精霊の庭からの旅立ち
「はーい、ウィル。力抜いてー」
「うぬー……」
「体に力が入ると逆に沈んじゃうわよー」
「わかったー」
飛行魔法を発動したウィルがアジャンタに手を引かれて宙を進む。その姿はまるで泳ぐ練習をしているかのようだ。
その姿を少し離れて見守っていたセシリアやレン、ライアたちが同じように腕組みしながら見守るボレノに視線を向けた。
『ボレノ、説明を』
ライアに促されたボレノが小さく嘆息してセシリアたちに向き直る。
『今回創った魔法は元々あった降下速度減少を軸にしている。それを新たに作った魔法で運んでいるイメージだな。降下速度減少の魔法は効果範囲を指定できるからその気になれば範囲内にいる者を同時に飛ばせることも可能だ。ただあまり広くし過ぎると消費魔力が増えるし、速度も出ないから注意が必要だな。素早く自在に動くには効果対象を自分のみに絞ればいいが、姿勢の制御が難しくなるから今のウィルにはまだ無理だ』
ボレノの説明にレンがメモを取り、その横で真剣に聞き入っていたセシリアが小さく手を上げた。
「ボレノ様、ご質問がございます」
『なんだ?』
「危険はないのでしょうか……その、落ちてしまったり、とか……」
母親としてはその事が気がかりでしょうがない。
そんなセシリアの様子にボレノは得意げに頷いてみせた。
『その辺に抜かりはない。この魔法は降下速度減少の魔法の発動が絶対条件だ。途中で魔力切れを起こした場合は推進力を失ってゆっくり降下していく。ウィルが無茶をしてもゆっくり降りていくだけさ』
「そうですか……」
少し安心したのか、セシリアの表情が和らぐ。三人の子供たちがいるとはいえ、セシリアの美しさは陰ることがない。
精霊であるボレノもセシリアの表情に思わず照れて頬を掻いた。
『ただ、飛行系の魔獣には十分注意して欲しい。空中での迎撃は言うほど簡単じゃない』
「分かりました。ありがとうございます、ボレノ様」
『あ、ああ……』
礼を述べるセシリアを前に照れたボレノが視線を背ける。
セシリアはボレノの態度を不思議に思ったが、視線をレンへと向けた。
「どう、レン……」
「こちらにはカルツもおりますので問題ないかと……」
メモを取り終えたレンが顔を上げる。
精霊がいない時はレンたちがウィルの魔法を見なければならない。魔法の効果はできるだけ詳しく把握しておく必要がある。
次々と新しい魔法を覚えてしまうウィルは心優しく才気に溢れていたが、違う意味で手がかかるお子様だった。
大人たちがそんなウィルを見守っていると樹の精霊であるクララが駆け寄ってくるのが見えた。
『人間がこっちに向かってくるみたい。フルラが様子を見てくる、って』
『ウィルたちの出迎えか?』
『多分……』
樹の精霊は自身が住まう土地の樹や草花を通して広範囲に探知できるらしい。上位精霊であるフルラの索敵範囲は相当なものだ。
「思ったより早かったですね……」
「ええ、流石トマソンね」
レンとセシリアが予想以上に早く到着した迎えに感心しているとフルラに先導されたトマソンたちが広場に姿を現した。
興味を惹かれた精霊たちが遠巻きにその様子を伺う。
広がる風景に驚きを隠せないでいるトマソンたちを見て、セシリアもまた驚いた。
「ルーシェさん……?」
メンバーの中に最近雇った歳若い門番がいたからである。森の近くの村で育ったとは聞いて入るが、魔獣の住む森へ分け入るメンバーには不釣り合いな気がした。
「森で食用の魔獣を狩っていた、と申しておりましたので森での斥候に一役買ったのかもしれません」
レンの説明にセシリアが納得する。
セシリアたちを迎えに来たのはトマソンを始め、ルーシェ、エジル、ミーシャ、エリスの五名だ。帰りの足の為、騎乗獣を乗り捨てて森に入るわけにはいかないので、おそらくもう一人待機しているはずである。
そのトマソンたちは広場に視線を巡らせ、セシリアたちを見つけると安堵したように駆け寄ってきた。
「あー! じぃやたちだー!」
そんな風に聞き慣れた声が頭上から響き、トマソンたちが仰ぎ見る。
「おーい!」
宙に浮かんだウィルはトマソンたちに両手を振ると、まだフラフラしながらもトマソンたちの前に降りていった。
ポカンと口を開けたトマソンたちが思わず立ち止まる。
「うぃる、とべるよーになったんだよ! すごいでしょ!」
えっへんと胸を張るウィル。
トマソンが驚いたままウィルを指差し、セシリアたちの方へ視線を向けると二人は何も言えずに苦笑いを浮かべた。
「なんと、まぁ……」
さすがのトマソンもかける言葉が見当たらず、ウィルは満足げにトマソンの腕の中に収まった。
心配で、いても立ってもいられず飛び出してきたトマソンたちはウィルたちの無事を確認すれば安堵や感動で満たされると思っていた。だが、それは大きな間違いだ。
魔法大好きウィルベルが、見た端から魔法を習得してしまうウィルベルが、精霊と一緒に過ごして魔法を習得しない筈がない。
使用人たちの心配がまた一つ増えた瞬間であった。
「いやはや……」
またしても常識外の成長を遂げたウィルにトマソンは悩んだ末、セシリアに向き直った。
「セシリア様、心中お察し致します」
「苦労をかけるけど、お願いね」
「それはもう。ウィル様の為ですから……」
お互いに苦笑し合うセシリアとトマソンの間でウィルが不思議そうな顔をする。自分のことを言われているなどと気付きもしない。
『ウィル、私たちは少し話がある。今の内にみんなとお別れの挨拶してくるんだ』
ライアに促されたウィルがその顔を見る見る曇らせた。
「おわかれー?」
『そうだ』
しょんぼり肩を落とすウィルの頭をライアが笑って優しく撫でる。
『落ち着いたら、また来るといい』
「でも、とーいもん。すぐにこれないもん……」
『心配ない。すぐに来られるようにしておこう』
「ほんとー?」
『本当だ。私は嘘はつかない』
「うん……」
ウィルは頷いて精霊たちに別れを告げるために駆けていった。
『不思議な子だな……』
ウィルの背中を見送ったライアが小さく笑う。
『魔力が見えているせいか、心を開く時は躊躇いがない』
「そうなのでしょうか……」
昨日、ウィルの魔法の使い方が精霊に似ていると言われた事を思い出し、セシリアが頬に手を当てる。精霊にそう評されたことは喜ぶべきことなのかも知れないが、親の身としては心配が先に立つ。
『心配する事は他にある。ウィルの加護の話は信頼の置ける者たちの間で留めておくべきだ』
「なんの話ですかな?」
疑問に思うトマソンたちを前にセシリアがレンと目配せをする。それからライアに視線を向けた。
「ライア様。この者たちは私が一番信頼している者たちです」
セシリアの宣言にライアが黙って頷く。
セシリアは昨夜、ルナと名乗る月の精霊にあった事をトマソンたちに伝えた。ウィルに与えられた加護が月属性であることも。
「詳しくはいずれ、と……」
「そのような事が……」
深刻に受け止めて、トマソンが口元に手を当てる。
長く国に仕えていたトマソンをもってしても月属性の加護というのは聞いたことがない。
横に控えたエリスも才知を備えた魔法使いの側面を持つが聞いたことのない話であった。
『ルナ様のことについては私の口から多くを語ることはできない。ただ、ウィルの件に関してはイレギュラーなのだと思う』
「ライア様が気に病むことはございません」
申し訳なさそうに頭を下げるライアにセシリアが慌てて首を横に振る。
『そう言ってもらえると助かる』
ライアは一つ息をつくと掌を上に向けて魔力を込めた。闇が集まり、掌に小さな精霊石が生まれる。まるで宝石のような形をした精霊石の表面には見たことのない文字が浮かんでいた。
『これを』
「これは……?」
不思議な精霊石を手渡されたセシリアがライアを見返す。
『それを家の壁に押し付けてくれ。できれば魔力を供給しやすく目立たない場所がいい。そうすればその壁と私の住処を繋げることができる。セシリアたちが信頼する者ならその壁を通ってここへ赴くことができるだろう』
「ありがとうございます。きっとウィルも喜びます」
『まぁ、毎日来られても困るが……』
ライアの言葉にセシリアが笑みを浮かべ、「釘を差しておきます」と付け加えた。
ライアも頷いてはっきりと宣言する。
『ルナ様にも頼まれているのでな。この庭の精霊はできる限りウィルの力になろう。もう認めている者も多いだろうが……』
ライアの視線が傍で黙って聞いていたボレノに注がれる。その視線を追ってセシリアたちの視線もボレノに向けられた。
『し、知らねぇし! 俺は知らないからな!』
慌てて否定してそっぽを向くボレノにみんなが笑みを浮かべる。
「重ね重ね、ありがとうございます。ライア様、ボレノ様」
セシリアが丁寧に頭を下げる。それを待ってトマソンも頭を下げた。
「我々の主人と仲間を持て成していただき、誠にありがとうございました。このお礼は、必ず……」
『大したことはしていない。気にするな』
「そうも参りません。これからもお世話になるのですし……」
『わかった。いずれ、な』
律儀な主従にライアが呆れたような息を吐く。
そんなライアを見て、セシリアがクスリと笑う。
「それではそろそろお暇しましょう」
「そうですな。今ならまだ、今日のうちに目的地にたどり着けるでしょう」
『道案内はフルラをつけよう。ボレノ、ウィルを呼んできてくれ』
ライアに頼まれたボレノが嫌そうな顔をして文句を言いながらウィルを呼びに走った。
セシリアとレンはトマソンから今後の行動について話し合っている。そこにフルラが合わさって、森の内情や抜け道などの確認を始めた。
「かーさま、もーもーさんもー」
精霊たちに別れの挨拶を済ませたウィルが牛車を引いていたオルクルの背に跨り、セシリアたちの下にやってくる。
その後ろには精霊たちがぞろぞろと見送りについてきており、面食らったルーシェが目を瞬かせた。
「こんなに沢山、精霊が……」
「みんなおともだちなのー♪」
トルキス家の者たちからすると当たり前の光景になりつつあるが、本来であれば精霊とは殆ど人前に姿を現すことはない。
驚きを隠せないでいるルーシェにウィルが嬉しそうな顔をした。
「うぃるとるーしぇさんはともだちだから、るーしぇさんとせーれーさんもともだちね」
「はぁ……」
ウィルの謎理論に巻き込まれたルーシェが曖昧な相槌を打つ。
そんなウィルたちの様子を微笑んで見ていたセシリアが見送りに来た精霊に向き直った。
「それでは皆さん、お世話になりました」
「みんな、またねー!」
セシリアに倣ってお辞儀をする使用人たちの中でウィルが大きく手を振る。
『ウィル、またねー!』
『気をつけてねー!』
『ばいばーい!』
精霊たちはウィルと同じように手を振り返してくれた。その旅立ちを祝福してくれるかのように。
多くの精霊たちに見送られ、フルラを案内役としたウィルたち一行は精霊の庭を後にした。
コミケ97の一二三ストア様のブースでコミカライズ書籍のお試し小冊子が配られるという情報をキャッチ致しました。行かれる方はチェックしてみてくださいね♪(遅)




