ウィルVSポイズンスパイダー
「はやい、はやーい♪」
肩車して走るクレイマンの速度にウィルは嬉しそうな声を上げた。
乗り心地はさほど良くないが、振り落とされる程でもない。
走る速度の加減もしているが、ウィルが歩くよりは断然速かった。
外周区にある家はどれも大きく、次の通りまでが遠い。
慌てた様子で走ってくる人々はウィルの姿に驚いていたが、誰かが声をかけるよりも早く、ウィルはその脇を通過した。
「ついたー」
外周区の中通り。
三本ある大通りの中でも一番広い通りだ。
クレイマンから降りたウィルがレヴィを抱え直して中通りに入った。
「ふえっ?」
ウィルは分身達と一緒にポカンとしてしまった。
蜘蛛の巣があった。
でかい蜘蛛の巣である。
純白の蜘蛛の糸が向かい合う建物の間に幾重にも張り巡らされ、通りを遮っている。
見上げるような大きさのそれには同じ糸で捕らえられた人々が磔られ、その足元には大きな蟻の残骸があった。
「んー?」
ウィル達は首を傾げた。
どうも雰囲気がお祭りっぽくない。
いまいち状況が呑み込めないウィルはキョロキョロと周囲を見回した。
しかし、囚われた人間以外は誰もいない。
囚われた人々はウィルを見下ろして、とても悲しそうな表情をしていた。
貴族と思しき女性達、恰幅のいい男性、若い騎士、歳若い女性やメイドさん等など。
泣いている子供もいる。
全員がこれから訪れる自身の運命と死地に迷い込んだ幼いウィル達を見て悲嘆に暮れているなどと、ウィルは知る由もなかった。
「うーん……」
ウィルは悲しそうな人に質問していいのか迷ったが、結局聞いてみる事にした。
「あのー……」
近づいてくるウィルに囚われた人々はギョッ、とした。
どう見ても蜘蛛型の魔獣の縄張りと化した場所に近づいてくるのだ。
囚われた人々は理解した。
目の前の子供達は幼すぎて、今がどういう状況か分かってないのだ、と。
「お逃げなさい!」
貴族と思しき女性の一人が震える声で叫んだ。
続けて若い騎士も叫ぶ。
「そうだ! ここから離れなさい!」
「……え?」
ウィルは驚いて立ち止まった。
大人達は思った。
騒げばこの巣の主が気づいてやってくるかもしれない。
しかし、それより早くこの子供達を遠ざける事が出来れば、子供達だけでも助かるかもしれない、と。
だが、大人達の願いは叶わなかった。
頭上を影が覆ったかと思うと、次の瞬間、それはウィル達の横に音を立てて降り立った。
八本の足。
紫がかった黒い体に赤く光る八つの単眼。
大きな牙の生えた口から毒の唾液を滴らせた巨大蜘蛛。
ポイズンスパイダー。
本来は森の奥に生息する魔獣で、討伐ランクは5や6に分類される。
正面からの戦闘では中級冒険者でも対処可能と判断されているが、毒と粘着性の糸が厄介で奇襲を受けた中級パーティが全滅したという話も少なくない。
そんな魔獣が子供達の前に現れたのだ。
「くそ……」
若い騎士が力無く呻く。
囚えられ、絶望した彼らに宿った最後の希望の光は、また成す術なく絶望に塗り潰された。
ポイズンスパイダーはウィルを見ると甲高く鳴いた。
迷い込んだ餌に対する歓喜の声だ。
これからこの大蜘蛛は子供達を食い散らかす。
囚われた人々はその凄惨な光景を眺める事しかできなかった。
(今、子供達はどんな顔をしているのだろうか……?)
若い騎士はそんな風に考えて、力無く首を振った。
(殺されるのなら、せめて苦しまないように……)
彼は我が身の不甲斐なさを呪った。
他の囚われた者の中にはこれから訪れる惨劇に嗚咽を漏らす者もいた。
誰もが、都合のいい救済者の登場を願い、同時に子供達の安らかな眠りを願った。
ウィル以外は。
キィキィと、声を発する大蜘蛛を前に、ウィルの目が段々と輝き始めた。
「ふわぁぁぁ……」
興奮したように声を上げると、分身が一体、ポイズンスパイダーに近付いた。
無防備に口の中を覗き込む。
「ひっ……」
囚われたメイドが引き攣った悲鳴を上げた。
そんな事はお構い無しに、ウィルが満面の笑みを浮かべて囚われた人達を見上げる。
「うぃる、しってる! これ、ぽいずんすぱいだーだよね! ずかんでみたもん!」
悲嘆に暮れる人々にウィルが渾身のドヤ顔を見せた。
その間もウィルの分身は興味深そうにポイズンスパイダーの牙をツンツンしている。
「あ、あぶな……あぶない……」
震える声で懸命に危険だと伝えようとするメイド。
次の瞬間、ウィルの分身は頭から噛み付かれた。
「ひ、ひいいいっ!」
誰もが顔を背けた。
当たり前だ。
誰も小さな男の子が頭から魔獣に喰われる様など見たくない。
だが、響いてきたのは子供の悲鳴ではなく、ウィルの明るい笑い声だった。
「あはははははは!」
気でも触れたのかと心配する人々の前でウィルは大きく息を吐いた。
「うぃるのくれーまんさん、たべられちゃった」
「「「はぁ……!?」」」
囚われた人々が魔獣の方に視線を向けると、そこには頭を失くした土人形が立っていた。
ポイズンスパイダーが何かを吐き出す。
ころんと転がったそれは土の塊だった。
頭を失った土人形がその塊を回収して、元の大きさに戻る。
「あーあ、まほー、なくなっちゃった……」
破壊されたせいか霧属性の魔法が切れていて、ただの土人形に戻っていた。
土を食べさせられた大蜘蛛が怒りの咆哮を上げる。
唖然としていた人々はその一声で我に返った。
子供の正体が土人形だった事は驚きだが、まだ何も解決していない。
その時、地面を蹴って誰かが通りに姿を現した。
「うおっ!? なんじゃこりゃ!?」
通りの惨状を見て声を上げたのは髭面の騎士――ガイオスであった。
「あ、くまのおじさんだー」
「なぁっ!? なんでこんなトコに!?」
おーい、と手を振るウィルに驚愕するガイオス。
その横の興奮したポイズンスパイダーを目の当たりにして、ガイオスは躊躇なく踏み込んだ。
「離れろ!」
腰に下げられたロングソードを引き抜き、ウィルとポイズンスパイダーに割り込むような斬撃を放つ。
牽制の一撃にポイズンスパイダーが後退した。
そのまま前足を振り上げ、威嚇してくる。
勢いを殺さず突進したガイオスがウィルを背に庇った。
「くまのおじさん、かっくいー!」
「いや、ああ、くそ……」
出くわした状況の異常さに何か言いかけたガイオスは上手い言葉が見つからず、悪態をついた。
そして、そんな彼にさらなる混乱が襲い掛かる。
「ガイオス様!」
「なっ……!」
頭上から響く女性の声に見上げたガイオスは絶句した。
「リ、リリィ……なんでこんな所に……」
宰相フェリックスの妹、リリィである。
蜘蛛の糸に囚えられたリリィが身を乗り出すようにガイオスを見下ろす。
「どうか……そのお子様を連れてお逃げ下さい!」
「し、しかし……」
リリィの決死の嘆願をガイオスはすぐに受け入れられなかった。
ガイオスとて騎士として腕に覚えがある。
ポイズンスパイダー相手に遅れを取らない程度には。
ただし守る者がなければの話である。
背にウィルがいる以上、最悪は起こり得る。
しかし、ここでガイオスがウィルを連れて逃げれば、囚われた人々は大蜘蛛の餌食となるだろう。
「私共を見捨て、早く!」
「そんな事、お前を見捨てる事などできる筈ないだろう!」
ガイオスが油断なく構えて吐き捨てる。
ウィルがこの場にいるのだ。
ウィルを探しにトルキス家の使用人達が動けばこの状況を打開できる。
ガイオスは、そう信じた。
「待ってろ、リリィ! 応援は必ず来る! それまでお前はこのガイオスが命を懸けて守ってみせる!」
「……そのお言葉だけで……リリィは幸せでございます。ですから、どうか……」
涙を堪えて別れを告げようとするリリィを、ガイオスは振り向かなかった。
意地で守り切ると心に決め、剣を握る手に力を込める。
そのやり取りをポカンと見ていたウィルがガイオスのズボンを引っ張った。
「あのー、くまのおじさん?」
「なんですか、ウィル様。後にして下さい。下がって……」
「えーっと、うぃる、もういーから、くもさんやっつけてもいい?」
ガイオスはウィルが何を言っているのか、一瞬理解出来なかった。
思わず聞き返す。
「はっ?」
「やっつけるんだよね?」
「そうですが……」
相手は簡単に人を殺せる魔獣だ。
小さな子供にどうにかできる相手ではない。
普通は。
「こねくとー、きたれきりのせーれーさん! あさぎりのみずかがみ、わがわけみをうつせすいむのすがたみ!」
ウィルが杖を振る。
肩から下げた小さな精霊のランタンが呼応した。
霧が土人形を覆い、姿をウィルに変えていく。
握り込んだ小さな拳が岩と化し、その上を【朝霧の水鏡】で発動した無詠唱の硬質化魔法が包み込んだ。
「こねくとー、きたれかぜのせーれーさん! はるかぜのぐそく、はやきかぜをわがともにあたえよおいかぜのこうしん!」
続けて風の補助魔法がウィルの姿になった土人形を包み込み、緑色の燐光を纏わせる。
目の前で行われた魔法の連続付与を見ていた人々は唖然としてしまった。
向き直った新たなウィルの分身にポイズンスパイダーがより警戒感を顕わに威嚇する。
「いっくよー!」
ウィルが元気よく合図を送ると、残った分身達も応援のポーズを取った。
それに反応したのか、ポイズンスパイダーが一際大きな鳴き声を上げる。
前に出た新たな分身ウィルの体がスッと沈み込んだ。
次の瞬間、ダンッ、と石畳を蹴る音がして、分身ウィルがポイズンスパイダーに肉薄した。
「はっ……!?」
ガイオスが「速い」というよりも速く、ポイズンスパイダーの牙を片手で掴んだ分身ウィルが岩の拳を牙の根本に叩き込む。
グシャッ、という音と共にポイズンスパイダーの口内が破壊され、牙がもげた。
キィィィィィ!?
激痛にのたうちながら、ポイズンスパイダーが下がる。
下がった分だけ、分身ウィルが詰める。
距離は開かない。
壁際に追い詰めた。
分身ウィルの岩の拳が下から上へ、突き上げるように放たれる。
狙いは下顎。
土人形である分身ウィルはポイズンスパイダーの毒の唾液など物ともしない。
拳が当たる、その瞬間、既のところで大蜘蛛は飛び上がった。
後ろ向きに壁に張り付き、後ろ向きのまま壁面を駆け上る。
そうして安全圏まで脱出した大蜘蛛の姿を見たウィルがお腹を抱えて笑った。
「あはははは、へんなのー」
ウィルの後ろで分身の一人がお尻を突き出して器用に後退する。
それを見ていた残りの分身が笑い転げていた。
ポイズンスパイダーは蜘蛛の巣を貼り付けている大きな建物の頂上へ到達すると、巣の反対側へ飛び降りた。
大きな蜘蛛の巣を隔ててウィル達と大蜘蛛が再び対峙する。
キィィィィ!
「ひっ……!」
背後へ回られた事で、見えない恐怖が囚われた人々を襲う。
大蜘蛛の威嚇が聞こえる度に囚われた人々は身を縮こまらせた。
巣を持つ大蜘蛛種が窮地に見せる防御体勢だ。
人にはそれが人質を取っているようにも見える。
立て篭もりだ。
「あーあ、うぃるにそんなことをしてもいみないのにぃ!」
ウィルはしょうがないなあと言わんばかりに呆れた態度を取った。
抱きかかえたレビィが興味深そうに鼻先をウィルに向ける。
ウィルは杖を空へ翳して魔法を詠唱した。
「きたれかぜのせーれーさん! きりゅーのだんう、わがてきをつぶせふうあつのしょーげき!」
放たれた風属性の魔法が上空に留まり、散らばるように広がっていく。
大気の魔素を十分に吸収した風塊が雨霰と大蜘蛛に降り注いだ。
着弾する度に襲い掛かる衝撃がポイズンスパイダーに鳴き声を上げさせることも許さない。
穿ち、弾け、砕け、耐久値を容易く上回る弾雨にポイズンスパイダーの長い脚が折れ、胴体が千切れ飛んだ。
気流の弾雨が止むとポイズンスパイダーはバラバラになっており、もう動く気配はなかった。
ウィルは誇らしげに杖を持つ手を上げた。
「うぃるのかちー♪」
分身達から拍手が起こる。
一部始終を目の当たりにしたガイオスはあんぐりと口を開けて、ただ呆然としていた。




