55話・司法部襲撃
「記憶が鮮明なうちに実験しちまおうか。下の広間に準備させるからアンタ達もおいで」
僕の記憶から元の世界の光景を読み取ったアーニャさんは、そう言って立ち上がった。左右に控えていた部下さんが仕度の為に先に部屋から出て行く。僕達も後を追うように階段を降り、広間へと向かう。
今日は顔合わせだけで終わると思ってたのに。
「まさか、これから実験するとは思わなかった」
「小生もだ。二分の一の確率でスリッパは異世界に戻ってしまうかもしれんのだぞ。貴重な資料が無くなると思うとな」
「だよねー。前までは慎重に進めるって言ってたのにさ、急にどーしたんだろね長官」
学者貴族さんもバリさんも今から実験をする事に驚きを隠せない様子だ。
以前この話を聞いた時は、異世界から持ち込まれた物が新たに発見されたら実施すると言っていたはずだ。もしや、新たに異世界の品が発見されたのか。いや、それなら学者貴族さんが知らない訳がない。
広間は研究棟の二階にあった。このフロアのほとんどのスペースを占めていて、例えるならテニスコート二面分くらいだろうか。テニスやった事ないけど。
中央に大きな台がある他は何も置いてない。窓はあるが、すべて鉄格子がはまっている。出入り口は先程入ってきた大扉だけ。
部下の人が何処からか木箱を運んできた。中身は僕のスリッパだ。普段は広間の隣にある倉庫で厳重に保管されている。魔法の鍵と防壁で、アーニャさんの許可がないと開かない仕組みらしい。
台の真ん中に片方だけのスリッパが置かれた。数ヶ月も野晒しになってたからボロボロだったけど、今は少し綺麗になっている。洗ってくれたようだ。
広間にいるのはアーニャさんと部下の二人、僕と間者さん、学者貴族さんとバリさんだけ。ちなみに間者さんは広間に着いた時に姿を現した。司法部の実験は爆発が伴うと聞いて、僕の身を守る為に出てきてくれた。
爆発、しないよね?
「さぁて、始めようか! もしかしたら今日にでも異世界の座標が分かるかもしれないねェ!」
アーニャさんが大声でそう言った。僕達はすぐ側にいるのに、何故そんなに声を張り上げる必要があるんだろう。実験前に気合いを入れてるのかな?
「カルカロス、魔力貸しな。異世界に干渉するには少しでも多い方がいい」
「うむ、分かった」
学者貴族さんは胸の前に手を構えて目を閉じた。手の平を中心に眩い光が集まる。光はすぐに収束し、学者貴族さんの前には直径四十センチ程の大きな光球が現れた。マイラの魔力制御の練習で見た事がある。この光の球は、魔力の塊だ。
これをアーニャさんに渡そうとした時、入口の大扉が勢い良く開かれた。二人、いや三人の小柄な男達が広間内に侵入してきた。手には小振りな剣が握られている。
「チッ、邪魔が入ったな」
学者貴族さんが舌打ちしながら魔力の塊を体内に戻していく。大きいから少し時間が掛かりそう。
魔力の塊を体外に出していても魔法は使えるが、平常心を保っていないと暴走する可能性があるらしい。襲撃を受けている最中ならば、尚更魔力の塊を体内に戻すほうが優先される。
びっくりして動けなくなった僕の前に間者さんが立って、守ってくれている。バリさんは、無防備な状態の学者貴族さんを庇うように立ち位置を変えた。
侵入者の男達は室内を縦横無尽に駆け回り、僕達を撹乱している。アーニャさんの部下が護身用の短剣を何本か投げたが、命中する事なく壁や床に刺さった。
「アンタ達、何の用だい!」
アーニャさんの問いに答える事なく、男達は室内を所狭しと駆けている。その内の一人が剣を握り直し、僕の方へと飛び掛ってきた。
「ッ!」
剣先が僕に届く前に間者さんが叩き落とした。そのまま手首を掴み、男の勢いを利用して投げ飛ばす。受け身を取ったのか、投げ飛ばされた男はすぐに後ろへ飛んで距離を取り、再び駆け回り始めた。
「狙いはヤモリ君かなー?」
「だとしたら非常に困る」
ようやく魔力の塊を全て体に戻した学者貴族さんが右手を前に掲げた。何か魔法を使うんだろうか。でも。相手がこんなに素早く動き回ってたら魔法は当たらないんじゃないか。
しかし、その心配は杞憂だった。
学者貴族さんの手の平から発せられたのは雷。それが先程アーニャさんの部下が投げて壁や床に刺さったままになっていた短剣に落ちた。
更に、短剣から短剣に稲光が走る。
男達は突如現れた雷のラインに足を取られ、動きが鈍くなった。
「よーし、後は任せときな!」
アーニャさんが腕を振り上げる。指先に青い炎が見えた。三人の男達は退こうとするが、出入り口の扉前では学者貴族さんが待ち構えている。他に出口はない。その一瞬の逡巡の隙をついて、アーニャさんは腕を振り下ろした。青い炎が一気に室内に広がる。
僕の立つ場所にも炎が届いたが、不思議と熱さはかんじなかった。学者貴族さんやバリさん、間者さんや部下の二人も平然としている。
しかし、侵入者の男達は違った。
「う、うわああああ!!」
三人のうちの一人が悲鳴を上げ、床に転がって体にまとわりつく炎を消そうと必死にもがき苦しんでいる。
既に雷の戒めは解けている。
炎に包まれているように見えるが、こちらには熱さは伝わってこない。広いとは言え、同じ室内だ。燃えている物があれば室温も上がりそうなものだけど、そんな事は一切なかった。
仲間が火達磨になった姿を見た残りの二人は青ざめ、茫然と立ち尽くしている。
「術に掛かったな。長官お得意の精神魔法だ。幻覚を信じ込ませる事で任意の対象を無力化する」
学者貴族さんが小声で解説してくれた。
なるほど、幻覚だったのか。僕達は対象外だから炎は見えても全く熱さを感じないが、対象の男は熱さや皮膚が焼かれる感覚まであるという。
「もちろん長官は本物の炎も出せるぞ」
場合によっては本当に焼かれるわけか。司法長官怖い。
男の幻覚はまだ消えていないようで、熱い熱いと呻きながら床を転げ回っている。アーニャさんの部下二人が三人の腕を後ろ手に縛り上げ、広間の外で待機していた騎士さん達に引き渡した。
騒ぎを聞きつけて王宮から来てくれたんだろうか。それにしては手際が良い。
「長官、こうなる事を知っていたな?」
学者貴族さんが尋ねると、アーニャさんは肩をすくめて笑った。否定しないところを見ると、当たりなのだろう。
「あの者達の狙いはヤモリ……ではないな。ヤモリを狙うなら何もこんな場所で無くても良い」
確かに、わざわざ司法部の研究棟に居る時でなく、辺境伯邸や馬車で移動している時の方が隙が多い。
このタイミングで無くては狙えないもの。
それって──
「コレだよ。アイツ等は、この『スリッパ』を奪うつもりだったのさ」
アーニャさんが指差したのは、広間の真ん中に置かれたスリッパだった。
普段は魔力の鍵と防壁に守られた倉庫に仕舞われ、術者のアーニャさんの許可無しでは持ち出せなくなっていたが、今日は実験の為に倉庫から出されている。
こんなの奪ってどうするつもりだったんだ?
「アールカイト家から研究棟へ保管場所を移したあたりから、どうも妙な連中が嗅ぎ回っていてね。『スリッパ』を奪って実験を妨害したいのか、それとも自分達で実験したいのか……」
顎に手を当て、考え込むアーニャさん。
バリさんも納得がいかないようだ。
「えー? でも、長官以外に空間に作用する魔法を使える者がいるのかな。手に入れてどうすんのさ」
「魔法というのは、要は想像の具現化だからな。小生には『空間を繋げる』というのがイマイチ理解出来んから無理だが、頭の柔らかい者なら可能なのではないか?」
この国で魔法を使えるのは古参貴族の血筋だけ。中でも特殊な部類に入る空間魔法は今のところアーニャさんしか使えない。
ならば、やはり実験の妨害が目的か。この実験が成功して良いデータが取れれば、異世界との交信や行き来が出来ちゃうかもしれないんだから。
異世界研究を良く思っていない人がいるのかも。
「とにかく、今日は魔力を無駄に使っちまったからね。実験は延期するよ。邪魔が入らなきゃやっちまうつもりだったんだけどねェ」
実験は中止となった。
アーニャさんの部下の二人が壁や床に刺さった短剣を抜いて回収している。雷を受けた刀身はやや焦げていた。
青い炎は幻覚だったけど、学者貴族さんの雷は本物だった。魔力の制御も出来ていたし、学者貴族さんって何気に凄い人なのかも。僕にとっては魔法が使えるってだけで凄い。
さっきの侵入者達は、学者貴族さんが魔力の塊を出してから襲ってきた。あの状態では魔法が使いにくいと分かっていた?
「兄上! ご無事ですか!?」
後始末の最中にアリストスさんがやってきた。全力で走ってきたようで、肩で息をしている。王宮から騎士が来たのなら、警備責任者のアリストスさんに話が行かない訳がない。
突如現れた弟に、学者貴族さんは溜め息をついた。
「はぁ……お前の仕事は王宮警備だろう。持ち場を離れて何をしている」
「司法部の研究棟は通路で繋がっております! つまり王宮の一部と言っても過言ではありませんッ!」
「屁理屈を捏ねるな。すぐに戻れ」
「そう言われましても……」
アリストスさんは学者貴族さんから離れたくないみたいだ。相変わらずブラコンが酷い。先日アールカイト侯爵家の本宅から別宅へ学者貴族さんが戻ってしまったのも原因だろう。
一向に王宮に帰ろうとしないアリストスさんに業を煮やし、学者貴族さんは深く溜め息を吐いた後、こう切り出した。
「──アリストス。私を襲った者どもを取り調べて、結果が出たら教えてくれ。その時は本宅に出向こう」
頼むぞ、と弟の手を握る学者貴族さん。アリストスさんは感激に打ち震えている。
「は、はいっ! お任せください兄上ッ!!!」
そう言い残し、アリストスさんは駆け足で王宮へと戻っていった。
さっき騎士さん達によって連れて行かれた男達は、これからアリストスさん直々に取り調べられる事だろう。めちゃくちゃ張り切ってたし、酷い事にならないといいけど。
「なんていうか、まあ、アンタんとこの弟も大概だねェ……」
アーニャさんがボソッと呟いた言葉に、学者貴族さんはまた深い深い溜め息を吐いた。
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