88話・人が消えた街 1
ラトス誘拐4日目
ユスタフ帝国領に侵入して半日。
ようやく人が住んでいそうな街が見えてきた。既に日も落ち掛け、辺りが薄暗くなっている。
街全体を見下ろす小高い丘に一旦馬を止め、先に隠密さん達に様子を見に行ってもらう。待っている間も、魔獣に備えて馬に乗ったままだ。
懐から取り出した地図を広げ、現在地と照らし合わせるオルニスさん。隣に馬を寄せ、アーニャさんも地図を覗き込んで確認している。
「位置からして、あれはガルデアという街みたいだよ。大体ナディールと同じくらいの規模かな」
「人の出入りはないが、荒れた感じはしないねェ。廃墟ではなさそうだ」
確かに、これまで通り過ぎてきた廃墟とは違って建物はキッチリ残っているように見える。街全体が頑丈な塀に囲まれているので、魔獣の襲撃にも耐えられそうだ。
「あ、でも僕達って街に入れるのかな。他国の人間が来たら通報されない?」
ユスタフ帝国は他国との国交を断絶している。一応通行証は持って来てるけど、よく考えたら提示しちゃマズいよね。
「そういうのはアタシに任せな。門番に幻覚見せて中に入っちまえばいい」
「おお〜……」
アーニャさんの幻覚魔法なら、一時的に相手を惑わす事が出来る。僕達を帝国民だと信じ込ませればいい。
それなら安全な場所でゆっくり休めるかも。
ちょっと楽観的な気持ちになったが、世の中そんなに甘くなかった。ガルデアの街の様子を見てきた隠密さん達から信じられない報告をされたからだ。
「街に人が居ない……?」
「は。ざっと全体を見て参りましたが、住民は見当たりません」
「それは、魔獣に襲われたからでしょうか」
「いえ。街の塀に破損は無く、内部に獣の痕跡はありません。家屋には荷物が残されたままになっております」
意味が分からない。
つまり、ガルデアの住民だけが忽然と姿を消したという事か。小さな村ならともかく、こんな大きな街の、何千人もの住民がひとり残らず?
僕とシェーラ王女は、困惑したまま顔を見合わせた。しかし、オルニスさん達は特に動じていないようだ。
「住民が居ないという事は、堂々と街に入れる訳だ。内部に魔獣が居ないのも好都合。此処に居るよりは安全だろう」
「そうそう、手間が省けて良かったよ。さ、早く行くとしようか」
隠密さん達には引き続き街の調査を命じ、オルニスさんとアーニャさんは馬を進めた。
街の入り口に到着した。
塀の外側には深さ二メートル程の堀が作られ、門の手前だけ橋が架かっている。立派な鋼鉄製の門があるが、中から隠密さんが開けてくれた。僕達の馬が入った後、再び門を閉じる。
ガルデアは、整備が行き届いた綺麗な街だ。
門から入ってすぐの所に広場があり、周辺には石造りの建物が並んでいる。街の南から北に真っ直ぐ伸びる大通りには、大きな商店や飲食店、宿屋もある。
しかし、僕達以外に人が居ない。
荒らされた形跡もなく、店頭には商品が置かれたままになっている。飲食店の中に入ってみたが、厨房には野菜などの食材が残っていた。萎れてはいたが、どれもそこまで古くない。
通りを一本奥に入り、普通の住宅の中にも入って調べてみる。家財道具はそのまま残されていて、台所の鍋にはスープがなみなみと入っていた。これも数日から十日くらい前に作られたものと推測される。
他の店や住居も似たような状態だった。
「一体、何があったんでしょうか」
普段は気丈なシェーラ王女が不安そうに呟いた。流石にこの状況は不気味過ぎる。僕も怖い。
残された物の状態から考えると、四、五日前まで街に人が居た事は確かだ。街の住民全員が荷物を全て置いて居なくなるなんて、そんな事が有り得るのか。
「考えても仕方ない。今夜はここで休んで、早朝に出て行こう」
早々に探索を打ち切り、オルニスさんは通り沿いにある宿屋へ向かった。
宿屋の裏手には客用の厩舎があった。四頭ともそこに繋ぎ、お世話は隠密さんに任せる。建物に入るが、出迎える主人もいないし他の客もいない。先に全ての部屋をチェックしてもらったが、やはり誰もいなかった。
「勝手に部屋を使わせてもらうとしよう」
隠密さんの案内で階段を上がっていく。掃除済みの部屋を二つ確保し、男女に別れて使う事にした。ベッド二つとミニテーブルだけのこぢんまりとした部屋だ。お風呂とトイレは階下にある。
宿屋の周辺では、隠密さん達が交替で見張りをしてくれている。状況に変化があれば、真っ先に知らせてくれる手筈になっている。
部屋の窓から外を眺める。完全に日が落ちたので、辺りは真っ暗だ。住民が居ないから、どの家にも明かりが灯らない。僕達のいる宿屋だけがランタンのおかげで明るい。
「食事をして、早く休もう」
「あ、はい」
ちょうど隠密さんが食事を運んできてくれた。紙に包まれているのは、パンと焼いた肉。出がけにブラゴノード卿が持たせてくれたものだ。隣のアーニャさん達の部屋にも同じものが運ばれている。
ベッドに腰を掛け、もそもそとパンを齧る。向かいに座るオルニスさんをちらりと見ると、やや表情が暗い。ずっと馬を走らせていたから、疲れが出たのだろうか。
「あの、大丈夫ですか」
「うん? ああ、考え事をしていただけだよ」
声を掛けると、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「この街の在り方は異様だが、お陰で野宿せずに済む。私やアーニャ長官はともかく、殿下には負担になるからね」
「そ、そうですよね。でも、まさか帝国領で宿屋に泊まれるとは思いませんでした」
「ヤモリ君も疲れただろう。馬に乗るのは今日が初めてだったかな? 脚とか痛いんじゃないか?」
「はい、実は」
後ろに乗ってるだけだったのに、下半身が筋肉痛になりかけている。馬から落ちないように、ずっとバランスを取っていたからだ。それに、鞍の取っ手を握り締めていたから手も痛い。乗馬って優雅に見える割にハードな全身運動だ。
「お義父さんやエニアは手綱無しで馬に乗って戦うんだよ」
「嘘ッ!?」
「馬と息が合っていないと出来ない芸当だよ。私にはとても真似出来ないが」
「普通は無理ですよ……」
実際に乗ってみて初めて知ったけど想像していたより馬上は揺れる。しっかり手綱を握っていないとすぐに振り落とされてしまう。
そんな状態で両手を離して更に暴れるなんて、エニアさんも辺境伯のおじさんも規格外だ。
「……ラトスは時々エニアに乗馬を習っていた。あの子は勘が良いし、きっと同じように上手くなる」
「へぇ、ラトス凄い」
「そうなんだ。何でもソツなくこなせるし、あの子は本当に優秀なんだ。私の自慢の息子だよ」
ふと、話題がラトスに移った。
親バカとも取れる発言だが、端々からオルニスさんのラトスに対する深い愛情が感じられた。
ラトスが誘拐されてから四日。
普段仕事で一週間以上会えない事も珍しくなかった。ラトスとマイラが安全な場所にいるのが分かっているから、オルニスさんもエニアさんも安心していられた。
でも、今は違う。
誘拐の実行犯は頭のイカれた女暗殺者。
空飛ぶ魔獣での長距離移動。
連れ去られた先は敵対する帝国。
ラトスがどんな扱いを受けているのか、そもそも無事なのかすら分かっていない。
これまで、オルニスさんは取り乱す事もなく気丈に振る舞ってきた。それは周りを不安にさせない為に演じていただけで、実際は一番ラトスを案じている。
やっぱり、なんとしてもラトスを無事に取り戻さなくては。そして、心配する家族の元に返してあげるんだ。
例え、僕が帰れなくなったとしても。




