76話・ラトス誘拐と交換条件
「至急、殿下達にお知らせを! エーデルハイト辺境伯家の馬車が、王宮から屋敷に戻られる途中で暴漢に襲われました!!」
血相を変えて飛び込んできた騎士の言葉に、周りにいた警備の騎士達がどよめいた。
エーデルハイト辺境伯家の馬車には、さっき講義を終えて王宮を出たマイラ達が乗っている。
サロンで別れてから、まだ一時間位しか経っていない。王宮と辺境伯邸は同じ王都内にある。何事もなければ、とっくに屋敷に着いているはずだった。
「騒ぎ立てるな! 殿下達に知らせを!」
王宮警備の責任者であるアリストスさんが、混乱する騎士達に指示を出している声が聞こえた。
二階に居た僕は、詳しい話を聞く為に急いで階段を降りる。騒ぎを聞きつけて、途中で間者さんが合流した。間者さんはエーデルハイト家の家臣だ。僕よりマイラ達との付き合いも長い。かなり心配しているようだ。
王宮居住区の玄関ホールに出ると、すぐにヒメロス王子達も駆けつけて来た。さっき図書室で別れたばかりのシェーラ王女は、まだ手に本を抱えたままだった。
報告の為に全力で駆けてきた騎士はエーデルハイト家の護衛だ。何度かマイラ達と馬車に乗った事があるけど、常時数名体制で周辺を警戒していた。エニアさんの鍛え上げた騎士だから、戦闘力には問題はない。
そんな彼等が、ただの暴漢に後れを取るだろうか。
「落ち着け。マイラ嬢達は無事か」
肩で息をしている騎士に優しく声を掛け、ヒメロス王子が報告するよう促した。
「お、畏れながら……ラトス様が、暴漢に攫われました……ッ」
騎士は辛そうに眉根を寄せ、震える声で答える。直後、後方でドサッと何かが落ちる音がした。
「……そんな、ラトスさまが」
シェーラ王女が、床に座り込んで口元を押さえている。顔色が悪い。足元には先程図書室から借りていった本が落ちていた。
「マイラは? マイラは大丈夫ですの?」
アドミラ王女が床に膝をつき、エーデルハイト家の騎士に縋り付いた。
「マイラ様はご無事です。……ただいま議事堂の、オルニス様の所におられます。別の騎士がそちらでも報告をしております」
「そ、そう……」
安堵の息をつくアドミラ王女。しかし、すぐに表情を引き締めた。スッと立ち上がり、側にいたヒメロス王子に向き直る。
「お兄様、私達も参りましょう」
「ああ」
僕はその様子をホールの片隅で見ていた。
ラトスが攫われたという話は俄かには信じられなかった。さっきまで一緒に居たのに、何故こんな事に。
立ち尽くす僕の背中を、間者さんが軽く叩いた。
「ヤモリさん。自分らも行きましょう」
促されて、僕はやっと歩き始めた。
表の議事堂はもっと大きな騒ぎになっていた。古参貴族エーデルハイト家の跡継ぎが誘拐されたからだ。
辺境伯のおじさんや軍務長官のエニアさん、第一文政官のオルニスさんと、エーデルハイト家には重臣が多い。つまり、王宮での影響力も強い。そんな貴族家にこのような暴挙に出るとは、と誰しも疑問を抱いているようだった。
ヒメロス王子達の後についてオルニスさんの執務室に入る。そこには、既に王様が駆け付けていた。それと、泣き腫らした目をしたマイラもいた。オルニスさんに抱きつき、声を押し殺して泣いている。
「落ち着きなさいマイラ。ラトスはきっと無事に助け出すから」
「でも、でも、お父さま」
優しく背中を撫でながら、オルニスさんがマイラを慰めている。その隣には、馬車の護衛に付いていた騎士が待機していた。
王様もさっき来たばかりで状況を把握していなかった。早速オルニスさんに問い質している。
「オルニス。状況は? 兵は足りているか」
「我が家の騎士と隠密に痕跡を追わせております。各所の封鎖も手配済みです」
襲われた直後、貴族街を巡回していた兵士に報告し、現場の封鎖と捜査を始めたという。
当時マイラ達に付いていたのは護衛の騎士達だけだったが、王宮と辺境伯邸には隠密がいる。同時に王国軍にも応援を要請し、攫われたラトスや犯人の捜索を開始。王都の封鎖や、近隣の街への伝達もしているという。
「しかし──」
オルニスさんは目を伏せ、小さく首を横に振った。まさか、犯人を見失ったのだろうか。
「マイラと騎士に拠れば、犯人から幾つか交換条件を出されたというのです」
「条件とはなんだ」
ここで、オルニスさんと目が合った。すぐに僕から王様に視線を戻し、話を続ける。
「帝国領土への侵攻計画を中止せよ、と」
「なんと。では、犯人は帝国か」
現在、エニアさんとアーニャさんが師団を率いてクワドラッド州へ向かっている最中だ。辺境伯のおじさんと合流次第、国境の壁を壊して攻め込む予定となっている。
帝国側はそれを妨害しようとしているのか。
エニアさんが王都を出て、クワドラッド州へ到着する前のこのタイミングでの襲撃。計画的な犯行だ。
「ならば、早速伝令を出して──」
「いえ。もう一つ条件が出されております。ラトスを無事に返してほしくば、……異世界人を差し出せ、と」
「え」
執務室内にいる全員から注目が集まった。
思わず後ろに一歩退がる。隣にいた間者さんまで、ぽかんと口を開けて僕を見ていた。ヒメロス王子やアドミラ王女、シェーラ王女も僕を見ている。
聞き間違いじゃない、よね。
「期日と場所の指定もされました。……マイラ、話せるかい?」
オルニスさんが腕の中のマイラに声を掛けた。
「……十日以内に、帝都まで来いって。そこで、アケオを引き渡せば、ラトスを無事に返す、って」
震える声でそう言うと、マイラはまた泣き出してしまった。ちらりと見えた顔は涙でぐちゃぐちゃになっていて、とても痛々しい。
帝都というのは、ユスタフ帝国の中心にある首都だ。二十年前の戦争以前から、帝国との国交は断絶している。この場にいる者で、実際に帝都に行った事がある者は居るだろうか。
僕が帝都に行かないと、ラトスの命が危ない。
ならば、何も悩む事はない。
「あの、僕、帝都に行きます」
片手を挙げてそう宣言すると、執務室内が一瞬静まり返った。全員の視線が再び僕に集まる。
「ヤモリ君。帝国に行けば、君がどうなるか。安全である保証はないんだよ」
オルニスさんが、珍しく焦った様子で僕に忠告した。我が子が人質に取られていながら、僕の心配までしてくれるのか。
「それじゃアケオが危ないわ。し、しんじゃうかもしれないのよ」
マイラがまた大粒の涙を零した。おかしいな、マイラを泣き止ませたくて決心したのに。
「僕を殺したいだけなら、もっと前にも出来たはずだろ? 大丈夫だよ。それより、まずはラトスを助けないと」
これまでに何度かユスタフ帝国の刺客が現れているが、僕は命を狙われてはいない。今後もそうとは言い切れないが、多分命までは取られないはずだ。
だが、ラトスはそうではない。
侵攻を止め、僕を手に入れる為だけに攫ったのならば、期日を過ぎればどうなる事か。
ただでさえも、帝国側は辺境伯に恨みがある。その跡継ぎであるラトスが、無事に返される保証こそないのだ。
「大丈夫。僕が必ずラトスを助ける」
第6章、始まりました。
ようやく物語が大きく動き出します。
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