71話・王様の目的1
夜、僕の部屋に王様がやってきた。
先触れが無いのはいつもの事だけど、こんな時間に来るのは初めてだ。
昼間に開かれた会議で、国境に向けて一師団を派遣する目処が立ったそうだ。最近は関連書類に追われていたんだけど、やっと一段落したらしい。
よく見れば、目の下に隈が出来てるし、顔色もあまり良くない。部屋で一番ふかふかで座り心地の良い椅子を勧め、侍女さん達に頼んでお茶を用意してもらった。
「もう休むところだったか」
「あ、いえ。借りた本を読むつもりでしたから」
「そうか」
王様はかなり疲れている様子だけど、仕事が片付いたからか、表情は明るい。
僕が王宮に引っ越してきてから、王様は一日一回はここに来ている。しかし、仕事を放り出して時間を作っていた為、すぐにオルニスさんや騎士さんに捕まって連れ戻されていた。
つまり、何度か顔は合わせてたけと、まだじっくり会話をした事はない。
王様が部屋に入る直前から、間者さんは姿を消している。多分天井裏か隣室で様子を窺っているはずだ。
「ヤモリとは、じっくり話をしたかった。明日にすべきだと分かってはいるんだが、ようやく時間が出来たと思ったら、居ても立っても居られなくてな。遅い時間に邪魔をしてすまん」
「大丈夫です。僕、夜型生活慣れてるんで」
「はは、そうか」
特に今は、朝寝坊しても誰からも怒られない生活なので、用もないのに夜更かしばかりしている。
僕は手に持っていた本を棚に戻してから、王様の向かいのソファーに座った。
侍女さん達は控えの間に戻ったし、護衛の騎士さん達は廊下で待機している。仕事は一段落しているので、誰かが連れ戻しに来ることもない。
誰からも邪魔されずに王様と話すのなんて、もしかして初めてかもしれない。
目の前に座る王様は、やや疲れた感じはあるが、身に纏う雰囲気に変わりはない。いつもなら恐縮しまくって逃げ出したくなるけど、今日は何故か平気だった。
「異世界の話も聞きたいが、今日はミクの事を話してもいいか?」
「美久ちゃんの……? はい、聞きたいです」
松笠美久は、約二十年前に王宮で保護された異世界人の女の子だ。『異世界人保護法』は、美久ちゃんの死後、王様が作った法律だ。この法律のお陰で、僕はこうして異世界でも生きていられる。
王様は手にしたティーカップを眺めながら、ぽつぽつと話し始めた。
「こちらの世界に迷い込み、王宮で保護されるまでの間、ミクは相当危険な目に遭っていたそうだ。ヤモリもそうだっただろう?」
「まあ、はい」
僕の場合は、最初に保護してくれた村が魔獣に襲われ、村人が全滅してしまった。その後は、土地勘もないのに人里を探しに行って飢え死にしそうになったり、誤解から投獄されたり。
その後はずっと誰かのお世話になっている。
「ミクは、最初に現れた場所が悪かった。我が国とユスタフ帝国の国境付近、しかも帝国側の領土だったのだ。当時はまだ国境を隔てる壁もなく、戦争中で、至る所で兵がぶつかっていた」
戦争地帯のど真ん中に転移?
最悪じゃないか。僕とは比べ物にならない。
「帝国兵に捕まり、無理やり連れ去られそうになったミクを助けたのが、国境付近を巡回していたグナトゥスだ。助け出した時には、かなりの手傷を負っていたらしい」
美久ちゃんを助けたのが、辺境伯のおじさん?
僕にはそんな事言わなかったぞ。
異世界人の世話の仕方が分からないから、と王都の学者貴族さんに手紙を出していたよな。あの手紙が元で、僕は王都に行く事になったんだ。
あれは嘘だったのか?
「大きな傷が治ってから、ミクの身柄は王都へと移された。俺の父、先代国王が異世界人に興味を持っていてな。王宮で保護する事になった」
やはり、美久ちゃんは大怪我をしてたんだ。ランドセルの傷は、獣じゃなくて、ユスタフ帝国の兵士にやられたのか。十歳の女の子に対して、なんて酷いことを。
そういえば、その頃は帝国で魔獣を増やす研究がされていたんじゃなかったっけ。
人工的に魔獣を作るには、獣に生きた人間を食べさせる必要がある。美久ちゃんを捕まえようとした兵士は、まさかそのつもりで──?
その可能性に思い当たり、僕は体を震わせた。
「どれだけ贅を尽くしても、どれだけ優しく声を掛けても、ミクが笑う事はなかった。毎日毎日、家族を恋しがって泣いていた。当時の俺は、まだ王ではなかったから、時間に余裕があった。何とかミクを元気にしてやりたくて、何度も何度も会いに行った」
王様の目が寂しげに揺らいだように見えた。
結果的に、王様の努力が実る事はなかった。王宮に保護され、身体の傷が癒えても、美久ちゃんは元気にならなかった。
毎日顔を合わせるうちに、少し会話が出来るようにはなったが、心を開いてはくれなかった、と王様は呟いた。
「食が細く、気も沈みがちだったせいか、三年目には病になった。治療の甲斐もなく、そのまま死なせてしまった。その頃、俺は急死した父に代わって王位を継いだばかりで、暫くミクに会いに行く余裕が無かった。死ぬ直前に知らせを受けるまで、そこまで体が弱っていた事すら知らなかった」
「……」
「今際の際に、ミクは俺に頼み事をした。……これまで、誰にも気を許さなかったミクが、だぞ? 俺は絶対にそれを叶えてやると誓ったんだ」
「ど、どんな頼みだったんですか」
僕が尋ねると、王様は伏せていた顔を上げた。その瞳には僕が映っている。でも、王様が見ているのは僕ではなかった。
「ミクを、元の世界に返すという約束だ」
王様は、はっきりとそう答えた。
美久ちゃんを元の世界に返す?
既に亡くなっているのに、どうやって。
困惑する僕に、王様は懐から何かを取り出して見せた。手のひらに収まるくらいの、小さな金属製のケース。綺麗な赤い石が嵌め込まれた、とても可愛らしいデザインだ。
「遺骨と遺髪の一部をこの中に保管している。これを、元の世界にいるミクの家族に届けたい」
そういう事か。
しかし、それは難しい話だ。ごく稀に、美久ちゃんや僕のように次元の狭間に迷い込む事はあるけど、自分の意志で、自由に世界を行き来する事は出来ない。
唯一可能性があるのは、『引き合う力』を利用した物質移動くらいか。
「異世界の研究をさせていたのも、アーニャさんに協力させたのも、その為だったんですね」
「そうだ。ヤモリのお陰で実験が成功したと報告を受けている。それを発展させれば、いずれ異世界に行く事も出来るだろう」
異世界に『行く』?
この前の実験で、小さな物質なら空間を繋げて転移させる事が出来たが、意図的に人間を送る事はまだ不可能だ。
スリッパ一つ転移させるだけで、学者貴族さんとアリストスさんの魔力を使い果たしたんだ。人間を転移させるには、一体何人分の魔力が必要になるのか。
大きさや重量から考えて、最低でも十数人分の魔力がないと無理なのでは。
「うーん……その容器を送るだけなら出来ない事もないと思うんですけど」
「それでは、ミクの家族にこれが渡ったかどうか確かめる術が無いだろう」
「それは、まあ」
「可能ならば、俺は自分の手で、直接ミクを家族の元に帰したいと思っている。ミクがどのように生活をして、どのように死んでいったのか、俺にはそれを伝える義務がある」
王様が、美久ちゃんの家族に会いに行く?
仮にも一国の王が、その為だけに異世界に行く事を希望するなんて。余程美久ちゃんを死なせてしまった事が無念だったんだろうか。
「えっと、王様自身が異世界に行くのは難しいんじゃないですか。第一、国はどうするんですか」
「うむ。この立場のままでは無理だ。故に、異世界へ行く方法が確立された時点でヒメロスに譲位し、ミクの遺物を持って単身異世界へ渡るつもりだ」
僕が考えていたより、王様は覚悟を決めていた。一人の人間として、美久ちゃんと交わした約束を守ろうとしている。
でも、王様本人が行くにはやはり問題がある。極めて現実的な問題が。
僕は、それをきちんと伝えなくてはならない。
美久ちゃんは何故病になるほど精神的に弱ったのか。
ヤモリ君は気弱な癖に何故異世界に順応しているのか。
それは、多分元の世界での幸福度に関係しています。
両親に愛されて育ち、友達にも恵まれ、ごく普通の幸せな生活をしていた美久ちゃん。
一方、とある切っ掛けで不登校となり、家から出られなくなり、周りに引け目ばかり感じていたひきこもりのヤモリ君。
美久ちゃんは元の世界に居た方が幸せでしたが、元の世界に居場所が無かったヤモリ君には、そこまで落ち込む理由はないのです。
同じ異世界転移でも全く違います。




