40話・選んだ場所3
無事アールカイト侯爵家の兄弟が仲直りし、今後の事もある程度決まってめでたしめでたし。
となる筈だったんだけど。
何故か僕は、この屋敷の一番煌びやかな対お客様用の食堂で食事をしている。
大きな丸いテーブルに掛けられているのは、細かな刺繍が施された真っ白なテーブルクロス。料理のソースが飛んだらと思うと、純粋に食事を楽しめない。
僕の向かいには、先代侯爵夫人のマリエラさん、その隣に現当主のアリストスさん、僕の隣には学者貴族さんが座っている。
給仕はメイド長である年配メイドさんと他数名。
「異世界にもたくさん美味しいものがおありでしょうけど、こちらの世界の料理はお口に合いまして?」
「は、はい。美味しいです」
正直、味が分からないくらい緊張している。
貴族との食事は辺境伯邸で慣れたつもりだったけど、侯爵家は全員が大人だからか、テーブルマナーがちゃんとしている。エニアさんみたいに大きな肉塊にフォークを突き刺したりしない。音も立てず、ナイフで器用に小さく切り分け、優雅に口元に運んでいる。
「どうした。食が進んでおらんようだが」
「アッ、大丈夫! 食べてるよ」
「ミソとショーユの料理がないからだろう」
「兄上、なんですかその『ミソとショーユ』とは」
「異世界の調味料らしい。大豆を使って作ると聞いているが、再現が出来ん」
「それならば、大豆の産地に研究者を派遣して色々試させてみては?」
「良い考えだ。アリストス、頼めるか?」
「お任せ下さい兄上!」
おっ、何か良い感じに話題が繋がった。兄弟間の垣根は完全に取っ払われたみたいだ。この二人がこんな風に穏やかに言葉を交わすようになるなんて、昨日までは想像も出来なかった。
「で、『ミソとショーユ』とはどんなものだ?」
アリストスさんに質問され、僕は頭を悩ませた。普段食べてるものでも、作り方とかは上手く説明出来ない。とにかく頭の中にある知識を振り絞って伝えるしかない。
「大豆に塩と麹? を混ぜて、樽の中に入れて何ヶ月も発酵させた、茶色い粘土みたいなやつが味噌で、その上澄み液が醤油? ……だったかな」
その場に居た全員がポカンとした。
僕も自分の説明はどうかと思う。でも、専門家でもない僕にはこうとしか言いようがない。
あとは研究者の人が試行錯誤を繰り返して、何とか食べられるような物を作ってくれるよう祈るだけだ。アールカイト家の研究者なら、きっと美味しい味噌と醤油を再現してくれる事だろう。
「ほほ、こんな風に家族が揃って食事するなんて、何年振りかしら」
不意に、マリエラさんが微笑みながら呟いた。
「今夜のような楽しい晩餐は初めてだわ。是非またヤモリ様に来ていただかなくてはね」
「い。いえ! 僕なんかが邪魔をしちゃ悪いし」
「とんでもありません。貴方様は我が家の大切なお客様。カルカロスとアリストスを和解させた、神様みたいな存在ですわ」
死ぬ程持ち上げられてる!
僕は苦笑いするしかなかった。
和やかな雰囲気のまま晩餐は終わり、僕は客室に戻る事にした。
アリストスさんから一杯付き合えと誘われたけど、お酒が飲めないから遠慮した。しかし、酒抜きでいいから私の話を聞け!と小一時間拘束されて兄上自慢に付き合わされてしまった。
学者貴族さんはさっさと自室に引き上げていった。裏切り者。
部屋に戻ると、既に年配メイドさんがお風呂の支度をしてくれていた。さっきまで食事の給仕をしていたのに、驚くべき仕事の速さだ。流石メイド長。
「寝室のご用意も出来ておりますので」
「あ、ありがとうございます」
年配メイドさんは控えの間へと下がっていった。
明日の昼過ぎにはオルニスさんが迎えの馬車を出してくれる事になっている。
この部屋で過ごすのもあと僅かだ。
無理やり連れて来られた時には早く出たいと思っていたけど、割と快適に過ごせた。これも年配メイドさんのお世話が行き届いてるからだ。
学者貴族さんが今後も来ると約束してたし、年配メイドさんも嬉しいだろう。
お風呂上がりの冷たい飲み物を飲みながら、テラスに出て夜風に当たる。街の明かりがちらほら見えた。
見上げれば、満点の星空が広がっている。星座は詳しくないけど、元の世界となんとなく星の配置が違うのが分かった。
本当に異世界に来ちゃったんだよなあ。
アールカイト侯爵家の兄弟が仲直り出来たのは嬉しいけど、僕と兄はどうだろう。
僕がひきこもりになってから、あまり話さなくなってしまった。出来の良い兄だった。双子なのに性格も頭の出来も正反対。今も全寮制の進学校に通っているはずだ。僕がこんなだから、両親は兄に期待している。
異世界に来たのが僕の方で良かった。
でも、もし兄なら、異世界でも上手く立ち回れたんじゃないか。キサン村の人達を助けられたんじゃないか、と思わなくもない。
頭も良く、何でも知ってるから、異世界に現代の技術を再現とか出来たかもしれない。
何にも秀でた所のない僕なんかが、果たしてこっちの世界で生きていけるのだろうか。
色々考え始めたら何だか気分が沈んできた。こういう時は、さっさと寝るに限る。そう思って寝室の扉を開けたら、ベッドに学者貴族さんが寝転がっていた。
速攻で扉を閉め、控えの間の扉を連打する。
「ちょっと! いつの間に部屋に入れたんですか!」
「『寝室のご用意も出来ております』とご案内するより前でこざいますね」
「僕がお風呂入る前からじゃないですか!」
「カルカロス坊っちゃまが久々にこの部屋で寝たいとおっしゃるものですから」
「じゃあ僕は何処で寝りゃいいんですかぁ!」
「あらあらまあまあ。……おや、どなたかいらっしゃったみたいですね」
廊下側の扉がノックされ、年配メイドさんはそちらの応対をしに行ってしまった。
「兄上がここにいると聞いたのでな! 私もこの部屋で休ませてもらうぞ!!」
増えた。
小脇に大きな枕を抱えたアリストスさんが、ズカズカと部屋に入ってきた。
「だから、なんで入れちゃうんですか!」
「坊っちゃま達が望む事を叶えるのがわたくし達のお仕事ですから」
あっさり言い返され、僕は客室内に戻った。年配メイドさんは完全にあっちの味方だ。
「ふむ、これなら三人でも寝られるな!」
寝室では、ベッドの大きさを測りながら学者貴族さんが枕の位置を調整していた。
なんで抵抗がないんだよ。
「あの、僕はこっちのソファーで寝るんで。ベッドは二人で使ってくれれば……」
「何故だ!!」
なんでそれを疑問に思うんだよ! 幾ら大きなベッドだからって、大の男三人で寝る方がおかしいよ!
断る僕の裾を引き、アリストスさんが小声で囁く。
「ヤモリ殿が居らんと、まだ兄上と二人では会話が成り立たん。助けると思って一緒に寝てくれんか」
「会話の手助けくらいするけど、それがなんでこうなるのか意味分かんない」
「兄弟で同じベッドで眠るなど、幼い時以来なのだ。頼むから!」
そう言われてしまうと弱い。
何故か侯爵家の兄弟に挟まれて横になる僕。
いやいや、これは完全におかしいよね。
なんで僕が真ん中?
「兄上の隣など、恥ずかしくて眠れん!」
もう助けるのやめよっかな。
真顔で天井を見上げる僕の隣で寝ている学者貴族さんが笑った。
「──今まで、この部屋に来るのが怖かった。どうしても母上を思い出してしまうからな。だが、ヤモリのおかげで思い出が上書き出来た。礼を言う」
そうだったんだ。
学者貴族さんは今後この屋敷に来る時は、この部屋を使うつもりだと言う。年配メイドさんが聞いたら喜びそうだ。
「母上がまだ元気だった頃、こうして一緒に寝たものだ。この部屋で、再び誰かと眠る日が来るとはな……」
亡きヒルダさんの思い出に浸っているみたいだ。
いや、それならアリストスさんと二人で寝りゃ済む話じゃない? あ、ダメだ。このひと兄上が好き過ぎて二人きりになれないんだった。
じゃあ、僕が間に居るのは有りなのか?
僕が居るだけで、役に立てているのかな?
それならいいか。
ちなみに、アリストスさんの寝相が悪過ぎて、僕はあまり眠れなかった。
翌日の昼過ぎ、辺境伯邸から迎えが来た。
オルニスさんが馬車から降り、先代侯爵夫人と何やら話している。恐らく、後日行くと言っていた王宮へのお詫びの挨拶の相談だろう。
僕は寝不足で、目の下にクマが出来ている。
「酷い顔だな。もう少しなんとかならんか」
お前のせいだよ! とは口が裂けても言えない。
周りに侯爵家のメイドさんや使用人、騎士さん達がズラッと並んでいるから、そんな場所で当主を罵倒など出来るはずがない。
「それじゃ、お世話になりました!」
侯爵家の人達に向かって頭を下げ、僕は馬車に乗り込んだ。
馬車の中には、平日の昼間にも関わらず、マイラとラトスが居た。今日も貴族学院を休んだみたいだ。
「ずいぶんと侯爵家が気に入ったみたいね?」
「まさか、自分から滞在を延長するとは」
二人からジト目で睨まれた。
昨日オルニスさんが迎えに行った際、一緒に戻らなかったのを相当根に持っているらしい。
「ははは、そんなにヤモリ君を責めてはいけないよ。お陰で侯爵家に恩が売れたからね」
オルニスさんが僕を庇ってくれた。
侯爵家に恩ってなんだ?
馬車は貴族街を進み、間も無く辺境伯邸に着く。美しい庭園を抜け、見慣れた屋敷の前に止まった。
先に降りたマイラとラトスが、僕に向かって手を差し伸べた。
「「おかえり、アケオ」」
「た、ただいま」
僕の今の居場所は、やっぱりここなんだよな。




