メイドさんの手
ルナ降臨より一夜明け――
シローとセシリアはいつもより早くに目が覚めた。
我が子の心配をするのはどこの親も同じようなもので二人もウィルの今後について思い悩み寝付けなかったのだ。
そうして二人はどちらともなく連れ添って階下へと降り立った。まだ子供たちは寝ている時間であり、仕事前の使用人たちの誰かが集まり始める時間であった。
あまりに早くまだ誰もいないかとも思ったが中庭にアイカたちがいてシローたちの足も自然とそちらへ向く。
近付くとアイカがシローたちに気が付いた。一緒にいるのは肩を落としたミーシャと難しそうな顔をしたマイナ。いつもの三人組である。
「「「おはようございます、シロー様、セシリア様」」」
「どうかしたの?」
挨拶してくるアイカたちにセシリアが首を傾げる。ミーシャは笑顔でいることが多く、あまり人前で悩むようなそぶりを見せない。それが今は見るからに落ち込んでいた。
アイカも少し困ったような表情を浮かべてミーシャに視線を送り、マイナも肩を竦めてみせた。
「彼氏がいきなり勇者になっちゃって心配で夜、眠れなかったそうですよ」
「そんな~ルーシェさんとはまだそんな仲では~」
「何、言ってんのよ。そんな悠長なこと言ってたら他の誰かに取られちゃうわよ、勇者さま」
「うう~」
「マイナ、あまりミーシャを焚きつけるんじゃないわよ?」
どうやらミーシャはユルンガルによって水の勇者に指名されたルーシェのことが心配で仕方ないらしい。ミーシャはメイドの中でも一番ルーシェを気にかけていたようなので分からなくもない。
「ウィル様が大変だって時に……」
シローたちへの気遣いと煮え切らないミーシャの反応にマイナが思わず嘆息する。
しかしシローたちもミーシャを特に責めようとは思わない。ミーシャだってシローたちやウィルのことを軽んじているわけではないのだ。同じようにルーシェのことも気遣っているというだけの話だ。
そう思ってシローとセシリアがミーシャの様子を伺っているとミーシャは少し申し訳なさそうに口を開いた。
「だってウィル様はもともと秘密にしなければいけないくらい強いじゃないですか~邪神と戦わなければならないなんて想像できないくらい大変ですけど~でもルーシェさんはちょっと強くなったくらいの普通の人なんですよ~それなのに勇者だなんて言われても~」
ミーシャの言葉を聞いてシローは思わず目を瞬かせてしまった。
(確かに……)
ミーシャは間違ったことを言ってない。
ルーシェはウィルが拾ってくる前まではどこにでもいそうな普通の少年であった。トルキス家で訓練を積んだ今でこそ戦えるようにはなってきたがその実力はシローの眼から見てもまだまだだ。
一方、ウィルに至ってはミーシャの言う通りで、邪神と戦わなければならないという想像しづらい現実を差し引いても人に話せないような秘密がまだまだあるのだ。
なんだか腑に落ちて、シローが相槌を打って見せて。
セシリアやメイドたちがシローに視線を向ける。
「どうされたんですか、あなた?」
「シロー様?」
不思議がるセシリアやメイドたちにシローは憑き物が落ちたような笑顔を見せた。一人勝手に納得した理由をセシリアたちに話して聞かせる。
「ミーシャさんの言った通りだよ。将来的にウィルが精霊王となって邪神と戦わないといけないかもしれないけど、それは秘密にしているウィルの力の延長線上なんだ。結局は秘密ってことだよ。邪神だってすぐに動き出すことはない。その準備に今は大人たちが力を尽くす時だ」
先のことなど誰にも分からない。それなら深く悩み過ぎても仕方がない。いままで通り、ウィルの動向に気を配りながら成長を見守る。それでいいのだ。
「ウィルが今まで通り生活して、その中でなにかに気付くのなら話を聞いてあげて。その結果を俺たちが上手く導いてあげればいい。その結果がウィルの将来の助けになるかもしれないわけだし」
ルナも言っていた。ウィルの行動は結果の結果。むやみに月属性の力を行使しなければ特に問題になることはないはずだ。
結局、今までとやることはあまり変わらない、ということだ。
なんとか納得したセシリアの表情もまだ心配そうではあるが少し明るさが戻っていた。
アイカとマイナも頷いて、ミーシャだけがまだ少し心配そうである。
心に少し余裕が出たのか、シローは表情を曇らせたままのミーシャに対して優しい笑みを浮かべていた。
(ルーシェもいい子に想われたもんだなぁ……)
ミーシャ本人はまだ否定的だがミーシャはルーシェに一定以上の感情を向けている。それは誰の目にも明らかだ。
元は普通の少年であったルーシェ。ルーシェは精霊王として覚醒したウィルが見つけてきたわけだが、もし邪神が復活していなかったら二人の出会いはあったのだろうか。
シローが何とも言えない感慨にふけっていると少し不謹慎に感じたのかセシリアがシローの裾を引っ張ってきた。
「何をにやけているんですか?」
「いやぁ……勇者云々は置いといて、邪神が復活した影響でルーシェとミーシャさんが出会うことになったと考えると」
シローの言いようにきょとんとしてしまうセシリア。若い二人の仲を楽しむそぶりを見せるシローはどこかのいいおじさんのようであった。
そんなシローの余裕にミーシャは少し不満げだ。
「勇者云々を置いとかないでください~」
「ごめんごめん」
ついつい笑い出してしまうシロー。完全に吹っ切れたのか、ひとしきり笑ってからミーシャの顔を真っ直ぐ見返した。
その表情はいつもの優しい当主だけではない、強者としての眼差しも含まれていてセシリアを含め思わず見惚れてしまいそうになるような雰囲気を醸し出していた。
「心配しなくても大丈夫だよ、ミーシャさん。トルキス家の家臣から誕生した勇者が弱かったなんて周りに言わせるつもりはないから。ルーシェには悪いが邪神を相手にできる程度には強くなってもらうつもりだよ」
今のトルキス家には多くの協力者がいて、信頼できる古い仲間もいる。ルーシェを鍛える環境は十分に整っていた。
シローの言葉が当主としてではなく強者から来るものだと理解したメイドたちの表情が僅かに引きつる。どうやらルーシェの特訓地獄行きは本人のいない所で確定したようだ。
それを理解したセシリアが気遣うようにシローへ提案した。
「あなた、お手柔らかにお願いしますね」
「任せてください。ミーシャさんが心配しないですむような立派な勇者に育て上げてみせますから」
不敵な笑みを絶やさず拳を固めて。シローはセシリアに誓うのであった。
今はまだなんの代わり映えもしない日常。だが世界のどこかで復活した邪神の影響は緩やかにしかし確実に世界を蝕み始めている。
事情を知る大人たちが来たる邪神との戦いに動き始める中、その双肩に命運を託されたお子様もまた同じ朝を迎えていた。
「きょーもいーてんきー」
一階の廊下から晴れやかな空を見上げるウィルは今日も今日とて暢気であった。
腕には風狼のレヴィを抱え、頭には幼い濡れ狐を乗せ、さらには首には青白い蛇の幻獣を巻き付けている。何とも言えないスタイルだがウィルには気にした様子もなく。付き添うレンもいまさら言うこともないだろうとウィルの姿を不問にしている。
それは蛇の幻獣とは意思疎通が取れて有事の際は一番にウィルの身の安全を計ってくれると分かることが大きかった。
「本当に。眩しいくらいのいい天気ね」
「ねー。うかもそーおもうよねー。ぜっこーのまほーびよりだねー」
ウカと呼ばれた白蛇の幻獣がウィルと同じように空を眺めて。釣られるようにレヴィと頭の上の濡れ狐の幻獣も空を見上げる。
「れびーとことのはもそうおもうー?」
人語を発せない風狼のレヴィと濡れ狐のコトノハにも尋ねるウィル。
ウィルが頭を動かしてもコトノハが平然としているのは幼いながらも幻獣であるからだ。しかし生まれたばかりで見たモノすべてが珍しいのか居座る場所を選ばないコトノハは少々危なっかしくも見える。
レンがそんな感想を抱いているとウィルがふと足を止めた。
「るーしぇさんのひめいがきこえたきがする……」
おそらくルーシェは中庭で鍛錬中のはずだ。その声は微かだがレンの耳にも届いていた。
「……ルーシェもソーキサスへの旅に同行したことで気持ちを新たに頑張っているのでしょう」
もっともらしいことを言ってレンがはぐらかす。勇者として指名されたルーシェはその使命を全うできるように訓練の強度を上げている。近頃、力をつけてきたルーシェの訓練がより厳しくなるのは当然なのだがシローたちはどうやらルーシェたちを更なる高みへ押し上げようと考えているようだ。その内容はお子様には刺激的過ぎて見せられたものではない。
「こんどはもにかさんのひめいが……」
「モニカもルーシェばかりに先を越されてはたまらないのでしょう。ルーシェをライバルと認めて頑張っているのです」
これは本当の話だ。水の勇者となったルーシェに対する特別な訓練を自分も受けたいとモニカが志願したのだ。モニカは冒険者としてはルーシェと一緒にいることが多いのでライバルのような意識を持っているのかもしれない。
当初はルーシェの訓練だけを特別にしようと考えていたシローたちであったがモニカをはじめ、他の家臣たちからもより厳しい訓練を受けたいという希望があった為、個人の力量に合わせて訓練の強度を引き上げることに決めた。
「みんな強くなろうと頑張っているのですよ」
「そっかー。みんなつよくなれるといーね」
レンが説明するとウィルは納得してくれた。納得はしてくれたが少しそわそわしている。おそらく興味を惹かれて覗いてみたいのだろう。訓練が厳しくなれば怪我をするおそれもあり、ウィルが魔法で役に立てることもあるとウィル自身理解しているのだ。
だがウィルにあまりショッキングな場面を見せるわけにはいかない。それに今日はウィルにも予定があった。
「今日は久しぶりにモンティス様たちとお会いになるのでしょう?」
「そーでしたー」
トルキス家の帰還を聞きつけたモンティスたちがウィルに会いにやってくるのだ。そのことをウィルも楽しみにしていた。
「心配されなくても、ウィル様のお力が必要な時は誰かが呼びに来ますよ」
「はーい」
ウィルが元気よく返事をして。聞き分けたウィルはレンと一緒に母屋の庭の方へ向かった。モンティスたちが訪れるまでもう少し時間があるのでウィルは幻獣たちと庭で遊ぶつもりなのだ。
ウィルとレンがリビングを通りかかるとそこにはセシリアとメイドたちがいた。
「ローザさん、と――」
見知ったメイドに反応したウィルが他のメイドたちを見て首を傾げる。トルキス邸では今まで見たことのないメイドたちだ。
シローが貴族に取り立てられてからトルキス家では一つの問題が浮上していた。それは使用人たちの人手不足である。
今までのように王都で生活するのであれば少人数でもなんとかなっていた。しかしソーキサス帝国へ親善訪問に出かけた際はオルフェスの家の使用人が手伝いに来てくれていたのだ。今回は急なことだったとはいえ再びどこかに遠征しないとも限らず、その度に手助けしてもらっていては立つ瀬もない。
そこでシローたちはオルフェスやウィルの事情を知る貴族の伝手を頼って信頼に足る使用人たちを新たに雇い入れることになったのだ。
ぽかんと見上げるウィルとウィルに気付いたセシリアたちの視線が合う。
「ちょうどよかったわ。ウィル、新しく家で働いてくれるメイドさんたちよ」
「おー……」
セシリアに紹介されてウィルが納得の声を上げる。
ちょうどいい、というのはセシリアにしてみれば魔力の清濁で人を判断する節のあるウィルに彼女たちを紹介するのは大前提であったのだろう。いかに大人たちの信頼を得ていたとしても子供たちに受け入れてもらえなければトルキス家で働くのは難しい。
そんなメイドたちもウィルの話は伝え聞いていたのだろうがいざウィルを目の前にして固まっていた。初対面で件のお子様は腕に幻獣を抱え、頭に幻獣を乗せ、首に幻獣を巻いている。何とも言えない格好をしていた。
お互い見つめ合っておかしな沈黙が流れる中、ウィルがぺこりと頭を下げた。
「おはよーございます」
「「「お、おはようございます」」」
釣られて頭を下げるメイドたち。ウィルの反応を見る限りメイドたちは特に問題ないようだ。
ウィルはそのままセシリアの前までやってきた。
「かーさま。うぃるはおともだちがくるまでおにわであそんでます」
「分かったわ。メイドたちを傍に控えさせたいのだけどいいかしら?」
「あい」
セシリアの提案にこくこくと頷くウィル。セシリアがローザに目配せをするとローザは頷いてレンと共に新たなメイドたちを引き連れてウィルの後に付き従った。
「どーぞ―」
庭に出るとウィルがレヴィとコトノハを芝生の上に降ろしてやる。短い手足を動かして庭を動き回るコトノハをレヴィがゆったりとした動きで追う。未だ子狼であるレヴィだがコトノハよりかは成長していて見守る姿は先輩幻獣らしい。
レヴィとコトノハの様子にレンも思うところがあるようだ。
「レヴィもウカたちがいてくれるおかげで少しウィル様離れできましたかね」
以前のレヴィだとウィルから離れたがらなかった。それはレヴィがウィルの幼さを感じ取っていて護ろうとしていたからだ。今もそれは変わらないが他の幻獣や精霊がウィルと契約したおかげで安心したのかレヴィの活動範囲は少し広がったように見える。
しかし――
「もー、れびー?」
あまりにコトノハが離れそうになるとレヴィはコトノハの首根っこを咥えてウィルの前に連れ戻してきた。ウィルの前で遊びなさいと言わんばかりである。その様子にローザも苦笑してしまった。
「まだまだみたいね」
「そのようで……」
レンもあっさり前言を撤回した。レヴィがウィルから離れて活動するにはもう少し時間がかかりそうだ。
レヴィの主張を理解したのかコトノハがウィルの近くを駆け回り始めた。
「ん……」
幻獣たちと戯れていたウィルがふと気になって顔を上げる。
「どうしました、ウィル様」
動きを止めたウィルに気付いてレンが問いかけるとウィルは新しいメイドたちの方を見ているようであった。
ウィルと首に巻かれたウカの視線にさらされたメイドたちが少し慌てる。その様子にウィルは少し不満そうであった。
「きょりをかんじる……」
ウィルが思ったままを口にしてレンが納得する。確かに今までウィルの傍にいたメイドたちはウィルと距離を置かなかった。それはウィルが生まれた時からみんなウィルのことを知っており、その手でウィルのことを抱いてきたからだ。だから使用人の立ち位置としては彼女たちの方が正しい。
彼女たちはまだ雇われたばかりでしかもウィルは多くの精霊や幻獣との契約者だ。メイドたちだって距離の測り方が難しいのだ。
レンがそのことをウィルに言って聞かせるがウィルは唇を尖らせたままだ。どうやらウィルは新しいメイドたちと仲良くなりたいと思っているようで、警戒する素振りがないことは一つの安心材料であった。
そんなウィルの様子を伺っていたウカが鎌首をもたげた。
「メイドちゃんたち、離れてないでこっちにいらっしゃい」
蛇の幻獣であるウカに呼びかけられて、戸惑いながらもメイドたちがウィルの前に集合する。見た目から警戒されそうなウカであるが、その声は女性的で優しく穏やかだ。
ウィルとウカの前に並んだメイドたちをウカがじっくり眺める。蛇に見られて動けなくなるメイドたちの姿をウィルが見上げているとウカから小さな笑い声が漏れた。
「そんなに緊張しなくていいわ」
「は、はぁ……」
ウカが固くなっているメイドに声をかけて続ける。
「両手を前に出して」
「は、はい……」
おずおずとメイドたちが両手をウィルとウカの前に並べる。それを見たウィルが少し驚き、レンとローザも目を細める。綺麗な顔立ちやメイド服と比べて彼女たちはみんな荒れた手をしていた。それは仕事に従事するメイドたちがみんな悩まされるものだ。
「しっかりと仕事をこなしてきた手ですね」
「はー……」
レンが説明するとウィルが感心したような声を上げた。
水場での仕事も多くなってしまうメイドたちの手は荒れやすく、彼女たちにはどうしても付いて回る問題だ。癒すにしてもポーションや回復魔法の類は高価であるし、保湿までできるわけではない。結局、裕福でない者は我慢せざるを得ないのが現状なのだ。
「ちょっとね、気になってたのよ」
ウカはそう言うと彼女たちの手に顔を近づけた。
蛇に手を差し出すというあまり経験したことのない行為にメイドたちが引いてしまいそうになる手を我慢して留める。
(あっ……)
ウカからメイドたちへ。魔力の流れを目で捉えたウィルが感心したようにその魔法を見入る。幻獣として生まれ変わったばかりのウカにはまだ大した力はない。それでもその魔法は優しく形を成してメイドたちの手を包み込んでいった。
「こ、これは……」
驚いたメイドたちが魔法の光に目を見開いて。光が収まると自分たちの眼の前に手を引き寄せた。
彼女たちの荒れていた手が潤い、艶を取り戻している。先程までとはまるで違っていた。
感動で震えるメイドたちの前でウカが一息つく。
「今をときめくトルキス家の使用人になったんですもの。手先にも気を使いたいわよね」
「「「ウカ様……」」」
感極まって自分たちの手を大事そうに抱えるメイドたち。先程とは打って変わって距離を縮めてくる様子のメイドたちにウィルは驚いて身を引いていた。それだけ彼女たちにとっては深刻な悩みだったのだろう。
立場を忘れて喜びを露わにするメイドたちにレンは呆れたように嘆息し、ローザも苦笑している。
「なんなの……?」
ぽかんと口を開けてしまったウィルは目をぱちくりさせて。メイドたちの変わり身について行けず、足元のレヴィとコトノハと一緒に首を傾げてしまうのであった。




