42話・引き合う力
「アケオ、こっちよー!」
「もしかして、それで全力とかいわないよね?」
「……はぁ、はぁ、これでも頑張ってるんだけど」
今、僕はマイラ達と遊んでいる。庭園内限定の鬼ごっこなんだけど、とにかく範囲が広くて大変だ。
マイラとラトスは縦横無尽に走り回っていて、僕は端から端に辿り着く前に息切れして歩けなくなった。
子供相手の遊びは身体が保たない。
無事に辺境伯邸に帰ってきてから、マイラ達は暫く顰めっ面をしていた。でも、こうして何度も一緒に遊んでたら笑顔が見られるようになってきた。
このまま平和な日々が続くといいんだけど。
監禁騒動後、初めて別邸に行く事にした。
あれ以来、マイラ達はアールカイト侯爵家を敵視している。アリストスさんも反省したし、もう何かされる恐れはないんだけど。
心配を掛けた負い目があるので、マイラ達が学院に行ってる間にこそっと行く事にした。
いつものように馬車に揺られること数十分、王都外れの別邸に到着。
「よく来たな、ヤモリ! 待っていたぞ!」
玄関ホールで学者貴族さんが出迎えてくれた。庭にもう一台馬車があったんだけど、なんか嫌な予感しかしない。
いつもの図書室に行くと、そこにはやはりアリストスさんが居た。三人掛けソファーのど真ん中に踏ん反り返って座っている。
「ヤモリ殿! 遅かったではないか!」
優雅にお茶を飲みながら、堂々とした態度で僕に声を掛けてきた。罪悪感とかないのかよ。
「え、なんでいるの?」
「義母上から謹慎を食らったそうでな。しばらく暇になったらしい」
「全然謹慎してないじゃん」
「小生もそう思う」
学者貴族さんとヒソヒソ話してると、アリストスさんは不満気にこちらを睨んできた。
「兄上は私よりヤモリ殿の方が良いのですか!」
「此奴は何を言っとるんだ」
「ブラコン怖っ」
アリストスさんの兄上好きは歯止めが完全に壊れてしまったので、終始こんな感じだ。少しでも兄上に近付く者を見掛けたら噛み付かねば気が済まないらしい。
本当にはた迷惑な人だ。
「あ、ヤモリ君だ。無事に帰れて良かったねー」
バリさんもいる。相変わらず淡々としていて、僕の無事を喜ぶセリフすら棒読みだ。いや、バリさんに心配されても、それはそれで不気味だから構わないんだけど。
「監禁中に結構翻訳進んで偉かったよねー。あと何回か監禁されたら教科書ぜんぶ訳せるんじゃない?」
労うのか追い詰めるのかどっちかにしてほしい。
確かに監禁生活中は翻訳作業が捗った。
「それで、お前は何をしに来たのだアリストス」
「勿論、兄上の研究をお助けする為です!」
つい最近まで邪魔ばかりしていたのに、和解した瞬間手の平を返したぞ。異世界人の研究の為というより、学者貴族さんの役に立ちたいだけだろう。
「お前の助けなど要らん!」
「何故ですか、私よりヤモリ殿やバリの方が役に立つとでも仰るのですか!」
「その通りだ!」
そりゃ拒否されるよね。こればっかりは過去の行いが悪過ぎる。でも、こんなに素直に気持ちを口に出せるようになったのは良かったと思う。
「──さて、邪魔者も居るが気を取り直していくぞ。遺物の調査だが、司法部から報告があってな。どうも異世界から持ち込まれた物には『引き合う力』があるらしい」
「なにそれ。面白そうな話だねカルカロス」
「バリ! 兄上を呼び捨てにするな!」
「アリストス五月蝿いぞ」
教科書の翻訳以外にも色々調べてたんだ。初耳。
司法部って、学者貴族さんが魔法学の研究をしていた機関だとアリストスさんから聞いた事がある。そこでも異世界人の研究をしていたとは。
「それでな、時間の経過と共に『引き合う力』は薄れてしまうから、マツカサ・ミクの遺物では上手く検証が出来んらしい」
「まあ、二十年も前のものだからね」
「そこで、預かっていたヤモリの衣服を提出して調べて貰っていたのだが」
「え、ちょっと。僕のスウェット」
司法部がどんな場所かは知らないが、僕の着古したスウェットをジロジロ見られたと思うと恥ずかしい。
「『引き合う力』は対になっているものにより強く発生するらしくてな、例えば、ヤモリの上着だけこちらの世界にあって、ズボンが異世界にある場合」
え、半裸で異世界転移? タイミングが悪ければ全裸転移も有り得るか。
「その場合、上下の対となる衣服同士が引き合って、次元が繋がるかもしれないという仮説が出た」
「おお〜っ!」
なんか、こっちの世界に来てから初めて希望が持てる仮説が出てきたぞ。これは期待出来そう。
「しかし、ヤモリがこちらに持ち込んだ異世界の品物は非常に少なくてな。対になるような物がないのだ」
「すいませんねえ、手ぶらで来て」
教科書が詰まったランドセルごと転移した美久ちゃんと違い、僕は身に付けていた部屋着しかこっちの世界に持ち込めていない。
スウェットとトランクス、靴下、それと──
「あっ!」
思い出した!
他にも一つだけ持ち込んだものがあった。
「どうしたヤモリ」
「何か思い出した?」
急に声を上げて動きを止めた僕を見て、不安げに話し掛けてくる学者貴族さんとバリさん。
「スリッパ……僕、片方だけスリッパ履いてて」
「……すりっぱ? それはなんだ?」
僕はテーブルにあった紙にササっとスリッパの絵を描いて見せた。何の変哲も無い、室内用の地味なスリッパだ。
「こっちの世界に転移して、気が付いた時にスリッパが片方しかなくて」
「で、では、もう片方は……」
「たぶん、元の世界にあると思う」
転移直前の事は記憶にないけど、自分の部屋にいたはずだ。つまり、スリッパの片割れも部屋の中だ。
「おおっ、まさに理想の状況だ! で、こちら側にある『すりっぱ』は何処にある!?」
「それが、その場に置いてきちゃって……」
「なにっ!? それは何処だ!」
「えーと、キサン村近くの森の中です。クワドラッド州の南の方にある」
「よし、すぐ回収に行くぞ!」
「えー、俺ダルいから留守番しとくね」
「バリ! お前という奴は!」
張り切る学者貴族さんとマイペースなバリさん。
確かに王都からクワドラッド州は遠い。しかも、広大な森の中から小さなスリッパを探さなくてはならない。今は魔獣が多発しているから危険も多い。
学者貴族さんが直接出向くには問題がある。
言い合う中、アリストスさんが立ち上がった。
「ならば兄上、私がその『すりっぱ』とやらを回収して参りましょう」
「馬鹿な。アリストス、お前は侯爵家の当主だぞ」
「暫く謹慎の身ですので」
いやいや、謹慎中に遠出は余計駄目だろう。
見兼ねたのか、アールカイト家の隠密が数人天井裏から降りてきて、何やらアリストスさんを説得している。
「……ふむ、わかった。兄上、我が手の者がこれからクワドラッド州に回収に参る事になりました!」
「ああ、まあ、それなら義母上も怒らんだろう。頼めるか?」
「「はっ!」」
学者貴族さんの手から直接スリッパの描かれた紙を受け取り、アールカイト家の隠密の人達は姿を消した。 間者さんも敵わないような凄腕の人達に、森でスリッパ探しをさせてしまうなんて。
こんな事なら捨てずに持ってくるべきだった。
まさに後悔先に立たず。
しかし、僕がキサン村近くの森に転移したのはもう何ヶ月も前の話だ。雨風に晒されているだろうし、獣が咥えて何処かに運んでいったかもしれない。
すぐに見つかればいいんだけど。
夕方辺境伯邸に戻ると、先に帰宅していたマイラとラトスが玄関先で仁王立ちして待ち構えていた。
あれ、いつもならまだ学院にいる時間なのに。
「今日は先生方の研修があるから、お昼までの授業だったのよ。……あたし達が留守の間にまた別邸に行ったわね?」
「あれほどやめておけといったのに」
しまった、学院に半日授業の日があるとは。
側に立つプロムスさんをチラッと見たら、あからさまに目を逸らされた。あの人、絶対知ってて黙ってたな。
プロムスさんもアールカイト侯爵家に良い感情を持ってないっぽいから仕方ないか。
それにしても、二人ともすごく怒っている。
でも、それは僕を心配しての事だ。
怒られてるのに嬉しいなんて、変な感じだ。
「ちょっとアケオ、なに笑ってるの!あたし怒ってるんだからね!」
「うんうん、分かってるよ」
「ぜったいわかってない!」
左右の腕をそれぞれ掴まれて、僕は部屋まで連行された。
1話目で打ち捨てられたスリッパが脚光を浴びる時が来ました。
もう少しマトモな伏線はなかったのか。




