月夜に想う
街も寝静まった夜の中、シローは貸し与えられた執務室の椅子に体を預けていた。
「まだ眠らんのか?」
そう問いかけてきたのは脇に立てかけた魔刀から顕現した幻獣である風の一片だ。魔刀の鞘に住み着いた風の精霊アローも宙を漂いながらシローを見下ろしている。
シローは悩ましげに息を吐き、無造作に髪をかき上げた。
シローが何を悩んでいるのか、一片は理解している。急くのが酷な事だということも。しかし、悩んでも仕方の無いことだということも理解していた。
「ここはフィルファリアではない。そしてお主はもうフィルファリアの貴族の一員だ。他国の面子は立てねばならぬ」
「分かっているさ……」
式典の警護は当然ソーキサス帝国が担い、他国の貴族であるシローが口出しすることではない。冒険者の頃のシローであればテンランカーとしての口利きもでき、自由に動けただろうが。今となっては貴族として進言するまでで勝手に行動することはできなかった。
だが、式典が近づくにつれ、シローの中で襲撃の予感は高まっていく。強者としての勘が無事には済まないと警鐘を鳴らしているのだ。
「大事を取って奥方や子供たちは迎賓館で交友を育む手筈になったのだろう? あとは我々が皇帝を守ればよい。なんの問題がある?」
「……フィルファリアの時はこちらの仕掛けに対する強硬手段だった。だが、今回はそうじゃない。相手も万全を期して動いてくる」
行動を起こすということは勝算があるということ。
相手の目的が何であれ、街に出る被害は相当なものだろう。手抜かりを期待するのも虫が良すぎる。
当然、一片も街や国民に被害が出ることを受け入れているわけではなかった。
「ならばレンたちに遊撃してもらう他ないな。奥方たちの護衛はメイドたちに任せきりになるが……」
迎賓館の護衛にフィルファリアの男手を加えることはできない。レンが抜ければ自然とメイドたちの負担は増えてしまう。
「参加する家臣を選別したのが裏目に出たなぁ……」
「それはしょうがないことだ」
これほどの大事になるなどフィルファリアを出立する時に予測するのは難しい。トマソンやジョン、カルツの手を借りるのはやはり無理があった。
「明日に障る。いい加減、寝ろ」
悩み続けて良案が浮かぶ類の問題でもなく。
結局シローは一片に後押しされて執務室を出た。
静かな廊下に淡い月明かりが差し込む。寝室に向かうその足が何かに気付いてピタリと止まった。
「ウィル……?」
先に寝たはずのウィルとレンが廊下に立っており、シローが不思議そうな顔をする。
シローの呟きが耳に届いてウィルとレンはシローに向き直った。
「どうかしたか?」
シローの問いにレンが視線をウィルへと移す。ウィルの表情からは眠気を感じられず、肩を落としているように見える。
「それが……ウィル様が眠れないようで」
「めずらしいな……」
レンの答えに今度はシローが軽く唸った。ウィルの寝つきはいい方で、あまりメイドたちの手を煩わせたことはない。
シローは膝を折って目線をウィルに合わせるとウィルの頭を撫でた。
「どうした、ウィル?」
「あのねー」
ウィルが少し困った様子で言葉を選び、そして答える。
「ちょっとさびしくなりましたー」
「寂しく?」
「ちょっとー」
ウィルたちが旅を始めてから時間が経つ。シローもレンも家が恋しくなったのか、と推測したがどうやら違うようだ。
「くろののこと、おもいだしてー」
ウィルの言うクロノとは時の精霊のことだ。ウィルは一度、精霊魔法研究所で魔力切れを起こした際に夢の中でクロノと会ったという。その後、ウィルは微弱ながらも時属性の魔法を使えるようになっている。
だが、それ以来ウィルがクロノへの想いを語ることはなかった。心の内にはあったのかもしれないが口に出したのは初めてである。
どうしたものかと迷うレンの横でシローは笑みを浮かべるとウィルの手を取った。時属性の話は月属性と同じく伝説的な力だ。あまり人に聞かれていいものではない。
「ウィル、ちょっと月明かりを浴びに行こうか。とってもきれいだぞ」
バルコニーまで出れば人の耳に入ることもない。
シローの提案にウィルはこくんと頷いた。
「とーさま、ろまんちっく」
そんな風に評価するウィルに苦笑いを浮かべたシローはレンも伴ってバルコニーに場所を移した。
シローのことをとやかく言っていたウィルであるがバルコニーに出ると思わず目を輝かせた。バルコニーから臨む夜の街は昼間とは違って静まり返り、街灯に照らされて淡く輝いている。夜空には月と散りばめられた星々が輝き、ウィルの目を楽しませた。
「おおー!」
「ウィル、しー」
思わず声を上げるウィルにシローが人差し指を唇に当てる。さすがに大きな声を出していい時間ではなく、理解したウィルが慌てて口を押えた。
「それで、ウィル。どうしてクロノ様のことを思い出しちゃったんだ?」
思い出すにしても唐突過ぎる。何かわけがありそうだが。
そう思ってシローが問いかけるとウィルは少し迷ってから告げた。
「えっとね、まりえるねーさまがねっくれすつけてたのー」
シローもレンもウィルがうっかり魔力の反応を見てマリエルの身に着けていたネックレスを見つけてしまったと報告を受けていた。飛び出したレヴィに気を取られていなければウィルが魔力を目で見て判断できることが早々にばれていたかもしれない。
そんなウィルだがネックレスについて言及してしまったのにはウィルなりの訳があった。
「まりえるねーさまのねっくれす、こだいいせきとおんなじだったのー」
つまり、ネックレスに流れる魔力は時属性の魔力であったのだ。そしてそれを見たウィルはクロノのことを思い出してしまった、と。
ウィルの話を聞いたシローは小さく唸って考えを巡らせた。
実のところ、古代遺跡というのはいろんな国に点在しており、ソーキサス帝国で古代遺跡の出土品が出回っていてもおかしな話ではない。だが、その価値はどの国においても希少であり、魔道具でなくとも研究の対象とされている。一国の皇女であっても身に着けているのはおかしな話だ。ソーキサス帝国が古代遺跡の出土品と認識していない可能性もある。
「ウィル、ネックレスは魔道具だったわけじゃないよな?」
「それならうぃるがとめてるー」
少なくともウィルの目からもネックレスは危険な代物ではないと判断していたらしい。
「うぃるがさわればわかるかもしれないけどー……」
そう自信なさげに呟いたウィルがレンを見上げる。以前、古代遺跡の魔力に触れたウィルは魔力切れを起こしており、それを目の前で見ていたレンの反応は火を見るより明らかであった。
「だめですよ、ウィル様。クロノ様にも怒られたと申していたではありませんか」
「だよねー」
ウィルも重々承知の上で、もしウィルが好奇心に駆られたとしてもウィルと契約をしたアジャンタたちが反対したはずだ。
「うぃる、がまんしたよー?」
「えらい、えらい」
堪えてみせたウィルをシローが素直に褒め称える。
おそらく我慢したからこそ、余計にクロノが恋しくなったのだろう。
「ネックレスの件は父さんがそれとなく皇帝に伝えておくよ」
皇帝は式典を無事に終えるために注力しており、すぐに報告することはできないが式典が終われば時間も取れる。
「わかったー」
シローが提案するとウィルは快く頷いてくれた。少しはウィルの気も晴れたようだ。
「ウィル。なにか気付いたことがあったらまた父さんに教えてくれな」
「りょーかい!」
シローに頼られたと理解したウィルは思わず声を上げ、また慌てて口を手で塞ぐのであった。




