不穏
キョウ国風茶店『夢心地』――
王都レティスに本店を構えるその店はキョウ国出身の店主がある人物の出資を得て一代で築き上げた。良心的な価格で異国の菓子を堪能できるとあって貴族だけではなく、幅広い層から人気を集め、今や近隣諸国の大きな街に支店を構えるほどになっている。
西方のフィルファリア王国から東方のキョウ国までは遥か遠く、その食文化を知っている者など殆どいないが、出資を行った人物の一声により先代公爵の知るところとなり、フィルファリア王国内に広まったのは有名な話である。
そんな茶店の暖簾をくぐり、メイドが一人、店内へ足を踏み入れた。
メイドに気付いた女性が顔を上げ、相好を崩す。
「あら、マイナちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、女将さん」
マイナを出迎えてくれたのは店主の夫人であった。前掛けで手を拭き、小走りにマイナへ歩み寄る。
「今日はどうしたの?」
「店長に会う約束をしてたんですけど……」
どうやらマイナの目当ての人物の姿は見えない。マイナの横で夫人が呆れたような顔をした。
「あの人ならちょっと用があるとか言って店を出ていったわ。すぐに戻ると思うけど……マイナちゃんとの約束、忘れてるのね」
「あはは……」
ついつい苦笑いを浮かべてしまうマイナ。マイナは勧められるまま奥の個室へ案内された。
「ごめんなさいね、マイナちゃん。お茶を出すから少しのんびりしていてくれるかしら?」
「分かりました」
マイナが頷くと夫人は一度退席してお茶と菓子を用意してくれた。
しばらくそれらに舌鼓を打っていると店の方が僅かに騒がしくなった。
「お前さん、マイナちゃんとの約束忘れてたでしょ! 奥で待ってるわよ!」
「いけね、こいつはうっかりだ」
責めるような口調の夫人に対して調子の良い男の声が返ってくる。それからバタバタと足音が近づいてきて、戸を叩く音が響いた。
「マイナちゃん、いいかい?」
「どうぞ、ハッチさん」
マイナの返事を待って戸が開き、人の良さそうな男が顔を出す。
男は困ったような恥ずかしそうな表情を浮かべて腰を低くしながら部屋に入ってきた。
「失敬失敬。ちょっと立て込んでてね……」
「構いませんよ。ハッチさんもお忙しい身ですから」
「だめよ、マイナちゃん。甘やかしちゃ」
遅れて入ってきた夫人がハッチと呼ばれた男の前にもお茶と菓子を用意して、ついでに男の頭を小突いて部屋を出ていった。
「やれやれ……すぐ頭を小突くんだから」
肩を竦めるハッチにマイナがくすりと笑う。しかし、緩んだ空気はそこまでだった。
「ハッチさん」
「頼まれていた件だね」
ハッチは懐から封書を取り出すとテーブルに置き、マイナの前に差し出した。
封書にはこの店の封蝋印が押されている。内容はハッチがまとめたソーキサス帝国の内情だ。
ハッチはその商人としての才覚を利用し、市井の中で幅広い情報網を確立している。そこには時として国が見落としてしまうような情報も含まれており、フィルファリア王国の情報機関である御庭番も一目置いているほどだ。
「マイナちゃんも行くのかい?」
「はい。今回は人手も入用ですからね」
「そうか。なんにせよ、気を引き締めて行くことだ」
茶を啜るハッチに対してマイナの表情が微かに引き締まる。
「危険……という事ですか?」
「フィルファリア王国よりかはそうだろうね」
一息吐いたハッチがソーキサスの簡易地図をテーブルに置く。国が発行する詳細地図もあるにはあるが、国外への持ち出しは原則禁止されている。なので冒険者や商人は簡易的な地方地図に各々手書きしたり、張り合わせて使っている。そんな中、個人の商会として他国の流通網もしっかり構築しているハッチの地図は詳細地図に引けを取らない。
「ソーキサス帝国は新皇帝が即位してから民衆の生活向上に力を注いでいる。新しく取り立てられた貴族も皇帝の意向を理解し、自分の領地の発展に尽力しているようだ」
「なら問題ないのでは?」
「急な変革というのは時として治安の悪化も招く。多くの交戦派貴族が失脚したとはいえ、そういった貴族たちの中には家の再興に尽力するものもいれば、賊に身を落とす者もいる。多くの者をふるいにかけた先の戦いで人材不足に陥っているソーキサス帝国には治安に回す人手が足りていない」
「冒険者に依頼してないのですか?」
「してるだろうけどね。でも、どれだけの冒険者が賊を捕られるかという話だ。ただでさえ盗賊の討伐依頼は高ランク依頼だ」
誰でも気軽に受けられる依頼ではないのだ。それに冒険者たち自身の生活もある。一定の冒険者であれば魔獣の討伐やダンジョンの出入りで十分な収入を確保でき、無理をして盗賊の討伐に乘り出すこともない。
「変革や先の戦いの後始末でソーキサス帝国に金がない、というのも一つの要因ではあるかな」
直接冒険者へ依頼する指名依頼を出すことも可能だが、当然依頼料は従来の相場を上回る。ようするに高ランク依頼を出す側のソーキサス帝国が依頼報酬を上乗せできるほど金銭的に余裕がないという事だ。
結局、ソーキサス帝国は自国の力だけで治安悪化を食い止めなければならず、冒険者の力を借りる効果は限定的な範囲に留まっている。
「ただ、数年の苦労の甲斐あって、この手の問題は主に地方の小さな村の周辺で起こっているようだ。帝国軍をどうにかできる程の戦力を賊も持ち合わせていないという事だろう」
昔に比べれば賊の規模は小さくなっている、とハッチは言う。
「詳細は封書の資料にもまとめてあるが、気を抜かないに越したことはないね。ソーキサス側も客人を招く以上、しっかりと護衛を配してくるだろうけど」
「はぁ……大変な旅になりそう」
先の苦労を思い描いて頭を抱えるマイナにハッチも苦笑を浮かべるしかなかった。
一通り情報交換を終えたマイナが席を立つ。ハッチと共に個室を出ると夫人が土産を包んでくれた。
「いつもすいません」
「いいのよ。主人に出資してくれたシロー様の為だもの」
「みんな、いつも喜んで食べてますよ」
用があって訪れるといつもこうしてシローたちの分だけではなく使用人たちの分まで用意してくれるのだ。おかげで帰りは美味しいモノで手いっぱいだ。
「はい、またいらしてね」
「ありがとうございます。また来ます」
マイナは両手で土産を受け取ってハッチ夫婦に頭を下げるとそのまま帰路についた。
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ソーキサス帝国領内――
始まりは些細な出来事であった。
男は旅先の村人たちに懇願された。周辺の村で暴れまわる盗賊団を討伐して欲しい、と。
盗賊団の存在は昔から知れ渡ってはいたが、その活動が活発化したのは最近の事であるらしい。
目的はあれど先を急ぐ旅でもない、と男は村人の依頼を快く引き受けたのであったが――
「おい……」
魔獣に盗賊、討ち捨てられたそれらの真ん中で男は首を掴んで宙吊りにした盗賊に質問を投げかけた。空いた手で筒状の魔道具を突き付ける。
「こいつは何だ? なぜ、お前たちはこの土地にいない魔獣を使役している?」
「ば、ばけもの……」
たった一人で二十を超える盗賊団と高ランクの魔獣を倒してしまった男への素直な感想である。
圧倒的な実力差に身を震わせる盗賊を男は乱雑に投げ捨てた。
「ひぃ……」
「もう一度聞く。こいつは何だ?」
「し、知らねぇ……見たこともねぇ白いローブの男に貰ったんだ。魔獣を召喚できる筒だと……それがあれば思うがままだと……盗賊団に配って回っていると言っていた……」
「ふん……」
どうやら盗賊団の活性化にはそのローブの男が関わっているらしい。どうも一個人の思惑ではないような気がする。
嫌な予感を覚えて男は深々と嘆息した。
「そいつは今どこにいる?」
「し、知らねぇ……ほんとに知らねぇんだ……」
怯えた様子で知らないと繰り返す盗賊。それを呆れた様子で見降ろしていた男はその意識を適当な所作で刈り取った。
「やれやれ……また変な事に巻き込まれてるんじゃないだろうな……」
男が頭をガシガシ搔きむしって見上げた曇天は、まるで不穏な空気を暗示するかのようであった。




