62話・辺境伯、王都に現る
「そういえば、お義父さんが王都に来るそうだよ」
珍しくエニアさんとオルニスさんが早く帰宅した日の夕食時、オルニスさんが思い出したかのように言った。その言葉に、メイン料理の肉に噛り付いていたエニアさんが顔を上げる。
「え、お父様来るの?」
「エニアにも手紙が届いているはずだけど」
「全っ然見てない」
届いた手紙を開封すらしていないエニアさん。
それを見越してオルニスさんにも連絡している辺り、辺境伯のおじさんの苦労が窺える。
「おじいさまが来られるの!?」
マイラとラトスは嬉しそうだ。
ノルトンではお世話になったし、僕も久しぶりに会って御礼を言いたい。
「それで、いつ頃来るんですか?」
「手紙が届いたのが今日だから、多分──」
「今じゃ!!!」
突然食堂の扉が開き、辺境伯のおじさんが現れた。旅装のままだから、本当についさっき王都に着いたんだろう。
祖父の姿を見て、マイラ達は目を輝かせた。
「おじいさまー!!」
「おひさしぶりです!」
「おお、おお!二人とも、元気そうじゃな!」
マイラとラトスは椅子から降り、祖父に飛び付いた。可愛い孫二人に抱き付かれ、辺境伯のおじさんは目尻を下げて御満悦だ。
「これは土産じゃ!」
そう言って荷物から取り出したのは、真っ白な魔獣の毛皮だった。お金持ちの家のリビングに敷いてありそうな、頭部分だけ残した敷物っぽい大判の毛皮だ。
流石にこれにはマイラもラトスも引いている。子供に渡す手土産にしては渋過ぎるし、何より頭部分が怖い。
「あら、白狒々じゃない」
「儂が仕留めた魔獣じゃ。どうじゃ、この屋敷の応接室にでも飾るか?」
「イヤよ、顔が怖いもん」
「ぬぅ、そうかの〜。じゃあ陛下にでもやるか」
エニアさんにバッサリ断られたが、辺境伯のおじさんは全く堪えてない様子だ。家族に拒否された物を国王の手土産にしようとは、図太いというか何というか。
隣に控えていた家令のプロムスさんに毛皮を渡し、辺境伯のおじさんは空いている席にどかっと座った。
「相変わらずですね、お義父さん」
「オルニス、王都は変わりないか」
「詳しくは後ほどお話いたします」
「……そうじゃな」
そのまま皆で食事を摂った。久々に家族全員揃った事で、マイラ達はとても嬉しそうだ。ノルトンの様子を尋ねたり、貴族学院の話をしたり。辺境伯のおじさんも嬉しそうだ。
夕食後、マイラ達がそれぞれの部屋に戻ってから、大人組は家族用の居間に移った。
食事が終わったタイミングで僕も部屋に帰ろうとしたけど、辺境伯のおじさんに止められてしまった。
メイドさん達はお酒やつまみをテーブルに並べ、すぐに下がった。
僕は飲めないので、一人だけ果実水だ。ソファーの端っこに座り、エニアさん達の話を黙って聞く。
「さて。大規模遠征御苦労じゃった。お陰でクワドラッド州内の討伐もラクになったわぃ」
乾杯後、辺境伯のおじさんがエニアさんを労った。魔獣の大量発生に対処する為、王国軍を総動員して大規模遠征に踏み切ったのは英断だったと言える。
「それなら良かったわ。そっちに兵を回せなくてごめんなさい。大丈夫だった?」
その大規模遠征も、出兵先は応援要請があった三州のみ。辺境伯の治めるクワドラッド州からは要請がなかった為、国王軍は兵を出していない。しかし、他州から流れ込む魔獣が居なくなった事で、結果的にクワドラッド州の助けにはなっていたようだ。
「構わん構わん!儂の鍛えた駐屯兵団は魔獣如きには負けはせん!」
「そうだろうけど、今回は数が多かったし。領民に被害は出てない?」
「多少の怪我人は出たが、死者が出たのは最初のキサン村だけじゃな。あの事件以来、領民も兵団も警戒しておった。魔獣の大量発生にもすぐに対応出来たからのぉ」
キサン村の話が出て、僕は顔を上げた。
先日アトロスさんから亡命の理由を聞いたばかりだ。二十年前の戦争時に、辺境伯のおじさんやエニアさんがユスタフ帝国に突っ込んでいった事も。
「……ヤモリよ。色々知ったようじゃな?」
「い、いえっ、別に」
辺境伯のおじさんが、僕の顔を覗き込む。思わず否定してしまった。
「隠さんでもええ。アトロスから報告は受けておる。ずっとキサン村を気に掛けとってくれて感謝しとると言うとったぞ」
「そ、そうでしたか……」
辺境伯のおじさんが僕の頭を軽く小突く。
良かった。勝手に昔の事を聞き出したりして、怒られるかと思った。
オルニスさんやエニアさんの方に向き直り、辺境伯のおじさんは姿勢を正した。
「今回王都に来たのは、それも関係しとるんじゃ」
「それは、帝国絡みの事ですか」
オルニスさんの問いに、深く頷く辺境伯のおじさん。
「うむ。事と次第によっては、儂は辺境伯の地位を返上するかもしれん」
え、それって結構重大な話では?部外者の僕が聞いてていい話なの?
何となく居辛くなって、ソファーから立ち上がり掛けたが、オルニスさんに引き止められた。
「過去、ユスタフ帝国は人工的に魔獣を増やす実験をしとった。儂らはそれを知り、帝都に攻め込んで全て壊して阻止したつもりじゃった。……だが、今になって魔獣の大量発生が起きてしもうた」
辺境伯のおじさんの声から覇気が消えていく。しかし、しっかりとした口調だ。
「儂は、今回の騒動の責を負わねばならん」
え?なんで?
二十年前も今回も、辺境伯のおじさんは頑張って魔獣の脅威から人々を守ってきたのに。
「儂の見立てが甘かった。その所為で、国中を危険に晒してしもうた」
かなり責任を感じているようだ。
まさか爵位の返上まで考えているとは。
聞いてる僕まで姿勢を正してしまうような、そういった緊迫した空気が居間に流れた。
「──じゃから、今度こそ帝国を完膚無きまでに叩き潰してこようと思ってのぉ」
コケた。
何故そうなるのか。
責任を取るって、爵位返上するだけじゃなくて、まさかの元凶をやっつける事なの?
「で、どうするの?お父様」
「隣国に攻め込む訳じゃから、取り敢えずは陛下に報告して許可を貰わねばな」
「二十年前は無断で突っ込んだじゃないの」
「ありゃ若気の至りじゃ!」
仮にも隣国の皇帝の居城を半壊させておいて、若気の至りで済ませて良いものだろうか。
ここまでオルニスさんもエニアさんも、爵位の返上について何も言及していないぞ。止めないのかな?
「あの、大丈夫ですか。爵位返上とか」
心配になって聞いてみた。
「辺境伯になったのは二十年前の戦争後だし、割とどうでもいいわね」
「エニアと子供達さえ居れば、私は構わないよ」
二人とも爵位に無頓着だった。
今まででも、王国軍トップのエニアさんと文官トップのオルニスさんが王宮を牛耳っている、辺境伯家に権力が偏り過ぎていると揶揄される事が何度かあったらしい。その度に「じゃあ辞めて領地に帰りまーす」と言うと、周りから全力で引き止められたという。
実際この二人は仕事出来そうだから、辞められたら困る人がたくさん居るんだろうな。
「オルニスよ、陛下の予定は」
「定例会議やら何やらはどうとでも出来ます。お義父さんの都合の良い時に王宮に来て下さい」
王様、結構忙しいはずだけど。
この件は何より優先させねばならないと考えているからこそ、他の用事を全て後回しにするつもりだ。
オルニスさんの返答に、辺境伯のおじさんは満足そうに頷いた。
「ならば明日にでも出向くとしよう。」
それは流石に急過ぎないかな。




