森からの離脱
「ぶはぁっ! ……はぁ、……はぁ」
空間を転移したドミトリーが地に手をついて息を吐き出す。
視界を埋め尽くすような茨の洪水。幼い子供が放っていい威力の魔法ではない。
ウィルの魔力に当てられたドミトリーの体からは冷たい汗が止まらなくなっていた。
「くっ……」
荒い呼吸の最中、痛みが走ってドミトリーが顔をしかめる。脇腹の血の跡が広がっている。濡れた感触は血なのか汗なのか、ドミトリーには分からなかった。
震える足でドミトリーがなんとか立ち上がる。
場所は神の尖兵が眠っていた古代遺跡。自分のセーフハウスとして最低限の備えはしてあった。そして温存していた白いオーガたちもこの場に在る。
(まだだ……まだ……)
人質を得られなかったのも連れて行った戦力を回収できなかったのも全くの誤算であったがそれで戦局が決してしまったわけではない。
ドミトリーの野心はまだ折れていなかった。
散ってしまった騎士たちと合流する。魔獣の氾濫をやり過ごして態勢を整える。魔獣の氾濫によって疲弊した帝国軍を騎士と魔獣召喚と神の尖兵をもって打ち倒す。
(多少の混乱はあるだろうが、帝国内の重要な役職についていない貴族は前の戦で日和見だった者たちだ。こちらの力を知れば従えるのは容易い……そのためには)
何としても帝国軍を打ち破らなければならぬ、と。
ドミトリーが己を鼓舞して顔を上げる。傷を癒して指揮を執るのだ。
「一角、ポーションを持ってこい!」
近場の白鬼に命令を下し、ドミトリーが腰を掛けられる場所を探す。しかし――
「一角……?」
動かない。ドミトリーの声は聞こえているはずなのにどの一本角の鬼も微動だにしなかった。
「何をしている!?」
傷の痛みが苛立ちに拍車をかけ、ドミトリーが声を荒げる。しかし白鬼たちはやはり無反応でドミトリーに従う様子はない。
理解が追いつかず、立ち尽くすドミトリー。その背後にいつの間にか男が一人立っていた。
「無様だな、ドミトリー」
声をかけられたドミトリーが振り返り、眉根を寄せる。
「ハンス……」
ドミトリーにとっては会いたくない人物の一人であった。所属していた白の教団の中でも信頼を集めていた中央寄りの人物である。
そんなハンスが担当でもない地区に姿を現したのだ。なんの使命も帯びてないはずがない。今のドミトリーにはどう転んでも都合が悪い相手であった。
「何をしに来た!?」
ドミトリーが吼えてみせるがハンスは静かにその威嚇を流した。
「なにを、だと?」
静かだが鋭い目つきでハンスが睨み返す。
それは二人の間では言うまでもないことであった。しかし無言の抵抗を続けるドミトリーに呆れたハンスが静かに口を開いた。
「神の尖兵を回収しに来たのだ。分かりきっていることだろう?」
「くっ……」
ハンスが告げると同時に白鬼たちが動き出し、ハンスの背後に並ぶ。一人立たされたドミトリーに味方はいない。
圧倒的に優位な立場にあるハンスだが口調は変えず淡々と続けた。
「我々の任務を忘れたわけではあるまい。封印された神の力を解放し、回収すること。それを無断で使用し、失ったとなれば申し開きもできないか」
「それは……」
ドミトリーが言葉に詰まる。ドミトリーも自分の行動が背信に当たると承知していた。元より組織を裏切るつもりであった為、気にしていなかったとも言える。教団本部から派遣されたキースのことは気になってはいたが、それにしても白の教団がこれほど早く手を回してくるとは予想できなかったことだ。
「どうしても城を落としたいというのであれば自分たちの力で何とかするのだな」
「ま、待て……!」
立ち去ろうとするハンスをドミトリーが制止する。白鬼の戦力はドミトリーが最も当てにしていたものだ。易々と失うわけにはいかない。この場でハンスと戦うことになったとしても。
しかし――
「――っ!?」
踏み出そうとしたドミトリーの足は動かなかった。それどころか力が抜け、その場に崩れ落ちてしまう。痛みが熱を帯びて体の力を奪っていく。
(いったい、なにが――)
混乱するドミトリーが地に伏して足掻く。その姿を見下ろしたハンスがさして興味もなさそうに告げた。
「お前に手傷を負わせた者は、どうやら対人戦闘に秀でた者だったようだな」
(毒か!?)
魔獣相手に毒を盛る者は滅多にいない。そんな毒を所有しているというだけで対人戦闘を想定している者だと察しがついた。
毒が回り、動けなくなったドミトリーにハンスを引き留める力はすでになく。
ハンスはそのまま白鬼を率いて姿を消した。
(おのれ……こんなはずでは……)
朦朧とする意識の中、ドミトリーが気力を振り絞る。無茶苦茶に練った魔力を体に流し、這いずるように移動してなんとか自分の荷物に手を伸ばした。
(何かないか、なにか――)
おぼつかない手で荷物を引きずり出したドミトリーの手に怪しく輝く紅いクリスタルが触れる。キースが置いていった凄まじい力を有するというクリスタルだ。
引き込まれるような輝きを放つクリスタルが毒でおぼつかなくなったドミトリーの魔力に反応する。
(まずい――)
ドミトリーがそう認識した時にはもう遅かった。ドミトリーの魔力を吸い上げながら輝きを増すクリスタルがまるで花開くかのように形を変えていく。
クリスタルの起動が意味するものをドミトリーは毒に浮かされながら見守るしかできないでいた。
「にーげーろー、にーげーろー!」
ドミトリーを退けたウィルたちは森の外に向かって移動していた。森の外にはトルキス家の特殊車両【コンゴウ】が駐留してある。そこまで逃げ切れば一息つける。
シローたちを背に乗せて走る風の一片。家臣たちを運ぶ風の上位精霊アロー。そこに並んでウィルが子供たちを魔法で運んでいる。樹属性で作った台の上に子供たちを乗せ、土属性のミニゴーレムたちが台を担ぎ、風属性で強化して速度を出している。力技のオンパレードであった。
その姿は子供たちから見れば勇ましいものであるが、セレナは少し心配していた。
(ウィルは少し魔法を使い過ぎてる……)
精霊の力を借りているとはいえ魔力量には限りがある。セレナもウィルの魔力量の多さを知ってはいるがウィルは既に何度も大きな魔法を使っており、魔力回復のポーションも使用している。
魔力回復のポーションは使えば使うだけ効果が得られるというような代物ではない。むしろ連続して使用すると効果が減少していき、ポーション中毒を引き起こす可能性も出てくる。用法用量を正しく守って使わなければ危険なのである。
セレナが心配しているとシャークティと目が合って彼女は無言で頷いてみせた。セレナの心配を精霊たちも理解しているのだ。
「見えたわ!」
走る先に森の出口が見えてニーナが声を上げる。森の出口は見る見る近付いて、ウィルたちは森から飛び出した。
「こっちだ、ウィル!」
シローが先導する先にコンゴウがある。コンゴウで待機していた家臣が手を振って合図を送っていた。
「急げ!」
「子供たちを奥へ!」
家臣たちが手分けして子供たちを誘導し、出発の準備を整える。見事な手際であった。大型車両のコンゴウに次々と人が乗り込んでいく。
「全員乗ったな?」
シローが最終確認を行ってガスパルに視線を向ける。ガスパルは頷いて返すと声を張り上げた。
「コンゴウ、発進! 全速で森から離脱しろ!」
「了解! 全速前進!」
御者が合図を送り、騎乗獣たちが動き出す。御者の魔力で起動した装飾の魔道具が騎乗獣たちをさらに後押しする。
コンゴウが動き出したことで車両の中に安堵が広がる。緊張の連続にさらされている子供たちの中にはそろそろ限界という者もいるだろう。
そんな中にあってウィルはまだまだ元気だ。
「おけがなおしまーす」
怪我をした家臣の周りを巡ろうとしていてセレナが慌てて止めた。
「待って、ウィル。治療は私とニーナでするわ」
「えー?」
止められて不服だったのか、ウィルが抗議の声を上げる。ウィルも魔力を消費している自覚はあるだろうに。できるから行動に移してしまう。後先はまだあまり考えられていない。
ニーナがウィルの肩をポンポンと叩いて宥めた。
「ここは私とセレ姉さまに任せて、ウィルはもしもの時に備えなさい」
これ以上なにかあるなど考えたくはないが。本当に魔法が必要になった時、その時は間違いなくウィルの力が必要なのだ。
そのことを理解したのか、ウィルが畏まって敬礼してみせた。
「はい、にーなねーさま!」
「よろしい。それじゃあウィルは休憩!」
まるで上官と部下のようなやり取りをかわしたウィルは大人しく引き下がった。
引き下がってきょろきょろと周囲を見渡したウィルは次の興味を見つけて移動した。
「れんー」
ウィルが立ったまま外を警戒するレンを呼びつける。
「なんですか、ウィル様?」
「ん!」
椅子をペチペチ叩いて座るように催促するウィル。レンが従って腰を下ろすとウィルはレンによじ登った。
「ウィル様?」
頭を撫でまわしてくるウィルにレンが抗議の声を上げるとウィルはレンの頭から手を離した。
「つの、ないなった」
ウィルはレンの頭部に生えていた角が消えているのを不思議に思ったらしい。
そのことに気付いたレンが笑みを返す。
「ウィル様、私の角は力を解放した時のみ発現するものなのです」
「そーなのー?」
「ええ。私には魔族の血が流れていますが、それは四分の一くらいのものなので」
「よんぶんのいちー?」
ウィルはすぐに理解できなかったが、つまりは祖父母の代に魔族がいたということだ。そしてレンの母親が魔族と人間のハーフであった。
「驚かせてしまって申し訳ございません、ウィル様」
「べつにー」
秘密にしていたことを謝るレンであったがウィルは首を横に振った。レンが魔族だからといってウィルに想うところはないようだ。
「れんはれんだもん」
「……そうですね」
ウィルの分け隔てない態度はレンの不安をあっさりと溶かしてしまった。人間の中には魔族を必要以上に恐れて危険視する者もいる。そのこともあってレンは自身が魔族の血を引いていることを隠しているのだ。
だがウィルにはそんなことは関係ないらしい。レンが魔族と知った後でも見る目が変わることなどない。
あるのは一つ。
「うぃる、もりにいったことをれんがおこってつのがでちゃったのかとー」
「……怒ってますよ?」
ウィルの言葉に笑顔を返すレン。
それを聞いたウィルの体がレンの膝の上で硬直した。
「…………え?」
「角は関係ありませんが。危険を顧みず森へ入ったことはお叱りせねばなりませんので」
この場合、結果どうこうの話ではなく。まだ幼く森の危険性も十分に理解していないウィルの行動を大人として戒めなければならないのである。でなければウィルは今後も危険を顧みず行動するようになってしまう。
「マイナや師匠たちもウィル様を諫める立場にありながらウィル様を森へ連れて行ったのです。同伴した大人たちにもしっかりとそのことを問わねばなりません」
レンが付け加えるとレンに抱えられたままのウィルが汗をかいてカタカタと震え出した。
「うぃるがわがままゆったからー……みんなはわるくないのー」
がくがくプルプル。縋りつくように訴えるウィルが少し可哀そうでレンが苦笑しながらウィルの頭を撫でる。ウィルはみんなが怒られるのが嫌で自分で罪をかぶろうとしているのである。でも怒られるのは怖くて悲しいので震えているのだ。
そんな二人を見ていたマリエルが心苦しさから立ち上がってレンの前へと立つ。
「あの、レンさん。ウィルちゃんを責めないで上げてください。ウィルちゃんの力を見てお兄様を助けに行きたいと申したのは私なんです」
「大丈夫ですよ、マリエル様」
ウィルをかばおうとしてくれるマリエルをレンが優しく制する。
今回の一件は大人たちが子供たちをしっかり守れていればウィルが危険を冒さずに済んだことなのだ。だからレンがウィルをきつく叱ることはない。ウィルが幼過ぎるから、間違いを起こさないようにするための措置なのだ。そうでなければレンだって手放しでみんなの無事を喜んでいる。教育係としてよくやったと素直に喜べないのがレンの辛いところだ。
当然そのことはトルキス家であれば誰もが察するところである。
昔のレンを知るロンもレンの変化を感じ取って思わず表情を緩める。
誰もが優しくウィルとレンを見守る中で。しかしその時はついに訪れてしまった。
『後方! 森に異変あり!』
上部の見張りに着いた者から鋭い声が飛んで大人たちの緊張感が一気に増す。後方を確認したシローがその異様さに眉をしかめた。
「なんだ……あれは?」
森の奥から天を突くような赤い光の柱が立ち上り、さらには森が震えている。やがて地鳴りのような音がシローたちの下に届いた。
「来るぞ……氾濫だ」
森の方を見据えるロンの言葉を肯定するかのように森から魔獣が溢れ出す。
雪崩れるように平地へ飛び出した魔獣の群れはすべてを飲み込むように暴走を開始した。




