ドラゴン、来襲
大きな川にかかる橋の両手前には荷馬車を休ませられるよう空き地が設けてある。街から街へ移動する者の為の野営地である。
本来ならばこの野営地は王都から近く利用者が多い。
しかし、今はラッツと移動用の馬しかいなかった。
街道を行き交う人々は飛竜の到来に慌てて逃げ出したのである。
冒険者ギルドから依頼されるワイバーンの討伐はランク8以上のパーティ推奨だ。亜種とはいえ竜種には生半可な武器は通用しないからだ。高価な対竜装備と確かな腕前が必要なのである。
そんな護衛、街を行き交う商人や旅人が雇っているはずがない。
飛竜の渡りとはそういう者たちからすれば殆ど天災なのだ。防衛設備の整った街で身を潜めるのが一番の対処法なのである。
それなのに、アテにしていた竜域観測拠点は壊滅し、彼らは情報を得られぬまま街を出てしまった。
(慌てて当然だぜ……)
ラッツにはただ彼らの無事を祈ってやることしかできない。ラッツとて命の保証はないのだ。今、この場にワイバーンが飛来すれば、彼は命を懸けて戦わなければならない。自らの忠誠の為に。雇い主の足を失うわけには行かなかった。
そんな覚悟を持ってラッツが一人、馬たちの世話をしていると彼の耳に微かな人の声が聞こえた。
「ラッツ!」
森から抜けてきた同僚と、その後ろに雇い主の姿を見てラッツの緊張が少し和らいだ。
「セシリア様、坊……よくぞ、ご無事で……」
「ただいまー」
元気そうなウィルに安堵の息を吐いて膝を着こうとするラッツをセシリアが制した。
「ラッツさん、それは後で……」
「はっ!」
ラッツが略式の礼だけ取ると直ぐに馬の準備を始める。
「これは王城のレイホース……?」
「はっ。今回の為、宰相直々に手配なされた物にございます」
馬を見上げるセシリアの疑問にトマソンが答える。
レイホースとは馬の魔獣で光属性の騎乗獣である。
優美な外見だけでなく、闇夜においても騎乗者に確かな視界を与える事で知られている。一部の地方にのみ生息し、主に王族や有力貴族に献上されるとても高価な騎乗獣だ。
「お礼をせねばなりませんね……」
「はっ」
トマソンもこの場でとやかく言わない。
六頭のレイホースには一人乗りの鞍と二人乗りの鞍が半々に備えられていた。疾駆けの為、余分な数は連れてきていない。
「坊はこっちだ」
「おー?」
エジルの手を借りて、ウィルがラッツの前に跨る。
セシリアはレンと、エリスはミーシャとそれぞれ二人用の鞍に跨った。
セシリアの視線が一人でレイホースに跨るルーシェと合う。
「ルーシェさんは馬にも乗れるのね」
「は、はい。種類は違いますけど、乗ったことは……」
レイホース以外でも馬は貴重で基本高価だ。貧しい家の出身だと聞いていたので乗れるのはおかしいのだが。
「どんな機会にです?」
「そ、それは……」
不思議に思ったレンが問い正すと、ルーシェは恥ずかしげに答えた。
「父が野生のバンゴーとかを捕まえてきて、売る為には人に慣らさなくちゃいけなくて……」
バンゴーとは土属性の馬で騎乗獣というよりも農耕馬として用いられることが多い馬力のある馬だ。人手の足りない村などでは価値よりも先に労働力に目が行くのだ。
どこまでも勤労少年なルーシェに事情を察したレンが苦笑を浮かべ、その後ろでセシリアが可笑しそうに小さく笑った。
「さぁ、すぐにでも出発致しましょう。ルーシェ、道案内を」
「はい!」
トマソンの指示にルーシェが応え、先頭を切る。
静まり返った街道を六頭のレイホースが目的地を目指して駆け出した。
「あそこです!」
併走していたトマソンがルーシェの指差す先を見る。
森の境界にそれと分かる目印として大きな岩があった。上手く木々や草に隠されているが、その先は騎乗獣一頭なら入れそうな間隔がある。
「なるほど……」
普段は村の大人たちが王都に急ぐ時のみ使われるという秘密の抜け道だ。
滅多な事では村から急ぎの使いが出されることはないので足元の草むらにも大した痕跡はない。だからといって悪路かと言われればそんなことはなく、街道を外れた草原にも関わらず、しっかりと足場が踏み固められていた。
「おうまさん、はやーい♪」
風で髪を乱しながらウィルが歓声を上げる。
さしたる障害もなく抜け道の入り口にたどり着いたルーシェが馬を降りて塞いでいた木々を押し退けた。
後続が次々と入り口の前で止まる。
夕日に照らされた道の奥はもう随分と暗くなっていたが、レイホースなら明るさは問題ない。しかし森の中には夜行性の魔獣もいる。油断はできなかった。
「ここから先は一本道です」
「分かりました」
ルーシェの説明にトマソンが頷く。
道幅を考えると一度入れば隊列を組み直せない。
トマソンが僅かばかり、思案に時間を割いていると焦ったエジルの声が思考を遮った。
「トマソンさん! 六時上空!」
大人たちが顔を上げて南の空に視線を向ける。
ウィルだけ意味が分からず、大人たちをポカンと見上げた。
「あれは……」
「なんて数だ……」
エリスに続いてラッツが呆然とした声を漏らす。
ワイバーンの群れが夕陽に彩られた南の空に一筋の黒い線を引いていた。その中に遠目であっても違いの分かる二つの影が混じっている。
「やはり、カラーズ……」
レンが苦虫を噛み潰したように目を細めた。
嫌な予感が当たった、と。間違いなく上位種のドラゴンである。
「ラッツ、色は!」
トマソンの声に魔法を発動して遠くを見ていたラッツが息を呑む。親指と人差し指で輪を作り、その中に見えたドラゴンの色は最悪と言っていい体色をしていたのだ。
「黒です、二匹とも……」
ブラックドラゴン。カラーズと呼ばれる上位種のドラゴンの中でも指折りの難易度を誇るドラゴンである。
上位種のドラゴンは宿す魔石によって鱗の色が変わり、特徴も顕著になっていく。ブラックドラゴンは闇属性の魔石を有しており、ドラゴンの中でも屈指の魔法防御力を誇る。
ただでさえ強靭な鱗に覆われたドラゴンであるにも関わらず、魔法で有効打が打てないのである。
更に最悪なのは、その進路にあった。
一匹は王都に、もう一匹は――
「このまま進めばルイベ村に……」
ルーシェが声を震わせる。
一匹のドラゴンはまっすぐルイベ村の方角を目指していた。なんの防衛手段も持たないルーシェの故郷へ。
「まずいですな……」
トマソンも思わず目を閉じて、己の見積もりの甘さを痛感した。
選択肢としていたルイベ村への避難は絶望的だ。同様に王都への撤退も間に合わない。レティス以外の街へ行くには迫り来る飛竜の群れをくぐり抜けなければならない。当然、襲い掛かってくるだろう。
退路がない。大人たちは皆そのことに気付いた。
やはりよく分かっていないウィルだけがポカンと大人たちを見上げていた。
「どらごんさん、くるのー?」
ウィルのあどけない質問に全員が沈黙してしまう。
ややあって、ルーシェが口を開いた。
「……短い間でしたが、お世話になりました。僕はここまでです」
真剣な眼差しのルーシェを見れば彼が何を成そうとしているのか、一目瞭然だ。彼はこのままルイベ村を目指そうとしているのだ。
だが、如何にレイホースといえどもドラゴンの速度には敵わない。それでも。
「逃げ延びた村人がいるかもしれません……」
「火に巻かれて命を落とす可能性もあるのですよ?」
レンの忠告でもルーシェの決心は揺らがなかった。ただ彼らしく困ったような笑みを浮かべていた。
「ルーシェさん……」
セシリアはそんなルーシェを見捨てられなかった。雇い主としても、王族としても。
間に合わないからといって民を見捨てるような後ろ向きな女性ではないのだ、彼女は。
だが、ウィルは別だ。母としてそんな危険な場所にウィルを連れていくわけにはいかない。
「トマソン」
「はっ!」
セシリアの決意にトマソンが正面から応える。
「ウィルの安全だけは確保したいわ」
「ウィル様は精霊様に好かれておいでです。気は引けますが、もう一度ライア様を頼ってみてはいかがでしょうか?」
「外側からたどり着けるかしら? 精霊様の加護で外からは入りにくいと聞いてますが……」
「こちらにはエジルがおります。精霊様の居所はエジルが突き止めてくれるでしょう」
「そうね……」
セシリアは頷くと馬を降りてウィルの傍へ歩み寄った。
ラッツからウィルを預かったセシリアが深くウィルを抱き締める。
「せーれさんとこいくのー?」
「ええ、そうよ。エジルさんの言うことをよく聞いてね?」
「かーさまはー?」
不思議そうに聞き返すウィルにセシリアは困った笑みを浮かべた。
「私は一緒に行けないの」
「セシリア様にも共に避難して頂きたいのですが……」
「駄目よ。精霊様のご厚意に何度も甘えるわけにはいかないわ」
トマソンの願い出をセシリアはやんわり断った。
ウィルのせいで忘れがちだが、本来精霊とは信仰の対象であり、人が気軽に出会いを求めていい存在ではないのだ。
トマソンとセシリアのやり取りを聞いていたウィルが頬を膨らませる。
「やっ!」
「ウィル、ここは危険なの。聞き分けて」
「やだー!」
「お願いよ、ウィル……」
「みんないっしょじゃなきゃ、やだー!」
駄々をこねるウィル。
その背中を優しく撫でていたセシリアはウィルを真正面から見返した。
ウィルに理解できなくとも、しっかりと説明していく。
「よく聞いて、ウィル。あのドラゴンはルーシェさんの家族がいる村に向かっているの。このままでは村がドラゴンに襲われてしまうの」
ウィルは目に涙を浮かべながら鼻を鳴らす。しかし、話を聞こうという意志はあるようで、セシリアから目を逸らそうとはしなかった。
「おそらく、間に合わない。村は火の海になるわ。それでも私達は村の人を助けに行かなければならないの」
「るーしぇさんのおうち、もえちゃうの……?」
ウィルの質問に答えられる者はいない。
そうならない事を祈るばかりだが、強大なドラゴンが小さな村に襲いかかれば村の跡が残るかどうかも怪しい。
大人たちの反応にウィルがしょんぼり項垂れる。
いつかルーシェが話してくれた沢山いる兄弟の話。そこにはその兄弟たちもいる筈だ。それが燃えてなくなってしまう。
そしてウィルはそれを助けに行く大好きな母や家の者たちと離れ離れにならなければならないのだ。
ウィルにとってそれはとても悲しいことだった。ルーシェのことも母のことも。
我慢できなくなったウィルの目から涙がこぼれ出る。それでも我慢しようと歯を食いしばり、鳴き声を漏らさないウィルの姿は使用人たちの目から見ても愛おしいものだった。
(わるいどらごんさんのせいだ……)
悔しくて悲しくて寂しい。折角みんなで集まったのに。ルーシェの家に行き、いっぱいの家族と会ってお話して一緒に寝てお友達になって。それが全て台無しだ。
(わるいどらごんさんのせいでみんながかなしいになってしまう……)
姉たちや他の使用人たちにも会いたい。いっぱい覚えた魔法を見てもらってみんなに喜んでもらって、それで姉たちを精霊の下へ連れて行って一緒に遊んで。
それなのに、空を埋め尽くすようなドラゴンたちが邪魔をする。
ウィルは我慢の限界だった。とても小さな子どもに耐えられることではない。
しかし、ウィルを以てしても、精霊がいなければどうする事もできない。いや、いたとしてもどうにもならなかったかもしれない。
「…………?」
「ウィル……?」
はたと、何かに気がついて自分の体を見下ろすウィルにセシリアが首を傾げた。
ウィルが服の中に手を突っ込んで、それを引き出す。周りが微かに照らされた。
「それは……」
レンが驚いたように呟く。
ウィルの手の中で月の精霊ルナにもらったペンダントが淡い光を放っていた。
セシリアも使用人たちも固唾を呑んでそれを見守る。その輝きが意味する事を誰も理解できなかった。ウィルでさえも。だが――
(るな……うぃる、かなしいはいやだよ……)
ウィルは心の中で訴えるようにペンダントを両手で包み込んだ。目を閉じ、涙を溢しながら自分の魔力でペンダントに触れる。
(だれか……! かなしいをやっつけて!)
ウィルの想いがペンダントの輝きと絡み合い、弾ける。それは大きな波紋となってフィルファリアの大地に広がった。
【宣伝】
新作も書き始めましたので暇潰しに読んで頂けると嬉しいです。




