さらば、帝都
「マリエル、まだかい?」
「待って、お兄様……」
「早くしないとフィルファリアに帰るウィル君たちを待たせてしまうよ?」
「そうですけど、まだ髪が……」
マリエルの自室まで迎えに来たハインリッヒが付き添いの執事と顔を合わせて不思議そうに小首を傾げる。
妹のマリエルはだらしなくはないが今まで一度だって何かの式典にめかし込んだことはない。それが今日に限っては妙に髪型や服装を気にしていてメイドたちの手を煩わせていた。しかしメイドたちはそんなマリエルの我が儘を楽しそうに世話していて、ハインリッヒの入る隙は見当たらない。
「なんなんだ……?」
ハインリッヒの口からつい疑問が口を突いて出てしまうが付き添いの執事も気付くものがあったのか相好を崩していた。
なんだか自分だけ置いてかれているような気分になるハインリッヒ。
「お待たせしました、お兄様。さぁ、参りましょう」
「お、おい? マリエル?」
「お兄様、早く!」
ようやく支度が整ったのかと思いきや、ハインリッヒを置いてさっさと先に行ってしまうマリエル。付き添いのメイドたちもにこやかにマリエルの後を付いていく。
「さぁ、お早く。ハインリッヒ様」
「あ、ああ……」
なぜか上機嫌の執事にまで急かされて。
父や母よりも早く、ウィルたちを見送る為に誰よりも早く準備していたハインリッヒはなぜか急かされる側に回っていることに釈然としない面持ちで城門へと歩き始めるのであった。
ウィルたちが森の調査を終えた数日後――
トルキス家はソーキサス帝国での全日程を終え、フィルファリア王国へと帰国することとなった。
紆余曲折はあったものの予定していたすべての案件を話し合えたシローは同盟への確かな手応えを感じ、重責から解放されてやっと一息つくことができた。
城門の広場にソーキサス帝国とドヴェルク王国の貴族たちが見送りに集まる中、シローとレオンハルトが固い握手を交わす。
「フィルファリア国王によろしく伝えてください」
「はい」
最後までどこか腰の低さが抜けないレオンハルトにシローが親しみを感じて笑みを溢す。それは周りの貴族からは見慣れた光景なのか、皆思い思いの表情を浮かべていた。
そんなシローたちの隣でセシリアとシャナルも笑みを浮かべて、そしてお互い向かい合った。
「元気でね、セシリア」
「シャナルお従姉さまも。どうかお元気で」
一度別れてしまえば気軽に訪れることができる場所ではなく。仲の良いセシリアとシャナルがお互いの健勝を心から祈る。
それは子供たちも同じでウィルたちもハインリッヒたちと別れを惜しんでいた。
「本当にありがとう、ウィル君。これからもっと魔法を練習して優れた使い手になれるよう頑張るよ」
「うん、がんばって。はいんにーさま」
ハインリッヒの決意にウィルはうんうんと頷いて、分からないことがあれば相談に乗ると約束する。他人事であっても魔法に関われるのであればウィルは楽しいようだ。
ハインリッヒと握手を交わしたウィルが今度はマリエルに向き直った。
「寂しくなるわ、ウィルちゃん」
「うぃるもおわかれはさみしーです」
マリエルの言葉に肩を落としてしまうウィル。そんなウィルの手をマリエルは両手で取って包み込んだ。顔を上げるウィルと目線を合わせたマリエルが真っ直ぐウィルを見つめ返す。
「ウィルちゃん。私、ウィルちゃんや精霊さまとの冒険、とても楽しかった」
皇女であるマリエルにとって外の世界は想像することしかできない場所であった。だから彼女がウィルと一緒に見た景色は鮮やかに心に焼き付いている。それが緊急事態の最中であったとしても。
それはウィルも同じだったのか、ウィルは強く頷いた。
「うぃるも!」
「ウィルちゃん、次に会った時はまた冒険しましょう!」
「あい!」
約束を交わすウィルとマリエルの横でセレナとハインリッヒは苦笑いしていた。そう何度も二人で大冒険されては困るのだ。
だがレオンハルトなどはウィルとマリエルの様子を好ましく思っているようで。シローたちが他の貴族と挨拶している間にウィルたちの方へ歩み寄り、その頭を優しく撫でた。
「ウィルよ。いつでも待っておるぞ。なにせウィルと私は友達なのだからな」
レオンハルトに含むところはないつもりだ。ウィルと友達になると交わした約束は確かなものであるし、その中でウィルとマリベルが仲良くなるのは両人同士の問題である。陰ながら応援することがあったとしてもそれはそれで大目に見て欲しくはあったが。
「うん、またくるー」
歓迎されていると理解してウィルが笑顔で答える。レオンハルトもウィルの返事に満足して頭から手を離した。
「陛下……」
背後からシャナルにやんわりと釘を刺されてレオンハルトが大人しく場所を譲る。
シャナルはセシリアが貴族の決まり事をあまり好ましく思っていないことを知っているのでレオンハルトがあまり前に出過ぎないよう窘めたわけだが。それ以上何も言わない所を見るに反対というわけでもなさそうである。
レオンハルトに代わってウィルの前に立ったシャナルがスカートを摘まんでウィルに一礼した。
「改めて礼を言うわ、ウィル。それにセレナとニーナも。本当にありがとう。あなたたちがいてくれなかったら今頃帝国は大変な目にあっていたわ」
「恐れ入ります」
「気にしないでください! 当然のことをしただけですから!」
「それほどでもー」
シャナルの態度と言葉にセレナが同じように一礼し、ニーナも姉に倣って、ウィルは照れて身をくねらせる。それからウィルは姉たちの対応に気付いて姿勢を正した。
「いつでもおたすけしますー」
子供ながらに敬礼してみせるウィルにシャナルの笑みが深まった。幼いウィルが敬礼する様はまだぎこちなく、その様子は背伸びしているようで愛らしい。周りの者たちの頬が自然と綻んだ。
シャナルがウィルに手を伸ばし、ウィルがその手を握る。
「元気でね、ウィル」
「こーひさまもー」
こうしてウィルはソーキサス帝家や貴族たちに別れを告げ、帝都アンデルシアを出発することになった。
「またねー!」
馬車に乗り込んだウィルが窓から手を振る。手を振り返してくる貴族やその子供たちに満足したウィルは彼らが見えなくなっても落ち着かなかった。アンデルシアの街並みを目に焼き付けるように窓に張り付いている。
「よく見ておきなさい。次はいつ訪れることになるか分からないからね」
促すシローの言葉を聞いているのかいないのか、セレナもニーナもウィルと同じように窓の外に注目している。
慌ただしくもあり、ゆっくりと見て回ることができなかったのはシローも心残りであった。
フィルファリアの馬車に気付いた通行人が足を止め、馬車を見送る。
「街が守られて、本当に良かったですね」
「そうだね」
セシリアの言葉にシローも頷く。
襲撃はあったが爪痕は少なく、皆いつもの生活に戻っているようだ。そのことにセシリアも少なからず安堵を覚えていた。
王都レティスの被害は大きかった。目も当てられないような場所もあった。帝都がそうならなかったのはせめてもの救いだ。
セシリアが夢中になって外を見ているウィルの背中を眺める。
帝都の平和が守られた、その一番の功績がウィルにあることをウィル自身は理解しているのだろうか。
しばらくウィルを眺めているとウィルは満足したのか椅子に深く腰掛けてセシリアの視線に気が付いた。
にへっとウィルの表情に笑みが零れる。
「かーさま、うぃるはおともだちもたくさんできたし、またここにきたいです」
「そうね」
暢気なウィルにセシリアも笑みを返して。
トルキス家一行は行き道とは違い、のんびり穏やかに。フィルファリアを目指して旅立つのであった。
後年、ソーキサス帝国では魔法と武術に優れた騎士を多く輩出することになる。皇帝にも認められた優秀な騎士たちは帝国の新たな旗印の配色である青色と銀色、それから帝国で守り神として扱われるようになった濡れ狐になぞらえて【青銀の騎士】の称号を与えられ、民衆からも慕われるようになった。
その始まりにまだ幼かったウィルベル・ハヤマ・トルキスが関わっていたと知れ渡るのはもう少し後のことである。




