守る者
天を突く紅い光が森を照らす。
日が暮れるにつれて光は存在感を増し、そしてその光に集う悪霊たちも数を増していった。
遠目から見ても分かるその異常な光景にハンスがローブの奥でため息を吐く。ハンスの目から見ても集う悪霊の姿は気持ちのいいものではなかった。
「撤収の準備、終わったぜ」
背後からキースの声がかかり、ハンスがキースに視線を向ける。キースはハンスの隣まで来るとハンスと同じように赤い光に視線を向けた。口調も眼差しも不機嫌さを察してあまりあるものだ。
「騎士共は?」
「魔獣にやられて散り散りだ。上手く逃げおおせたとしても魔獣の氾濫を生き延びるのは難しいだろうな。もっとも、大儀だなんだのために女子供を盾に取ろうとするような奴らの無事を祈ってやるつもりはねーけどな」
吐き捨てるようなキースの物言いにハンスの眉がピクリと動く。トルキス家の子供たちを手にかけようとしたことのあるハンスにとっては思うところがあるのだろう。
「耳の痛い話だな……」
「なんか言ったか?」
独りごちるハンスの声はキースには届かなかったようだ。
キースは変わらず赤い光に集まる悪霊を不機嫌そうに睨んでいた。
「俺は何の説明もなく、あんな危険なモノを運ばされていたのか?」
キースの不機嫌はその一言に尽きる。赤い光の元となった結晶を運んだキースはそれが悪霊を引き寄せる魔道具だと聞かされてはいなかった。
取り扱いを一つ間違えれば被害に合うのはドミトリーではなくキースだったかもしれないのだ。
「……私も聞かされていなかったことだ」
知らなかったで済まされることなのだろうか。少なくともハンスは納得していなかった。もちろんキースも。
遠目に見える悪霊たちは日が傾くにつれて集まる数を増し、赤い光の中で大きな塊を形成している。おぞましい光景であった。あんな悪霊の塊が街へ向かえば、多くの人間が悪霊の手にかかって殺されてしまう。そうなれば悪霊は新たな悪霊を生み出す。街はアンデッドがはびこる死の街と化すだろう。
「俺たちは世界を牛耳るために活動してるんじゃなかったのか?」
支配するべき人間までまとめて殺戮するような魔道具の行使は教団の目的に反するはずで、キースが疑問視するのも当然であった。
黙って聞いていたハンスが小さくため息をつく。
「キース、あまり言うな。誰かに聞かれると厄介だぞ」
教団への批判はキースの身を危うくする。ハンスなりの気遣いであった。
踵を返してその場を後にするハンスの後ろ姿に不満そうなキースが肩を竦める。そしてハンスの後に続いた。
「あのデカい幻獣はどうする?」
前を歩くハンスの背にキースが質問をぶつける。魔獣の氾濫を沈めた幻獣の存在は教団の目的を考えれば決して無視していい力ではない。
しかしハンスの答えは素っ気ないものであった。
「本部はこの国がどうなろうと知ったことではなかったのだろう? ならばその過程になど興味はあるまい」
聞かれなければ答える義務はない。ハンスはそういうスタンスのようで、それはハンスの生真面目さを良く知るキースからしても珍しく感じることであった。
(兄貴、怒ってんな……)
ハンスがそういう態度を取る時はだいたいがそういう事だ。
キースはそれ以上何も言わず、黙ってハンスの後に付き従った。
「とんでもない数の悪霊が集まってるな……」
「不安定な融合を繰り返しながら肥大化してるみたいだ……おそらくシロー様や一片様の力でもどうにかするのは難しいだろうね」
「光属性の魔法使いが束になって祓っても難しいか……」
「難しいだろうね」
街の外壁の上から森の様子を伺っていたラッツとエジルが異常発生する悪霊を観察しながらため息を吐く。二人はエジルの妻であるステラの悪霊祓いを手伝っていたこともあり、なかなかに詳しい。大人たちだけで対処できる方法がないかと様子を伺っていたのだが分かるのは一筋縄ではいかないということだけであった。
「結局、ウィル様の力に頼るしかないのか……」
帝都を守り切るのであれば。エジルの言うようにウィルの力に頼るしかない。だがトルキス家に仕える二人がウィルに危険な真似をさせたいはずがなかった。
ラッツが視線を門の方へと向ける。帝国軍の主力が悪霊に対応するため忙しなく動き回っており、指揮を執る主要人物たちの中にまだ幼いウィルの姿もあった。
「おばけぇ……うぉおおお……」
ドラゴンの幻獣に指名されたウィルであるが、気合を入れつつも完全に腰が引けている。その小さな手はシローのズボンを掴んでおり、掴まれたシローは頑張ろうとする我が子を見て苦笑いを浮かべていた。
『うぬ……まさかウィル様がアンデッドを苦手としているとは……』
「ウィルちゃんはまだ小さいんですもの……怖いものがあって当然です」
ドラゴンの言葉にマリエルがやんわりと擁護する。いかに幻獣の指名であっても幼いウィルが悪霊と対峙することに不安を覚えているのだ。
マリエルの不安は的を射ていて、普通の魔獣に比べてアンデッドの対応は難しい。少しでも知識がある者であれば単純な強さだけで悪霊を相手にできないことを知っている。
「ウィル、心配しなくても父さんがお化けを倒してくるよ?」
「ほんとにー?」
シローに頭を撫でられてウィルが顔を上げる。傍にいるセシリアはセレナとニーナを抱き寄せてシローとウィルのやり取りを心配そうに見守っている。
そんなウィルたちの姿は周りから見ても不思議なものであった。
なぜウィルなのか、と。
ウィルは確かにすごい。幼いのに敵の奇襲に対応し、人質を救出した上、巨大な幻獣を従えて魔獣の氾濫まで防いでしまった。戦闘を直に見た者もその成果が偶然ではないと理解している。しかしこの場には幻獣の契約者にして元テンランカーであるシローがいるのだ。アンデッドに対して特に効果がある光属性の幻獣ではなくともシローの力があれば強大なアンデッドとも渡り合えるはずなのである。
「シロー殿……」
レオンハルトに声をかけられてシローとウィルが向き直る。
「なぜウィルなのです?」
周りの人間を代表するような端的な質問。
「それは――」
「うぃるのほーがおばけさんにつよいからですー。こわいけどー」
一瞬躊躇したシローの後にウィルが続ける。シローとしては伝説的なウィルの月属性をどう説明したものかと迷ったのだが、ウィルは自分がなぜドラゴンに指名されたのかを正確に理解していた。
「そうなのか?」
「そーなんですー……」
聞き返すレオンハルトにウィルが答えるが、その姿はどう見てもアンデッドを怖がり震える子供の姿だ。強大な悪霊を相手にできるようにはとても見えない。
だがウィルはまるで自分の使命かのように「うぃるがやらねばー」と繰り返している。
そんなウィルたちの下へエジルやラッツ、それからローブを着た光の精堂の魔法使いが歩み寄ってきた。
「陛下、大変悪い知らせなのですが……」
精堂の魔法使いが言い難そうに表情を曇らせている。彼は帝都の光の精堂を管理している魔法使いで帝国内ではアンデッド対策に明るい人物なのだが。
そんな人物の不安げな表情をレオンハルトが見過ごせるわけもない。
「どうかしたのか……?」
「悪霊の規模が桁違い過ぎます」
どこからともなく現れた悪霊は融合を繰り返し続け、その大きさは途方もないものになっていた。
「この地でうかばれぬ魂が彷徨い引き寄せられているというのか……」
現皇帝のレオンハルトが即位するまでソーキサス帝国は戦争や圧政、内乱と人々を苦しめてきた。中には非業の死を遂げた者もいただろう。そのツケが降りかかっていると感じたレオンハルトは何とも言えない表情で天を見上げた。これはソーキサス帝国が清算しなければならない罪なのだ、と。
そんな皇帝の様子はウィルの目から見てもとても悲しげなものであった。
それもあってか魔法使いの口も重たい。
「国史でも前例を見ぬほどの悪霊となりましょう……おそらく国飲むモノまで落ちるやもしれませぬ」
「国飲むモノ……怨霊鯨か……?」
「はい。いかに帝都の精鋭を集め、シロー様にお力添え頂いたとしても危難を乗り越えるのは難しいかと……」
怨霊鯨とは大量の死霊や怨霊が融合した果てに生まれる巨大な怨霊だ。その大きさは小山ほどあると言われ、明けぬ夜の中、地を這い生者を貪り尽くすという。伝承では三日三晩這いずり回り、小国を死の国へと変えてしまったとされている凶悪な化け物であった。
発生即テンランカーへの出動依頼。国家最優先対策どころか隣国への救援依頼、警戒要請が必要なレベル。そんな最悪な敵。
だというのに――
「うぃるがいくしかないかー……」
お気楽暢気なウィルの声が全く乗り気でなさそうに間延びした。
この期に及んでウィルはまだ凶悪な悪霊である怨霊鯨を倒せる気でいる。そのことが不思議でならず、レオンハルトは呆れを通り越してウィルに見入ってしまっていた。彼の立場であればすぐに周りの避難を加速させ、次の手を講じなければならないというのに。
レオンハルトがウィルから目を離せないでいるとウィルの足元にエジルの幻獣であるブラウンが現れてウィルの足を引っ張った。
「どーしたのー、ぶらうん?」
首を傾げるウィルであったがブラウンはウィルに何かを見せたいのか足を引っ張り続けている。そんな様子にシローたちは不思議そうな顔をし、エジルは困ったように頭を掻いた。
「どうかしたのか?」
「それが……ウィル様にちょっと見て頂きたいものが……」
エジルが少し歯切れの悪い言い方をしてシローが首を傾げる。エジルとしては見せるかどうか悩んでいる、そんな風体。幻獣の判断と契約者の判断が食い違っているようだ。
それが何を意味するのか、シローはなんとなく察した。おそらくウィルの背を後押しするなにか。ブラウンはそれをウィルに見せようとしているのだ。しかしエジルはトルキス家に仕える者として幼いウィルを危険に向かわせるようなことをしたくない。そういう迷いであった。
「じゃー、いってみるー?」
見上げてくるウィルの頭をシローが撫でる。ブラウンの示す先でウィルが何を見て、どうするかはウィル次第。なにやらセシリアの視線が強まっている気がするが彼女も理解してくれるだろう。
「行ってみようか、ウィル」
「あいー」
シローがウィルを抱き上げてブラウンが案内するままに外壁を上がる。そこから見える景色は夕暮れに差し掛かろうとする空と遠目に広がる森。赤い光に集まる無数の怨霊と――
「霧……?」
森を霧が覆っている。それをよく観察すれば霧はただの霧ではなく、悪霊を遠ざけるように作用していた。時折見える魔力光が魔法の霧だと証明している。
「あれは……!」
ウィルが目を見開いた。霧属性の魔法、その魔力の流れに見覚えがある。
「ぬれぎつねさんだ!」
「濡れ狐……?」
シローが首を傾げるがウィルはシローから降りて食い気味に森を眺めた。森に住まう固有種。ウィルと戦った妖獣濡れ狐の魔法の光だ。濡れ狐が森を守ろうと悪霊たちを押しのけているのである。
しかしウィルには分かってしまった。いかに強力な濡れ狐とはいえあの量の怨霊を捌き続けることはできない。怨霊は融合を続けていてさらに大きくなろうとしている。怨霊鯨が生まれれば濡れ狐は耐え切れず、森は死の森と化すだろう。そして怨霊鯨は満足することなく周りの街や村を飲み込み、アンデッドを生み出し続ける。
「ウィル?」
何も言わず、動かないまま森を注視するウィルの背中にシローが声をかけた。ウィルはまだ動かない。だがその背中を見れば、先程まで怯えていたウィルではないことが容易に分かってシローは微かに笑みを浮かべた。
ウィルの目は何かを守りたいそれに変わっていた。
「とーさま」
「なんだい?」
「ここでおばけさんをやっつけなきゃ、みんなおばけにされちゃうんだよね?」
「そうだね」
「ここでおばけさんをやっつけたら、みんなたすかるよね?」
「そうだね」
人も魔獣も住処を追われることなく、いつもの日常に戻る。人と魔獣は相容れないことも多いが共生している。その両方に害をなすのがアンデッドという存在なのだ。
ブラウンが一声鳴いてウィルを見上げる。ブラウンはどこか凛々しく振舞っていた。ウィルなら大丈夫だ、そう言わんばかりに。
そんなブラウンにウィルが頷いて返す。そしてシローの顔を見上げた。
「とーさま。うぃるがわるいおばけさんをやっつけてくる! みんなをたすけなきゃ!」
ウィルのセリフは容易に想像がついて、シローは深く頷くのであった。




