64話・殺意の波動
またヒメロス王子達が辺境伯邸にやってきた。お付きの護衛騎士さん達が庭園と応接室前の廊下で周辺を警戒しているから何事かと思った。
一緒にお茶しましょうとアドミラ王女に誘われて、僕も同席する事になったんだけど、どう考えても僕だけ場違いなんだよなぁ。
「アケオ君、先日お願いしたものは出来たかな?」
「はぁ、一応」
ヒメロス王子から頼まれたのは『物語』。
こちらの世界には、いわゆる架空の物語というものが存在しない。あるのは伝記や歴史書、宗教書の類いしかない。
元の世界にある昔話や漫画、小説、ゲームの話を教えたら、ものすごく食い付かれた。その中には知恵や教訓が含まれており、とても役に立つらしい。
先日有名な昔話の『桃太郎』『浦島太郎』『わらしべ長者』『一寸法師』『かちかち山』を紙に書いて渡したばかりだ。
しかし、もっと知りたいと言われたので、今回は『シンデレラ』『赤ずきん』『人魚姫』『ヘンゼルとグレーテル』『はだかの王様』等の西洋のおとぎ話を書いておいた。
紙束を渡すと、ヒメロス王子とアドミラ王女、マイラが真剣に読み始めた。
ちなみに、シェーラ王女は別のテーブル席で、ラトスと一緒に勉強に取り組んでいる。宿題ではなく、予習復習をしているんだとか。二人とも真面目だな。
「ちょっと、ヤモリさん。人魚?ってなんなのかしら。よく分からないのだけど」
「ああ、文字だけじゃ分からないですよね」
僕は紙の端に人魚の絵を描いてみせた。貝の胸当てを描いた所で、女性陣からきゃあきゃあ騒がれた。
「人魚っていうのはこういう、上半身が人間、下半身が魚で、海に住んでる架空の生き物で……」
「え?人間と魚の混ざった生き物?ですか」
アドミラ王女が引いてる。
小さい頃から絵本で見慣れてるから何の疑問もなく受け入れてたけど、改めて言われると変かも。
「あたし、このお話好きだわ!」
マイラはシンデレラが気に入ったみたいだ。こっちは魔法使いのおばあさんが出てくるだけだから、受け入れやすかったようだ。シンデレラの苦労が報われ、意地悪な義母と義姉達に幸せを見せつけるラストが好まれるポイントだろう。
「私はこれかな。王族として、なんだか教訓めいたものを感じたよ」
ヒメロス王子が選んだのは、はだかの王様だ。何も疑わずに受け入れるだけの王様、本心を言えぬ家臣や国民、率直な意見が言えたのは子供だけ。確かに、本物の王族からしたらダイレクトな教訓だ。
物語の書かれた紙を手に、ヒメロス王子は感嘆のため息を吐いた。
「やはり、異世界には素晴らしい文化がある。他にも様々な物語が存在するのだろう?また書き起こしてくれるかな、アケオ君」
「……頑張ります」
これはキリがないな。昔話とおとぎ話は書いたから、次のテーマは何にしよう。漫画やアニメを文章だけで表現するのは難しいな。
「そうだ!今日はマイラに大切なお話があるの」
顔を上げ、アドミラ王女はマイラに向き直った。その表情は真剣そのものだ。
「え、なにかしら」
「私と一緒に外交の勉強をしてほしいの」
「は?」
急な話に、マイラはきょとんとしている。そんなマイラの手を握り、アドミラ王女は熱心に誘い始めた。
「私、貴族学院を卒業したら、外交のお手伝いをする事になるの。だから、これから少しずつお勉強しないといけなくて。マイラも一緒に講義を受けてくれないかしら?」
「アドミラ様、もう卒業後の事を……?」
同い年の友人が何年か先の将来の話を始めた事に、マイラは衝撃を受けたみたいだ。貴族学院は十六歳で卒業となるから、二、三年後の話だ。マイラにとっては遠い未来のようなものだ。
「私も、先日お兄様から言われるまで、先の事など全く考えた事なかったわ。でも、王族として、何か役に立てるのならばと思いましたの」
「外交……」
元はヒメロス王子の言い出した事だったのか。王女が名代として近隣の国々を訪問するとなれば、普通の外交官が赴くより発言権がありそうだ。
マイラは顎に手を当てて悩んでいる。
「……駄目かしら?」
黙り込んでしまったマイラの顔を覗き込むアドミラ王女。断られる可能性に思い至り、ややしょんぼりしている。
「……あたし、外交の勉強、するわ」
数分の沈黙の後、マイラが口を開いた。断られるものとばかり思っていたアドミラ王女は、その言葉に飛び上がって喜んだ。
「ありがとうマイラ!でも、無理してない?私からのお願いだからって、嫌なら嫌と言っていいのよ?」
「いいえ。あたし、前から思ってたの。周りの国々と仲良くすれば、戦争は無くせるんじゃないかって。その為なら、あたしも外交をやってみたい」
「マイラ……!」
感極まったアドミラ王女がマイラを抱き締めた。突然のハグに驚きながらも、マイラは笑ってアドミラ王女の背中に腕を回した。
その様子を微笑みながら見守るヒメロス王子。
「良かった。一人では講義を受けたくないと言われてしまってね。マイラ嬢が一緒なら頑張れるね?アドミラ」
「勿論ですわ!」
来週から週に二日学院の帰りに王宮に寄り、一時間程外交の講義を受ける事が決まった。学院も王宮も同じ王都内にある。夕食の時間までには帰宅出来るそうだ。
話がまとまった辺りから、ラトスが視線をこっちのテーブルに向けている。マイラが王宮に寄るという事は、学院からの帰りの馬車が別々になるという事だ。シスコンのラトスには耐え難い。
「ラトス様、この古代語の文法ですけど……」
そんな事などお構いなしに、シェーラ王女がラトスに声を掛けた。古代語の教科書を開いて教えを乞うが、当のラトスはそれどころではない。
「古代語ならヤモリに聞いて」
素っ気なく僕に丸投げしようとするラトス。
その言葉を聞いたシェーラ王女の背後にドス黒いオーラを感じたのは僕の気のせいだろうか。話を振られ、ちらっと隣のテーブルを見ると、シェーラ王女が目線だけこちらに向けていた。
殺気!!
普段のほんわかした雰囲気が消し飛び、視線だけで射殺す程の殺気が僕に突き刺さった。ヒメロス王子やアドミラ王女、マイラは気付いてない。僕だけに向けられた殺気だ。
これは駄目だ。邪魔したら消される。
「あ、あの、僕、古代語は読めるけど、文法とかそういうのは分かんないんで、ラトスが教えた方が……」
震える声で必死に断ると、ラトスが小さく息を吐いた。
「仕方ない。じゃあボクが教えるよ」
「ラトス様!ありがとうございます!」
満面の笑みでラトスに視線を戻すシェーラ王女。さっきまでの殺伐とした空気が嘘のように霧散している。
女の子怖い。
しかし、ラトスはやはりマイラの事が気になっている様子だ。そこで、シェーラ王女が提案した。
「……ラトス様。もし興味がお有りでしたら、私達も一緒に外交の講義を受けませんか?」
「え」
これにはラトスが驚いた。思わず顔を上げ、シェーラ王女の方を見た。間近で顔を合わせた事で、シェーラ王女が照れている。
「せ、せっかくの機会ですし、私達も、と思いまして……あの、どうでしょうか」
真正面からラトスに見つめられ、シェーラ王女はもじもじと体をくねらせた。普段塩対応でまともに相手もしなかったラトスが、今は自分だけを見つめている。その事実だけで、シェーラ王女は舞い上がっているみたいだ。
「その話、ぜひ受けさせて下さい」
「は、はいぃ……」
ガッとシェーラ王女の両肩を掴み、頼み込むラトス。更に距離が縮まり、シェーラ王女は顔から湯気が出るほど真っ赤になっている。
「うん?ラトス君とシェーラも講義を受けるのかい?随分と熱心な事だ。サウロ王国も安泰だな」
ははは、と爽やかに笑うヒメロス王子。絶対こうなる事を見越してやったに違いない。
まあ講義は週に二日だけだし、それ以外は今までと変わりないからいいか。
シェーラ王女は一途な幼女なんです




