外を見ると羽山とドゥーハは話をしているようだ。思い出か、事務的かはわからない。ただ遠くから見た羽山の表情はどこか子供っぽくなっていた。タイミングを見計らって雨木は彼らの前に出る。すると、待ってましたと言わんばかりにドゥーハは雨木に近づいてくる。
「雨木よ、少し乱暴するぞ」
「え、うわ!」
ドゥーハは雨木の服を噛んで空中に放り投げ、その巨大な背中に乗せた。すぐに振り落とされそうになったがドゥーハの毛は雨木の足を巻き付くように固定する。
「もしかして浮いてる!?」
「では行くぞ。振り落とされぬようにな」
「行ってらっしゃい。二人とも」
「行ってきます!」
雨木は羽山に手を振り、ドゥーハは羽山に微笑む。ドゥーハが一つ吠えると彼らは森の外、すでに青空の中にいた。これは道の魔術とはまた違う魔術なのだ。
空は広い。空を駆けていくドゥーハの背に乗りながら雨木は魔法界を眺めていた。現世での高層ビルとは比較にならないほどの高さを、翼を持たず飛ぶこともできないヒトに世界を見せるというドゥーハの計らいだった。
「………………」
雨木は言葉を飲んだ。後ろを見るとすでに遠くに見える、琴吹郵便局のある森とステルラの街、今は彼がどこに向かっているのかわからないが飛行機をもしのぐ速さで彼は駆けていた。時には地面スレスレの付近を走って植物の種子を飛ばし、時には森の中で川を登って川底を返す。いくつかの山を越えた先、彼らは草原に降り立つ。そこには巨大すぎるワイバーンの死骸と、それを見つめる老齢の騎士が立っていた。




