第一話 闖入者は気まぐれ 後編
羊を盾にしてリックは凪のことを観察していた。自分よりも少し年上の人、雨木の先輩ということぐらいしかリックは知らない。背中を見せた凪の体には痛ましい傷がいくつも刻まれていた。エリンと同じだ。いつもリックを守って傷ついていた。彼女の背中はリックにとって懐かしくも思い出したくない記憶を呼び覚ます。
「いきなり入ってきてごめんね〜私もさっさと汚れ落としたくて、気にするのも馬鹿らしくてもういいやと思って入ってきちゃった」
リックは黙って観察を続けた。凪は風呂場にあった木製の椅子には座らずに立ったままシャワーを浴びていた。顔にシャワーを当てる時以外は瞳を開きっぱなしで、その鋭い目つきはまるでリックを見透かしているようだ。体の汚れを落とした後、凪は湯船に入ってきた。そして空中にいる羊を掴み、リックと同じように抱きしめる。
「こいつ可愛いよね。私も風呂に入ったらいつも抱きしめながらボーッとしてる」
羊で顔を隠しながらリックはどう返答しようかと思考を巡らしていた。単純にこの人の考えている事がわからない。いきなり風呂に入ってくるのはある種の恐怖でもある。
「あ」
「ん?」
凪はいつの間にか羊を頭の上に乗せてリックの方を見ていた。様子を見ようと羊から顔を出すと視線が合う。慌てたリックはかつて姉と一緒にこの風呂に入った時に見た羊のことを話していた。
「この子達、たまに色が違う子いますよね。見た事ありますか……?」
「え!色違いとかいるの?ゲームみたい。そういえばリックはゲームってしたことある?」
「そのゲームって何ですか?」
「あーやっぱり無いんだ。じゃあ、今日の話が終わったら私の部屋においでよ。私さ、ゲームを向こうから少しだけだけど持ってきているんだ。その時に実際に体験してもらうから」
凪は頭の上に乗っていた羊をリックの頭の上に乗せ、湯船から出ていく。出入り口の扉に手をかけたかと思えば、リックの方向を振り向いた。
「それと、着替えは私が用意したやつを着ておいて。きっとエリンの服を着た君を見たら、ヴィドさんの心に会心の一撃が入っちゃうから。じゃあまた後で」
「え、あ、はい」
嵐のように凪は去っていき、リックは頭の上に乗った羊ももう一匹と同じように抱きかかえる。少し眠そうな顔をした羊はどうにも緊張感が無い。アイマスク代わりに瞳の上に乗せ、リックは再び浴槽に浮かぶ。彼女は一体何だったのか。自分を出し抜き続けた雨木を一方的にボコボコにしていたという印象の人物。かと思えば風呂に乱入してリックのことなどお構いなしに言いたいことだけ言って去っていった。
「ほんとに何?あの人……?」
羊がメェと鳴く。リックが優しく撫でると気持ちよさそうに首を振った。
雨木は羽山およびヴィドと話していた。アドニスがどのような行動を取っていたのか、そして自分がリックとどのように相対していたのか。その全てを詳細に語ると、羽山が質問をする。
「雨木が思い出した記憶についてだが、いつ思い出したんだ?」
「リックに一度連れ去られた際、脳裏に何かが記憶に何か引っ掛かるものがあると言うことは気が付いていました。その時は内容まではわかりませんでした。鮮明に思い出したのはアドニスさんの鎌を飲み込んですぐです」
「なるほど。アドニスさんの鎌をこっちに」
羽山は椅子にもたれかかって、アドニスの鎌をライトに照らす。その姿は少しガラスのような透明感をもつ鋭利な刃物だ。翡翠色の光が彼女の顔を照らす。素手で触っていると、持つ手がだんだんと熱を帯び始めていた。
「見たところ、これは膨大な魔力の塊だ。雨木、腕貸しな」
腕を捲って彼女に見せると脈の部分を羽山は握る。
「ヴィド」
ヴィドも雨木の脈の部分に触れる。
「これは?こんな事があるのか」
「何か問題がありましたか?」
ヴィドが目配せすると羽山が説明を始めた。
「試しにいつものようにハコを開けて」
雨木はわけのわからないまま、サイドポーチから取り出したハコをいつものように開けようとする。いつもの魔力と流れが違うが開く事ができた。少しばかりの違和感はあるが、体に馴染んでいる気がした。無事にハコを元に戻すと羽山が拍手した。
「おぉ〜良かったな、雨木」
「羽山さん。何のことかわからないんですが?」
「新しい魔力の回路が作られている。それもかなり太くて丈夫なものだ。今、雨木は魔力のお守りを持っていないだろう?ハコを開くことができたのはそれが理由だ」
サイドポーチの中にはダルマのお守りは入っていない。魔術を使った際に砕いてしまっていた。今は魔力を有するものは何一つ持っていない。雨木はもう一度ハコを手に取り、自身の中にある魔力の流れの感知を試みた。今まで体とは完全に無縁の、言わばゲームコントローラーで操作している感覚だったのが、実際に体に埋め込まれて新たな腕として動かすような感触だ。集中すると、これまでよりも段違いの速さでハコを開く事ができた。しかしー
「っつ!」
突如雨木に鈍い頭痛が走った。思わず手で押さえると羽山は笑顔を浮かべた。
「お。魔力切れの感覚は初めてか?痛いだろ〜魔力の回路は太くても元々の魔力が無かったから、かなりしんどいな」
「じゃあ何で少し使えたんですか?」
頭を押さえながら羽山を見ると彼女はアドニスの鎌を雨木み手渡した。
「そいつを飲み込んだんだろ?雨木はアドニスが持つ膨大な魔力を取り込んだんだ。まとめると、リックの魔術が一つ目、そしてアドニスの鎌が雨木の記憶を呼び覚ました二つ目のトリガーとなった。で、それの残滓がさっき使えた魔力。だから、おそらくそれを持っている今ならー」
「痛くありません」
「だろ?なぁヴィド」
「なんだ?」
羽山はニヤつきながら一つの提案をした。
「これを使って雨木にナイフを作ってやんな。ヴィドならさ、ちゃちゃっと作れるだろ?」
雨木からアドニスの鎌を受け取ったヴィドは目を閉じて材料の確認をする。鎌は外部からの魔力に当てられて淡く緑に発光した。
「出来そうだ。それにこの素材だと少し面白い物になるかもしれない。雨木くん、楽しみにしておいてくれ。リックの保護に協力してくれたお礼だ。腕を震わせてもらうよ」
「ありがとうございます!さっきナイフとかいいなと思っていたので良かった。期待して待っています!」
ヴィドは頷くが神妙そうな顔をして一つの手紙を雨木に渡した。雨木が連れ去られた時、彼の部屋に置かれてあった誰かの手紙だ。
「雨木くん、今まで黙っていた。すまない。これは雨木くんがリックに連れ去られた時、君の部屋に置かれていたものだ。筆跡がリックのものでない以上、どうすればいいか考えあぐねていた。心当たりはあるか」
何のことかわからず、手紙を受け取った雨木はその内容に驚きつつも筆跡に注視しようとした。しかし、一目で誰が書いているのかの見当がついた。
「これはー」
その筆跡は彼の友人、大曲海斗のものだった。




