使用人たちの作戦会議
一方、その頃トルキス邸の使用人たちはエリスとアイカによってもたらされた報せに暗く沈んでいた。
「……起きてしまったことは仕方ありません。精霊様がお側にいるのであれば、まだ手遅れではない筈です」
「「はい……」」
使用人たちを束ねる者として素早く切り替えるトマソン。
その前でエリスとアイカが深く頭を下げる。
「顔を上げなさい。今はそんなことよりもやらなければならない事があります」
トマソンの口調は厳し目だが、それが怒りから来るものでないことは全員が理解していた。
ウィルたちの遭難と同時に飛竜の渡りが観測されている。
それも今までにない規模で。
飛竜の渡りの脅威が森にまで及び、火に巻かれるような事があれば如何に精霊が一緒にいるとあっても無事では済まない。
ウィルたちの救出は急務。
しかし、誰の助けを借りることもできない。
今、この場にいる者たちで行わなければならない。
「フェリックス様になんとか足の都合をつけてもらったとして、一日。そこから休みなく森を突き進んだとしても、すぐにセシリア様たちが見つかるとも限らんし……」
広げられた地図を指で示していたジョンが顎に手を当てた。
当然人間は疲労する。休まず行動し続けるのは無理があった。
「そこは俺がなんとかしますよ……」
そう応えたのはエジルだ。
斥候が得意の彼は森での探索任務も熟知している。
土の幻獣ブラウンとも契約しているエジルの探知能力はこの中でも群を抜いていた。
「うむぅ……」
トマソンが地図に視線を落として唸る。
如何にエジルが優秀とはいえ、この広い森を休みなく先導し続けるのは負担が大きい。
ただでさえ強行軍なのだ。
探索効率も下がると判断して間違いない。
それ以外にも問題はある。
出発するタイミングは図れるとしても、帰還するタイミングは図れない。
飛竜の渡りは今後だんだんと数を増していく可能性が高い。
そうなれば飛竜の大群に飛び込むことになる。それはトマソンたちが実力者であったとしても無謀だ。
「王都も絶対に安全とは言えません。何名かはセレナ様、ニーナ様と残ってもらう必要があります。その上で、最適な人員を導入しなければ……」
悩んでいられる時間はそう長くない。
頭を悩ませるトマソンの横でジョンがスッと手を上げた。
「属性的に俺とアイカは留守番だ」
「……はい」
無念そうに頷くアイカ。火属性を得意としているジョンとアイカは森での活動が不向きなのだ。
トマソンもその事を理解しているので黙って頷いた。
と、その時である。
何者かがリビングから覗く庭にふわりと舞い降りた。
ゆったりとした帯状のような衣服を身に纏った魅惑的な印象を受ける女性だ。
女性は屋内に向き直ると開け放たれた窓を通って室内へ入ってきた。
「精霊様……?」
セレナが精霊特有の光を見てポツリと呟くと女性は柔らかな笑みを浮かべた。
『こんにちは、お嬢さん。申し訳ないのだけれど、うちの旦那様はご在宅かしら?』
「えっ……?」
言葉の意味が分からず、目を瞬かせるセレナ。
使用人たちも顔を見合わせる中、代わりに応えたのはセレナとニーナから溢れた緑光だった。
「きゃっ、フロウ!?」
「ボルグ、だめよ!」
飛び出した風狼の子供たちが女性の周りをはしゃぎ回る。
『あら、あなた達。だめよ、お行儀よくしなくちゃ』
興奮する子狼たちをなだめながら、女性がふと気付いたように顔を上げた。
『一匹足りないわね。どうしたの?』
女性の質問に答えるように子狼たちがクンクン唸る。
その様子に勘を働かせたマイナが口に手を当てた。
「ひょっとして……」
「こんにちはー♪」
マイナの言葉を遮るように、見慣れた少女が庭から飛び込んでくる。急な登場にニーナが思わず呟いた。
「あ、アジャンタ様……」
『なーに、アーシャ。あなた、他の人間にも真名を教えているの?』
呆れたような女性の声にアジャンタが照れ笑いを浮かべる。それからその場に目当ての男の子がいない事に気が付いた。
「あれ? ウィルは……?」
「ようこそお出でくださいました、精霊様。私、当家の執事を勤めさせて頂いておりますトマソンと申します。当家は只今、火急の事態に見舞われておりまして……」
丁寧な礼をするトマソンに女性とアジャンタが顔を見合わせる。
そんな精霊たちにトマソンは事の次第を話し始めた。
シロー不在の中、山道で襲撃されて谷底へと転落したウィルたち。
時を同じくして王都が予期せぬ飛竜の渡りに見舞われている事。
呆れたようにため息をつく精霊の横でアジャンタの顔色がみるみる悪くなっていく。
『道理で風が騒がしいと思ったら……』
「急いでウィルを助けなきゃ! 私が!」
『はい待った』
慌てて飛び去ろうとするアジャンタの襟を女性の精霊が捕まえる。
首を絞められる形になったアジャンタの口から「ぐえっ!?」と苦しげな声が漏れた。
精霊が嘆息してアジャンタを足元に留める。
『落ち着きなさい。あなたの友人が一緒なんでしょ? だったらしばらくは大丈夫よ』
「だってぇ、ウィルがケガしてたら……」
泣きそうな顔をするアジャンタの頭を精霊がポンポンと撫でた。
『大丈夫だってば。その子に託した子供からも反応ないし――』
「申し訳ございません、精霊様。その託した子供とは……それに、先程の旦那様とはどなたの事でございましょうか?」
代表するようにトマソンが尋ねると女性の精霊は気が付いたように顔を上げた。
『失礼したわ、ごめんなさいね。私は風の上位精霊、アロー。魔刀、風の一片の妻にしてこの家の子供たちに託した風狼たちの母親よ』
「「「…………はっ?」」」
アローの名乗りに全員が目を点にする。目の前の精霊はどう見ても人と同じ姿をしており、手元であやす子狼たちの母親のようには見えなかったからだ。
『私も子を成したのは初めてだったケド、この子たちは旦那様に似たようね』
似たとかいうレベルではない。まんま狼である。
人の姿の者から狼が生まれるなんてことは人からすれば常識外だ。
当然、精霊であるアローには人の常識など当てはまりはしなかったが。
『私たち家族は遠く離れていなければお互いの安否くらい感じ取れる。私や子狼たちが危機感を感じ取っていないってことは、まぁそういうことよ』
「なるほど」
いち早く気を取り直したトマソンがアローの言葉に理解を示す。
彼女がそう言うのであればおそらく問題ないのだろう。
「それは、どの辺りにお子様がいらっしゃるかもお分かりになられるのですか?」
『分かるわよ? そうねぇ……このくらいの感覚ならちょうど山向こうの川沿いかしら』
アローの言葉に地図を見直したトマソンが場所を確認する。
アローも地図を覗き込んで指差してくれた。
『この辺ね』
「あ、ここ……精霊の庭じゃない?」
横から覗き込んだアジャンタの言葉にアローが頷く。
『賢明な判断ね。ここなら魔獣から身を隠すにはうってつけだわ。ライアかフルラなら追い出すような真似はしないでしょう。ネルは……どうでもいいわ』
アローの言葉にアジャンタが思わず苦笑する。
仲が悪いわけではないが、アローとネルは性格的に少し合わないところがあるのだ。
そんな事とは知らず、使用人たちが疑問符を浮かべる。
『とりあえず、大丈夫だから。そうね……アジャンタは先行してライアに話をつけてあげなさい』
「はい!」
力強く頷くアジャンタ。
アローは髪を掻き上げると小さく唸った。
『私は、そうねぇ……ここで待たせてもらうのもアレだし。ひとっ飛びして一片たちに伝言してあげるわ』
「それは……そうして頂けると有り難いのですが、危険ではございませんか?」
フィルファリア上空には既に相当数のワイバーンが飛翔している筈だ。
その事を心配するトマソンにアローは流し目で笑みを浮かべた。
『ありがとう、執事さん。優しいのね。でも、大丈夫よ。風の上位精霊の飛翔について来れる飛びトカゲなんていないわ』
「左様でございましたか……」
アローの見惚れる程の美しさに誰もが目を奪われる中、トマソンは気負うことなく姿勢を正して一礼した。
「それでは、お願い致します」
彼女の言葉を信じるなら任せても危険はないだろう。
『了解♪』
自信に満ちた表情で頷いたアローは急かすアジャンタを伴って、来た時同様に庭から空へと飛び立っていった。
精霊たちを見送ったトマソンたちが再び向かい合う。
精霊たちの登場があったからか、先程のような重苦しい空気は微塵もない。
「一先ずの安全は確保されたと考えてもいいでしょうが、我々が動かなければセシリア様たちを救えないことに変わりはありません。何か案があれば、挙手を」
トマソンが静かに告げて使用人たちを見回す。
すると、ルーシェがおずおずと手を上げた。
「あ、あの……」
「どうぞ」
トマソンに促されて発言の機会を得たルーシェが地図の一箇所を指し示す。
「救出した後の事なんですけど……ルイベ村に避難するというのはどうでしょうか?」
「ルイベ村……?」
トマソンが視線を地図に向ける。
王都レティスから伸びる道を辿ると宿場町として栄えた大きめの街がある。
その中ほどに二股に別れる分岐点があり、宿場町への道を外れると小さなルイベ村があった。ルーシェの故郷である。
「決してきれいな村ではありませんが、飛竜の渡りから逃れるなら好都合かと……」
無理に目立つ場所へ帰還するより森の近くの小さな村を目指す方が目をつけられにくい。一理ある話だ。悪くない。
「それと……」
加えてルーシェは地図上のルイベ村から街道まで斜めに指を走らせた。
指は街道をなぞらず、森を突っ切って街道に出た。
まるで森の端の一部を切り取るように。
「この辺りに村の者しか知らない抜け道があります。馬車は通れませんが騎乗獣で抜けるには十分な広さがあります」
「なんと……」
国に長く仕えていたトマソンでさえ知らない抜け道であった。
そしてその抜け道はウィルたちを救出する為の突入ポイントからそれほど離れていない位置にある。
顔を上げたトマソンが顎髭を撫でながら唸る。
「しかし、ルーシェしか知らないとなると飛竜の飛び回る街道を一緒についてくることになります。それはあまりに危険です……」
確かに、と誰もが頷く。
ルーシェはまだトルキス家で訓練を始めたばかりで大した腕前を持っていない。
戦闘に関して言えば明らかにお荷物だ。
言葉無く項垂れるルーシェの視界に見上げてくるセレナとニーナの顔が映った。
取り残された母と弟を案じる姉妹の顔が。
その顔を見たルーシェが強く奥歯を噛んだ。
(また逃げようとしている……)
確かに自分は弱い。戦闘では足手まといだろう。
だがしかし、今は弱くとも、たった一つ自分のスキルを活かして役立てる事があるではないか。
それを言わずに沈黙するのは逃げているのと同じだ。
ルーシェは意を決すると顔を上げ、トマソンを見返した。
「確かに僕は弱いです。戦闘ではなんの役にも立ちません。でも森の中でなら少しは役に立つはずです」
思わぬ反論にトマソンが少し厳し目の表情でルーシェを見下ろす。
ルーシェを雇う際、トマソンはレンからルーシェの素性と能力を聞いていた。森で魔獣を狩猟していた、と。
もし森で斥候をこなせるのであれば、エジルのサポートとして時間の短縮が見込める。
「エジル」
ジョンがエジルに声をかける。
全員の視線が集まる中、エジルが真剣な顔をしてルーシェにハンドサインを送る。
それを受けたルーシェがハンドサインを返すとエジルを始め、意味を理解した者たちが思わず頬を緩めた。
(いつ感じてもいいモノです。若者の気概というのは……)
トマソンも微かに頬を緩めると、それを悟られないように凛とした声を発した。
「救出に行く者と街に残る者を分けます。救出に向かう者は解散後、即準備を。残る者は可能な限りバックアップを」
「「「はいっ!」」」
一斉に背を正す使用人たち。
飛竜の渡り第一波の沈黙後、彼らは選抜した少数でウィルたちの救出に向かうのだった。
【人物】
アロー……真名、アウローラ。風の上位精霊。魔刀風の一片の願いに応えて幻獣の子を成した女性型の精霊。




