第六話 咲くは海 中編
ヴィドは軽く挨拶をすると、泥だらけの靴のまま中に入ってしまった。雨木は少し泥を落として後に続く。目の前の魔法使いは座って、机の上で何やら実験をしている。魔術の実験らしく変な色の液体がボコボコ言っているガラスがあるかと思えば、減圧するための装置や排気装置が備わった設備など、近代に近い実験機器が並んでいた。ミアは二人が入ってきたことには気がついているようだったが、手が離せないのか実験を続けていた。数十秒待つと、キリが良いタイミングになったのか大きく伸びをした。
「ヴィド〜おっそいなぁ。今回の荷物は誰?」
「エドワードだ。何か彼に頼んでいたんだろう?」
ミアはゆっくりと立つ。部屋に灯りが灯ったと思えばその巨体が姿を現す。3m近くはありそうな身長と短髪の赤髪を携え、赤髪からは尖った耳が主張をしている風貌だ。ヴィドが言うにはここは南アメリカあたりだ。彼女は姿から見てもわかる通り原住民の遺伝子を色濃く残していて、それと同時に魔力も数少ない魔法使いの中でも多い方だとも聞いていた。だが色々規格外すぎる。遺伝子や生活環境だけでここまで大きくなるとは到底思えない。人間の形をした何かに対し、雨木は自然と身構えてしまっていた。それに気がついたミアは彼の頭に手を伸ばす。
「おー新人さんか。名前は?」
巨大な手が雨木の頭を包む。頭を手で覆われるという感覚は初めてだ。それよりも謎の威圧感があった。エドワードと会った時に脳裏によぎった事がミアの前でもよぎる。人間ではない。明らかに人間と違う。目の前の人物達はおそらく悠久の時を生きる存在。今までが麻痺していただけで、彼らに自身が怖気づかないのは生物としては欠陥なのではと考え始めていた。寝る前にタナトフォビアに苛まれるような感覚が雨木を襲う。彼は自己紹介するのが精一杯だった。
「雨木です。よろしくお願いいたします」
「魔力の無い子か。ヴィドが面倒を見ているのかい?」
会話の間、ミアは雨木の頭を左右に大きく揺らしていた。勢いがもう少し強ければ脳震盪が起きるほど。雨木は動くことができず、額に汗が垂れ始めた。
「そうだな。説明するとー」
ヴィドは構わずに雨木が郵便局員になった経緯、そして今日までに起きたことをミアに話した。ようやく頭を揺らすのをやめたミアは腕を組んで考え事をする。
「ほーん、大変だったんだ。数百年会わないうちにヴィドもだいぶ色々と経験したんだ。私はずっと引きこもって実験三昧だがな! その私から言わせてもらうと……」
ミアは赤ん坊を持ち上げるように雨木を両脇から持ち上げ、近くにあった椅子に座らせる。人形を使ったおままごとのようだ。
「雨木の体は非常に興味深い。郵便局員でなければ狙っていただろう」
「それについてなんだが、いくつか聞けるか?」
「どうした、ヴィド。お前からなんて珍しい」
ヴィドは肩をすくめる。
「さっき話したように、彼の体は色々な状況に晒されている。少し調べてもらうことは可能か」
「エドワードじゃなく、私かい?」
「あいつは薬漬けにしてしまう可能性があると思う」
ミアは確かにと言って苦笑いした。
「それなら定期検診ということで、私の家に通うといい。興味もあるのは間違いないし、別に構わない。さっき触ってみた感じだと魔術の適性は無いし、彼の体には魔力も無い。個人的な感想だが、気持ちの悪い感触に近い」
「そんなものか?」
「魔法を失ったからヴィドはわからないだろうが、彼に触れていると魔法の核となる部分が揺らいでいる感覚がする。船酔いに近いのかな。エドワードは何か言っていなかったか」
雨木は首を横に振る。実際、エドワードは雨木に触れることすらなかった。魔法の核とかの話もなかったはずだ。
「まぁ、これからよろしくな、雨木。どうしたぁ。美人なお姉さんの家に通えるんだぞ。もっと喜びな」
彼に拒否権は無さそうだ。ヴィドに悪いとかではなく、ミアに対して好奇心と共に恐怖があった。自己が元々持っている好奇心の塊、興味の塊、それと生まれた本能的な恐怖が彼の中をせめぎ合う。雨木は自身の顔色がどんどん悪くなっているのを自覚するほどだ。バレないように少し俯いたが、ミアは立ったまま雨木の顔を覗き込んだ。頬をペタペタ触りながら感触を確かめている。頭を触られている時はわからなかったが、彼女の手は異様に冷たい。炎の魔法使いと聞けば体温は高いだろうという先入観が邪魔をする。
ミアは突然雨木を担いだ。体重が60kgはある彼の体を箸を持ち上げるほどに軽々とだ。
「えっ」
「ヴィド、地下に行くからついて来て」
「人体実験はやめてくれよ」
「この子、やっぱり違和感がある。気が変わった。今すぐ調べたい」
雨木とヴィドの了承は得ていない。だが、ミアは雨木を担いだまま指を鳴らす。本棚があった床が沈み始め、歯車がいくつも並んだ小さなスペースが現れた。からくり仕掛けのエレベーターだ。ミアはスキップを踏みそうなリズムで乗り込み、ヴィドも後に続く。エレベーターは地下に降り始める。海底のはずだが、そこには海があった。
「不思議だろう。魔法界は見えるものが全てじゃない。覚えておきな」
泳ぐ魚は鳥や鹿、キメラのような存在ばかり。輝く彼らの鱗は太陽の光を反射して海を照らす。それらは雨木をジッと見つめて、動きを止める。リックが連れてきたあの精霊にあった時の感覚、本能的な危機感を覚えた。下を見る。もう一つの海底はすぐそばだった。




