トルキス家へようこそ。
咳が出る。
気付いた時には、もう既にこんな体だった。他の子たちとは違う。ただでさえこの街では珍しい獣人で、病弱。友達もいない。
でも、私にはお姉ちゃんがいる。いつもお仕事で大変そうだけど、笑顔で優しい大好きなお姉ちゃんが。だから寂しくはない。
何かしてあげたい、と思うけど、まだ五歳の私には何かをしてあげられる事もない。
できるとしたら、部屋のお片付けとかお姉ちゃんのマッサージとか、それくらい。と言っても、貧しい私たちのボロで小さな家に片付ける手間のかかるようなものはない。ないない尽くしだ。
今日も一日、部屋の片付けをして待っていたらいつもより少し遅いくらいでお姉ちゃんが戻ってきた。
「モニカお姉ちゃん?」
いつもなら「ただいま」と声をかけて入ってくるのに、今日は戸の開け閉めの音しか響いてこない。
不思議に思って視線を向けたらお姉ちゃんが戸を背にして俯いていた。
「……どうかしたの、お姉ちゃん?」
しばらく、そうして佇んだままでいるお姉ちゃんに声をかけた。
お姉ちゃんはゆっくりと顔を上げると変な顔をしていた。嬉しくて興奮して、でも困って慌てて。どう説明したらいいのか、よく分からない顔。こんな事、今までなかった。
「ねぇ、お姉ちゃんってば……」
「ど……」
「ど……?」
三度声をかけるとお姉ちゃんが震えた唇でそう返してきた。意味が分からず、私は首を傾げる。
どう見てもまともじゃないお姉ちゃんはなんとか一度深呼吸すると、早口で捲し立てた。
「どーしよ、アニア! 私たち、お貴族様のお家にお招きされちゃった!」
「………………ケホ」
私の口から変な咳が出た。
魔暴症――
体内で魔力が暴走し、一切の魔力行使が行えなくなる病。進行速度に個人差はあるが、魔力の暴走が絶えず体を蝕み、やがて死に至る。回復例はなく、故に不治の病とされている。
現状、魔法薬で魔力の暴走を一時的に抑えるくらいしか打つ手がなく、どの国の研究者も頭を抱えている問題であった。
「この際、シロー様が私にも相談して下さらなかった事は置いておくとして……」
「うっ……」
リビングに集まった使用人たちを前に、セシリアがモニカたちを出迎える為の打ち合わせを始める。
少し所在なさげなシローは子供たちとソファに座っていた。
「なんでひみつにしてましたか?」
「いや、だからね……」
プリプリお冠のウィルを膝に乗せ、シローが困った笑みを浮かべる。
ウィルは当然、病気の事などよく分かっていない。なので、ウィルはシローがモニカの事を知っていて、それをウィルたちに隠していた、と怒っていた。
セシリアは別に怒ってはいなかったが、やはり一言相談して欲しかったようで、レンから話を持ちかけられた時に少し項垂れていた。それがまた、シローに罪の意識を感じさせる結果となっていた。
「とーさまは、すぐひみつにするー」
「いや、そんなことはないよ?」
そんなに秘密多くないよなー、と胸中で自問しつつ、シローがウィルの頭を撫でた。
「ウィル、あのな……モニカさんの妹さんはとても大変な病気なんだ。だから簡単に人に話せないんだよ」
「うー……」
頬を膨らませて唸るウィル。が、シローの言わんとしている事もなんとなく理解しているのか、それ以上シローを責めたりしなかった。
ウィルのプンプンタイムは終了し、セレナとニーナに迎えられて間の席へ戻る。
「セレナ、ニーナ。モニカさんの妹さんの事、宜しくな」
「「はい、お父様」」
代わる代わるウィルを撫でていたセレナとニーナがシローの言葉に快く返事をする。
その間にいたウィルも両手を上げた。
「うぃるもー!」
「ああ。頼んだぞ、ウィル」
「あーい!」
やる気を漲らせたウィルと姉たちは早速、何をして遊ぼうか色々と考え始めるのだった。
翌日――
レンに案内され、トルキス邸にやってきたモニカとアニアは門の前でポカンと屋敷を見上げる事になった。
「ようこそ、トルキス邸へ」
ジョンが笑顔で二人を出迎える。
門番にルーシェを残し、ジョンはレンと共に二人を門の中に招き入れた。屋敷の前でトマソンとメイドたちが並び、モニカたちを持て成す。
そのままリビングへと案内されたモニカとアニアはシローたちトルキス家の面々に迎え入れられた。
「ようこそ、お越し下さいましたね。モニカさん、アニアさん。大まかな事はレンと主人のシローから伺っております。どうか我が家と思っておくつろぎください」
「あ、あの、この度はお招きありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
セシリアが丁寧な挨拶にモニカとアニアが慌ててお辞儀をする。
その様子にセシリアは思わず笑みを浮かべた。それから我が子を送り出す。
「さぁ、あなた達も歓迎してあげて」
「いらっしゃーい!」
ウィルが笑顔でアニアに挨拶をし、セレナが一歩前に出た。
「モニカさん、アニアさん、ようこそ。私は長女のセレナ・ハヤマ・トルキスと申します。こちらが妹のニーナと弟のウィルです。どうぞ宜しくお願い致します」
「私たち、アニアちゃんにプレゼントがあるの!」
セレナの紹介に続いてニーナがアニアの手を取る。
「えっ? ええっ!?」
戸惑ったアニアがニーナとモニカの顔を交互に見た。その様子にニーナは嬉しそうな笑みを浮かべ、何も聞かされていなかったモニカも驚きでシローとセシリアの顔を見た。
「遠慮なく、受け取ってくださいな。と言っても、急なお誘いでしたから大したものは用意出来ておりませんが……それでも子供たちで知恵を絞って考えたんです」
「わ、わかりました。アニア、お受けして」
「は、はい。ありがとうございます」
アニアは頷くと促されるまま、子供たちとマイナとミーシャに付き添われて部屋を出ていった。
そんな妹の背を見送って、モニカがまた視線をシローとセシリアに戻す。
「あ、あの……」
「どうかされましたか?」
「どうして、私たちにこんなに良くしてくれるんですか……?」
モニカの疑問はもっともで、彼女はシローたちと敵対したカルディに雇われていた身だ。そんな自分に手を差し伸べてくれるシローたちが彼女には理解できなかった。
セシリアが視線をジョンとアイカに向けると二人は黙って頷いた。それを確認してから、セシリアは少し寂しそうな表情を浮かべた。
「そちらに控えている門番のジョンの妻であり、メイドのアイカの母はアニアさんと同じ病で命を落としています。私やメイドのエリスにとっても姉のような存在で執事のトマソンや古くから私に仕えてくれているメイドのローザ、ステラにとっても良き仲であった女性です」
「えっ……?」
驚いて振り返るモニカにそれぞれが思い思いの表情で応える。
「ですから、同じような境遇にあるあなた達に何かしてあげたいと思っても不思議はないのです」
「ありがとうございます……」
「ウィルもあなたの事を気にしているようですし、遅かれ早かれこうなっていたのかも知れません」
「ウィル様が……?」
自分を見てきれいな魔力だと言ってくれた小さな男の子だ。撫でてくれた小さな手がどれほど救いになってくれたか。あの出来事があったから、自分は道を踏み外さないでいれたのだ。
色んな感情が渦巻いて、モニカが言葉を失っているとアニアたちが戻ってきた。
「モニカお姉ちゃん……どう?」
妹の姿を見てモニカが息を呑む。
来た時は貴族の屋敷を訪れるには不釣り合いな貧しい出で立ちであった。その妹が貴族に負けないような服装で飾り立てて恥ずかしそうに自分を見ていた。
今の身の上ではとても纏うことはできないであろう、きれいな服だ。子供たちが考えた贈り物にしては粋な計らいであった。
「よく、似合っているわ、アニア……」
思わず涙ぐんでしまい、堪らえようとしたが失敗し、嗚咽を漏らしながら俯いてしまうモニカの肩を傍に寄ったアイカが優しく撫でていた。
「みっともないところをお見せして申し訳ございませんでした……」
「お気になさらないでください。今までのご苦労を考えれば……」
落ち着きを取り戻したモニカはセシリアたちに自分の半生を語った。
シュゲール共生国の小さな村で生まれたモニカは、村が不法な奴隷商人たちの襲撃にあい、捕らえられてしまう。移送中、父と母が流行り病にかかって亡くなり、同時期に不法商人のキャラバンが魔獣の襲撃にあった。
失意の中、モニカは幼いアニアを抱いて逃走。無事、不法商人の手から逃れたが、その頃にはフィルファリア王国内におり、故郷への帰還は困難になっていた。
貧しい中、モニカは冒険者としてなんとか生計を立てていたが、アニアが魔暴症を発症。途方に暮れていたところ、カルディの私兵にならないかと誘いを受けたのだった。
モニカは頼る者もなく、たった一人で襲いかかる不幸に抗い続けていたのだ。
「モニカさんの身の上を聞いて、それでも責めるような者はこの場にいません。ご安心ください」
セシリアに続いてトマソンが気遣うとモニカの表情が少し和らぐ。心を開いてくれているのは誰の目にも明らかだ。
「本当に今日はありがとうございました。アニアのあんな笑顔を見るのは久し振りです」
改めて深々と頭を下げたモニカが視線をアニアの方へ向ける。
アニアは今、ウィルたちと庭に出て花で冠を作ったり、ウィルたちの幻獣と戯れたりしていた。病弱な為、駆け回ったりはできないが、それでも陽の光の下でアニアはとても嬉しそうだった。
「セシリアさん……」
「はい」
少し離れて見守っていたシローがセシリアに声をかけると彼女は笑顔で頷いた。
その様子をモニカが不思議そうに見守っていると、シローが彼女の前に来て、一つ咳払いをした。
「あー、モニカさん」
「はい……?」
改まるシローにモニカが首を傾げる。シローはそんなモニカを真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと話し始めた。
「もう、街では噂になっているからご存じかもしれないが、私はこの度男爵に叙爵されてね……」
「はぁ……?」
シローの叙爵は瞬く間に広がっており、子供だって知っている。
今更聞かされる話でもなかったのだが、続いて出てきた言葉にモニカは耳を疑った。
「貴族ってのは何かと人手が必要なんだ。只でさえ人が足りなくて困っててね。モニカさんさえ良ければ私たちの力になって欲しいんだが……」
「はぁ…………えっ?」
驚きに目を瞬かせるモニカを使用人たちも可笑しそうに眺める。彼女はシローの言葉の意味をなんとか理解しようとして固まってしまった。
「もちろん、冒険者としての活動も継続してくれて構わない……どうかな? トルキス家の家臣として雇われてくれると、とても助かるんだが……」
「わ、私が……家臣……?」
家臣になれば、少なくとも今の生活より断然裕福になる。アニアにもっと楽をさせてあげる事も夢ではない。
しかも、新興とはいえ皆に大人気のトルキス家である。断る理由がどこにもない。
「これは、トルキス家の総意です。モニカさん、是非うちにいらして下さい。子供たちも喜ぶと思います」
セシリアに後押しされて、モニカの瞳が潤む。まったく今日は何という日か。嬉しくて二度も泣いてしまうとは。
「是非……宜しくお願い致します」
声を震わせるモニカに貰い泣きしてしまうメイドが出るほど、その場は優しさに満ちていた。皆が新しく同僚となるモニカを祝福し、モニカも笑顔を浮かべてそれに応える。
その時、子供たちのいる庭が騒がしくなった。
「アニアちゃん!」
セレナの鋭い声に大人たちが向き直ると、アニアがその場に蹲っていた。
「爺や!」
「トマソン!」
「御意!」
セレナとセシリアが同時に声を上げた時にはトマソンはもう動き出していた。
雷速の速さで移動したトマソンが苦しげに呻くアニアを抱き上げる。
そんなアニアをポカンと見上げていたウィルがポツリと呟いた。
「まそがあにあおねーちゃんのなかでふくらんでる……?」
「エリス! ベッドの準備を!」
「はい!」
大人たちの動きが一気に慌しくなる。
モニカも顔を青ざめさせてアニアに駆け寄り、セシリアが他のメイドたちに指示を出す。
「私たちも行きましょう!」
「はい!」
セレナに促されてニーナが了解し、ウィルは姉たちに手を引かれて大人たちの後を追うのだった。
【人物】
モニカ……学舎前の人質事件の際、ウィルとであった獣人の冒険者。ウィルに魔力がきれいと頭を撫でられている。
アニア……モニカの妹で不治の病【魔暴症】発症者。病弱でいつも姉の帰りを心配しながら待っている。




