帝都襲撃事件の終わりに
怨霊鯨の消滅を見届けた人々からひと際大きな歓声が上がる。
ある者は隣の者と肩を組み、手を叩き合って、声援で枯らした声をさらに張り上げる者もいた。
そんな中でひとまずの決着を見たセシリアは大きく安堵のため息をついていた。街が襲われなかったこともあるが、あれだけ怨霊鯨を圧倒していたのであればウィルもきっと無事なはずだ。
そんなセシリアの隣に並び立ったシャナルがセシリアの肩に手をかけた。
「あなたたちには返しても返し切れない程の恩ができたわね、セシリア」
「シャナルお従姉さま……」
向き直ったセシリアがシャナルの手に自分の手を重ねる。その表情はどこか浮かない。
「申し訳ございません……ウィルのこと、お話できなくて……」
セシリアは親しいシャナルにウィルの力を打ち明けなかったことを少なからず気に病んでいるようで。
セシリアの反応を見たシャナルは苦笑いを浮かべてしまった。
「いえ、無理よ? 無理無理……」
迎賓館での戦いといい、今し方見守った怨霊鯨との一戦といい、誰彼構わず打ち明けていい力ではないということはシャナルの目にも明らかであった。
「私でも秘密にしたと思うわ」
「左様……誰が味方かもわからん状況であの力を公開するのは危険すぎる」
二人の会話を聞いていたレオンハルトも頷いて見せる。特にウィルはまだ何も分からない幼子なのだ。周りの大人たちがその身を案じて秘密にしていたとしても頷ける話であった。
「家臣の者たちにも今回のことを触れ回らぬよう伝えておく。口に戸は立てられんが……少しはましだろう」
「はい……」
気遣うレオンハルトにセシリアが素直に頷く。
ウィルの力は多くの兵士たちにも見られてはいるが、その力の特異性を考えれば一定の理解は得られるだろう。
今のところはそのくらいしか手立てはない。
レオンハルトが視線をウィルたちがいるであろう方角へと向ける。既に巨大な騎士の姿はなく、月属性の光に照らされていた大地も元の夕闇を取り戻していた。
「セシリア殿……」
目線を合わせず語り掛けられてセシリアが顔を上げる。
「はい、なんでございましょう……?」
「うむ……」
少し言葉を濁すレオンハルトにセシリアとシャナルが視線を合わせる。
レオンハルトは小さく咳払いをして視線だけを隣に控えるマリエルの方へ向けた。
「実はマリエルにはまだこれといった許嫁は決まっていなくてだな……」
周囲の人間がレオンハルトの言いたいことを理解するのに数秒を擁した。
父親の言葉の意味を理解したマリエルの顔が一気に赤くなる。
「あなた……」
娘の様子よりも発言し難いであろうセシリアを庇ってシャナルが窘めるような視線をレオンハルトへ送る。
だが代弁したのは呆れたようにため息を吐いたニーナであった。
「またその話? フラベルジュの王様も同じようなこと言ってフィルファリアの王様に呆れられていたわ」
子供らしく腰に手を当ててみせるニーナにレオンハルトは思わず笑ってしまった。
他国の皇帝に対しても物怖じしないニーナの態度にトルキス家の面々は慌てたがレオンハルトに含むところはないらしい。
「そうかそうか、それは申し訳ない」
快活に笑って見せるレオンハルトの姿に皆が胸を撫で下ろす。
満足そうに頷いたレオンハルトはニーナに向き直って笑みを深めた。
「だがな、フラベルジュ国王の申し出も私にはよく分かるのだよ」
「どうしてですか?」
「娘の婿に迎えたい、というのは当主としてウィルを最高に評価していると周りに伝えているのと同義なのだ。断られると分かっていても娘がいれば勧めるのが筋というものだ」
「……そういうものかしら?」
「そうとも」
ニーナはよく分からない、と言いたげに首を傾げていたが。大人たちには分からないでもない話であった。
どちらにせよ、レオンハルトは断られることも折り込み済みらしい。
「あとは当人同士の問題だなぁ」
レオンハルトが両者の関係をしつこく迫ることはなかった。そういう選択もある、と示したかったらしい。その表情はどこか楽しげでもある。
急な戯れを発揮したレオンハルトにシャナルが頭痛を覚えて額を押さえた。
「ごめんなさいね、セシリア……」
「いえ、こちらこそ……」
皇帝と対等に渡り合うニーナの姿にセシリアも同じように頭痛を覚えていて。
そんな二人を気にした風もなくレオンハルトは続けた。
「皆でソーキサス帝国を救ったウィルの帰りを待とうではないか、なぁニーナよ」
「はい、皇帝陛下」
周囲の視線を無視したレオンハルトとニーナは仲良くウィルたちの帰還を待つのであった。
シローとウィルが一片の背に乗って帰還したのはレオンハルトたちがそんな会話を交わして間もなくのことであった。
すでに日も暮れて周囲の確認が難しく、街は警戒態勢を保ったまま一夜を明かすことになった。
「むぉ……」
もそもそと。ウィルがベッドの感触を確かめながら目を開ける。
体を起こすと横からすぐに聞きなれた声がかかった。
「目を覚まされましたか、ウィル様」
「れん……」
ベッドの脇の椅子に腰かけたレンがウィルの様子を覗き込んでいた。傍らのテーブルには読みかけの本とわずかばかりの明かりがあり、どうやらレンはウィルが目を覚ますまで待っていたようである。
窓の外はまだ暗い。日付が変わったかどうかというところだ。
ウィルはまだ意識がはっきりとしないのか、ぼんやりとレンや周りを見渡していた。
「ここ、おへやー?」
「そうですよ」
帝都に来てからウィルが寝起きしている部屋だ。
ウィルにとってはいつの間にか運ばれたことになるのだが。
「怨霊鯨を倒した後、魔力の消耗と疲れから眠ってしまわれたようですよ?」
「たしかにー」
ウィルは怨霊鯨を倒した後のことを思い出し、レンに向かってこくこくと頷いた。そんなウィルの跳ねた髪の毛をレンが優しく撫でつける。
「お加減はいかがですか?」
魔力の消耗具合によっては安静にしておかねばならない。
レンがウィルの様子を伺うが、ウィルは特に問題ないようであった。
「へーきぃ……」
どこかまだ寝ぼけ眼であり、頼りない返事が返ってきてレンが微かに苦笑する。
「いっぱいぼーけんしましたー」
昼間の出来事を思い出したのか、ウィルの表情が満足そうに緩んだ。城内の強襲から始まり怨霊鯨討伐と幼子が体験するには激動の一日であったはずだ。ウィルが疲れてしまうのも無理はないだろう。
だがウィルはそんな事よりもたった一つの成果に満足していた。
「みんなだいじょーぶでよかったー」
驚くべきことに、今回の事件でソーキサス帝国側の人的被害は殆どなかった。デンゼルや防衛に回った兵士たちなど深手を負った者もいたが、この規模での襲撃に対する成果としては奇跡に近い。
レンも頷ける成果であった。
「本当にそうですね」
「ねー」
それが誰の手柄かと問われれば間違いなくウィルの手柄だ。城内への強襲を見事に迎撃し、即座に反撃できたことでセシリアたちがすぐに行動を起こせた。優秀な治癒術師とその周りの戦力を迅速に動かせたことが被害の拡大を防いだのだ。
その後、敵の拠点を迅速に攻めて人質を解放したことも戦闘を長引かせず、被害を最小限にできた要因である。
本来であればレンはそんなウィルを思いっきり褒めてあげたいところだが。悲しいかな、それは難しいことであった。
今回の行動を全肯定してしまえば、幼いウィルはこれからことあるごとに前線へ赴こうとしてしまうだろう。精霊たちが共にあるとはいえウィル自身が適切な判断を下せないうちは危険すぎて手放しに喜べないのだ。
そんな想いからレンのウィルを撫でる手がついつい長くなる。ウィルは不思議そうにレンを見上げて――
そんなとき、ウィルの腹が小さく鳴った。
「あぅ……」
微妙な間が空き、ウィルが恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべ、レンも笑顔を返す。
「お夜食をお持ちしますね」
レンが椅子から立ち上がる。ウィルの眠りが早かったため、あらゆる事態を想定したメイドたちは交代でウィルの傍に詰めていたようだ。
「ウィル様……?」
ウィルもごそごそ動いてベッドから降りようとしていた。
ベッドから降り切ったウィルがレンを見上げる。
「といれー」
ウィルはそう言うとレンの前を歩き始めた。
「ウィル様、廊下は暗いですよ。お供いたします」
「へーき」
ウィルが向き直ってレンの申し出をきっぱり断る。その表情は自信に満ち溢れていた。
「うぃる、おばけさんやっつけられたから。もーこわくないもん」
ウィルはどうやら怨霊鯨を討伐したことでアンデッドに対する恐怖心を克服したらしい。
だがレンが付き添うのにアンデッドは関係ない。
そうとは知らず、ウィルは扉を開けた。
「…………」
廊下の先は暗く見通せず、まるでどこまでも伸びているようであった。何が起きるか分からない、そんな得体の知れない恐怖にウィルの足が止まる。
ウィルはゆっくりとレンに向き直った。
「れんー……」
情けない声で呼びかけてくるウィルにレンが苦笑して歩み寄る。
「おばけさんは怖くないんじゃなかったのですか?」
「うぃるにはちょっとはやかったー」
あっさりと負けを認めたウィルの手を取って、ウィルとレンは廊下を歩き始めた。




