ルナ、降臨
その日も夜が更け、王都レティスの街中から人影が消えていく。
商業区でも酒に酔った男衆がちらほらと、内周区や外周区ではほとんどの者が我が家で一日の終わりを過ごしている。
そんな中にあってトルキス邸の周りだけは少し趣を異にしていた。
少数の集団が人目を避けるように次々とトルキス邸の門を潜っていく。ローブに身を隠して怪し気な雰囲気を醸し出しているその集団はフィルファリア国王のアルベルトや護衛、そして王国の重臣たちであった。
「ご足労おかけして申し訳ございません」
静かに出迎えるシローにフードから顔を覗かせた先王のワグナーが小さく手を上げて応える。
「問題ない。儂も国王も精霊さまのお告げとあらば足を運ぶのが当然じゃ」
それほど精霊たちの信仰が行き届いている、ということなのだが。
先に答えたワグナーに対し、アルベルトは不満そうに眉根を寄せた。
「父上は引退した身ではないですか。率先して国事に関わらなくてもいいのでは?」
本来であればアルベルトの言うようにワグナーが精霊の啓示に関わる必要はない。国を代表するのはアルベルトであるし、後日啓示の内容を報告するだけでも事足りるのだ。
しかしワグナーも国王から退いたとはいえウィルの良き理解者であることは間違いなかった。
「聞いたか、オルフェス。我が息子は隠居ジジイは引っ込んでおれと言いたいらしい」
「そこまで言ってないじゃないですか」
ワグナーの言いように苦言を呈するアルベルト。どちらの肩を持っていいやら、オルフェスが苦笑いを浮かべてしまう。シローや周りの護衛たちも似たり寄ったりの反応だ。
気を取り直したワグナーが改めてシローと向き合う。
「シロー殿。屋敷の警護は我々の手勢に任せ、信頼のおける家臣たちは皆集めるが良かろう」
「畏まりました、先王陛下。ありがとうございます」
立場上、トルキス邸にこれだけの重鎮が集まればトルキス家で周辺警護をしなければならないのだが、今回はトルキス家が中心の啓示だ。気を使ってくれるワグナーにシローは頭を下げてその厚意を素直に受け取った。
「麗しき精霊さまにお目通り叶うかな、と思ったけどさすがに甘かったか」
「スケロック、そういうとこだぞ……」
小声で軽口を叩くワグナーの護衛――スケロックに対して同じく護衛のカークスが苦言を呈して。
カークスはワグナーに小さく一礼をした。
「先王様。それでは私どもはトルキス邸の護衛にあたります」
「うむ。頼んだぞ」
ワグナーが頷いて返し。その横にいた御庭番衆頭目のエドモンドがカークスを呼び止める。
「カークス、うちの護衛もつれていけ」
「畏まりました、エドモンド様」
カークスがスケロックと御庭番を連れてトルキス邸の警護に向かう。残った少数の近衛騎士は室内を固めることになるのだろう。
「他の方々は既にお集まりいただいております。どうぞこちらへ」
シローが促し、アルベルトたちを先導する。人数が多いためいつものリビングではなく、大きな広間にみんなが集まめられていた。トルキス家に従事する者たちの他にテンランカーであるカルツやロンの姿もある。
王国を代表する者たちは宰相のフェリックスをはじめ、第一騎士団長で名門コトフ家の若き当主ダニールやガイオスの父であり現騎士団総長の役にあるローゼン家の当主、その他アルベルトが信頼を寄せる重臣たちだ。
彼らはアルベルトたちを見て静かに頭を下げた。距離があるとはいえ皆ウィルたちトルキス家の子供たちが寝静まった後に集められたということを理解しているようだ。
『そこまで黙せずともよい』
しんとした室内に声が響き、床をすり抜けるように一人の少女が、そして同じように空間に染み出すように偉丈夫が姿を現した。地の大幻獣レクスと水の大幻獣ユルンガルである。報告を受けていることもあり、レクスとユルンガルの存在を理解した重鎮たちが膝を着きそうになるのを堪えて頭を下げる。
その様子を見たユルンガルが一つ頷きレクスの後を快活な声で続けた。
『子供たちには闇の精霊が付き添っている。こちらの声に気付かれて起き出してくるということはない』
さすがにこれだけ人が集まれば子供たちに感づかれる可能性もあり(特にウィルは気配探知にも優れている)、そのことに配慮して闇の上位精霊であるライアがウィルたちに付き添ってくれていた。
幻獣も精霊も総出。今回の啓示がそれだけ重要ということである。
大広間に微かな緊張が漂う中、その時は唐突に訪れた。
大広間に面した庭の先に柔らかな光が一条降り注いで美しい精霊が静かに姿を現す。神々しさの中に麗しさと儚さをたたえた月の精霊ルナが開け放たれた窓に向かって歩を進めた。人の造り上げた建造物の中に足を踏み入れるルナの姿は場違いな気もして面識のあるシローたちでさえも息を飲むような心境であった。
そんな誰もが緊張する中でルナが小さな笑みを浮かべる。
『そのように硬くならないでください』
それが無理な話だとしても。ルナはそう声をかけて迎え入れるレクスとユルンガルの間に立った。
恭しく一礼をするレクスとユルンガルの姿がルナの地位がどれほどのものかを物語る。
(ウィルは……ウィルはこのような神々しい精霊とも普通に会話をしていたと申すのか……)
この中では一国の王として一番の権威を誇るアルベルトでさえ気を抜けば膝を着いてしまいそうな、いやいっそのこと膝を着いて頭を垂れた方が楽なのではと思えるほどの神々しさ。何とも言えないルナの存在感に当てられたアルベルトの脳裏にウィルの無邪気な笑顔がよぎった。
この存在感に当てられてなんでもないと言えるのならウィルは図太いを通り越して常軌を逸しているのではないかと思えるほどだ。そういう自分たちもここにいる誰もがウィルのためにと心を砕いているからこそ無事なだけかもしれない。ウィルに対して害意があれば正気を保てないのではないかと思ってしまう。
そんなアルベルトたちの様子を推し測ってか、レクスが小さく咳払いをした。
『ルナ、もう少しなんとかならんか? このままでは国王たちが辛そうじゃ……ウィルもおらんのじゃ。儂とユルンガルだけではルナの存在感を緩和するにも限度がある』
『も、申し訳ありません。私も少し緊張してしまっていたようで……』
レクスの苦言にルナが気を取り直して小さく深呼吸した。するとルナから発せられる圧力が弱まり、アルベルトたちはようやく一息つけた。
セシリアの横にいて自身もルナの圧力を受けたオルフェスが額の汗を拭ってセシリアの顔を覗き込む。
「セシリアやシロー殿たちは平気なのか……?」
「えっ? ええ……大丈夫ですか、お父様?」
オルフェスの不調に気付いたセシリアが手を差し伸べるがオルフェスはそれを手で制して体を起こした。
アルベルトや重臣たちと比べるとオルフェスの感じる圧力は少ない方であったがそれでもルナの存在感に足元が揺らいでいた。
だがシローをはじめとするトルキス家の者たちは皆ルナの神秘的で美しい容姿に見惚れはしてもアルベルトたちのように圧倒されてはいない。
オルフェスの疑問にユルンガルが答えてくれた。
『おそらくウィルと長くいた者ほど耐性を得ているはずだ。ウィルも僅かとはいえ月属性の波動を発しているからな』
「……これからもう少し頻繁に孫の顔を見に来ますかな」
『フフッ、それがいい』
冗談交じりに呟くオルフェスにユルンガルも口の端を上げて笑みを浮かべる。
しかし彼らのやり取りはここまで。
ルナが前に進み出ると言葉を待つようにその場の全員が姿勢を正した。一人一人を見回したルナの唇がゆっくり動く。
『これからあなた方が危険視している白いローブの集団と復活した邪神について、お話しなければなりません』
「じゃ、邪神……?」
『はい』
セシリアが聞き返すとルナは静かに頷いた。
邪神。邪なる神。精霊信仰が主なこの世界ではめったに聞かない言葉である。それが伝説的な月属性の精霊であるルナの口から語られたのだからこの場にいる誰もがその言葉の重さを痛感した。
『その邪神は遥か昔、次元の壁を越えてこの世界に進入し、そして初代精霊王によって封じられたモノです。そして――』
セシリアにはルナの瞳が一瞬揺らいだような気がした。
意を決するように一度目を閉じたルナが真っ直ぐセシリアを見つめ直す。
『ウィルが生まれながらにして二代目精霊王としての重責を負うことになってしまった元凶なのです』
その言葉の意味をセシリアはすぐに理解することができなかった。




