80話・再会と誤解と嘘
ラトス誘拐2日目
前後左右を小隊に守られながら、僕達の乗った馬車は最初の休憩ポイントに到着した。王領シルクラッテ州とクワドラッド州の境界にある街、ナディールだ。
普通の馬車なら八時間以上掛かる道のりだが、高速馬車のおかげで僅か五時間弱で移動出来た。激しい揺れに耐えた甲斐があるというものだ。
早朝に王都を出発し、ナディールに着いたのが昼前。馬車や兵士の馬は、街外れの広場に固まっている。ここで食事を取り、馬を休めたら再び出発となる。
王国軍の小隊が来る事は、領主であるラジェーニ子爵には連絡済みだ。しかし、その中にシェーラ王女や第一文政官のオルニスさんが居る事は伝えていない。下手に教えて騒ぎになると旅に支障が出るからだ。郊外演習とだけ伝えているので、子爵から出迎えられる事もない。
それと、ラトスが帝国に誘拐された件も、王宮に出仕している重臣以外には知らされていない。後々の事を考えて、大ごとにしたくないのだろう。
数時間ぶりに馬車を降り、身体を伸ばす。ずっと手すりを掴んで体勢をキープしていたから、すっかり固まってしまっている。身体のあちこちからポキポキ音が鳴った。
休憩ポイントに先行していた兵士さんが、小隊の兵士さん達に軽食を配布している。堅パンに具材を挟んだサンドイッチと野菜のスープ。広場に張られた簡易天幕の下、みんなで同じ物を食べる。
シェーラ王女とオルニスさんは黙々と食べている。高貴な身分だから軽食に抵抗あるかなと思ったけど、そんな事はないようだ。
実は王都を出発した後、馬車内ではほとんど会話が無かった。揺れが激しくて、下手に口を開いたら舌を噛みそうだったというのもある。それとは別に、妙な緊張感があったからだ。
シェーラ王女もオルニスさんも、ラトスの安否が分からないから不安なのだろう。
異世界人と人質交換をするまでは、帝国側も危害を加える事はないと思う。しかし、ラトスは辺境伯の孫であり、跡継ぎだ。辺境伯のおじさんは、二十年前の戦争時に帝都の魔獣研究施設と城を半壊させた張本人だ。怒りの矛先がラトスに向かないとも限らない。
それに、王都の外れにある森から空飛ぶ大型魔獣で連れ去られたのだ。そもそも無事に帝国領まで運べるのか。途中で魔獣が振り落としたりしないのか。考えれば考えるほど不安が募る。
後ろ向きな事を口に出したら現実になってしまう気がして、僕も口を噤んでいた。
そんな中、別働隊の兵士が数名馬で駆けてきた。すぐにアークエルド卿の元へ行き、何か耳打ちしている。
報告を聞いたアークエルド卿は、離れた場所で座っていた僕達の方に来た。何かあったのだろうか。
「オルニス殿。御子息を乗せていると思われる魔獣を追わせておりましたが、今朝方大河を渡ったようです」
「……そうですか」
「流石に大河を越えての追跡は不可能でした。恐らく大森林を回って帝国領に向かうのでしょう」
「ご報告、ありがとうございます」
そう言って、オルニスさんはアークエルド卿に頭を下げた。普段の笑顔はない。シェーラ王女も難しい顔をしている。
昨夜から一晩中、空を飛ぶ魔獣を馬で追い掛けていた兵士からの報告だ。エズラヒル州とクワドラッド州の境を飛び続け、一度も地上に降りる事なく大河の向こうへ飛び去ったという。
大森林はどの国にも属さない未開の地らしいし、魔獣も多いだろう。空を飛んで移動しているとはいえ、危険地帯には違いない。
とにかく、ラトスが無事で居てくれたらそれでいい。僕達三人は、それだけを願った。
「それと、御子息を攫った女が殺害したと思われる遺体が貴族街の茂みで見つかりました。目立った外傷はなく、検死に時間が掛かりましたが、髪で隠れる所に小さな傷があったと。細い針のような物を刺されたようです」
「被害者は?」
「貴族街を巡回しておった若い兵士です。犯行前に、邪魔されぬよう排除したんでしょう。……第一師団の所属でした」
「そうでしたか……」
アークエルド卿は、それだけ報告して去って行った。部下を殺され、悲しんでいるように見えた。それ以上に、犯人の女に対して強い怒りを抱いている。
その話を聞いて、オルニスさんとシェーラ王女は一層表情を険しくした。人の命を何とも思わないような人間がラトスの側にいるのだ。
細い針のような武器での殺害。
なんか、どこかで似たような事がなかったっけ。確か、司法部襲撃犯の男達が独房に居ながら殺された事があった。
まさか、あの時の暗殺者と同一人物なのか?
さて、間も無く出発だ。一度馬車が走り出したら数時間は止まらない。従って、事前にトイレを済ませておかねばならない。
その辺でする訳にもいかないので、小隊が近場の宿屋に話をつけ、場所を提供してもらっている。僕もそこに行こうとしたら、曲がり角で誰かにぶつかってしまった。
「す、すいません! 大丈夫ですか」
「いや、こちらこそ失礼した。……おや?」
爽やかな雰囲気をまとった筋肉質なイケメン青年は、僕に怒る事なく笑って許してくれた。しかし、首を傾げて僕の顔をまじまじと見てくる。
誰だっけ、この人。どこかで見たような。
「……貴方は確か、前に辺境伯の馬車に乗っていませんでしたか」
「え、何故それを」
「ああ、やはり! 私はその時に護衛に付いていた騎士隊隊長のクラデスです」
思い出した!
このナディールの街を治めるラジェーニ子爵の三男で、ナディール騎士隊の隊長のクラデスさんだ!
おかしいな。僕の記憶では、もっとヒョロヒョロだったと思うけど、目の前にいる彼はめちゃくちゃ逞しいボディーの持ち主だ。身長は変わらないのに、なんだかひと回り大きく見える。以前の派手な甲冑はサイズが合わなくなったのか、今は実用的な革鎧を身に付けている。
あの時はマイラが対応してくれていた。故に、僕とクラデスさんは直接言葉を交わす事はなかったが、何度か顔を合わせている。まさか僕を覚えていたとは思わなかった。
「お久しぶりです。なんか、変わられましたね」
「ああ、王国軍の強化合宿で鍛え直されまして。他の騎士隊の面々もかなり強くなりましたよ」
ははは、と爽やかに笑うクラデスさん。以前は実力が全く伴ってない騎士ごっこレベルだったが、見た目からして強くなっている。辺境伯邸で強化合宿を受けた王宮騎士隊もムキムキになっていたし、その効果は絶大だ。
「それで、今日はマイラ嬢は一緒ではないのですか」
「いや、今回は僕ひとりで……」
そわそわしながら周りを見回すクラデスさん。逞しく成長しているが、相変わらずマイラが好きなようだ。体格が良くなった分、十も歳下の女の子が好きっていうとロリコンっぽいな。こっちの世界ではアリなんだろうか。
「そういえば、貴方は辺境伯家のお知り合いですか? 見たところ、護衛には見えないが」
まずい。なんて説明したらいいんだ。
正直に異世界人だと言っても、辺境伯やマイラ達との関係性を説明をするのが面倒くさい。かといって、馬車に一緒に乗っていたのは事実。うまい説明はないものか。
その時、上着の内ポケットに入れたキューブに手が触れた。そうだ。何も正直に答える事はない。
「……えー、実は僕、司法部の職員でして。研究の為にあちこちを行き来してるんです。この前は辺境伯のご好意で、たまたま馬車に乗せてもらったんですよ」
「ほう! いや、安心しました! マイラ嬢と親密そうに見えたもので」
「まさかそんな。あはははは」
苦笑いしつつ、その場を離れようとする僕。だが、クラデスさんは何故か僕の後を付いてくる。すぐそこの宿屋にあるトイレに行きたいだけなんだけどなあ。何か怪しまれているのかもしれない。
「……あの、まだ何か?」
「司法部の職員と言われたが、何の研究をされているのかと気になりまして」
相変わらずグイグイ来る人だ。筋肉質になった分、圧が凄い。
辺境伯と知り合いと言う発言に食い付かれたのだろう。ラジェーニ子爵は辺境伯と縁を結びたがっていたし、クラデスさんはマイラにご執心だ。僕を切っ掛けにして、何とか再会したいのかもしれない。
口からでまかせなので、研究内容までは考えてなかった。どうしよう、ここで黙ると嘘がバレてしまう。なんでもいいから答えないと。
クラデスさんといえば、騎士隊。
騎士隊といえば、強化合宿。
強化合宿といえば、エニアさん。
エニアさんといえば、魔獣退治。
「──ま、魔獣の研究を……」
苦し紛れに口から出た言葉に、僕自身が驚いた。しかし、僕以上に驚いているのはクラデスさんだった。
魔獣の大量発生の時、このナディールにも魔獣が押し寄せたのだろう。顔付きが急に険しくなった。そして、一歩下がり、僕に頭を下げてきた。
「失礼しました。そのような大事な研究をされておったとは露知らず」
「あっ、いや、はい」
「確かにクワドラッド州は魔獣が多かった。魔獣の研究者なら、何度足を運んでもおかしくないですね」
なんだか分からないが、納得してもらえたようだ。クラデスさんは僕に敬意を表し、笑顔で去って行った。
僕は深い溜め息を吐き、改めて宿屋のトイレを借りに行った。危うく漏らすところだった。
ナディールといえば、クラデスさん。
個人的に好きなキャラなので再登場させました。
口だけのイケメンから強いイケメンに進化したので
マイラと再会したらワンチャンあるかも?




