合流する者たち
「っ……!」
唐突に訪れた着地の感触に刺客が体勢を崩す。
刺客が空間転移した先は森の中に打ち捨てられた古代遺跡の前であった。
人気はない。刺客たちの拠点は別にあり、この場所に用があるのは刺客のみであった。
気を取り直した刺客が懐から手鏡を取り出す。その手鏡の魔力を止めると刺客の姿はデンゼルから白いローブを身にまとったドミトリーへと変わった。いや、元に戻ったというべきか。
ドミトリーが取り出した手鏡の魔道具は映した者の姿を模倣できる珍しい品であった。映した者が生きていることが条件であったが敵を欺くのにこれほど都合の良い魔道具もない。
ドミトリーはこの手鏡の魔道具と己の知識を持ってソーキサス帝国を混乱に陥れた。
ドミトリーは旧帝国の貴族の家柄であった。にもかかわらず彼を覚えている者は少ない。なぜなら彼が貴族として活動したのは一年にも満たない期間であったからだ。だがその家柄は旧帝国貴族であれば無視できない皇帝側近の家柄であり、歴史の古い貴族でもあった。
ドミトリーが貴族となって数か月でフィルファリア王国と交戦状態となり、そして旧帝国は敗戦。内乱で旧帝国は瓦解し、貴族の地位を失った。
ドミトリーに残されたものは代々語り継がれてきた古いソーキサス帝国の歴史と祖父が隠れ家に道楽で集めていた魔道具の品々だけ。ドミトリーは途方に暮れるしかなかった。
そんなドミトリーに救いの手を差し伸べたのが現在の組織、白の教団である。
新たな神を信仰し、世界に秩序をもたらすという何とも胡散臭い集団であったがドミトリーが身を隠すにはうってつけの場所であった。実際、その知識や技術力には目を見張るものがあり、彼らのたわ言が満更でもないと感じさせるものでもあった。
ドミトリーはそれから教団に従い、また魔法の修練にも勤しんで現在の地位を得るに至った。しかしそこに忠誠はない。信仰も他の者に比べれば微々たるものであっただろう。
そんな彼がソーキサス帝国に舞い戻ったのは己の野心に突き動かされてのことだった。貴族として人々の上に立つ。今なら皇帝の地位にすら手が届く。腰掛けであった白の教団にドミトリーの野心を抑える力はなかった。
白の教団はその活動内容の一つとしてあるものを探しており、ソーキサス帝国の古い歴史を知るドミトリーはこの地での活動に適任であった。そのため、教団はソーキサス帝国探索の任を希望するドミトリーを責任者に抜擢した。
全ては上手くいっていた。
ドミトリーは教団の探し物を見つけ、そしてそれを入手するための鍵も見つけた。ソーキサス帝国を陥れるために策を練り、混乱に陥れることにも成功した。人質を確保し、あとは集めた戦力でもって新帝国を打ち倒すのみ。
全ては上手く行っていた。そのはずであった。
ドミトリーにとっての不運。それはソーキサス帝国にウィルベルという小さな男の子が訪れていたことであった。
ウィルがいたからデンゼルの擬態を疑われ、ソーキサス帝国の混乱は限定的な効果しか得られなかった。
ウィルがいたから子供たちしか人質にできず、秘密の拠点を言い当てられてしまった。
ウィルがいたからマリエルの確保に失敗し、ドミトリーは逃げ帰ることしかできなかった。
(いや、まだだ……)
どれも最悪の状況ではなく、ドミトリーが首を振る。帝国は混乱させたし、子供たちだけとはいえ人質も確保できたし、なによりマリエルが所有していた古代遺跡の鍵となるネックレスも入手できた。
状況はまだドミトリーたちに有利だ。
「神の尖兵……」
古代遺跡を見上げたドミトリーがぽつりと呟く。ここには古くから伝わる神の兵士が眠っているはずであった。
白の教団が探し求めるもの――神の尖兵とドミトリーの家に古くから伝わる話はすぐに一致した。この力があれば帝国を落とすことも可能なはずだ。
「この力で、私は次代の皇帝になる」
ドミトリーが手にしたネックレスを確認し、ひとり遺跡の奥へと歩き始めるのであった。
「さあ、入れ」
騎士たちの誘導に大人しく従ったセレナたちは地下にある檻の中へ入れられた。
魔法の媒体になりそうなものを没収した騎士たちが見張りも置かず、牢の鍵を閉めて石畳の階段を上っていく。
その足音が遠ざかるのを待ってセレナは小さく息を吐いた。
(ここはどこかしら……?)
視界が歪んだ次の瞬間、セレナたちは屋外におり、さらに多くの騎士たちに囲まれていた。
彼らの後方にある野営の為のテントを見てもここが彼らの拠点であることは間違いなさそうだ。
問題はここが木々に囲まれた場所であり、廃墟と化した建物の名残が見えること。セレナたちが入れられている地下室もその中の一つだ。
打ち捨てられた森の中の廃墟、ということであれば子供たちだけで逃走するのはなかなかに難しそうであった。
そこまで考えて、セレナが思考を切り替える。
今はできる事をやらなければ、と。
そんなタイミングで隣にいたニーナが唸るのが聞こえた。
「ニーナちゃん、大丈夫」
ありがたいことにさらわれた子供たちの中には最年少のニーナを気遣ってくれる子もいる。自分たちも怖い思いをしているであろうに。
だがそんな周りの気遣いを知ってか知らずかニーナは気丈であった
「敵に捕らわれるとは……ニーナ、一生の不覚……」
どこでそのような言葉を覚えてきたのだろうか。
ニーナの言葉を聞いたセレナは思わず苦笑いを浮かべ、気遣った子供たちの表情も少し和らいだように見える。
それは傷を負ったハインリッヒも同じようだ。
「ふふっ――つぅ……」
ニーナの様子に笑ってしまったハインリッヒが痛みを感じて顔をしかめる。
ハインリッヒを気遣ったドワーフ族の男の子がハインリッヒを壁際に座らせた。
「大丈夫ですか、ハインお兄様?」
ハインリッヒの傍に膝をついたセレナが傷の様子を確かめる。
ダメージはあるものの、行動に支障をきたすほどではなさそうだ。
「思いの外、深手でなくて安心いたしました」
「本当にな。ウィル君に障壁の手解きを受けていなければどうなっていたか……」
ハインリッヒにも障壁で防いだ手応えがあったのだろう。以前のハインリッヒでは感じ得ないことであった。
ハインリッヒの見せる余裕にセレナも笑みを溢す。そしてハインリッヒの傷に掌をかざした。
「来たれ光の精霊、陽向の抱擁。我が隣人を癒せ、光華の陽射し」
淡く温かな光がハインリッヒの肩を覆い、傷を癒していく。
杖も使わず魔法を行使するセレナの姿に周りの子供たちも息を飲む。
同じく、その光景と和らぐ痛みにハインリッヒが小さく息をついた。
「すごいね……杖もなしに回復魔法だなんて……」
「それは……」
セレナの身に着けている精霊たちの贈り物であるネックレスは敵からの認識を阻害しており、危険物として没収されていなかった。そのネックレス自体が優秀な魔法の媒体となっておりセレナは魔法を使うことができるのだ。
おそらく、今この場でまともに魔法を使えるのはセレナとニーナだけだろう。これは貴重な戦力になる。
そのことをどう説明しようかセレナが迷っているとニーナから声がかかった。
「セレ姉さま……」
「どうしたの、ニーナ?」
小声で外に気を使いながらセレナが答える。ニーナはまっすぐ牢の奥へ視線を向けたままだった。
「牢の奥に何かいる」
薄暗い牢屋の中では視界も利き辛い。ニーナが反応できたのは微かな魔力の反応を感知したからであった。
暗がりに慣れ始めた目を凝らせば、牢屋の奥に何かの塊があるのが見える。
「あ、ボルグ」
ニーナの身の内から溢れ出した魔力が風狼のゲイボルグとなって塊を確認しに走った。
ゲイボルグが鼻をすんすん鳴らし、塊を確認し終えたのか駆け戻ってくる。そうしてニーナが得たのは安心感であった。
ゲイボルグが促してくるような仕草に意を決したニーナが塊へと向かう。
その様子を皆が固唾を飲んで見守っていた。
「セレ姉さま」
塊を確認して呼びかけるニーナにセレナが歩み寄る。二人だけには行かせられないとハインリッヒが立ち上がり、続いて子供たちも塊へと近付いた。
そうしてハインリッヒが見たのは――
「デンゼル卿……」
うずくまったまま動かないデンゼルの姿であった。暗がりではあるがひどい傷を負っているのが分かる。
何人かの子供たちはデンゼルの凶行を思い出して距離を置こうとするがセレナとニーナは違った。
ウィルの偽物発言とこの場で傷を負って動けなくなっているデンゼル。何よりゲイボルグが目の前のデンゼルを認めている。
「こっちが本物のデンゼルさんだわ……」
ニーナが確信して、目を細める。
「ひどい怪我……きっと拷問されたんだわ……」
デンゼルの傷に致命傷はなく、全身を痛めつけられたような跡がある。殺されていなかったのは不幸中の幸いだが、酷い状態である。
「うっ……」
デンゼルが微かに呻いて身を震わせる。意識を取り戻しつつあるのかもしれない。
「ニーナ。その傷は私では治せない。ウィルの魔法でなければ……」
「はい、セレ姉さま」
セレナが促すとニーナはセレナと同じように掌に魔力を込めた。
「来たれ空の精霊、戯れの小箱。我が宝を抱け、隔壁の間」
ニーナの前の空間が微かに歪み、そこに手を入れたニーナが小瓶を取り出した。
その小瓶に入っているのはウィルが魔法で生み出したポーションだ。ニーナたちは非常時のためにウィルの生み出したポーションを常備していた。
ニーナがウィル特製のポーションをデンゼルに飲ませるとデンゼルの傷が見る見る回復していく。
だが子供たちの中には未だデンゼルに疑心を持つ者も多く、気を使ったハインリッヒがセレナに語り掛けた。
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ。間違いなくこの方は本物のデンゼルさんだと思います」
「ウィル君も言っていたが……城を襲ったのが偽物だという保証は……」
ハインリッヒたちには分からなくても致し方ないことだ。ウィルの発言がどれほど正確なのかはウィルの事を詳しく知っている者たちにしか分からない。
だがセレナにも確信があった。
そのことをどう伝えようか迷っているとデンゼルがうっすらと目を開けた。
「ハインリッヒ皇子……」
デンゼルがはっきりしない意識でハインリッヒを確認し、無理やり体を起こそうとする。それをニーナが慌てて止めた。
「だめよ、デンゼルさん。傷は治したけど消耗した体力は戻ってないんだから」
小さなニーナに抑えられてデンゼルが困ったように寝かされる。デンゼルの立場としては皇子の前でいつまでも寝ているわけにはいかないのだが。
それでもハインリッヒはデンゼルに無理をさせなかった。
「そのままで。デンゼル卿」
「はい……」
素直に従うデンゼルにハインリッヒが城で起きたこと、現在自分たちが囚われの身であることを説明するとデンゼルは表情を曇らせた。
「そうですか……私の偽物が……」
「セレナたちはそう説明しているが……私も含め、城を襲ったデンゼル卿が偽物だったと確証を得られている者は少ない」
「そうでしょうね……」
信じて欲しいと願うのは確証がない以上、虫のいい話である。
そこに助け舟を出したのはセレナであった。
「デンゼルさん。こんなひどい目にあってもウィルが精霊魔法の使い手であることは喋らなかったんですね……」
その言葉にはハインリッヒたちも驚いてデンゼルが諦めたように笑みを浮かべた。
刺客たちがデンゼルを拷問して何を聞き出そうとしたかは知らないが、幼いウィルが警戒に値するという情報は刺客たちの興味を惹くには十分なはずだ。だが刺客たちはウィルのことを全く警戒していなかった。
「私は約束を守っただけですよ……」
デンゼルはその身を犠牲にしてもウィルの秘密を守り通した。結果、トルキス家からの疑惑を晴らすことに繋がったのだ。
「本当なのか? その……ウィル君が精霊魔法の使い手であるというのは?」
ハインリッヒたちの驚きは無理もない。精霊魔法の使い手というのはそれほど特別な存在なのだ。幼子のウィルがそんな精霊魔法の使い手であると言われて驚かない方が難しい。
そんなハインリッヒたちにセレナが頷いてみせる。
「はい。ですからあの場にいたトルキス家の者たちは皆、デンゼルさんが偽物だと気付いたはずです。デンゼルさんはウィルが優秀な魔法使いであることを知っていましたから」
本物のデンゼルであればウィルを警戒しないのはおかしい、と。
話を聞いてハインリッヒたちはようやく納得してくれたようだ。セレナとしてはウィルが精霊魔法の使い手であることを話してしまったが、デンゼルも知っていることであるし、この非常時だ。デンゼルの潔白を証明するには仕方がないことであった。
それよりも今は今後の動きを考えなければならない。自分たちがここにいる以上、風狼を通じてシローやウィルが居場所を特定してくれる。救出に来てくれた時にすぐに動き出せるようにしておかなければならなかった。
「ハイン兄さまとデンゼルさんはまだ怪我をしているふりをしていてくださいね。動けないと思われていた方が都合がいいので」
囚われの状況でも冷静に振舞うセレナに顔を見合わせたハインリッヒとデンゼルは思わず目を瞬かせてしまうのであった。
ウィルとマリエルがアジャンタに導かれるまま、地面へと緩やかに降下していく。
落ち着いたマリエルには空からの景色という新鮮な体験を堪能するという余裕が生まれていた。一方、ウィルは幼いながらも自らの使命としてマリエルをしっかりと護衛している。
「ちかくにまじゅーはいないみたいー」
ウィルが気配探知の魔法で周辺の様子を探る。上空という目立つ位置にいるウィルたちであったがそれに注意を払う魔獣の反応は見当たらなかった。
その様子にマリエルは感心したようだ。
「ウィルちゃんはすごいわね。杖も使わずに色んな魔法を使いこなすなんて」
ウィルを精霊との契約者だと理解した後であってもマリエルは素直にそう感じていた。
「えへー」
マリエルに褒められたウィルが照れ笑いを浮かべる。だが、ある一点を目にしてウィルの表情が曇った。マリエルの首筋にネックレスを引きちぎられたときにできたと思われる傷があったのだ。
ウィルがマリエルに手を伸ばし、無詠唱の回復魔法でマリベルを癒す。
「ごめんね、まりえるねーさま。うぃるがちゃんとまりえるねーさまのねっくれすをしらべていたらこんなことにはー」
「えっ?」
ウィルの謝罪にマリエルが何のことかと首を傾げる。
そのウィルの謝罪をアジャンタが否定した。
「だめよ、ウィル。以前、古代遺跡の遺物に魔力を流した時にどうなったか、忘れたわけじゃないでしょう?」
「うー」
ウィルは納得していないようだったが。
アジャンタからウィルが古代遺跡の遺物に魔力を流した結果、魔力切れを起こして倒れたのだと聞かされるとマリエルは驚いたように手を口に当てた。
「それは反対されても当然だわ。私も反対よ?」
「うー」
どうもウィルは責任を感じているらしい。しかし魔力切れを起こす危険性のある物への干渉など誰も許してはくれないだろう。
「ほらほら、もう少しで地面に着くわよ」
うーうー唸るウィルをあやしながら、アジャンタが先に地面へと降り立ちウィルとマリエルを迎え入れる。アジャンタの助けを借りて、ウィルとマリエルも難なく地面へと着地した。
「とうちゃーく」
「到着ね」
無事に地面に降りられてウィルとマリエルが笑い合う。
ひとまず安全を確保したアジャンタもそんな二人に当てられて笑みが零れた。
少なくとも、安全なはずであった。
「おー……まさか空から男の子と女の子、精霊までも降ってくるなんてな……」
いきなり声をかけられてウィルとアジャンタが慌てて向き直る。
そこにはフードを目深にかぶった男が一人、立っていた。
危機感を持ったウィルがマリエルを、アジャンタがそのウィルをかばうように位置取った。
「なんだ、おまえはー!」
「なんだと言われても……最初からいたじゃないか? 気付かなかったのか?」
「そ、そんなはずはー……」
自信がなくなったのか、ウィルの声のトーンが下がる。
ウィルは確かに魔力探知を行って周辺の気配を探っていた。そこに引っかかるものがなかったのは事実だ。しかし目の前の人物を見た瞬間、ウィルは理解した。
(この人、気配が……)
ウィルは目の前の人物の気配を探知はしていた。しかしその気配があまりにも静かで見落としていたのだ。まるで岩や木のような自然物を探知した時のような静けさ。その洗練された魔力の流れは存在感が薄いとかいうものでは決してない。
気配に敏感なアジャンタやウィルの身の内にいるシャークティとクローディアも気付けない程の静かな魔力である。
ウィルは幼いながらも本能的に悟った。このローブの男は強い、間違いなく。
悪い感じはしないが接近に気付けないというあまり体験したことのない事態にウィルは珍しく判断に迷ってしまった。
そして、衝いて出た言葉が――
「なにものだー! なをなのれー!」
時代がかった誰何であった。それだけでは終わらず。
「ひとになまえをたずねるときはじぶんからなのれ、ってれんがいってたー!」
レンに言われたことを思い出して混乱に拍車がかかったのか、ウィルが捲し立てて。
「うぃるはうぃるべる・はやま・とるきすです。よんさいです」
「落ち着いて、ウィル」
いきなり自己紹介を始める幼子に、それを落ち着かせようとする精霊。
「はぁ……」
勢いに置いていかれたフードの男は聞かされた単語を反芻して頭痛を覚え始めるのであった。




