43話・束の間の平穏
遠征に行っていたエニアさんが帰ってきた。
王都に帰ってから、真っ直ぐ辺境伯邸に戻ってきたようで、全身泥だらけだ。すぐにメイドさん達に囲まれてお風呂場に連行されていった。
夕食時にはオルニスさんも帰宅し、久しぶりに全員揃っての食事となった。
「あー、やっぱ我が家がいちばんだわ!」
豪快にジョッキでお酒を流し込みながら、上機嫌で笑うエニアさん。さっきから何杯も飲んでるけど、あの細い体のどこに入っているんだろう。
「ははは、程々にするんだよエニア」
もっとしっかり止めなくていいのか。
オルニスさんて、基本家族に甘いよな。
「お母さま、今回はどこに行ったの?」
「東のファレナン州よ。国境の大河を越えて魔獣が出たっていうから応援に行ってきたの」
「魔獣はどんなのでしたか」
「灰大鰐の群れを率いる白鰐だったわ。普通の鰐より大型で堅いから、ちょーっとだけ苦戦しちゃった」
「「わに……!」」
サラッと言ってるけど、かなり大変だったんじゃないかな。鰐の群れって、一体何匹いたんだろう。
あと、白の魔獣はかなり強い個体らしいし。
「防具の素材に最高だから、全部持ち帰ってきたわ!今頃王都中の解体屋が総出で作業してるはずよ」
「さすがお母さま!」
「すごいです!」
マイラ達に称賛され、ますます上機嫌に飲み食いするエニアさん。オルニスさんは、そんな奥さんを嬉しそうにニコニコ眺めている。
いや、全然微笑ましい内容の会話じゃないし。
「鰐の魔獣なんて、これまで大河にいたかな?」
「んーん。普通の鰐なら居たけど、魔獣化したやつは最近になって急に報告が上がってきたの」
魔獣化?
普通の動物が魔獣に変わるって事なのかな。
オルニスさんは難しい顔をしている。
「エニア。魔獣の出所なんだが、今回の遠征で少しは掴めたかい?」
「……そうねえ、目撃情報をまとめると、やっぱり南の方から来ているみたい」
「やはりそうか」
南と言えば、辺境伯領のクワドラッド州がある。更に南下するとユスタフ帝国だ。
「クワドラッド州からは応援要請が来ていないが、おそらくかなりの数の魔獣が領内に出現しているはずだ」
「お父さま、そんな」
「おじいさまはだいじょうぶでしょうか」
オルニスさんの言葉に、マイラとラトスが不安の声を上げた。
クワドラッド州にはエニアさんの父で、マイラ達の祖父である辺境伯のおじさんがいる。以前里帰りした際に、ノルトンを出てすぐの所で実際に魔獣に襲われた事がある。二人が心配になるのも当然だ。
その時は、護衛についていた駐屯兵団の兵士さん達がすぐに倒してくれたけど、数が多ければ対処も難しくなるだろう。
「だーいじょーぶだって! 前にも言ったけど、駐屯兵団はお父様が鍛え上げた最強の軍団だから、魔獣なんかに負けやしないわ!」
「そうだよ、マイラ、ラトス。次の長期休暇までにはこの事態も沈静化しているだろうし、心配には及ばないよ」
「はい……」
「ま、一週間くらい兵を休めたら、また魔獣退治に行かなきゃならないんだけどね!」
また遠征に行く事が決まっているらしい。 それを聞いたマイラ達は更に気落ちしている。 最前線で戦う母親の身が心配なんだろう。
あれ? エニアさんて、王国軍の一番偉い人だよね? 偉い人って前線に出ないイメージだったけど。
聞いてみたら「魔力が有り余って仕方ないから時々ブッ放しにいってんのよ」と笑って返された。なんだかすごく納得した。
「よーし! 明日から一週間お休みだし、母さまがたくさん遊んであげる!」
「ほんと!? 街に買い物しに行ける?」
「ボク、川で舟遊びがしたいです」
「何でも付き合うわよ〜」
「「やったー!」」
相変わらず、エニアさんはマイラ達を元気付けるのが上手い。魔獣討伐はかなり深刻な話題だったのに、まるで大したことないみたいに言ってのけるし。絶対敵わないな。
「そういえば、私のいない間にアールカイト家と揉めたらしいじゃないの」
「揉めたというか、なんというか……」
「もう解決したって聞いたけど、なんかしたの?」
「いえ、僕はなんにもしてないです」
「ははは、ヤモリ君は役に立ってくれたよ。侯爵家の兄弟を仲直りさせたのも彼だからね」
「えっ、あの問題児達を? すごいわね!」
「はあ……」
実際、僕は何にもしていない。数日間監禁されていただけに過ぎない。あの兄弟が仲直りしたのも、たまたまそういう時期に僕が居合わせただけだ。
しかし、あの二人は問題児扱いされてるのか。まあ、そうだろうな。
「なんか、楽しそうな事がぜんぶ私の留守中に起きてる気がするわ」
なんでちょっと悔しそうなんだ。
流石に考え無しのアリストスさんでも、エニアさんが在宅中に辺境伯邸に押し入ったりはしないだろう。もしそんな真似したら、アールカイト侯爵家の屋敷はきっと壊滅してしまう。
「さあ、明日はいっぱい遊ぶんだろう? 今日はこれくらいにして、早くお風呂に入って寝なさい」
「「はーい」」
オルニスさんに促され、マイラとラトスは自分の部屋に戻っていった。
明日は親子水入らずにしてあげよう。そう思ってたら「人数多い方が楽しいし、絶対ヤモリ君も一緒に遊ぶんだからね!」とエニアさんに釘を刺されてしまった。
最近一人の時間が無くなってるなあ。でも、それにも段々と慣れてきた。
翌日、馬車で街まで買い物に出掛けた。
前に来た時より、街を歩く人の姿が少ない。王都以外から来る観光客が激減しているからだ。
魔獣の出現により、護衛なしで街道を移動するのはかなり困難になってきている。王国軍は生活に必要な物資の輸送、定期的に街を回る連絡馬車などの護衛も担当していて、魔獣退治に割ける人員が少ないのだという。
魔獣を殲滅しない限り、いつまで経っても護衛任務は無くならないし、かといって物資がなければ王都は成り立たない。だから毎回少数精鋭で遠征に行っている、とエニアさんが教えてくれた。
これだけ観光客が減ったら、王都で商売をしている人達はかなり困っているだろうな。
「そうなんですよ、ホントに困ってるんです」
立ち寄ったペリエス革工房店で、トマスさんに泣きつかれた。キサン村村長の息子さんで、現在は革細工職人をしている。
普段は観光客相手に商売をしているから、かなり影響が出ているという。しかし、暇になったワケではない。
「大量の魔獣素材が持ち込まれて、革鎧とか小手の発注ばっか増えてるんです」
「そ、それは大変そうですね」
「はい、実際加工が難しいものばかりで。ホント職人泣かせですよ、鰐の魔獣は」
大量の魔獣素材を持ち込んだ張本人であるエニアさんは、素知らぬ顔でマイラ達と商品棚を眺めている。
「ああ、そうだ。叔父からの手紙が届いたんですよ。周辺の小さな村の住民は全員ノルトンに避難してるそうです。でも、農村ばっかだし、今後が心配で」
叔父のアトロスさんからの情報だ。
ノルトンの要塞内に避難していれば命は助かるけど、畑がダメになったら今後の生活の見通しが立たない。そういう事を、トマスさんは気に掛けていた。
ペリエス革工房店を出て、他の通りを見てみても、やはり以前のような活気はない。今居るお客は王都の住民だけで、観光客向けの店はかなりの打撃を受けていた。
「やっぱ、早くなんとかしなきゃダメよねぇ」
エニアさんはそう言いながら、通りにある全ての店から様々な商品を山ほど購入していった。街を巡回していた通りすがりの兵士さんに、買った商品を馬車まで運ばせたり分け与えたりしている。
貴族の豪遊に見せ掛けた援助だが、これではその場凌ぎにしかならない。全てを根本から解決するには、魔獣の殲滅以外に道はない。
その日から一週間、エニアさんはマイラ達が家にいる間、全力で遊んであげていた。
そして休暇明けの翌日、王国軍全兵士を動員した大規模遠征が決定した。




