ウィルベル精霊軍、再び
薄暗くなった森の木々を風が撫でていく。
ざわめく葉の音を聞きながら、セシリアたちは何が起こったのか計りかねていた。
ウィルがしかと握り締めたネックレスの効果。最初に異変を察知したのは幻獣ブラウンとその契約者エジルであった。
「な、なんじゃこりゃ!?」
ブラウンと同調して索敵範囲を広げていたエジルの声が裏返り、ブラウンが忙しなく動き回る。
顔を見合わせるセシリアとトマソンの横でウィルも気付いた。その顔が見る見る笑顔に変わっていく。
「エジルさん、いったい――」
「かーさま、みんなきたー」
「えっ?」
先程と一変して笑顔を浮かべる我が子にセシリアが目を瞬かせる。と、少し距離を置いて土の中から精霊の少女が飛び出してきた。
「ウィル!」
「しゃーくてぃ!」
駆け寄った勢いのままシャークティがウィルを抱き締める。精霊としての求愛行動も厭わず、ウィルの頭を優しく撫でた。
「ウィル……」
「しゃーくてぃ、ちょっとくるしー……」
むぅむぅ言いながらシャークティの腕の中から顔を出したウィルがシャークティの顔を見上げる。
『ヒューヒュー!』
『イヤーンな感じー!』
いつの間にか背後に追いついていた土の精霊に囃し立てられ、我に帰ったシャークティが頬を染めてウィルを離した。
「ごめんなさい、ウィル……」
「いーよー」
謝ってくるシャークティにウィルがこくこくと頷く。
そんな様子に大人たちが驚いていると、今度は頭上から声がかかった。
「な、何やってるのよー!」
「あじゃんたー、かしるー」
舞い降りてくる風の精霊たちを見上げてウィルが両手を上げる。
アジャンタやカシルの頭上を更に風の精霊の一団が飛び抜けていく。
アジャンタは怒りの表情のままウィルの傍へ降り立つとシャークティから取り上げるようにウィルを抱き上げた。
「油断も隙もあったもんじゃないわ。ウィル、私が来たからもう大丈夫よ♪」
「別に……私はウィルに酷いことしてない……」
ムッとしたシャークティがアジャンタを睨み返す。
何が起こっているのか分からずキョトンとするウィルを挟んでアジャンタとシャークティの間で火花が散る。
「あー、アジャンタ……その言い方だとウィルを安心させるというよりクティに喧嘩を売ってるように聞こえるよ?」
『そうだぞ、アーシャ。今は内輪で揉めている場合ではない』
間に割って入るカシルに同調したのは闇を潜り抜けるように姿を現したライアであった。
その横に並んでクララとマークが姿を現す。二人ともウィルを抱き上げるアジャンタを見て頬を染めていた。
「らいあ、くらら、まーく!」
ウィルがアジャンタから降りてライアに駆け寄る。抱っこをせがむウィルにライアは苦笑するとウィルの頭を撫でた。
『なんだ、ウィル? 男の子なのに泣いているのか?』
「ないてないもん!」
指摘されたウィルが袖で涙を拭って首を横に振る。
間違いなく泣いてたでしょ、という大人と精霊の視線を無視してウィルは言い放った。
「みんながきてくれたから、だいじょーぶなんだもん!」
『そうか……』
拳を固めて見上げるウィルの頬をライアが優しく撫でた。
いつもの元気を取り戻したウィルに大人たちも安堵のため息をつく。
そんな少し落ち着いた空気の中、また響く声があった。
『なるほど。その子か……クティが夢中になってる人間は』
「ジーニ……!」
精霊の女性が土の中から姿を現し、慌てた土の精霊たちがウィルや大人たちの影に隠れる。
精霊から発せられる魔力の色を感じ取ったセシリアが慌てて膝をつこうとするが、ジーニと呼ばれた精霊はそれを手で制した。
『この場での気遣いは無用。なぁ、クティ……』
動じず、真っ直ぐ見返すシャークティとジーニが向かい合う。
「止めに来たの……?」
『いや……子守だ、私は』
シャークティの問いにジーニは笑みを浮かべて答えた。それから視線をウィルの方へと向ける。
キョトンとして成り行きを見守っていたウィルだったが、ジーニの視線に答えるようにジーニの前に出た。
「おねーさん、だれー?」
『ジーニという。地の精霊だ。宜しくな』
「うぃるはうぃるべる・はやま・とるきすです。さんさいです。よろしくおねがいします!」
ペコリとお辞儀するウィル。その様子を見ていたジーニが思わず目を細める。
だが、ウィルはそこで終わらず、子供ながら丁寧に続けてみせた。
「せっかくじーにとなかよくなったんだけど、うぃるはいかなくちゃ!」
『ふふっ……どこへ行くんだ?』
あっという間に仲良し認定されてしまったジーニが思わず笑みをこぼすと、ウィルは真面目くさった顔をして力強く言い放った。
「みんなのおうちをまもらなきゃ! うぃる、どらごんさんをやっつけてくる!」
なんとなくウィルの言わんとしていることを予想していたセシリアが額に手を当てる。予想通りだった。
「しゃーくてぃ、あじゃんた、じゅんびして! はやくはやく!」
向き直るなり捲し立てるウィルに待ったをかけようとセシリアが顔を上げるとライアが先にウィルへと歩み寄っていた。
『まぁ待て、ウィル』
「どらごんさんをとめないと!」
『言いたいことは分かったから落ち着け』
「えー?」
ウィルが怪訝な顔をしてライアを見る。
ドラゴンの飛行速度を考えれば悠長にしている時間はない。その事はウィルにも分かっていた。
ライアはそんなウィルの頭に手を置いて笑みを浮かべた。
『ネルと風の精霊たちがドラゴンを食い止めてくれる。問題はその後だ』
「もんだいー?」
首を傾げるウィル。
『そうだ。ブラックドラゴンというのは魔法耐性の強いドラゴンだ。ネルでも時間稼ぎくらいしかできない。倒すには直接攻撃しなければならないが……』
「こちらには対竜装備はありません。痺れを切らせたドラゴンが迂回してくれればいいのですが……難しいでしょうな」
ウィルの代わりにトマソンが答え、ライアが頷く。
竜種というのは己の強さを自負しているためか、他の生物に道を譲らない。同種のヒエラルキーにしか従わないのだ。
つまり、今現在の最善手は精霊たちが時間を稼いでいる間に村の人たちを避難させる事なのである。
そうとは考えつかないウィルがプクッと頬を膨らませた。
「うぃる、ごーれむさんでごちんするからいーもん!」
『ここから村の手前の川までは相当距離がある。ゴーレムでは辿り着けないだろう?』
「えっ……?」
ライアの説明にウィルはキョトンとしてしまった。シャークティとアジャンタを見て、それから母とトマソンを見て、最後にライアへ視線を戻す。
そんなウィルの様子に今度はライアが不思議そうにウィルを見返した。
『どうした、ウィル?』
「あのー」
ウィルがどう説明したものかと迷っていると、わけを知る精霊たちが次々と声が上げた。
『ウィルのゴーレムはめっちゃ速いんだから』
『そーだよー、すっごいんだからー』
『エンチャントかましたレイホースより絶対速えー』
『そんなわけないだろう……』
精霊たちの言葉が信じられないのか、ライアが深々と嘆息する。
当然、精霊たちの言う事に思い当たるフシのあるトルキス家の者たちは視線を泳がせた。
「あの、えーっと……」
「ライア様、実は……」
『なんだ?』
怪訝な表情を見せるライアを他所にウィルと精霊たちが勝手に盛り上がる。
「やっちゃおーか?」
『やっちゃえ、やっちゃえ!』
『論より証拠!』
「ちょ、ちょっと待って、ウィル」
セシリアが慌てて待ったをかけるが、ウィルは首を横に振った。
「もーがまんできない!」
ウィルは怒っているのだ。これから訪れようとしている理不尽に。
「るーしぇさんのかなしいはうぃるのかなしいなの! みんなのかなしいはうぃるのかなしいなの! うぃるはかなしいがだいきらいなの!!」
「ウィル……」
セシリアは言葉を詰まらせた。
ウィルのその気持ちがウィルの優しさからくるものだと分かっていたからだ。使用人の中には幼いウィルの心意気に涙ぐむ者までいる。
だが、だからといって幼い我が子をドラゴンと対峙させられるわけがない。
困り果てるセシリアだったが、ウィルは止まらない。その手をアジャンタとシャークティに向けた。
ウィルを中心に魔法陣が広がり、優しい魔力がアジャンタとシャークティに誘い掛ける。
『これは……仮契約の魔法陣か……』
ジーニが感嘆の息を吐く。
仮とはいえ、精霊との契約は精霊自身が認めた者にしか行わず、精霊からの働きかけに対して契約する者が合意する事で契約に至る。当然、人から精霊に誘いかけるような真似はできない。しかし、ウィルはそれを仲良しの証として解釈し、契約者側の合意の魔法陣を覚えて自分で展開しているのだ。
こんな事は精霊の間でも前代未聞であった。
「あじゃんた、しゃーくてぃ」
『『あぅ……』』
精霊王になりたいと主張するウィルからのアプローチは、それはそれで感じ入るものがあって、アジャンタとシャークティが頬を朱に染めて身悶える。
思い思いの表情を浮かべる精霊たちに見守られながら二人はウィルの手を取った。仮契約の魔法陣が滞りなくウィルと二人を結びつける。
漲る魔力を感じてウィルが力強く頷いた。
『はは、とんでもないな……』
『まったくだ……』
成り行きを見守っていたジーニが乾いた笑みを浮かべ、ライアも呆れたように首肯する。
そんな上位精霊たちを尻目にウィルはセシリアに向き直った。
「かーさま、うぃるはいきます!」
ウィルの頑なな主張にセシリアは頬に手を当てて深々とため息をついた。
「こんなに頑固なところ、いったい誰に似たのかしら……」
我が子を想ってそう呟くセシリアの背後に控えていたトマソンとレン、エリスが思い思いの表情を浮かべ、胸中でツッコむ。
(セシリア様ですな)
(セシリアだと思います)
(セシリア様ですよ)
普段は物腰柔らかで聡明なセシリアだが、王族の出自ながら一介の冒険者と添い遂げる道を頑なに貫き通したのはセシリア本人である。始めからシローだけの思いでどうにかなる案件ではなく、二人の結婚は彼女が最後まで押し切らなければ実現しようもなかったのだ。
その事を知る三人から見れば、ウィルの頑固さは紛れもなく母親譲りなのであった。
「みんな、きいて!」
少し開けた場所まで進み出たウィルは集まった精霊たちに語りかけた。
「このままじゃ、るーしぇさんのおうちがどらごんさんにもやされちゃうんだ! うぃるはそんなのいやだ!」
「ウィル様……」
懸命に訴えるウィルの姿にルーシェが胸を打たれる。
まだ雇われて間もないルーシェとウィルの交流は少ない。だが、ウィルはルーシェの事を他の使用人と変わらず、大切に思っている。それが一生懸命な姿からよく分かった。
「うぃるはるーしぇさんのおうちも、むらのみんなもまもりたい!」
だったら、どうするか。ウィルはセシリアの教えをしっかりと覚えていた。
「だから、うぃるがどらごんさんをやっつける! みんな、ちからをかして!」
『『『おおー!』』』
精霊たちがウィルに応えて拳を掲げ、歓声を上げる。
『ウィル、任せてー!』
『新入りの家も守ってやるぜー!』
『ドラゴン、やっちゃうよー!』
風の精霊も土の精霊も、この場に集まった者はみんなウィルの味方だ。
ウィルは精霊たちの反応に強く頷いて後ろに向き直った。
どこまでも続く広い平原である。精霊たちのお陰で魔力も潤沢にある。ウィルの魔力の届く範囲全てがウィルの力だ。ウィルはそう確信した。
隣に立つシャークティと視線を交したウィルが高々と杖を掲げる。
「したがえしゃーくてぃ! つちくれのしゅごしゃ、わがめいにしたがえつちのきょへー!」
増幅された魔力が杖から溢れ、大地に吸い込まれる。瞬く間に広がった魔力はシャークティの助けを借りて拡大し、ウィルの意を汲んで魔法として発動した。
樹の核が宙に浮き、鳴動した大地から大量の土が吐き出される。渦巻くそれが樹の核を覆い隠し、次第に人型へと変化していく。
『まだまだー! 魔力を送れー!』
『ゴーレムを強化するんだ!』
『特に足回り! 風の魔法に負けないように!』
土の精霊たちが岩の体表にさらなる力を与える。
その様子を離れて見ていたライアが首を傾げた。ドラゴンやワイバーンの中に風の魔法を扱うものは見受けられない。なぜ風の魔法に負けないように造るのか。
その理由は高らかに叫んだウィルの言葉ですぐ分かることになる。
「こねくとー!」
ウィルの合図に風の精霊たちが一斉に構えた。
「つどえ、かぜのせいれいさん! はるかぜのぐそく、はやきかぜをわがともにあたえよおいかぜのこうしん!」
ウィルの掲げた杖先から、今度は風の魔力が溢れ出す。そびえるような巨躯のゴーレムを勇ましい風のヴェールが包み込み、緑色の燐光を発した。
『魔法の接続……?』
呆気にとられるライアの前でゴーレムがゆっくりと立ち上がる。
下から見上げるウィルと木々より遥か高い所から見下ろすゴーレムの視線が交わる。
「よろしくね、ごーれむさん」
ウィルの言葉にゴーレムは小さく頷いた。
『これは予想外だな……』
ゴーレムを見上げたジーニが肩を竦め、視線をライアに向ける。
『私はレクス様から子供たちを守るように言われているからついていくが……ライア、お前はどうする?』
『うむ……』
ライアは小さく唸って考え込んだ。
ライアから見てもウィルのゴーレムはとてつもなく速いだろうと予想はついた。これならば、交戦中のドラゴンに追いつける。だが、一番の安全はネルたちが時間稼ぎをしている間、村人を避難させてやり過ごす事だ。おそらくセシリアたちもそれを願っている。
(考えるだけ、無駄か……)
きっとウィルは止まらない。それにライアの目には魔力光に気付いたワイバーンの一団が方向転換してこちらに向かってくるのが見えていた。どちらにせよ、一戦は免れない。
そう思い、ライアはウィルたちに歩み寄った。
『ウィル、ワイバーンに気付かれた。こっちへ向かってくるぞ』
「うん、わかった」
こくこくと頷くウィルの態度からはなんの恐れも感じない。その目は自信に満ち溢れていた。
「ここまでやってしまったのであれば、どうしようもありませんな」
そう言ったのはトマソンであった。彼も多くの戦闘経験から一戦逃れられない事を瞬時に悟ったのだ。
『しかし、村の者の避難を後回しにしていい理由はないぞ』
「心得ております、ライア様。そちらの方はお任せを」
ライアの言葉に頭を下げたトマソンは向き直るなり、指示を出した。
「ラッツ、エジル、エリス、ミーシャはルーシェと共に村へ。ルーシェ、みんなを先導して上げてください。セシリア様と私とレンはウィル様についていきましょう」
「それなら風の精霊をお供につけるよ。その方が断然速く辿り着ける」
カシルが手をパンパンと鳴らすと何体かの精霊がルーシェたちの下へ向かった。
「お気をつけて」
エリスたちが頭を下げ、ルーシェの先導で森の奥へと入っていく。
その後ろ姿を見送ったウィルがアジャンタに視線を向けた。
「あじゃんた、おねがい」
「まっかせて!」
ウィルの頼みを快く引き受けたアジャンタが風の球体を展開する。
その中はウィルを始め、セシリア、レン、トマソン、シャークティ、アジャンタ、ライア、ジーニ、クララ、マークとなかなかの大所帯になっていた。
アジャンタに誘導された風の球体がふわりと浮き上がり、ゴーレムの頭上に着地する。
「ウィル、来たわ……」
シャークティの言葉を聞いてウィルが空を見上げる。ワイバーンの群れがもう間近に迫っていた。
「うぃるはまけない! ぜったい!」
そう言うとウィルが真っ直ぐワイバーンを睨みつける。
その心情を表すかのように、仁王立ちしたゴーレムがその太い両腕を胸の前でしかと組んだ。
【精霊】
ジーニ……レクスに仕える地属性の上位精霊。レクスより融通が利き、シャークティが夢中になっているウィルの存在に興味を持っている。




