脱出した、その先で
切り開かれた馬車道を荷馬車が駆ける。
「上手くいった! さすがウィル様!」
手綱を握ったマイナが小さく吼えた。
霧で視界を奪った後にウィルが指し示した逃走経路。おそらくは騎士たちが物資を搬入するために切り開いたと思われる一本道は旧街道へと繋がっているようだ。
ここまで大掛かりに手を加えているとなれば、騎士たちはずいぶん前から帝都襲撃を目論んでいたことになるのだが。それが今はウィルたちの助けになっているのは皮肉なものだ。
「まさかここまで森に手を加えているとは……」
同じく御者台に腰かけたデンゼルが体を抑えたまま周囲を見渡す。
魔獣の生息域に人間が手を加える。いくら魔道具の助けがあったとはいえデンゼルには考えられないことだ。
「魔獣の怒りを買っても不思議はないですね」
それにはマイナも同意見であった。人間の生活圏で魔獣が暴れて迷惑と感じるのと同じように、魔獣だって人間が生活圏で好き勝手するのを許しはしないだろう。
「くっ……」
「大丈夫ですか?」
荷馬車が跳ねて苦しそうに眉をしかめたデンゼルをマイナが前方に意識を集中したまま気遣う。
「はは、大丈夫ですよ。セレナ様とニーナ様のおかげで大分よくなりましたから」
力なく笑うデンゼル。体を押さえているのは深手を癒した後の後遺症だ。回復魔法で傷を癒せたとしても体力まではそうはいかない。長く疲弊していればなおのことだ。
おそらく拷問を受けたのだろうと推測したマイナはそれ以上無理に問わなかった。弱った体で思い出すにはあまりに酷な記憶だ。今はそっとしておくのが一番だろう、と。本来であればまだ寝かせていた方がいいのだが子供たちを乗せた荷台に大人を寝かせるスペースはない。
「とっととこんな所はおさらばしましょう。今夜は暖かい布団で眠れますよ」
「それはいいですね」
代わりにとばかりに飛び出したマイナ節にデンゼルが微かにほほ笑んで。
荷馬車は旧街道目指して駆け抜けていった。
「よし、ひとまず撒いたな」
荷台の後部で後方の確認をしたロンが視線をウィルの方へ向ける。
ウィルは荷台の中央で腰を下ろして一息ついていた。取り出した魔力回復用のポーションを飲み干し、苦みに顔をしかめている。
その表情は先程まで濡れ狐と激戦を繰り広げていた人物とは思えない、年相応の幼さが見て取れる。
「大丈夫か?」
「まーまーだいじょうぶー」
ウィルをもってしても濡れ狐はなかなかに手ごわかったらしい。圧倒はしていたが少しは消耗しているようであった。
「きつねさん、つよかったねー」
そんな感想を述べるウィルであるが見るからにご機嫌だ。殆どの大人が死を覚悟するような魔獣を相手にこの余裕である。無知なのか、大物なのか。
思わず呆れが混じりつつ、ロンが表情を緩めた。
「強かったか?」
「とってもー」
ロンの質問にこくこく頷くウィル。満足しましたと言わんばかりの笑顔で、濡れ狐との魔法の応酬を楽しんだのがよく分かる。
ウィルぐらいの幼さならそのまま夢中になってもおかしくない所だが。
「あのタイミングでよく引き上げる判断ができたな」
ロンは素直に感心していた。誰の目にももう一押しで濡れ狐を討伐できていた。それなのにウィルは倒すのではなく、撤退することを選んだのだ。
「えらいー?」
「ああ、偉かったぞ」
「えへー」
ロンに褒められてウィルが満更でもない表情をする。だが子供たちの中からは惜しむ声も聞こえてくる。
「もう少しで濡れ狐を倒せたのに……」
濡れ狐はその強さと希少性、また見た目の美しさからその素材がとてつもない金額で取引されているそうだ。
貴族の子供たちから説明されたウィルが首をふるふると横に振る。
「うぃるはきつねさんをやっつけなくていーです」
ウィルの目的は皆で街に帰ることで濡れ狐の討伐ではない。
欲をかく様子がまるでないウィルにマクベスも満足げに頷いた。
「坊やの判断は正しいよ。濡れ狐を倒しても得するのは騎士たちだ」
マクベスの言葉に貴族の子供たちが首を傾げる。よく分かっていないようでマクベスが続けた。
「坊やが濡れ狐を倒すと魔獣たちの勢いは一時的とはいえ弱まる。そうすれば騎士たちにかかる圧力が弱まり、こちらに意識を割く余裕が生まれる。そうなれば君たちを逃がすことも難しくなってしまう。素材を回収する時間はさらにない」
騎士たちが事なきを得れば、素材は騎士たちの懐に入る。ウィルたちが素材を回収するには騎士たちを無力化すればいいが、その間に暴走を始めた魔獣たちが勢いを取り戻せば今度は際限なく魔獣に襲われることになるだろう。
「一番いいのは騎士と魔獣を争わせ、その隙に離脱することだな」
それには濡れ狐が生きている方が好都合というわけだ。今頃、騎士たちは魔獣の対処に追われているはずである。
「あとはこの魔獣の気配が濃くなりつつある森から逃げるだけ」
それだって安全にとはいかない。細心の注意を払いながら森を通り抜けなければならない。
マクベスの説明に貴族の子供たちは納得したようだった。
「まじゅーさんはたおせばいーとゆーわけじゃないんです」
真面目くさってシローの受け売りを口にするウィルにそうと知っているセレナとニーナも笑みを浮かべる。
「みんなでおうちにかえりましょー」
ウィルの提案は皆の心に響くもので、当然反対する者は誰もいなかった。
「帝都へ」
ハインリッヒも頷いて一行は帝都を目指す。
魔獣の気配の濃い森の中を急く荷馬車に揺られながら。
子供たちの胸中には帰還の希望が膨らんで明るさを取り戻していた。
馬車が小道を抜け、旧街道を進むことしばし。
幻獣のブラウンが小さな体を立ち上げた。
「ぶらうんー? どーしたのー?」
ブラウンの様子に気付いたウィルが首を傾げる。
静かに後方を見たままブラウンは探知魔法を駆使して何かを探っている。
ブラウンを真似てウィルも探知魔法を展開した。
(……なに?)
ややあってウィルの探知魔法に何かが引っかかる。得体の知れない何か、大量のそれが荷馬車に迫っていた。
「だいししょー!」
「なんだ?」
ウィルの様子がただ事じゃないと悟り、聞き返すロンにウィルが告げる。
「なにかがおいかけてくる!」
「なにか? 騎士か魔獣か?」
「たぶんどっちでもない!」
どちらでもない。ウィルは人間なら発する魔力ですぐに分かる。魔獣でも動きや形で察する。だが、追いかけてくるそれらは全く感じたことのない気配であった。
ブラウンがすぐに反応できなかったのもブラウン自身が感じたことのない気配であったためだ。
近づく気配の一つが打ち上がるように空へ飛び出した。
その姿を目視したロンが眉をひそめる。
「なんだ、ありゃ……」
白色の巨躯に蝙蝠のような翼と牛のような角を生やした、どう見ても友好そうには見えないシルエット。それが両掌を荷馬車へと向けていた。その両掌の前方に未知のエネルギーが集まっていく。
「おいおいおい!」
それが攻撃の予備動作であることは誰の目にも明白であった。
「まずいぞ、攻撃がくる!」
「ぼーぎょー!」
マクベスが事態を察知し、ウィルも気配を感じ取ったことで荷馬車の周囲を無詠唱の防御魔法で囲い込む。
白色の巨躯から放たれた一条の光がウィルの防御魔法を掠めて荷馬車の前方に着弾する。路面が砕け、走行する荷馬車が跳ねて傾いた。
「「「うわあああああ!」」」
「あぶない!」
悲鳴を上げる子供たち。いち早く反応したアジャンタが風属性の魔法を展開してみんなを包み込んだ。
横転した荷馬車が土埃を上げて停止する。
「みんな大丈夫か!?」
「なんとか~」
横倒しになった荷台の中で体を起こしたハインリッヒが問いかけるとウィルから間延びした声が返ってくる。小さな体のウィルだがセレナとニーナに抱えられて事なきを得たようだ。
他の子供たちもアジャンタの展開した魔法がクッションとなって大きな怪我を負っていない。御者台にいたマイナとデンゼルもウィルの防御魔法とアジャンタの魔法によってなんとか御者台にしがみ付いていた。
「とりあえずここから出ましょう」
セレナに促されて子供たちが荷台から降りる。
ロンとマクベスは既に荷台から出ており、追手と対峙していた。
「なに……?」
子供たちが目の前の光景に言葉を失う。
自分たちは既に包囲されていた。人間でもなく、魔獣でもない。見たことのない存在に。
強靭そうな白い肉体。頭部の角。鬼面の怪物。
その外見から思い至ったウィルがぽつりと呟いた。
「しろいおーがだ……」




