72話・王様の目的2
元の世界に帰りたがっていた美久ちゃん。
その願いは叶う事なく、異世界で病いに倒れ、若くして死んでしまった。
せめて、その遺骨と遺髪を家族に返したい。
美久ちゃんと交わした約束を守る為、王様は単身異世界に渡る覚悟を決めている。それは素晴らしい事だと思う。
しかし、実行するのは難しい話だ。
僕は、元の世界を知る者として、最低限の現実を伝えなければならない。
「えー、話は分かりました。でも、それを実行するのは、かなり無理があると思います」
「確かに、異世界へと赴くのは簡単ではないだろうが……」
「いえ。仮に、安全に異世界に渡れたとして、その後の話です。僕や美久ちゃんは、こっちの世界に来た際に何故か言葉が理解出来るようになったけど、王様にも同じ事が起こる保証はありません。最悪、向こうの人と意思の疎通が出来ない可能性があります」
「……なんと、そうなのか」
転移した瞬間から言葉や文字が理解出来たのは、こっちの世界に要因があると思う。魔力か魔法か分からないけど、人智を超えた何かの影響だと僕は考えている。
元の世界に行ったら、二十年前の失踪事件情報を新聞かネットで調べれば、美久ちゃんが当時住んでいた大体の地域位は分かるはずだ。しかし、言葉が通じなければ、そうやって調べる事も、生活する事も出来ない。
「それと、『美久ちゃんが異世界に転移していた』なんて話をしても、元の世界では誰も信じないと思います。というか、遺骨を持った人物が突然現れたら、恐らく誘拐と殺害の犯人だと疑われるでしょう。言葉が通じなければ、説明も弁解も出来ないし」
「なっ……! ううむ、それもそうか」
遺骨や遺髪は、DNA鑑定をしたら美久ちゃん本人のものだと確認出来る。しかし、それを持ち込んだのが言葉の通じない外国人だったら、即逮捕されてもおかしくない。少なくとも、事情を知っている、言葉の分かる人の協力が必要だ。
──例えば、僕とか?
いや、口下手な僕では、この不可解な事実を他人に上手く説明出来ない。頭が良くて、弁が立つ人でないと。
それ以前に、僕と王様の二人を転移させるなんて無理では? 国中の魔力持ちを掻き集めても足りない気がする。
「あと、僕の世界には魔法がありません。上手く転移出来て、当初の目的を果たしたとしても、向こうからこちらへ帰る術がないんです。行ったら最後、二度と帰って来れないと思います」
「……」
王様が美久ちゃんとの約束を大事に思っているのは分かる。でも、サウロ王国には王様の家族が居る。ヒメロス王子。アドミラ王女。シェーラ王女。今度は三人が親を失う事になる。
王様は行くべきではない。
しばらく沈黙が続いた。
「……ふふ、やはりヤモリに話しておいて良かった。俺一人で突っ走っていたら、見知らぬ異国で縛り首になっていたところだ」
まあ、その可能性は否定出来ない。
否定的な事ばかり言ってしまったが、リスクを知っているのと知らないのでは大きな違いがある。王様を危険な目に遭わせる訳にはいかない。
座ったまま、王様は目を閉じて天を仰いだ。
「──ああ、全部話したらスッキリした。ちなみにこの話は、子供達にしか言っていない」
「え、そうなんですか? なんでそんな大事な話を僕なんかに」
てっきり、オルニスさんや宰相には伝えているかと思ってた。研究が成功したら王様が退位するなんて、アーニャさんも学者貴族さんも予想すらしていないだろう。
「異世界に一番詳しいのはヤモリだ。だから、率直な意見が聞きたかった。家臣は俺に都合の良い事しか言わんが、お前は違う。対等な客人だからな」
この国に、そんなに諛うタイプの家臣が居るかなぁ。少なくとも僕が関わってきた人達は、相手が誰であれ歯に絹着せぬ物言いしかしないと思う。
オルニスさんは口調は丁寧だけどズバッと言うタイプだし、エニアさんは誰が相手でも態度を変えない。アーニャさんもそうだろう。
他の貴族とはあまり関わりないけど、普通は王様に逆らったり、苦言を呈したりしないのかも。
「俺は、現実が見えていなかったのかもしれん」
小さく息を吐き、王様は自嘲気味に笑った。
美久ちゃんを保護してから二十年、亡くなってから十六年。ずっと真剣に考えてきた事を、不可能だとバッサリ斬られたのだ。ショックだったに違いない。
「あの、言いたい放題言っちゃってすみませんでした……僕には何にも出来ないのに」
「いや。異世界で生まれ育ったお前が言うのならそうなのだろう。気にするな」
冷めきったお茶を飲み干し、王様は立ち上がった。もう遅い時間だ。自分の部屋へ帰るのだろう。
「邪魔をしたな。では」
そう言って、扉の方へ歩いていく。その背中が悲しそうに見えて、僕は思わずその手を掴んだ。
「ん? どうした」
「あっ、いや、ごめんなさい! つい」
引き留めて、どうするつもりなんだ僕は。
あんな表情をさせたまま帰したら駄目だと思ったら、勝手に体が動いてしまった。何か言わなくちゃ。でも、口下手だから、上手く言葉が出てこない。
「ヤモリ?」
手を掴んだまま黙り込んだ僕に、王様は心配そうに声を掛けた。急に動きを止められて困っている。
「美久ちゃんは」
絞り出すように、気持ちを吐き出すように口を開いた。美久ちゃんの名前を出したら、王様の表情が少し強張った。
「……美久ちゃんは、突然知らない世界に来て、不安だったと思います。でも、王様がずっと気に掛けてくれたから、少しは救われたはずです。だから、」
そんなに責任を感じないで下さい。
僕達が異世界に来てしまったのは運命の悪戯で、王様は何も悪くないんだから。
そう言おうとしたのに、何故か声が出ない。
気付けば、僕は涙を流していた。
美久ちゃんの事を考え過ぎて、感情移入してしまったみたいだ。幾ら考えたところで、本当の意味で美久ちゃんの気持ちを理解する事なんか出来る筈ないのに。
言葉に詰まり、嗚咽を漏らす僕を宥めるように、王様は頭をわしわしと撫でてくれた。
「……ありがとう、ヤモリ」
慰めようとして逆に慰められてしまった。不覚。
あまりにも僕がぼろぼろ泣くものだから、姿を隠していた間者さんが見兼ねて出て来てくれた。
王様との間に入り、ハンカチで涙を拭いてくれた。そのままハンカチで僕の泣き顔を覆い隠した。
「えーと、……後はお任せ下さい」
「うむ。では頼む」
王様が出て行った後、侍女さん達が片付けの為に部屋に入ろうとしたが、間者さんが止めてくれた。女の人に泣いてる姿を見られるのは嫌なので、その判断は非常に有り難い。
「ヤモリさん、なに泣いてんすか」
「ご、ごめん。なんか勝手に」
急に涙が出て、一番驚いたのは僕だ。
「話の内容聞こえなかったけど、なんか王様に言われたりしたんすか」
盗聴阻害の腕輪を付けていたから、離れた場所に居た間者さんには聞こえてなかったのか。
間者さんは不機嫌そうだ。もしかして、僕が王様に酷い事を言われたと疑っている? どちらかと言うと、酷い事を言ったのは僕の方なんだけど。
「ち、違うよ。僕が泣いたのは、美久ちゃんの事を考え過ぎたからで」
「はぁ」
会った事もない女の子に勝手に感情移入して泣いたとか、よく考えるとおかしな話だな。間者さんもいまいち納得出来ていないみたいだ。
「とにかく、王様のせいじゃないから」
「ふーん。それならいーっすけど」
恥ずかしいから、この事は早く忘れてほしい。
美久ちゃんが登下校中に居なくなった件、当時は誘拐ではないかと考えられ、警察が捜査をしています。
両親は週末毎に駅や街頭に立ち、ビラを配布したり、テレビに出て情報提供を求めたりしていました。
連日新聞にも記事が載りましたが、余りにも情報が集まらず、半年を過ぎる頃には世間も忘れ去っていきました。
神隠しとは、次元の狭間に落ちて異世界に飛ばされる事なのかもしれません。
そして、転移先が安全とは限らないのです。
***
女の子に可哀想な運命を歩ませてしまった……




