90話・人が消えた街 3
ラトス誘拐7日目
深夜、隠密の一人が僕達の部屋にやってきた。
オルニスさんのベッド脇に跪き、小声で何やら報告している。眠りが浅かったからか、シェーラ王女もアーニャさんもすぐに目を覚ました。
「オルニス様、何かありましたの?」
「……キュクロの住民を発見したらしい。しかも、子供が数人だけ」
「え、子供?」
「ふうん……この街から何故住民が消えたのか、その子供達に聞けば分かるかもしれないねェ」
そうは言っても今は深夜だ。子供を尋問するような時間ではない。
オルニスさんは子供達を秘密裏に監視するよう隠密さん達に指示を出し、そのまま寝直した。眠っている所を急に起こされたので、まだ眠いらしい。
翌朝、まだ辺りが薄暗い時間帯。
オルニスさんは隠密さんを呼び出し、昨夜の件を改めて問い質した。口元を布で覆い隠した隠密さんは、跪いたまま淡々と報告する。
「子供はいずれも四、五才の男児で、人数は三人。街の片隅にある家で眠っている所を発見しました。こちらの存在には気付かれておりません」
「ふむ、そんなに幼いのか。ならば話を聞いても埒があかないな」
報告を聞いて、オルニスさんは落胆したように小さく息を吐いた。もう少し年上か大人が発見されていれば詳しく話を聞くつもりだったのだろう。
「仕方ない。幸い私達の事は気付かれていないようだし、このまま置いて行くとしよう」
「えっ、そんな……」
置いて行く?
大人が一人もいないこの街に?
思わず反論しようと声を上げたが、オルニスさんの目を見たら何も言えなくなった。
好きで切り捨てる訳じゃない。
でも、物事には優先順位がある。
「ここから先、何があるか分からない。連れ出した方が危険な場合もある。──分かるね?」
「……ッ」
いつもは優しいオルニスさんが見せる、冷徹な面。有無を言わさぬ絶対的な圧力。口では『子供達の安全の為』と言ってはいるが、それは面倒ごとを避ける為の方便に過ぎない。
小さな子供を見捨てるなんて。
縋るような気持ちでアーニャさんとシェーラ王女を見たが、二人に反対する意志はないようだった。
「街の中ならば危険はありませんわ。日持ちする食料もあるでしょうし、ラトス様をお救いした後に立ち寄れば良いではないですか」
シェーラ王女の目的はラトス救出のみ。それ以外の事にはあまり関心がない。
「見知らぬ大人、しかも他国の人間が事情も分からないのに勝手に子供を連れ去ったらマズいだろう。気の毒だが置いて行くしかないよ」
アーニャさんの言う事はもっともだ。だけど、知ってしまった以上は放っておけない。
「なんとかなりませんか。街の中だけど、小さな子供だけじゃ生きていけないよ……!」
四、五才じゃ自分で火も熾せないだろう。暖も取れないし、日が暮れたら真っ暗だ。
僕は、誰も居なくなったキサン村で過ごした数日間を思い出していた。明るい昼間は大丈夫だったけど、日没の訪れが怖かった。それに耐え切れなくなったから、ひきこもりなのに外に出て人里を探しに行ったんだ。
保護者がいない子供がいるのならば、誰かが守ってあげなくては。
納得いかない様子の僕をみて、オルニスさんは妥協案を提示した。
「──分かった。子供達には隠密を一人付けよう。それとなく食料等の世話をして、危険があれば守るように。そして、帝都から帰る時にまだ住民が戻っていないようであれば保護して連れ帰る……それでいいかい?」
「は、はいっ!」
「殿下の隠密は外せないから、辺境伯家から出そう。丁度子供の相手が得意な者がいる」
「あ、ありがとうございます!」
隠密さんが付いていれば子供達が飢えたり凍えたりする事もないだろう。
でも、僕の我が儘で貴重な戦力を一人割いてもらう事になってしまった。申し訳ない。
「予定より多く隠密を連れて来ていたから構わないよ。それより早く支度をして出発しようか」
いつものような穏やかな笑みを浮かべ、オルニスさんは身支度を整えた。僕も慌てて上着を着て肩掛けカバンを持つ。
宿屋の食堂で朝食を食べながら、地図を広げて今日の目的地を確認する。
「今日はこの『コルビ』という都市まで行こうと思う。ここから帝都までは目と鼻の先。翌日には帝都に入れるだろう」
「やっと帝都の近くまで行けますのね……」
シェーラ王女が感慨深そうに呟いた。着々とラトスの居る場所に近付いているからだ。
「……まさかとは思うが、そこの住民まで居ないってこたぁないだろうねェ?」
「地図上ではかなり大きな都市のようだし、普通に住民が居ると考えた方がいい。もし、コルビにも居ないとしたら、かなりの異常事態だ」
既に十分異常な状況だと思う。
オルニスさん達にも、二十年も国交のない帝国の事情は分からない。何故こんな事になっているのか確認したくても出来ないのだ。
キュクロを出る時、僕は後ろを振り返った。
街の外壁の上に一人、子供達の世話役として残った隠密さんが佇んでいた。僕達を見送ってくれている。他の隠密さん達と見分けがつかないが、オルニスさん曰く面倒見のいい人らしい。
「遠くからでも子供達の様子を見たかったな」と言ったら、オルニスさんに苦笑いされた。
「顔を見たら情が湧いてしまうだろう? 放置していく訳じゃないのだから我慢しなさい」
オルニスさんも二児の父親だ。多分、僕が黙っていても子供達の為に何か対策をするつもりだったんだな。そんな事に今頃気付いて、僕はちょっと恥ずかしくなった。
街道をひたすら南へと駆ける。
サウロ王国で言えば、そろそろ王領に入る頃だ。ユスタフ帝国の領土がどう分割されているかは分からないが、かなり国の中心部に近付いているのは間違いない。
相変わらず、メインの街道だというのに人通りは一切ない。
時折休憩所らしき建物を見つけたが、何年も前から使われていないような有様だった。水場だけは使えたので、馬に水を飲ませる事が出来た。
これまで頻繁に遭遇していた魔獣が急に出てこなくなった。おかげで順調に進めている。というか、順調過ぎる。
もっとこう、帝国兵とかが出て来て戦闘になるかと思ってたんだけど。帝国兵どころか帝国民すら居ない。肩透かしを食らった気分だ。
日が傾き掛けた頃、予定通り目的地の側まで辿り着いた。
「オルニス様、この先にコルビの街があります。様子を見て参りますので、しばらくお待ち下さい」
隠密さんに調査を任せ、僕達は街道から少し離れた林の中で待つ事にした。木々の間から魔獣が飛び出してこないか不安だったけど、周りには何もいないようだ。念の為、馬に乗ったまま休憩を取る。
もしコルビの街も無人だったらどうしよう。
ガルデアとキュクロの住民が居なくなっていた件で、僕はある可能性に思い当たった。
魔獣を人工的に創り出す方法。
それは、獣に生きた人間を喰わせる事。
これまでの魔獣大量発生の裏で、住民の大量虐殺が起きているのではないかと予想していた。
しかし、二つの街にはつい最近まで人が暮らしていた形跡があった。魔獣大量発生の時期とは異なる。
それに、街の中には獣が暴れた痕跡はなかった。あの場で喰われた訳ではない。
では、何故住民が居なくなったのか。これが一番の謎だ。店舗や住居にはほとんどの家財道具がそのまま残されていた。つまり、引っ越しや避難をした訳ではない。
考えても納得出来る答えは出てこない。
そうこうしている内に調査に行った隠密さんが戻ってきた。
「どうだった?」
「コルビの街は住民がおります。特に異常はありません。僅かですが、出入りする者もおります」
なんと、コルビには住民がいた!
良かった。ここも無人だったら流石に不気味過ぎるもんな。
「ふむ、街には入れそうか?」
「は。検問さえ突破出来れば問題ないかと」
活気のある街のようで、一度内部に入ってしまえば紛れ込むのは簡単らしい。
そうと決まれば話は早い。僕達はコルビの街を守る門を目指して馬を進めた。
林を抜け、しばらく進むと大きな街が見えてきた。要塞のような、高くて分厚い塀に囲まれていた。大きな門の前には検問所があり、帯剣した兵士が数名立っている。荷馬車の荷物や出入りする人を細かくチェックしているようだ。
サウロ王国発行の通行証を出したらどうなるか分からない。ここはアーニャさんの幻覚魔法の出番だ。
検問の順番が回ってきた。
アーニャさんの幻覚魔法で通行証を確認する兵士一人の認識を歪めた。おかげで僕達は怪まれる事もなく、そのまま素通りに近い形で門を潜った。
「アーニャさん、どんな幻を見せたんですか」
「んっふっふ。帝都在住の家族連れが買い物しに来たって事にしたのさ。仲睦まじい夫婦と可愛い子供達ってね」
それを聞いて、オルニスさんは手綱を取り落とした。シェーラ王女も微妙な表情を浮かべている。僕と兄妹っていうのが嫌なのか。そりゃヒメロス王子とは比べ物にならないですよ僕は。
オルニスさんは「エニア、済まない。これもラトスの為だ……」と何やらブツブツ呟きながら平静を装っている。
こんな無理のある設定でも信じ込ませる事が出来るなんて、幻覚魔法めちゃくちゃヤバいな。
コルビはとても栄えている街だ。大通り沿いの店舗の規模や扱っている商品からして違う。高価な装飾品を扱う店も多い。富裕層が多く訪れるのだろう。ガルデアやキュクロとは違った雰囲気を感じる。
目立たないよう、少し奥まった場所にある平民向けの宿屋で部屋を借りる事にした。もちろん大部屋だ。
「この辺りは久し振りに来たけど、何か変わった事はあったかい?」
宿屋の手伝いの少年に話し掛けるオルニスさん。部屋へ手荷物を運んでもらいながら、さり気なく情報を収集する。
「ああ、半月ほど前に皇帝陛下が軍隊を引き連れて北へ向かったそうですよ。この街には立ち寄らなかったんで、あくまで聞いた話ですけど」
「……へえ、陛下が。何処へ行かれたのかな」
「さあ、魔獣退治とかですかね? でも、わざわざ皇帝陛下が出向く訳ないんで、単なる噂だと思いますよー」
荷運びの謝礼を渡し、部屋へと引っ込む。少年の足音が遠ざかったのを確認してから、僕達は部屋の中央に固まった。僕の盗聴阻害の魔導具の効果範囲内で、顔を突き合わせて情報を整理する。
「皇帝が動いただと?」
「アタシ達は北から来たが、軍隊どころか兵士一人見掛けてないんだがねェ」
「ていうか、明日帝都に行っても皇帝はいないってコト? 僕、てっきりラトス誘拐の黒幕は皇帝だと思ってたんだけど」
「私もですわ。どういう事なのかしら」
とにかく情報が少ない。オルニスさんは早速隠密さん達に情報収集の指示を出した。裏で何かが起こっている気がして仕方がない。
明日はいよいよ帝都入りだ。
ラトス、頼むから無事でいてくれよ。
これにて6章は終了です。
この後、閑話と登場人物紹介を挟んで新章に移ります。




