51話・ひきこもりとホチキス
アールカイト侯爵家にお邪魔する度に、先代侯爵夫人のマリエラさんが同席するようになった。
それは何故か。
学者貴族さんの研究助手であるバリさんがマリエラさんにめちゃくちゃ気に入られているからだ。平民だけど他国出身者だから関係ないのかも。
サウロ王国にはまずいない髪色なのが目を引くとかで、着飾らせて夜会に連れ回しているらしい。もしや愛人関係なのでは?
「父上が亡くなって大分経つからな。義母上が誰と交際しようと別に構わんが」
「ははは、やだなあカルカロスぅ。そんなんじゃないよ。マリエラ様が虫除けの為に側に置いてるだけなんだから」
本人は笑って否定してるけど、本当の所はどうなんだろう。大人怖い。
「あら、妬いてくれているのかしら。嬉しいわ」
「御冗談を」
貴族の未亡人には援助狙いの若者や独り身の高齢男性までお誘いが絶えないらしい。虫除けって言うのも強ち間違いではないんじゃないかな。バリさん、黙っていればミステリアスな美青年って感じだし。
「そんな事より、ついに陛下や殿下達に会ったらしいな? ヤモリ」
「あ、うん。先週会ってお話したけど」
「へぇ、とうとう王様に目を付けられちゃったか」
意味深な笑みを浮かべるバリさん。王様に目を付けられるってどういう意味?
「カルカロスぅ、ヤモリ君を王宮に持って行かれちゃうかもよ〜? どうする?」
「有り得る話だ。王宮に保護されたら外には簡単に出られん。今より確実に自由は無くなるな」
「ええ? そうなんだ……」
その可能性は何度も考えた。
王様やヒメロス王子の異世界に対する関心はかなり高い。王様命令で僕の保護先を王宮にするとか言われたら、幾らオルニスさんやエニアさんでも逆らえないだろう。
外出は出来なくても全く問題はない。ただ、マイラやラトスに会えなくなるかもしれない。それは嫌だ。
「僕が王宮に行ったら異世界研究が出来なくなるんじゃない? 大丈夫?」
「いや。異世界の研究は陛下の命令だから最優先で続行される。王宮と司法部の研究塔は隣接しているから、必要な時に来てもらえば問題ない」
「そっか。じゃあ万が一王宮で保護されても学者貴族さんには会える訳だね」
「ん? ああ、そうだな」
知らない人だらけ、しかもこの国で一番煌びやかな場所である王宮に住むなんて嫌だけど、知ってる人に会えるならいいか。
オルニスさんやエニアさんも基本王宮で働いてるし、そう考えれば寂しくないかも。
「司法部の研究塔なら俺も入れるよ〜。マリエラ様は王宮内でもフツーに出入りしてるでしょ?」
「お茶会とか色々ね。アリストスが貴族同士の付き合いを疎かにしているから、私がその代わりに顔を出さなくてはならないのよ」
アリストスさん、他人というか兄の学者貴族さん以外に興味無さ過ぎるからね。人付き合いとか全くしなさそう。
「カルカロスの方が意外と社交的なのよね。最近侯爵家の仕事も手伝ってくれている事だし、貴族同士の付き合い、少し任せちゃおうかしら?」
マリエラさんがそう提案すると、学者貴族さんはあからさまに不機嫌な表情になった。
学者貴族さんは、外面がちゃんとあるというか、キャラの使い分けが出来ている。きちんとした場面では、それに相応しい振る舞いも出来るらしい。
しかし、『出来る』と『やる』は別だ。
「義母上、それではまた後継問題を蒸し返す者が出てくるやもしれませんぞ」
「心配は不要ですよ。そのような輩は先日全て処理しましたからね」
「むっ、それなら……いやいや。多少苦手だろうがなんだろうが、当主はアリストスです。無理にでも行かせて下さい」
「おほほ、それが一番難しいのよねぇ」
朗らかに笑って言ってるけど、処理って何?
マリエラさん、誰をどうしたの!?
高位貴族怖い。
「それに、魔獣の脅威もなくなったようですので、私はそろそろ別邸に戻るつもりです」
「えっ」
王国軍が大規模遠征で魔獣退治をした結果、王領シルクラッテ州には安全宣言が出された。つまり、王都の端にある別邸に戻れるという事だ。
元々侯爵家の屋敷には一時避難として滞在していただけなのだから、別邸の安全が保証されたのなら居続ける必要は無い。
「まあ、まだ早いのではないかしら」
「そうだよカルカロスぅ、もうちょっと居ようよ」
マリエラさんはともかく、バリさんまで引き留めるってどうなんだろう。さては至れり尽くせりの侯爵家暮らしに慣れ過ぎたな?
別邸は馬車で片道小一時間の距離だし、今までのように気軽に王都の街に行けなくなるしね。
「──いや、今しかない。アリストスが王宮に詰めている隙に出て行かねば、私は別邸に戻る機会を失いかねん」
「「「ああ〜……」」」
僕とマリエラさん、バリさんの声がハモった。
確かに、この場にアリストスさんが居たら自分の命を盾にしてでも引き留めそう。学者貴族さんも仲直りしてからは余り厳しい態度を取れずにいる。アリストスさんに泣かれると弱いみたい。
「という訳で、今日明日にも荷物をまとめて別邸に戻ります。義母上、くれぐれもアリストスには内密に」
「ええ、ええ。分かっておりますとも。幸い週末まで戻らない予定ですから大丈夫ですよ。あと、やはりまだ心配だから、別邸付きの護衛を増やしておくわね」
「は、ありがとうございます。では、私は荷物の片付けがありますので。……ヤモリ、バリ、行くぞ」
「あ、はいっ。マリエラさん、失礼します!」
「マリエラ様、また後でね〜」
急な申し出にも関わらず、マリエラさんは全く動じてなかった。多分、近いうちに学者貴族さんが別邸に戻るつもりだと分かっていたんだろう。
家族用の応接室を出て、最上階の学者貴族さんの部屋へ移動する。
さっきまで階下で給仕をしていたはずのドナさんが先回りして出迎えてくれた。かなり高齢で足腰プルプルなのに、一体どうやって先に部屋に着いたのだろう。流石は侯爵家のメイド長。
「そういえば、司法部の長官が近いうちにヤモリと話がしたいと言っていたぞ」
「司法部……謁見の時に居た? かな」
正直あの時は緊張してて、両脇に立っていた人達まで見る余裕がなかったから覚えてない。
「うむ。その時は姿を見るしか出来なかったと嘆いていたからな。異世界の話を聞きたいらしい」
「王様や王子様にも聞かれまくりなんだけど」
「それもそうだな。いっそのこと異世界に興味のある者全て集めて講義でもしたらどうだ? もちろん小生は最前列に陣取るがな」
「……人前で話すとか無理なんだけど」
でも、個々に説明していくよりはマシかも。一番の問題は、全員めちゃめちゃ身分が高いから、僕が萎縮して喋れなくなる事かな。
「さて、資料をまとめておくか。紙がかなり増えたからしっかり束ねておかねばな」
教科書を翻訳した紙もかなり増えた。
客室の真ん中に置かれたテーブルには積まれた紙束が幾つもある。これらの紙の上部に千枚通しで穴を開け、紐で括って一纏めにする作業がまだ残っている。
「あーあ、ホチキスがあれば楽なんだけどなぁ」
「なにっ、それはどんな物だ!」
「この作業がラクになる道具があるの!?」
作業中、ボソッと呟いた僕の一言に、学者貴族さんとバリさんが食い付いた。
しまった。こうなるのが分かってたから、普段はなるべく余分な事を言わないようにしていたのに。思わず気を抜いてしまうほど、学者貴族さん達と居ても緊張しなくなったのかな。
「ヤモリ! ほちきすとはなんだ!!」
「ねえ、マツカサ・ミクの遺物の中にない? この書類ぜんぶ穴開けて綴じるの面倒くさいんだけど!」
「ああ〜また始まった……」
余りにも騒がれたので、ホチキスの外観や使用目的を絵に描いて説明した。片付けてる最中だっていうのに紙を増やしてどうする。
多分これくらいなら、こっちの世界でも再現出来そうな気がする。
元の世界にはたくさん便利な物があったんだよな。こういう事態にならなかったら、大して感謝もせず、当たり前に使うだけだった。
無くなって初めて気付いた。
今の状況も当たり前じゃなくなるかもしれない。 そうなってから、僕はまた悔やむのだろうか。




