門と鍵
ドラゴン――
言うまでもなく、魔獣の中でも最強種の一角である。属性ごとに特徴はあるものの、その全てが耐久性も攻撃性も非の打ち所なく、巨体を持って蹂躙する様は人類に幾度となく脅威を与えてきた。
その討伐に乗り出せるのはその国きっての冒険者か国の軍隊しかない。それでも討伐できる保証はどこにもなかった。
近付けば巨体に踏み荒らされ、距離を置けばブレスと魔法の雨に晒される。駆け引きだけでも想像を絶する難敵だ。
「このー」
一も二もなく突っ込んだウィルのゴーレムが豪腕を振るう。巨大な拳圧が暴風のような音を立てて通過した。
ひとつふたつと繰り出される拳をブラックドラゴンが長い首を捻って躱していく。まるで腫れ物に触るかのようで、その動きに余裕はない。明らかにゴーレムと距離を置きたい動きだ。
攻めるゴーレムと逃げるドラゴン。駆け引きはどこかへ行ってしまった。
「まてー、くねくねするなー」
避け続けるドラゴンに業を煮やしたウィルが叫ぶ。
ならば胴体に、と思わなくはないが、流石に不用意に飛び込むのは危険だ。長い首で頭上から狙われる危険もある。
そこは付き添うシャークティが上手く舵を取っていた。
「こんなに前のめりで大丈夫かしら……?」
荒ぶる我が子の背中をセシリアがハラハラと見守る。その背中にレンがそっと手を置いた。
「大丈夫、セシリア……むしろ今が好機」
それほどまでに開幕の一撃は効果的だった。ブラックドラゴンも完全に油断していたのだろう。ゴーレムとの接近戦を嫌がっているのがいい証拠だ。
トマソンも同意見らしく頷きながらウィルの後ろ姿を見守っている。
ゴーレムの拳がブラックドラゴンの首元を掠める。
首をくねらせて逃げようとも、その付け根は動かない。それに気付いたウィルがゴーレムをもう一歩踏み込ませたのだ。
しかし、当然頭上に隙ができる。
ドラゴンの狙いを封じるようにシャークティがゴーレムを一歩下がらせた。
「ウィル……」
「わかったー」
シャークティの意図を理解したウィルがシャークティの魔力に同調する。前後の動きが次第にスムーズになっていく。潜り込んでは拳を散らし、機を見て後方へ下がる。
ゴーレムが飛び込むたびにブラックドラゴンの竜鱗が舞う。
反撃の糸口が掴めず、ドラゴンが苛立ちの咆哮を上げた。そのままぐるりと体を丸める。
「なに……?」
「ガード!」
今までにない動きを見て一瞬思考停止したウィルとシャークティに背後からレンの声が飛ぶ。ハッとしたシャークティが慌ててゴーレムの腕を上げさせ、防御態勢を取らせた。
遅れて、一回転したブラックドラゴンの尾が横薙ぎにゴーレムを打ち据えた。
「わー!?」
強烈な一撃にゴーレムの頭部で悲鳴が上がる。
叩きつけるような衝撃を受けてゴーレムとドラゴンの間合いが開いた。この距離はドラゴンの間合いだ。
『まずい……!』
向き直ったドラゴンの口蓋から炎がこぼれ、ライアが叫ぶ。間違いなくドラゴンブレスの前兆だ。
如何にウィルのゴーレムが屈強とはいえ、直撃すればただでは済まない。
「やったなー!」
怒ったウィルが息を吸い込むドラゴンを睨んで杖を振り上げる。
ドラゴンがブレスを吐き出そうと口を開けたのとウィルが叫んだのはほぼ同時だった。
「ごーれむさん、じゃんぷ!」
「「「……………………はっ?」」」
大人たちがなんとかブレスをやり過ごそうと魔力を込めたまま、固まる。次の瞬間、ドラゴンブレスを飛んで躱したゴーレムは風の魔力を身に纏い、ブレスが届かない中空に身を踊らせていた。
「ごーれむさんんんー!」
ウィルが力任せに魔力を組み上げて、それに合わせたゴーレムが体を抱き込むようにして縮める。風の魔力が渦巻いて、攻撃の照準をドラゴンに合わせた。
「きいぃぃぃっく!」
「「「ええええええっ!?」」」
急降下したゴーレムが大人たちの驚愕を置いていく。
魔力を足に溜めて落下してくるゴーレムを見上げていたブラックドラゴンが慌てて後方に飛び退いた。
超重量の蹴りが先程までドラゴンのいた地面に突き刺さる。揺れた大地に放射状のひびが入り、土砂を巻き上げた。
「こらー、にげるなー!」
「無理よ、ウィル……」
困ったように諌めるセシリアだが、ウィルは聞いてない。一撃の破壊力よりも躱されたことの憤りの方が強いらしい。プリプリとおかんむりだ。
ゴーレムが空を舞って蹴りを放つという珍事に唖然とする大人たちだったが、気を取り直したレンがコホンと一つ咳払いをした。
「距離を離されてしまいましたね」
戦況を正しく観察すれば、それはドラゴンの望んだ展開だ。遠距離の差し合いであればドラゴンの方が多くの選択肢を持つ。特に空を飛ばれ、頭上を抑えられるのは厄介だ。
ドラゴンも理解しているのか、翼を広げて羽ばたいている。ゴーレムの与えたダメージにより、少し手間どっている様子だが、飛行に支障はなさそうだ。
本来、それは悠長に構えていられる状況ではない。普通のゴーレムであれば上空の敵に対して有効な手段を持ち合わせていないからだ。
普通の、ゴーレムであれば。
「ごーれむさん、おててまだんだ!」
ウィルの指示に応えてゴーレムが両手の先をドラゴンへと向ける。指先に石塊の魔弾を発現させたゴーレムが大量の魔弾を連射する。翼を広げていたのなら、それは大きな的だ。
ドラゴンが飛び上がるのを中断して、防御壁を展開する。魔弾がそれを容赦なく貫き、ドラゴンに襲いかかった。
結局、上空に逃れるのを断念したブラックドラゴンは横に飛んで魔弾から逃れる。
「ちょっと、くらいー」
日が沈み、光量が足りなくなってウィルが不満を漏らす。すると控えていたマークが腕を広げて空に翳した。
『任せて』
マークが魔法で灯した火を次々と空へ浮かべ、戦域を見渡せるだけの光を生み出していく。
満足したウィルは嬉しそうにゴーレムへ指示を送り、成す術のないブラックドラゴンを魔弾で追い立てた。
「ウィル様、追い詰めている時ほど気をつけてくださいませ。ドラゴンが何かしてくるかもしれません」
「わかったー」
噛み砕いてアドバイスするトマソンにウィルはコクコクと頷く。
ジリ貧に追い込まれたドラゴンが咆哮を上げ、再度前方に防御壁を展開した。
「う……?」
ドラゴンの様子が先程とは明らかに違う。防御壁を貫通する魔弾に撃たれながらも、真っ直ぐゴーレムに狙いを定め、前脚を掻いている。
「どうやら、覚悟を決めたようですな」
「ウィル様、ご用心を……」
トマソンがウィルの横に立ち、レンがセシリアとウィルを支えるように寄り添う。いくら圧倒しているとはいえ、本気を出したドラゴンを楽観視できるはずがない。
「くる……!」
全身に魔力を漲らせたドラゴンを見てウィルが呟く。
大地を蹴って走り出したドラゴンは一直線にゴーレムへ向かって突っ込んできた。体ごとぶつかる気だ。
「ごーれむさん!」
ウィルの声に魔弾を止めたゴーレムが腰を落として大きく腕を広げる。
魔力を込めたドラゴンの体当たりをゴーレムは真正面から受け止めた。強烈な衝撃がゴーレムの体を伝う。
踏み止まったゴーレムを押し倒そうとドラゴンが四肢に力を込めた。
「ぐぬぬぬぬぬ……!」
ウィルが魔力を込めてゴーレムに力を与える。
ズルズルと後方に押し込まれながらもゴーレムは踏ん張り続け、そしてドラゴンの突進を完全に止めた。
ゴーレムが太い腕を上から回し、ドラゴンの首をしっかりと抱え込む。
「どうだ! つかまえたぞ!」
人類は初めてドラゴンの首にフロントチョークをかけるという偉業をやってのけた。
ギリギリと締め上げられ、ドラゴンの口から苦悶の声が漏れる。
『今だー! 締め落とせー!』
『ドラゴンって首締められるの?』
『分かんないよ! でも、やれやれー!』
周りで見守っていた精霊たちから声援が飛ぶ。
ゴーレムから逃れようとドラゴンが体を暴れさせた。そこは巨体を誇る最強種。それだけでもゴーレムの体が揺すられる。
「まけるもんかー!」
ウィルもドラゴンを離すまいと魔力を込め続ける。するとワイバーンの討伐を終えた精霊たちが副腕と共に次々と戻ってきた。
『僕達もウィルを手伝うんだー!』
『ドラゴンを抑えろー!』
飛来した副腕が暴れるドラゴンの体を押さえ込む。
身動きが取れず、締められるだけになったブラックドラゴンが痙攣し始めた。あと少しだ。
「ぐぬー!」
ゴーレムが体を逸し、一気に力を込める。ギチギチと肉を締め上げる音が響き渡った。
「このままー……!」
ウィルが最後の指示を出そうとして、気がついた。何かがおかしいと。
「しゃーくてぃ!」
「みんな、急いで離れて!」
『わああああっ!?』
シャークティの声に副腕を操作していた精霊たちが慌てて逃げ出した。力を失った副腕が音を立てて崩れる。
「どうしたの、ウィル!?」
騒然となるウィルたちにセシリアが声をかける。その視界に黒いモヤのようなものが映ってセシリアが周りを見回した。
ライアがその正体に気付いて舌打ちする。
『これは、闇魔法か!』
「魔力が吸われる……!」
珍しく焦ったシャークティの声にクララとマークが息を呑んだ。
「やめろー、このー!」
ウィルがゴーレムを操ってドラゴンの胴体に拳を振り下ろす。しかしドラゴンはその一撃を歯牙にもかけず、弱ったゴーレムを体当たりで跳ね飛ばした。
「わー!」
「きゃあー!」
先程よりも弱い力であるにも関わらず、ゴーレムが吹っ飛ばされる。
すぐに態勢を立て直そうとするウィルだったが、ゴーレムの反応が鈍い。短時間でゴーレムの魔力がごっそりと吸い取られていた。
「あんなのずるい!」
憤るウィルの視線の先には霧状の魔力を体から溢れさせたドラゴンが忌々しげにゴーレムを睨みつけていた。
「たって、ごーれむさん!」
ウィルがゴーレムに呼びかけるが、ゴーレムは立ち上がるのもままならない状態だ。
そんなゴーレムを見ていたドラゴンが身を震わせた。
《オノ、レ……ニンゲ、ン、フゼ、イガ……》
辿々しく響く声に大人たちが戦慄する。その声がドラゴンのものであると感じ取ったのだ。
人語を話すドラゴン――その特徴は大人であれば誰もが知るところであった。
「え、エルダー……」
「いえ、まだはっきりと発音できていない。おそらく、覚醒し切ってはいません」
セシリアの呟きをレンが否定する。だが、かなり近い所にいるのは確かだ。おそらくウィルに追い詰められて覚醒し始めたのだろう。もう一つ上のランクのドラゴンに。
《タダデ、ハ、ユルサ……ンゾ……スベテヲ、ヤイ、テ、ヤキツ……クシテ、ワカラセテ、ヤル……》
今までで一番大きな怒りの咆哮が平原に響き渡る。
ウィルは気圧されながらもドラゴンと正面から対峙した。その肩にライアがそっと手を置く。
「らいあ……」
『ダメだ、ウィル。これ以上は危険過ぎる。こちらに打つ手もない。私の魔法で森まで逃げるぞ』
優しくも厳しく言い聞かせるライアに、しかしウィルは首を横に振った。
「やだ……! むらが……るーしぇさんのおうちがもやされちゃうもん!」
『諦めろ、ウィル。ウィルを死なせるわけにはいかない』
「やだぁ……やだもん……」
涙を浮かべて抗議するウィルであったが今回ばかりは大人たちに受け入れられなかった。力を失ったゴーレムでは勝ち目はないのだ。それどころかドラゴンの力は先程と比べ物にならないほど増している。
溢れる霧状の魔法は範囲を広げ、マークの灯した火の光も侵食していた。
それを見たウィルが肩を落とす。
ウィルも分かっていた。あの霧がここに届けばゴーレムが壊れてしまう。それだけではない。魔素を糧とする精霊たちにも被害が及んでしまう。アジャンタやシャークティたちも危険なのだ。
自分のわがままで彼女たちが辛い目に合うこともウィルには耐えられなかった。
悔しくて哀しくて、ドラゴンに一発魔法でも打ち込んでやりたい気分だった。だが、いつまでもそうしてはいられない。
ウィルはライアに従うことに決め、もう一度憤るドラゴンに視線を向けた。
「…………?」
おかしな事に気付いて、ウィルが動きを止める。
「ウィル……?」
不思議に思ったセシリアも動きを止めてウィルに向き合った。
「行きましょう、ウィル」
「かーさま、ふしぎ……」
ドラゴンを見たまま動かないウィルにセシリアが困った笑みを浮かべた。
ウィルの方が十分不思議な子だ。そして最愛の息子でもある。今回ばかりはウィルのわがままに付き合っていられない。ドラゴンがこちらの動きに気付く前に避難しなければ。
そう思い、ウィルを抱き上げようと手を伸ばしたセシリアはウィルの異変に手を止めた。
「ウィル、あなた……」
「まわりがとってもあかるいのー」
「ウィル様……」
レンも予想だにしないウィルの異変に言葉を飲む。それは精霊たちも同じであった。
ウィルの体から溢れる銀色の魔力。
その正体に一人だけ思い至らないトマソンがポツリと呟く。
「これは……?」
「おつきさま……」
ウィルが月を見上げる。日はとうに暮れ、周りは夜の帳に包まれている。しかし、ウィルから溢れる魔力とそれに共鳴した魔素が周囲を明るく照らしていた。
「るな……」
月の精霊の存在を思い出して、ウィルが胸のペンダントを取り出す。中央の精霊石が魔力を得て、明滅を繰り返していた。
ウィルの瞳に力が溢れてくる。その表情を子供ながら決意に固めるとウィルはペンダントを握り直した。
(るな……うぃるはいやだ。みんな、かなしいはいやだ……)
ウィルの魔力に応えて、ペンダントの輝きが増す。
ウィルは目を閉じて、より深く意識の奥に潜り込んだ。
世界に溢れた月の魔力の形を鮮明に捉えていく。その魔力の導く先に閉ざされた門があった。
その門の鍵は自分だと、ウィルはなんとなく気付いて門に手を添えた。
魔力が門に満ちて扉が開く。その奥から月の魔力が大量に溢れ出してウィルを包み込んだ。同時にウィルから溢れる銀色の光が勢いを増す。
「ウィル!」
セシリアがウィルの異変に声を荒げる。その顔をウィルは目を開いて見返した。
「かーさま、だいじょーぶ!」
ウィルはそれだけ言うと先程と同じようにゴーレムの先頭に立った。ウィルから立ち昇る銀色の魔力がウィルを優しく染め上げていく。
《ナン、ダ……コノ、マリョク、ワ……》
「うぃるはまけない。おまえなんかに、まけない」
驚愕するドラゴンの前にウィルの声が熱を帯びていく。
みんなが見守る中でウィルは空を、月を見上げた。大きく息を吸い込んで、その名を呼ぶ。
「るなーーーーー!」
上空から堰を切ったように銀色の魔素が溢れ出し、平原を染め上げていく。
『は、はは……何だこれは……』
『ウィル……月の門を……』
降り注ぐ月の魔力にジーニが額を抑え、ライアがため息をつく。
遅れて一人の女性がウィルの傍らに舞い降りた。
「ルナ様……」
その見知った精霊にセシリアが声を漏らす。ルナは柔らかな笑みを崩さず、面々を見回した。
『ごきげんよう、皆さん。まさかこんなに早くに再会することになるとは思いも寄りませんでした』
「るな!」
足元で急き立てるウィルに向き直ったルナが笑みを深める。
『分かっていますよ、ウィル。思う様、やってご覧なさい。シャークティも……』
「は、はい……」
緊張したシャークティが慌てて返事をし、ウィルと並び立つ。
ウィルは溢れ出る魔力をゴーレムに注ぎ込んだ。ゴーレムが月の魔力を帯びて銀色に光り輝く。
「たって、ごーれむさん!」
ウオォォォォン!!
ウィルの呼び声に応えてゴーレムが咆哮を上げ、立ち上がる。
先程よりも幾分スマートになったゴーレムが力強い足取りでドラゴンと対峙した。
《ソン、ナ、バカナ……》
「うぃる、ほんとにおこったんだからね!」
圧倒的な魔力に戦慄するドラゴンの前にウィルとゴーレムは再び立ち塞がった。




