皇妃シャナル
本来であれば貴族は優先的に街への門を通される。だが、シローたちは門の前の駐機場で少し時間を潰すことになった。
同行している商隊を分離する必要があり、加えて彼らが魔獣に襲撃されたことを門番へ申し送りする為だ。
解決したとはいえ魔獣の襲撃の報告は急務であり、冒険者ギルドや商工ギルドへの報告は彼らに任せる事になる。その事を門番へ伝えて彼らの検閲を優先的に進めてもらわなければならない。
「畏まりました」
対応した番兵がシローやデンゼルの前で敬礼する。
デンゼルはひとつ頷くと視線を駐機場へと向けた。駐機場には多くの商人や冒険者が列をなしている。
「どうやらかなりの人間が帝都に訪れているようだな」
デンゼルの目から見ても訪問者の数が多いらしく、その事を指摘された番兵は苦笑いを浮かべた。
「はっ。どうやら、フィルファリアからの親善訪問がどこからか伝わったらしく……」
数日前からこのような状況だという。
シローたちも特にお忍びで来訪したわけではないので、どこからか話が広まって人が集まったとしても不思議ではない。商人ならば稼ぎ時と判断する者もいるだろう。
「とーさまー」
シローがデンゼルたちと談笑しているとウィルから声がかかった。シローが向き直ると駆けてくるウィルの後ろにセレナとニーナ、レンもいる。
シローの下まで駆け寄ったウィルがそのまま足にしがみ付いた。
「ウィル、挨拶してきたか?」
ウィルたちはレンに付き添われ、商隊の子供たちへ別れの挨拶を言いに行っていたのである。
シローの質問に顔を上げたウィルが少し口を尖らせた。
「ばいばいしてきたけどー……」
「…………?」
不満そうなウィルにシローが首を傾げる。理由はすぐに分かった。
「せっかくなかよくなったのに、おわかれはさみしーです」
しょうがない事とはいえ、ウィルの心は別れの寂しさでいっぱいなのだ。心優しいウィルのことだ。わずかな期間とはいえ、共に旅をして情が移ってしまったのだろう。
シローが宥めるようにウィルの頭を撫でた。
「旅とはそういうものだよ。だから、出会いは大切にしないとな」
「むぅ……」
唸るウィルを見ても大人たちが何かをいう事はない。ウィルが感じている事を理解できるし、シローと同意見であるからだ。
しかし――
「なっとくはできませんな!」
正直に答えるウィルに大人たちが思わず苦笑する。言っている事は分かる。だが納得はできない。実に子供らしい反応であった。
そんなシローとウィルのやり取りは一般の貴族の親子像とはかけ離れており、見る者を和ませる。
「ほら、もうすぐ街の中へ入るよ。馬車で待ってなさい」
「むぅむぅ」
シローに促され、レンに連れられたウィルは頬を膨らませたまま、姉たちと一緒に馬車へと戻っていった。
帝都の門を潜ると街の中は大きな賑わいを見せていた。
行き交う人々が足を止め、先導する部隊の掲げる旗に気付いて歓声を上げる。それが呼び水となり、多くの人が街道に並んでトルキス家の馬車を見送った。
「こんなに歓迎してもらえるなんて……」
人々の反応が意外だったのか、セレナが感嘆の息を漏らす。
先の戦争を思えば当然歓迎されないことも考えられた。しかし、多くの人はフィルファリア王国からの来訪を好意的に受け取っているように見える。
全ての住人が歓迎しているわけではないかもしれないが、セレナを驚かせるには十分だった。
「それだけ前皇帝が圧政を強いていた、ということかもしれないね」
帝国の民たちは元より戦争など望んではいなかった。そうでなければ内戦から新皇帝の即位まで順調に事が運んだりしなかっただろう。十数年という月日で両国のわだかまりが解けることも考えづらい。
セシリアもシローに同意して付け加えた。
「シャナルお従姉様の力添えも大きいのではないかしら」
普通に考えれば、戦争終結後すぐに敵国の皇帝に嫁いだシャナルに苦労がないはずがない。しかし、彼女の振る舞いが両国の関係の修復を加速させた可能性はある。
それがどれ程難しいことか――
「すごい人ですね……」
行動力があって優秀な人物――セレナが思い浮かべたのはそんな女性像だった。
そんな女性が年端もいかないウィルに会ってみたいという。いったいどういう経緯でそう思い至ったのであろうか。
セレナがそんな風に考えながら弟のウィルに視線を向けると、ウィルは窓の外に手を振っていた。見送る者の中には手を振るウィルに気付いて振り返してくれる者もいる。
「よかったわね、ウィル」
「とってもまんぞく!」
ニーナに頭を撫でられ、ウィルはホクホクとした笑みを浮かべた。それから手を振り上げ、シローたちに熱弁する。
「うぃるはここのひとたちともなかよしになりたいです!」
「そうだな」
ウィルの言葉にシローが満足げに頷く。
「もしソーキサスと同盟が結べれば、一般の人たちももっと自由に両国を行き来できる。そうなれば経済も潤って豊かになる人も増えるはずだ」
そして同盟国となったソーキサス帝国がウィルの有用性を理解し、保護に協力してくれるのであればこれほど心強い事はない。
「みんなしあわせになれるー?」
「ああ、みんな幸せになれるよ」
「じゃー、うぃるもがんばるー」
喜んで協力を申し出るウィル。ウィルは何をすればいいのか理解しているのだろうか。
「うぃる、なにしよっかー?」
「できる事があったらお願いするよ」
当然のように何をしていいか分からないウィルの頭をシローは優しく撫でるのであった。
馬車は中央の大通りを抜け、東側にそびえる城の南寄りの脇まで進んだ。そこに帝都の迎賓館がある。
「おっきー!」
「立派ね!」
門を潜り、馬車を降りたウィルとニーナが豪華な建物を見上げて口を開ける。王都の迎賓館に負けず劣らずの素晴らしい建物だ。
脇を固める兵士に加え、多くの執事やメイドが綺麗に並んでウィルたちを出迎えた。
「「「ようこそ、帝都アンデルシアへ」」」
一糸乱れずお辞儀する使用人たち。その整然たる姿にウィルが感嘆の声を上げる。
代表して中年の執事がシローたちの前に進み出た。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
執事に促されたシローたちが後に続き、さらにその後ろをトルキス家のメイドたちが手荷物を持って続く。
そのまま部屋に案内してくれる手筈であったが、シローたちの到着を聞いて出迎えてくれたのは使用人たちだけではなかった。
「長旅、お疲れ様でしたな」
シローに声をかけてきたのは立派な髭を蓄えた肩幅の広い男であった。背は高くはないが太っているわけではなく、しっかりとした筋骨が貴族然とした衣装を押し上げている。
彼の後ろには綺麗に髪を束ねた小柄な女性が控えており、笑顔で男を窘めた。
「あなた、お声が大きいですわよ。子供たちがびっくりしてしまいます」
「いや、つい……」
勢い余った男が頭を掻いて、女性とシローたちに向かって照れ笑いを浮かべる。
子供たちはそんな大人たちを見てポカンと口を開けた。男の大きな声に驚いたのではなく、女性の放った一言であった。
女性の外見はセレナより少し年上くらいに見えるような童顔。しかし、二人のやり取りから二人が夫婦であることが子供たちにも想像できた。
「おわかい……」
思わず零れたウィルの感想に女性が嬉しそうに頬を緩める。
「あら、ありがとう。お世辞がとってもお上手ね」
頭を撫でてくれる女性にウィルは困ってしまった。なぜなら見たままだったからである。
そんなウィルたちの反応を楽しむように女性がウィルから離れた。
「でも、私はきっとあなたたちのお父様やお母様より年上よ?」
更なる衝撃。
固まってしまう子供たちに今度は男の方が顎髭を摩りながら豪快に笑った。
「わっはっは! ドワーフの女性に会うのは初めてかな?」
「どわーふ……」
ソーキサス帝国よりさらに東にあるドヴェルグ王国。そこでは多くのドワーフが人間たちと共存している。
ドワーフは人間よりも寿命が長く、また背が低い傾向にある。男性は頑強な体躯に立派な髭を蓄え、女性は健康的ながら年若い。故に女性のドワーフは実年齢より幼く見られることが多々あった。
「遅れましたな。私、ドヴェルグ王国大使の一人、オリヴェノ・サーストンと申します」
シローに向き直った男が大きな手をシローに差し出す。それに応えるようにシローも笑みを浮かべて手を握り返した。
「初めまして。フィルファリア王国外交官シロー・ハヤマ・トルキスと申します」
「『飛竜墜とし』の噂はよく存じております」
オリヴェノもシローの冒険者時代の二つ名を知っているようで、シローたちとの出会いを素直に喜んでいた。
その様子を見守っていた中年の執事が頃合いを見計らって間に入る。
「オリヴェノ様、トルキス家の皆様は長旅でお疲れでしょう。積もる話は後日にして、今はご自重なされませ」
「おお、そうでしたな。これは私としたことが……」
執事の心遣いにオリヴェノも納得したように頭を掻いた。話に花が咲いてはシローたちを長く拘束することになってしまう。
身を引くオリヴェノに安堵した執事が気を取り直してシローたちの案内を再開しようとする。
「セシリア!」
そこに今度は女性から声がかかり、向き直った執事が仰天した。
執事だけではなく、声をかけられたセシリアも驚きのあまり手を口に当てる。
「シャナル従姉様!?」
彼らが見たものは女中を引き連れて駆けてくるシャナルの姿であった。否、女中を振り切って駆けてくる、と表現した方が正しいか。
「皇妃様! どうしてこちらに!?」
「セシリアたちが到着したと聞いてね、居ても立ってもいられず……」
慌てる執事にシャナルが照れ笑いを浮かべる。ようやく追いついてきた女中たちが肩で息をしているのを見るに、相当急いできたようだ。しかしシャナルの方は大した疲れを見せていない。
執事への返答もそこそこにシャナルがセシリアの手を取った。
「元気そうね、セシリア」
「シャナル従姉様もお変わりなく……」
苦笑いを浮かべるセシリアであったが、シャナルは満足そうな笑みを浮かべると視線をシローへ向けた。
「この人が噂の『飛竜墜とし』ね。旦那様と認めさせるのに随分無茶をしたって聞いたわよ?」
「そ、それは……」
シローとセシリアの結婚が他国でも話題になっていたと聞いてセシリアの頬が赤く染まる。一方、シローも困った笑みを浮かべてしまった。
そんな二人の反応を見て夫婦仲の良さを感じ取ったシャナルが目を細める。
「これからもセシリアのこと、大事にしてあげてね」
「それはもちろん」
シャナルの離れて暮らすセシリアへの気遣いを感じたシローが快く応えた。
シローの返事に満足したシャナルが手を離し、今度は子供たちの前に立つ。子供たちを見回すシャナルの視線は嬉しそうでもあり、楽しそうでもある。
「あなたたちがセシリアの子供たちね」
「は、はい!」
勢いに気圧されて呆気に取られていたセレナが背を正し、ニーナとウィルを前に出した。
「お初にお目にかかります、シャナル皇妃様。私がセシリアの長女、セレナと申します。こちらが妹のニーナと弟のウィルベルです」
堂に入った礼を披露するセレナとそれに倣って礼をする弟妹を見てシャナルが目を瞬かせる。
シャナルから見てもその姿は愛らしくも驚嘆に値するものだ。
「優秀なのね。でも、私はあなたの母とは仲の良い従姉妹よ? もっと砕けた感じでいいわ」
「そ、そうは参りません。皇妃様……」
いくら身内であろうともシャナルは皇妃であり、分別のある者が砕けた態度で接していい身分ではない。
困惑するセレナとそれを面白がるシャナルは傍から見ていても困ったものであった。
「セレナは小さい頃のセシリアにそっくりね」
ひとしきりからかって満足したのか、シャナルが子供たちから一歩下がる。その視線がポカンと見上げるウィルと合ってシャナルが笑みを浮かべた。
「トルキス家の皆さん、長旅ご苦労様でした」
視線をシローとセシリアに戻したシャナルが今度は凛とした態度を示す。
高貴な雰囲気を漂わす急な変わり身にシローとセシリアが背筋を伸ばした。おそらくだが、今見せている姿こそ皇妃としてのシャナルなのだろう。
「まずは旅の疲れをゆっくり癒し、後日改めて語らい合いましょう」
「はっ」
シャナルの労いに一家を代表したシローが敬礼を返す。
シャナルは一つ頷いて優し気な笑みを浮かべるとくるりと踵を返した。
「さぁ、お城に戻るわよ! 勝手に出てきちゃったからね!」
「そうお思いになられるならもう少し考えてから行動してくださいまし!」
来た時と同じ速度で帰っていくシャナルに苦言を呈しながら女中が後を追う。
その姿が見えなくなるまでシローたちは呆気に取られたまま見送った。
「なんだか安心したような……シャナル従姉様、全然変わっていないわ」
安堵なのか嘆息なのか、複雑な息を吐くセシリア。
その後ろで豪快に笑ったのはオリヴェノであった。
「相変わらずですなぁ、シャナル皇妃」
シャナルの変わり身っぷりは他国の大使も知るところであるらしい。
そんなシャナルの去った後をじっと見つめたままのウィルの頭をシローが撫でた。
「ウィル、シャナル皇妃様はどうだった?」
どうかと問われれば答えに窮してしまう者も多い。
だがウィルはまだまだお子様で思ったことははっきり言う。さらには普通の人間が感じ取れない魔力を感知することも可能だ。
そんなウィルがシャナルをどう評価するのか、シローの純粋な興味であった。
「んー……?」
しばし考え込んで言葉を選んだウィルがシローを見上げる。
「とってもあったかい!」
それがウィルの感じたシャナルの第一印象。ウィルの様子からはシャナルを警戒する様子は微塵も感じられない。これはウィルや精霊たちの評価が信頼に寄っている証だ。
「そっか、暖かいか」
「そー!」
ウィルの評価はウィルの能力を知らない者が聞いても微笑ましいものだ。
ウィルはこくこく頷くともう一つ付け足した。
「おーおじさまにそっくりー」
それがフィルファリア王国先王ワグナーのことであり、シャナルの父であることをこの場の誰もが知っている。
小さなウィルに似た者親子だと評されて、大人たちは失礼に当たらないよう笑いを嚙み殺すのであった。




