ウィルvs青銀
蒼き森の奥深く、銀毛麗しい獣あり。会うてはならぬ、追うてもならぬ。その瞳に吸われし者、霧に巻かれて命を散らす。
「来たぞぉ! 濡れ狐だ!」
前線に立つ騎士から声が上がる。数多の魔獣の奥から一匹二匹と姿を見せ始めた狐型の大型魔獣にある者は息を飲んだ。
艶を帯び青みの輝きを放つ銀毛にすらりと伸びた手足。切れ長の瞳と柔らかそうな尾がさらに人の目を魅了する、四足の獣。この森の固有種であり、青銀とも称される大型魔獣が濡れ狐であった。
「ウィル様?」
ぴたりと動きを止めてしまったウィルに気付いたマイナがウィルに呼びかける。するとウィルの小さな口が動いた。
「あいつだ……あいつがぼすだ……」
「えっ……?」
ウィルの呟きを聞いてマイナがウィルの視線を追う。次々と現れる濡れ狐。その中でもさして大きくない濡れ狐をウィルは見ていた。
「あれが……?」
マイナの疑問にウィルが視線を外さず頷く。ウィルにはその濡れ狐が他の個体にはない強大な魔力を有しているのが目に見えていた。
そしてその濡れ狐もまたウィルを真っ直ぐ睨みつけて。
次の瞬間、濡れ狐から溢れ出した魔力が意味を成した。
「ぼーぎょー!」
ウィルが叫んでアジャンタたちが防御魔法を張り巡らせるのと漂う霧から魔法で形作られた無数の尾が伸びてくるのはほぼ同時であった。
「ちっ……!」
「くぉっ!?」
ウィルが騒ぎ立てたことで感付いたロンと騎士の将が防御魔法を展開して飛び退く。
魔法の尾が広場を蹂躙するように駆け巡り、騎士と魔獣とウィルたちに襲い掛かった。
穿つように迫る魔法の尾がアジャンタたちの防御魔法に阻まれて霧散する。
「おおー……」
魔法の尾が形を失いアジャンタたちが防御魔法を解く。その攻防を眺めていたウィルは濡れ狐の魔法を目の当たりにして感嘆した。
広範囲、高威力。回避の間に合わなかった騎士や魔獣はまとめて薙ぎ払われており、すぐに動き出せない者もいるようであった。
完全に体制を崩された騎士の将が舌打ちして濡れ狐の方に視線を向ける。
「くそっ……青銀め……」
ウィルたちと魔獣、両方に気を遣わなければならなかった騎士たちだが今の攻撃で魔獣を無視できなくなった。このままでは魔獣を抑えている騎士たちに甚大な被害が出てしまう。
かといってウィルたちを放っておけばせっかく捕らえた人質をむざむざと逃がすことになる。
敵将が迷っているとそこにウィルから第三の案がもたらされた。
「おじさーん、にげたほうがいいよー?」
「はぁっ!?」
敵方の子供に促され、煽られたと思った敵将が怒りを剥き出して顔を上げる。だが次の瞬間、高速で動いたゴーレムが敵将の間をすり抜けた。
背後に迫っていた他の濡れ狐の顎をゴーレムが抑える。さらには挟撃の形でウィルに迫るもう一匹の濡れ狐。
「はぁっ!」
「せいやっ!」
飛び上がったロンが迫る濡れ狐の顎を蹴り上げ、宙に浮いたその濡れ狐をマクベスがさらに蹴り飛ばして森の奥へと叩き込んだ。
「あっちいけー!」
ウィルのゴーレムが濡れ狐の顎を掴んだまま担ぎ上げ、森の奥へと投げ捨てる。ウィルたちを狙った二匹の濡れ狐はすぐには戻ってこなかった。
一連の動きを見ていた敵将が息を飲む。
(なんなんだこの子供は……)
大人たちはまだ分かる。こんな物騒な森に少人数で乗り込んでくるような者たちだ。相応の実力があっても不思議はない。
だがウィルは。どう見たってまだ幼い子供なのだ。それが当たり前のように魔法を操り、危険極まりないこの森の固有種と渡り合っている。さらにそこに付き従う精霊たち。常識では考えられないことであった。
そのウィルはまた奥にいる濡れ狐へと視線を送っている。濡れ狐もウィルから視線を外す様子はない。その間には独特の緊張感がある。
双方ともに理解していた。こいつが敵のボスなのだ、と。
「坊主……」
気遣ったロンが声をかけるとウィルは濡れ狐を見たまま笑った。
「すごいよ、だいししょー。あいつのまほー、ふつうのまじゅーさんとぜんぜんちがう」
たった一度見ただけだがウィルには分かった。その精度、威力共に普通の魔獣が行使する魔法と比べ物にならない。ブラックドラゴンは膨大な魔力量を秘めていたが魔法自体にはまだ荒々しさがあった。しかし目の前の濡れ狐は魔力量こそブラックドラゴンに劣るもののその魔法の完成度はブラックドラゴンより上。美しさすらある。
「まるでげんじゅーさんみたいだ……」
そんな感想を抱いて目を輝かせるウィルを見たロンは思わず小さなため息を吐いた。
(でも笑うんだな……)
本来ならそんな強大な敵を目の前にすれば萎縮したり恐れたり、緊張するものだ。だがウィルは楽しんでいた。次は何を見せてくれるのかと。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように。
(そういうところ、父親にそっくりだな)
親友であるシローもそういった一面を持っていたことを思い出し、ロンのため息が笑みへと変わる。
「だとしたらあの濡れ狐はおそらく妖獣だ」
「よーじゅー?」
「そうだ」
ロンの言葉にウィルが首を傾げた。妖獣とは年を経た魔獣が変じたモノだとか巨獣と同じく長く濃い魔素を吸収し続けて覚醒したモノだとか言われている。妖獣となった個体は元の魔獣よりも多彩に魔法を使いこなし、数段強さが増すという。
ロンの説明を聞いてウィルが納得したように頷く。そして濡れ狐に対してゆっくり構え直した。その表情はやる気満々だ。
「くるよ!」
「やってみろ。ただし、俺たちの目的はここからみんなを連れて帰ることだ。そのことを忘れるな」
「はい、だいししょー」
ウィルに任せたロンが一歩引く。そのやり取りを見ていたマイナやセレナは落ち着かない様子であった。相手が領域の主であり、妖獣ともなればその反応も当然だ。
だが、ロンも丸投げする気は毛頭ない。危険だと判断すれば自分が前に出る算段で控えていた。
「かかってこーい!」
ウィルの言葉を理解したわけではないのだろうが。次の瞬間、濡れ狐は弾かれるように動き出した。溢れ出る霧属性の魔力が意味を成し、濡れ狐の分身体がウィルの方へ殺到する。
だがウィルは大して驚きもしなかった。
「うぃる、そのまほーはしってる!」
「くっ……!?」
たまらないのは騎士たちであった。ウィルと濡れ狐に挟まれて、濡れ狐の魔法に巻き込まれる。
咄嗟に防御魔法を張った騎士たちであったが、ウィルは防御魔法を展開しなかった。
「あじゃんた!」
「了解!」
ウィルと同調したアジャンタが大量の魔弾を前方に展開する。
「「冬風の魔弾! 我が敵を撃ち抜け、木枯らしの砲撃!」」
解き放たれた弾幕が迫る濡れ狐の分身体を穿って一つ残らず消滅させた。その弾幕に巻き込まれた騎士や魔獣たちが飛ばされないように土地に伏せる。
続けて感知したウィルと精霊たちが空を見上げた。
「くろーでぃあ!」
ウィルに促されたクローディアが掌を上空に向ける。その視線の先には一塊の霧があった。濡れ狐の魔法が見えない道を作り出し、その霧を終着点へと据えている。霧を利用した転移魔法であった。
「「草樹の鎖縛! 我が敵を縛めよ、此花の枷!」」
地面から突き出た樹木が霧を絡め捕ろうと枝葉を伸ばす。その枝葉が霧に触れる寸前で霧から濡れ狐が飛び出してウィルの拘束から逃れる。
「しゃーくてぃ!」
「任せて……」
更なる追撃を指示するウィルに応えてシャークティが地面から無数の土属性の槍を伸ばした。
濡れ狐が自ら生み出した霧の上を滑るように身をひるがえして土の槍をやり過ごす。そのまま槍の上に着地した濡れ狐はウィルをめがけて勢いよく土の槍を駆け下りた。
しかし狙われたウィルは小さな掌を天に掲げて笑みを浮かべていた。
濡れ狐に影がかぶさって、視線が思わず上向く。影の正体に気付いた濡れ狐が急ブレーキを駆けた。
そこにいたのはいつの間にか飛び上がって滞空していたウィルのゴーレムであった。
「上手い……」
ウィルの攻め手を見たロンが泡立つ腕を抑える。
一つ二つと魔法で応戦して三つめは精霊に託す。足元から立て続けに攻撃して視線を下げさせ、その間にゴーレムを上空へ。攻撃をいなした濡れ狐が防御から攻撃へ転じる瞬間、ウィルはその隙を狙っていた。
重力を無視して宙に留まったゴーレムが力を溜めるように身を縮める。
「ごーれむさんんんん!」
ウィルから送られた魔力に反応してゴーレムの目が赤く輝く。その力を解き放つようにウィルが手を振り下ろして叫んだ。
「きーーーーっく!」
弾かれたように急降下したゴーレムが濡れ狐に襲い掛かる。
濡れ狐が展開した防御魔法とゴーレムの蹴りが衝突した。その瞬間、何とか態勢を整えた濡れ狐が防御魔法ごとゴーレムの勢いを逸らす。目標をずらされたゴーレムの蹴りが濡れ狐の足場となっていた土の槍ごと踏み抜いて突き抜け、そのまま大地に突き刺さった蹴りが轟音と共に広場を震わせた。
「うおお!?」
騎士たちが砕かれた土の槍の破片と蹴りの衝撃に見舞われて防御魔法で身を護る。その余波だけで立っているのも難しい。凄まじい威力であった。
だというのにゴーレムの一撃をやり過ごした濡れ狐は自ら発した霧を足場にするように宙を跳ね、ゴーレムと距離を取りながら攻撃態勢を整えていた。濡れ狐の周囲を霧の弾丸が埋め尽くし、それが広場に向かって降り注ぐ。
ターゲットにされたゴーレムが身を屈め、一気に後方へと跳躍した。そうして身をひるがえしたゴーレムは何事もなかったかのようにウィルの傍へ着地し、腕を組んだ。
たまらないのは騎士たちである。ゴーレムの攻撃の余波をしのぐ為に張った防御魔法の上に今度は濡れ狐の魔弾が降り注ぐ。とんでもない魔法の応酬に身動きが取れなくなっていた。
(冗談ではない……!)
敵将の感想ももっともだ。語り草になるほどの領域の主とその主相手に対等以上の力を発揮する幼子に挟まれて魔法の応酬の間に立たされれば、誰だってそうなる。
「すごいすごい! ごーれむさんのこーげき、かわされちゃったー!」
地面に降り立ち身構える濡れ狐にウィルが拍手を送る。その声がどこか楽し気で傍観者となり果てた騎士たちの頬は引きつっていた。
ウィルの一挙手一投足から目が離せなくなる中、ウィルが再び小さな両手を広げる。
「でもきつねさんのまほーはみたよ」
その言葉の意味を知っているのはウィルと親しい間柄にある者だけだ。
ウィルが魔力を込めると溢れ出た霧が一気に広場を埋め尽くした。魔法の詠唱はない。ウィルは濡れ狐の魔法を見て自身にできる事を再現してしまったのだ。
「これは……!?」
防御魔法の外側を埋め尽くす濃霧に身構えた敵将の背を冷たい汗が伝う。視界を奪われ、静寂に包まれた世界。決して広くはない開けた場所で方向感覚も音すらも認識できない。こんな状況でまた先程のゴーレムが放ったような一撃を繰り出されたら。今張り巡らせている防御魔法だけでどうにかなるものとは到底思えない。
それは濡れ狐や他の魔獣たちも同じだ。濡れ狐といえどもウィルの魔力が生み出した霧まで操れるわけではない。視界を奪われた魔獣たちもその中で人間を襲えるわけがなく、警戒したまま身構えるのがせいぜいであった。
ウィルの次なる一撃を警戒した騎士たちと魔獣たちの間に重苦しい時間だけが過ぎていく。
ややあって、変化が訪れた。霧が風に流され、その濃度を次第に薄めていく。徐々に視界が鮮明になり、騎士たちや魔獣たちが視界を巡らせた。
「なんだ……?」
なにもない。何も起こらなかった。ただ静寂に包まれた時間だけが過ぎた。そして残ったのは騎士たちと魔獣たち、そして遠くに響く轍の音だけ。
ウィルの姿は――いや、乱入してきた大人たち、人質の子供たち、巨躯のゴーレムの姿もそこにはすでになく。
事態に気が付いた敵将の顔が見る見る怒りに染まっていく。
「に、に、にっ……逃げやがったぁ!」
敵将の咆哮がそのまま事実を伝えていて。
ウィルたちは拝借した馬車でその場を後にしたのであった。




