海竜ユルンガル
「うぃるもあたらしーまほー、おぼえたいなー」
『新しい魔法?』
「そー」
ウィルがいきなりそんな事を言い出したのでネルは首を傾げた。
ウィルが魔法を見て覚えてしまうのはウィルと親交のある精霊たちなら誰もが知っている。なので、それが魔法を見たいというウィルの催促だと精霊たちはすぐに理解した。
『そうは言われましても……』
先んじて色々と見せてしまったネルからすれば、トルキス家の人間に気を遣ってあまり勝手な事はできない。
「れんのいないあいだがちゃんすなのー」
ウィルもレンがいると止められると理解しているようで、こっそりお願いポーズなどをしている。その仕草が可愛らしく、ネルも思わず困った笑みを浮かべてしまった。
『どうしたものかしら……』
『それなら……』
樹属性の精霊であるクララが小さく手を上げる。
『今使える魔法の種類を増やすのはどうかな?』
『種類を増やす……?』
『ポーション精製とかなら、ウィルに薬草の知識も教えてあげられるから……』
「やくそー……」
クララの提案をなんとなく理解したのか、ウィルがうんうん唸り始めた。その様子に笑みを浮かべたクララが魔法で樹のコップを創り出す。
『それなら私が教えてあげられるわ……』
魔素が集まり、輝き出すコップに興味を惹かれたウィルが身を乗り出して覗き込んだ。
「おー?」
『どうかな? お茶と薬草の種類、覚えてみる?』
「んー……」
体を起こしたウィルとクララの目が合う。ウィルは何事か思案した後、クララに面と向かって言い放った。
「じゃー、くららもうぃるとけーやくしよー?」
『ゴフッ――』
思わず咳き込んだクララの手元でお茶魔法がボフンと煙を上げた。その顔が見る間に赤くなっていく。
「だってぇ、やくそーってたくさんあるんだもん。うぃるひとりじゃわすれちゃうよー?」
『そう……そうね……』
ウィルが精霊王になりたいと公言している事はこの場の精霊たち全員が知っている。ウィル自身、その詳細を理解していないとはいえ、精霊王になりたいウィルとの契約は人から精霊へのプロポーズを受ける事なのだ。
「これはとってもめーあんです」
『そ、そうね……』
「それにうぃる、くららのこともだいだいだーいすきだからいっしょにいたいなー」
『あぅ……』
ボッフンボッフン。ウィルが身振り手振りを加えて何か言う度にクララの手元でお茶魔法が煙を吹く。そのお茶魔法が失敗しているなんて事は誰の目にも明らかだった。
「くらら?」
『…………』
恥ずかしさのあまり、耳まで赤くして俯いてしまったクララにウィルが首を傾げる。クララの手元のお茶はとうとう発光し始めた。その様子を思い思いの表情で眺める精霊たち。
と、そこへ風の精霊が一人、舞い降りてきた。
『何やってんだ?』
「ぼれのー」
見知った顔にウィルが反応する。が、ボレノはまだウィルの事を受け入れられず、複雑な顔をしていた。
ふん、と鼻を鳴らして場を濁すべく、ボレノが視線を巡らせて。
『お、いいモンあるじゃん』
クララの手にしたコップに目をつけた。
『いただき!』
『『『あっ……』』』
有無を言わさず、ボレノがクララの手からコップを奪い取る。精霊たちが制止する間もないまま、ボレノはコップの液体を一気に飲み干した。
誰も何も言えないまま、場が静まり返る。すると、ボレノがプルプル震え出した。
『あまぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!?』
「ぼれの!?」
絶叫しながらひっくり返るボレノ。
痙攣するボレノを見下ろしたウィルは恐れおののきながら、よく分からないものを口にしてはいけないと幼心に学習するのであった。
『水属性の最大の特徴は液体、という点だ。液体は注ぐ器によって形が変わる。魔素や魔力になっても、それは同じだ』
ユルンガルが手にした剣に魔力を満たし、洗練された武器強化魔法を披露する。剣を覆った魔力の被膜は僅かな波も許さず、その美しさは見惚れるばかりだ。
ルーシェたちの視線を集めたユルンガルがそのまま説明を続ける。
『これだけでは強度や切れ味を高めるだけだが、水属性にはもう一つの特徴がある。それを組み合わせると……こうなる』
ユルンガルが剣に更なる魔力を込めると剣を覆っていた魔法の刀身部分が伸びた。間合いにして元の剣一本分。
「これは……」
『水属性は土属性と同じで造形に秀でているのだ。液体なので、距離が離れれば離れるほど、質量が増えれば増えるほど、その形を維持するのは困難になるが、慣れてしまえば少し間合いを伸ばすくらいはそれほど難しくない』
「僕にもできるでしょうか?」
『できるだろうよ。これは基礎の基礎だ。修練を積めば伸ばせる刀身の長さも次第に増していく筈だ』
ルーシェの質問に快く答えてユルンガルが剣の魔力を解く。剣を鞘に納め、手を広げて見せた。
『目に見えるモノだけに囚われるなよ? 魔力を満たす対象はいくらでもある。それを自分なりに解釈し、発現させる。それが武技というものだ』
「たとえば……間合いとかですか?」
ルーシェは依然、ジョンとの稽古でハイディングを使い、間合いを狂わせた事を思い出していた。ジョンには上手く対応されたが、その時褒められたことはルーシェにとって自信になっている。
(あの時と同じような事が水属性でもできれば……)
すごい事ができるかもしれない。
ルーシェの閃きに答えるようにユルンガルが笑みを浮かべた。
『なるほど、面白そうだ。少し試してみよう』
「はい!」
それからしばらくユルンガル指導の下、ルーシェは思い付いた武技のイメージを形にしていくのだった。
「ウィル様、そろそろお暇しますよ?」
「おー?」
夢中で遊んでいたウィルにはあっという間の時間で、迷ったように精霊たちとレンを交互に見ると精霊たちに別れを告げてからレンに駆け寄った。
「もーおわりー?」
「はい。ルーシェもユルンガル様に指導して頂きましたので」
「ほむ……」
一つ頷いたウィルがユルンガルを見上げる。指導の内容はウィルの知るところではないがレンが言うならば間違いないだろう。
「どーですか? うちのるーしぇさんは?」
『うむ。見込みはあるな』
偽りない笑みを浮かべるユルンガルの返答に満足したのか、ウィルも笑みを浮かべてルーシェに向き直った。
「るーしぇさん、がんばって!」
「はい。ありがとうございます、ウィル様」
ルーシェも笑顔でウィルの頭を優しく撫でる。傍にいたレンもウィルが精霊たちに武技のアドバイスを求めると言い出した時にはどうなるかと思ったが、今回の訪問は予想以上にルーシェの力になっていた。
ルーシェの手に身を任せていたウィルがレンの手を取って帰路に就く。
『ルーシェとやら』
「はい?」
ウィルの後ろ姿を眺めていたルーシェがユルンガルに向き直ると、ユルンガルはルーシェの額に指を添えた。その指先が微かに輝く。
笑みを浮かべたユルンガルが戸惑うルーシェの目を真っ直ぐ見返して静かに告げる。
『ここから先はそなたの頑張り次第だ。努々、忘れるでないぞ』
「は、はい」
額から指を下ろされたルーシェは深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
『うむ。何か困ったことがあれば、また相談に乗ってやる』
精霊たちに見送られ、並んだウィル達がユルンガルたちの方へ向き直る。
「ゆるんがる、みんな、またねー」
『ああ、気をつけてな』
ぶんぶん手を振るウィルにユルンガルが手を上げて応えた。
帰っていくウィル達の後ろ姿が見えなくなるとユルンガルの隣でネルが小さなため息を吐いた。
『本当によろしかったのですか?』
『何がだ?』
ユルンガルが視線をネルの方へ向けると彼女は眉根を寄せてユルンガルを見上げていた。
『あんな真似をして……レクス様に何を言われるか』
『奴が正しく歩み、努力を続けて初めて意味の成すことだ。そうならなければ、何の意味もなさぬ。それだけの事だ』
『どうなっても知りませんからね?』
『ルナ様もウィルに目をかけていらっしゃるのだろう? ならば何の問題もあるまい』
ネルの不安を一蹴したユルンガルの笑みが愉快そうに深まる。まるで面白いものを見つけた子供のようだ。
『それに、ほら……祭りは準備している時が一番楽しいと言うしな』
喉の奥で笑い声を押し殺すユルンガルにネルは深々と嘆息するしかないのであった。




