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旅を控えて

「ソーキサス帝国ですか?」

「さよう……」


 奥まった日の光も差さぬ一室。魔道具の光の下、膝をついたハンスの前には台座に飾られた水晶と、その脇に豪奢なローブを身にまとった仮面の男が立っていた。

 声を発した仮面の男が小さくため息を吐く。


「彼の地を任せている大司教が我らの思想から逸れた動きを見せているとの報告がある。そこでお主を呼んだのだ」

「…………」


 黙って聞いていたハンスの頭上で水晶の光が怪しく揺らめいた。

 それに気付いた仮面の男がハンスと同じように膝をつく。


『彼の地の大司教はその土地と縁深き者……世俗の欲に抗えなかったと見える……』


 ゆらりゆらり。発せられた声に合わせて水晶の光が怪しく揺れる。

 仮面の男もハンスもその声により深く頭を下げた。


「おお、神よ……我が判断が甘かったばかりに無用な心配をおかけして申し訳ございません」

『よい……その判断を承認したのは私だ。それに、彼の者の土地勘を頼る判断は間違えてはいないのだから』

「身に余る、寛容なお言葉……ありがたき幸せにございます」

『だが、このままではいかん。我らの目的は政の表に立つことではないゆえに』

「重々、心得ております」

『頼んだぞ……教皇、新たな枢機卿よ……』


 水晶の光が収まるのを感じ、仮面の男とハンスが顔を上げる。

 仮面の男は立ち上がるとハンスに視線を向けた。


「大司教の方はこちらで予め手を打ってある。だが、我らの真の目的はそなたに達成してもらわねばならぬだろう」

「はっ。すぐにソーキサス帝国に向かいます」

「現場での判断は任せる。期待しておるぞ、ハンス」

「お任せください」


 一礼して去り行くハンスの背を仮面の男は目を細めて送り出すのであった。



▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽



「どぉおー? みてみて~」


 リビングに駆け込んできたウィルは旅の装いに身を包んでいた。

 今日はウィルの友達を呼んで魔法の練習をする事になっていて、ウィルが旅装をみんなに見せたがったのだ。

 着替えが終わるのを待っていたティファ、ラテリア、モンティスの三人はウィルの姿を見て感嘆の声を上げた。


「よくおにあいですわ、うぃるさま!」

「うぃる……よくにあってる」

「かっこいいよ、うぃる」

「いやぁ~」


 三人に褒められたウィルがくねくねしながら頭を掻く。照れているのだ。その様子に使用人たちからも笑みがこぼれる。

 こうして見ているととても平和な子供たちなのだが。


「うぃるさま、わたしとれんしゅーしましょー」

「うぃる……こっち」


 同時にウィルの両手を掴んだティファとラテリアの動きが止まる。視線を合わせた双方の間に暗雲が立ち込め、稲妻が走り、ウサギさんとリスさんが――


「はいはい、みんなで仲良く魔法の練習をしようね」

「「ご、ごめんなさい」」


 居合わせたニーナが間に入り、ティファとラテリアの手を取った。我に返ったふたりはすぐに謝って、ニーナに促されるまま庭へと向かう。

 そんな姉たちの後ろ姿を見ていたウィルは緊張が解けたようにため息を吐いた。


「もー、ふたりはすぐけんかするー」

「気持ちも分からなくはないですが」


 レンが笑みを浮かべてウィルの頭を撫でる。ティファとラテリアが喧嘩をするのはウィルを取り合っているからで、傍から見れば気付かない者はいない。

 しかし、ウィルはモンティスに向き直って、真剣な顔つきでお願いをしていた。


「もんちゃん、うぃるがいないあいだ、ふたりをよろしくね?」

「だいじょーぶだよ、うぃる。うぃるがいないときはふたりとも、なかよしだもん」

「じゃー、あんしんだねー」

(ウィル……)

(((ウィル様……)))


 安心できる要素を何一つ見出せないセレナと使用人たちが思わず苦笑いを浮かべる。

 どうやらウィルは自分が争いの元になっている事に全く気付いていないらしい。

 ウィルが全幅の信頼を寄せているモンティスも同じようなもので、ふたりは訳の分からない得心をしていた。

 ウィルたちが女の子の感情を理解するのはもう少し時間がかかりそうである。


「さぁさ、ウィル様。着替えてくださいませ」

「はーい」


 旅装をお披露目できて十分満足したのか、ウィルがエリスに従って退場する。

 残されたモンティスはレンに従い、セレナと一緒に庭へ移動した。


「うぃる、どれくらいでかえってくるー?」

「およそ、ひと月ほどですね」


 見上げてくるモンティスにレンが答えると、今度はセレナが不思議そうな表情を浮かべた。


「短くないですか?」


 セレナの言う事は正しい。普通の旅路を行けば王都レティスからソーキサスの帝都まで片道でひと月近くかかる。往復するわけなので、当然ひと月で帰ってくるなど不可能だ。

 これはセレナが正しく学んでいるから出た発言で、レンも理解しているからこそ嬉しそうな笑みを浮かべてセレナの頭を撫でた。


「さすがです、セレナ様。セレナ様のおっしゃる通り、普通の旅路を行けばひと月で往復するなどとてもできません。ですが、カルツがいれば可能なのです」

「カルツ様……?」


 カルツは今回のソーキサス訪問が決まった際、トルキス家の先行部隊と一緒に王都を出ていた。彼の得意な属性を考えれば、セレナも自然と答えに辿り着く。


「空属性の魔法……ひょっとして、空間転移ですか?」

「ご名答です、セレナ様」


 レンはあっさり認めて、その代わり口の前で人差し指を立てた。珍しい魔法なのであまり言い触らしていいモノでもない、という事なのだろう。


「カルツたちは王様の勅旨を携えてフンボルト辺境伯領に向かっています」

「フンボルト辺境伯領……」


 セレナが小さく反芻する。フンボルト辺境伯領はソーキサス帝国と国境を接していて先の戦争の話をすれば必ず出てくる。成績優秀なセレナが知らない筈がない。


「長距離の空間転移を行うには一度訪れて座標を設定しなければなりません。二ヵ所の地点に出入り口を設置することで初めて使用可能なのです」

「座標を設定するのに王様の勅旨が必要なんですか?」


 セレナの疑問にレンは頷いて返した。


「転移魔法は防犯上、脅威に思われがちです。特に今回は国家間の親善訪問になりますので人や物を大量に移動します。なんの報告もなしにそんな事をしては相手側から要らぬ疑いをかけられる恐れもあります。それならいっそのこと王命にしてしまえ、というのが王様のご判断のようです」


 王様の勅旨であれば、辺境伯も協力を惜しまない。

 そもそもウィルの負担を軽減するための転移魔法なのでアルベルト国王が命令を出し渋る事はないのである。


「本来であれば、貴族は旅の途中でお金を使い、その土地の民衆を潤さねばならないのですが……今回は例外ですね」

「はは……」


 レンの説明を聞きながら。王国貴族の決まりに例外を作ってしまう弟に苦笑いを浮かべずにいられないセレナであった。



 その日の夜――

 夕食を終えたトルキス家の人々はリビングに集まっていた。


「みんな、お疲れ様。今日、転移魔法の準備をしていたカルツが仕事を終えて戻ってきた。出発準備も数日で整うそうだ」


 シローがそう告げると使用人たちの表情が引き締まる。


「ずいぶん早かったですね」


 準備にはもう少しかかる予定であった。そのことをレンが指摘するとシローは笑みを浮かべた。


「新しく雇い入れた家臣たちが優秀だったのさ」


 カルツと共に行動していたのはモーガンの率いる【大地の巨兵】とガスパルの率いる【火道の車輪】だ。どちらも冒険者としてかなりの実績を積んでおり、モーガンたちは旅路の護衛を得意とし、ガスパルたちは旅路の輸送を得意としている。先のフラベルジュの救援活動も彼らは共に行動していた。

 旅慣れた彼らにカルツを加えたら行き道の短縮など楽であっただろう。


「あと、フンボルト辺境伯様の耳にも王都の噂は届いていたらしくてね。精力的に動いてくれたようだ」


 シローがそう言って、今度は苦笑いを浮かべてウィルに視線を向けた。噂の内容をなんとなく察したセシリアや使用人たちも同じような苦笑いを浮かべてウィルを見る。


「…………?」


 その噂の張本人であるウィルは全く気付いてないようであったが。


「出発は来週になる。トマソンさん、ジョンさん、留守は頼みます」

「畏まりました、旦那様」


 シローの言葉にトマソンが礼で応える。それを見ていたウィルが眉根を寄せてシローを見上げた。


「とーさま、じぃやとじょんおじさんはおるすばんー?」

「そうだよ」


 シローが答えるとウィルは不満だったのか頬を膨らませた。


「うぃる、じぃやとじょんおじさんともおでかけしたかったなー」

「すまんなぁ、王子」

「申し訳ございません、ウィル様。爺めもご一緒したいのはやまやまなんですが……」

「むぅ……」


 ウィルを宥めるようにジョンとトマソンが交互に謝る。

 安全に配慮すれば二人がいた方が当然心強い。しかし、そうできない訳があった。

 二人の二つ名【フィルファリアの雷光】と【フィルファリアの赤い牙】は十数年前に起きたソーキサス帝国との戦争の褒美の一つとして下賜されたものであった。そして、ふたりはその戦争の論功行賞において特級戦功を授与されている。つまり、ソーキサス帝国の脅威であったのだ。

 戦争は終結したとはいえ、そんな二人が同盟締結前のソーキサス帝国に入れば余計な軋轢を生む可能性がある。その為、トマソンとジョンは今回の親善訪問を前もって辞退していた。


「むぅむぅ……」

「ほら、ウィル」


 シローがウィルを抱き上げて、頭を優しく撫でる。

 ウィルもなんとなく理解は示しつつも、納得はできないらしく口を尖らせて抗議の声を上げている。


「代わりといっては何だけど、みんなでお出かけしよう」

「おでかけー?」


 興味を示したウィルにシローが笑みを浮かべて続けた。


「ああ。レクス様のお誘いで、ソーキサス帝国に出発する前に一度みんなで精霊の庭へ来るように言われたからね」

「ほぅほぅ。とーさまもやりますな」

「それはどこから目線なんだ、ウィル……」


 偉ぶって腕組みするウィル。シローの笑みが苦笑いに変わるのも仕方ない事であった。

 気を取り直したシローがセシリアや子供たち、使用人たちを順に見回す。


「そういう訳だから、お弁当を持って全員で精霊の庭にお出かけです」

「分かりました。たくさんお弁当を用意しておきますね」


 シローの提案に隣で聞いていたセシリアが快く頷いて。ウィルを始め、セレナやニーナも期待に表情を綻ばせ、それを見た使用人たちも笑みを浮かべた。


「ソーキサス帝国親善訪問前の最後の息抜きです。みんなで楽しみましょう」

「「「はい」」」


 家族会議はそのまま団欒へと移行し――

 貴族になってもどこかアットホームなトルキス家なのであった。


【人物】

ハンス……王都レティスの魔獣騒ぎの黒幕だった白いローブの男。


モーガン……ウィルやセレナにゴーレム生成やクレイマン生成を伝授した【大地の巨兵】のリーダー。

ガスパル……ウィルにこっぴどくやられて以降、心を入れ替えた冒険者パーティ【火道の車輪】のリーダー。

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― 新着の感想 ―
[一言] ウィルらしさがよく出てますね。 このまま、女の子の気持ちに疎いウィルていてほしい。 なにやら不穏な気配がします。 この先がドキドキです。
[一言] ウィル君は呑気だねぇ(笑)
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