65話・朝靄の別れ
辺境伯のおじさんが王都に来てから数日。
王宮に行く予定が無い日は、早朝から庭園で走り込みと剣の素振り、筋トレなどを精力的にこなしている。ノルトンでも護衛の兵士さんと一緒に、毎日のトレーニングを欠かさないらしい。
辺境伯のおじさん、六十歳後半くらいだと思うけど、めちゃくちゃ元気だな。絶対百まで生きそう。
エニアさんもそうだけど、強い人はやはり鍛え方から違う。基準がおかしい。辺境伯邸の騎士さん達は慣れてるから普通にトレーニングについていってる。
僕は自分の部屋のテラスから眺めてるだけ。
一緒にやるかと誘われたけど、死ぬ気で断った。ひきこもりと運動は相容れないのだ。
爵位返上の話は有耶無耶にされたみたいだけど、多分王様は辺境伯のおじさんの引退を認めないだろう。それくらい、埋もれさせるには惜しい戦力だから。
王国軍のトップ、軍務長官は辺境伯の一人娘。
文官のトップ、第一文政官は娘婿。
もしエーデルハイト家を不当に扱えば、この二人はさっさと職務放棄して、家族と田舎に引っ込むだろう。
更に、話を聞いた限りでは、王国軍の師団長達も辺境伯のおじさんと縁があるようだし、現軍務長官のエニアさんに心酔している。王様の出方によっては、軍が丸ごと国と敵対するかもしれない。
そう考えると怖いな。
まあ、そんな事にはならないと思うけど。
マイラ達が貴族学院から帰ってきたら、街に買い物に連れ出したり、カードゲームしたり。辺境伯のおじさんは、孫達と一緒に過ごせて楽しそうだ。
家族だけの時間を邪魔しちゃ悪いから部屋にひきこもってたのに、マイラとラトスに引っ張り出された。
「あたし達、もう家族みたいなものでしょ!」
ちょっと照れる。僕の事を、年の離れた兄のように思ってくれているのかな。と聞いてみたら「手の掛かる弟みたい」と返された。解せぬ。
ラトスが僕に普通に話し掛けているのを見て、辺境伯のおじさんが驚いていた。家族以外に心を開くのは、極めて珍しいんだとか。
そういえば、ラトスと出会ったばかりの頃は毎回舌打ちされたり無視されたりしたな。今もマイラに近付き過ぎると睨まれるけど、嫌われてはいない。
「どうやってラトスと仲良くなったんじゃ?」
「……王都に来てから、僕が学者貴族さんに付き纏われてるのを見て不憫に思ったらしくてですね……」
「なーんじゃ、では儂のおかげみたいなもんじゃないか!」
確かに、学者貴族さんと知り合った切っ掛けは、辺境伯のおじさんが勝手に送った手紙だった。
何でも前向きに捉え過ぎじゃない?
僕、何度か命の危機を感じたんですけど??
「しかし、お前さんは少し変わったのぉ。初めて会った頃は、こう、オドオドしとって今にも死にそうな感じじゃったが」
「え。そう、ですか?」
「うむ。他者と話す事に慣れてきたようじゃ」
王都に来て、たくさんの人に会ったからかな?貴族だけじゃなく、王様や王子達とも話す機会が出来たし。もちろん緊張はするし、喋る時に吃ってしまう癖は未だに治ってない。でも、人と会うのは慣れてきたと自分でも思う。
「やはり、王都行きを決めた儂のおかげじゃな!」
結局自分の手柄にしたいんじゃないか。
でも、辺境伯のおじさんの言う通りだと思う。王都に来た事に後悔はないし。
「……ヤモリよ。儂は明日にはノルトンへ戻る。マイラとラトスの事を頼むぞ」
はい、と返事をしたら、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
辺境伯のおじさんは、マイラとラトスだけではなく、僕の事も気に掛けてくれている。それが素直に嬉しかった。
翌朝、僕達は見送りの為に庭園に出た。空の端が明るくなり始めたくらいの時間だ。
屋敷の玄関前には、家令のプロムスさんをはじめ、メイドさん達が大勢並んでいる。出勤前のオルニスさんとエニアさんもいる。
僕と間者さんは一緒に端っこの方に立つ事にした。
辺境伯のおじさんは、馬車ではなく馬に乗って帰るらしい。庭園には、既に大きな黒毛の馬が鞍と鎧を着けた状態で待機していた。
王都からノルトンまでかなり遠いのに大丈夫なのか。そう思ってたら、間者さんがコソッと「いつもああなんで、気にしたら負けっすよ」と教えてくれた。
しかも、途中の街で休憩はしても、宿泊はしないんだって。まじか。
馬車では休憩と宿泊を挟んで片道二泊三日の旅程だったけど、馬で爆走したら丸一日でノルトンへ着くらしい。辺境伯の馬はタフだな。
「陛下から許可を得た。帰って戦の支度じゃ」
王様の許可とは、つまり隣国であるユスタフ帝国に攻め入る事を認めて貰い、協力を取り付けたという事だ。
もし王様が反対したとしても、爵位を返上し、自由の身になってから攻め込むつもりだったはずだ。勝手に戦争を起こされる位なら、手綱を握れるよう事前に許可した方が良い、と判断されたみたい。
「こっちの支度が整って合流するまで、先に突っ込んだりしないでよ、お父様」
「うむ。しかし、余りに遅かったら置いて行くぞ」
「はいはーい」
エニアさんは、王国軍の師団一つと司法長官のアーニャさんを伴って参加する予定だ。
魔獣騒ぎで何度か経験したから、王国軍は遠征に慣れている。しかし、王都からクワドラッド州ノルトンまではかなりの距離だ。そこから更に南下して国境まで行くのだから、持ち運ぶ食糧や野営道具の準備だけでも大変だと思う。
平時なら出先の街で補給を受けれたが、魔獣の大量発生で避難民を受け入れた街は備蓄を減らしている。そこから出させるような事は避けないといけないんだって。
「慎重に事を運ぶように、と陛下から伝言を預かっております」
「分かっとるわぃ」
オルニスさんから改めて釘を刺され、辺境伯のおじさんは不満そうに頬を膨らませた。
それから、マイラ達の前に立ち、二人を一度に抱き締めた。また暫く会えなくなるのだから、別れるのが辛いのだろう。
今後の状況によっては、次の長期休暇にノルトンへ帰る事が出来ないかもしれない。帝国に攻め込む事で、辺境伯のおじさんは危険な目に遭うかもしれない。
そんな不安が入り混じり、マイラは少し泣きそうになっていた。ラトスも心配なのだろう。目の端が少し赤い。
「おじいさま、お元気で」
「ケガしないでね」
うんうん、と頷きながら、辺境伯のおじさんは名残惜しそうに二人を腕の中から解放した。
最後に、僕と間者さんの前に来た。じろりと睨まれたのは僕、ではなく間者さんだ。
「近頃ヘマばっかしとると聞いとったが、修行が足らんのか? ん?」
「えーと、そのー」
「それになんじゃ、フツーに姿を見せよって。ヤモリがぽやっとしとるからって、お前まで腑抜けてどーすんじゃ。えぇ?」
「す、すんません……」
ぐりぐりと、人差し指で鳩尾辺りを突かれ、身を捩らせて耐える間者さん。確かに、ノルトンに居た頃は基本姿を隠して活動してたよな。今ではほとんど忍んでない。
王都に来てから色々あって以来、オルニスさんから僕専属の護衛に任命されたらしい。だから、姿を隠さなくても良くなったんだけど。
てゆーか、僕、ぽやっとしてる??
「ヤモリ、クワドラッド州はまだ危険じゃ。来るでないぞ」
「え? あっ、はい」
今のはどういう意味だろう。
ひとしきり間者さんをいじめ、僕の頭をポンポン叩いてから、辺境伯のおじさんは馬に跨った。
「エニアよ、ノルトンで待っとるぞ!」
そう言い残し、辺境伯のおじさんを乗せた愛馬は朝靄の中へ駆け出した。
次回「駆け引きの授業」、火曜更新予定です。




