39話・選んだ場所2
アリストスさんと学者貴族さんの間にあったすれ違いは、きちんと顔を合わせて話し合っただけで解消した。もっと早く心を開いて会話していれば、ここまで拗れる事はなかったはずだ。
母親を不遇なまま亡くし、父親を憎む兄。
若くして侯爵という重責を背負った弟。
二人とも立場が違い過ぎて、これまで素直になる事も許されなかった。側から見てると憎み合っていないのは一目瞭然なのに、当人同士は全く気付けていなかった。
「侯爵家の面汚しと、お前には蔑まれているとばかり思っていた」
「まさか! ……私こそ、年下で大して優秀でもない私などが爵位を継いだ事に、兄上がお怒りなのではないかと思っておりました」
「はは、馬鹿な事を。私は今の生活が気に入っているのだから」
なんだか急に和やかに談笑し始めたぞ。
お互いが己を蔑み、勝手に相手の心の内を邪推していたけど、真実が分かれば笑い話だ。
「それで、兄上はこれからも屋敷には……」
「戻る気はない。だが、久々にこの部屋で過ごしたら、幼い頃を思い出した。辛い思いもしたが、楽しい事がなかった訳ではなかった」
「……屋敷の者は、罪悪感からこの部屋を避けておりました。私もまさか、暫く使われていないはずの部屋がこのように維持されているとは思いませんでした」
アリストスさんがここを僕の監禁場所に選んだのは、荒れた部屋で怖がらせる為だったのか。しかし、年配メイドさんの働きで、この部屋はずっと綺麗に掃除されていた。
そこで、初めて学者貴族さんが年配メイドさんに気付いたようだ。
「お前は確か、母上付きの侍女だった──」
「ドナ、でございます。カルカロス坊っちゃま」
「そうだ、ドナだ! お前が母上の部屋を守り続けてきてくれたのだな」
深々と頭を下げる年配メイドさんに歩み寄り、学者貴族さんはその場で片膝をついて目線を合わせた。
「わたくしは、ただヒルダ様の思い出に縋っていただけでございます」
「いや、感謝する。ありがとうドナ」
「……勿体ないお言葉……」
年配メイドさんは、小さな体を更に縮めて恐縮している。学者貴族さんがこの部屋に来てくれただけで喜んでいたのだから、直接労われたらどれだけ嬉しいか。
「カルカロス坊っちゃまにまたお声を掛けていただいて、わたくしはもう思い残す事はございません」
「何を気弱な! 長生きしてもらわねば困る!」
「それでは、またこのお部屋に来て下さいますか」
「約束する!」
学者貴族さんの言葉を聞き、年配メイドさんはパッと顔を上げ、アリストスさんの方に向いた。
「アリストス坊っちゃま、お兄様がまた来るとお約束して下さいましたよ!」
「うむ、でかしたぞドナ!」
喜ぶ二人のやり取りを見て、学者貴族さんはポカンと口を開けて絶句した。
また屋敷に来て欲しいメイドと弟。
利害の一致した二人が、学者貴族さんを嵌めた瞬間であった。
「あはは。『男に二言はない』だね」
僕がそう声を掛けると、学者貴族さんがキッと僕を睨んだ。おっと、茶々を入れて気分を害しただろうか。
「今のはどういう意味だ!」
なんと、諺に対する疑問だった。
しまった、つい使っちゃったよ。
「え〜と、『男子たる者、一度約束した事は絶対に守らないといけない』って意味の言葉だよ」
「ふむふむ、異世界にはそのような言葉があるのだな! やはり興味深い!」
側にあった紙束を掴み、物凄い勢いでメモを取る学者貴族さんを見て、アリストスさんは小さく息を吐いた。
「……本当に、兄上は異世界人の研究がお好きなのだな」
憑き物が落ちたような、さっぱりとした表情だ。さっきまでの彼は、切羽詰まったような、余裕のない感じだった。
それにしても、アリストスさんが年配メイドさんと仲が良いとは思わなかった。後で聞いてみたら、
「ドナはこの屋敷の侍女長だ。誰よりも長くこの屋敷に仕え、誰よりも仕事が出来るからな」
という事らしい。
なるほど、スーパーおばあちゃんなんだな。
今後、学者貴族さんは最低週に一度屋敷に顔を出す事に決まったらしい。
もっとたくさん顔を出して欲しいと懇願するアリストスさんだが、学者貴族さんは頷かない。
「頻繁に本宅に出入りするようになれば、また私を担ぎ上げようとする者が出るかもしれん」
まだ乗り気ではない学者貴族さん。過去に侯爵家の後継問題で一族が二分したのを懸念しているようだ。
そればかりは、アリストスさんの気持ちも関係ないからどうしようもない。
「ならば、片付ければ宜しいのです」
突然、艶やかな女性の声が部屋に響いた。
振り返ると、部屋の入り口に綺麗な女の人が立っていた。体のラインに沿った、露出の少ないドレスを着ている。
「は、母上」
アリストスさんが女の人に向かって声を上げた。
母上?
この人がアリストスさんのお母さん? 確か、マリエラさんという名前だったか。とても二十歳過ぎの大きな息子がいるようには見えないくらい若々しい人だ。
「カルカロス、久しぶりですね」
「はい、義母上様もお元気そうで」
「堅苦しい挨拶は要らないわ。ようやっとアリストスと仲直り出来たというから来たのよ。これを機に、私とも打ち解けてもらおうと思って」
「はあ」
優しい口調だけど、有無を言わさぬ迫力がある。流石、生まれながらの高位貴族の女性は違う。
というか、今さっき和解したとこなのに、この人は誰から情報を得たのだろう。きっと侯爵家専属の隠密が伝えたに違いない。
「それで、一応確認するけど、一族の中にいる『カルカロス派』は一掃しても良いのかしら?」
「アリストスが居る限り、私に爵位は必要ありません。不穏分子は片付けていただいて結構です」
「ならば、そのように計らいましょう」
さらっと言ってるけど、これ学者貴族さんを後継者に推してた人を消すって事じゃないよね?
説得とかするだけだよね?
高位貴族こわい。
「アリストスが貴方に迷惑を掛けてしまって御免なさいね。この子は兄様が大好きなだけなのよ」
「なっ、母上!」
「なんです、アリストス。大体貴方は──」
そのまま母子の言い合いに発展してしまった。一方的に母親に言い負かされてるけど。
「私はともかく、ヤモリを巻き込んだせいで王にまで話が行ったようなので、そちらの対処をなされたほうが良いのでは?」
「ええ勿論。オルニス殿が帰り際に寄って下さったので、後日王宮にお詫びに伺う段取りは付けております」
仕事が早い。オルニスさんも、周りへの気遣いや根回しを欠かしていない。
「──で、こちらの方が異世界人のヤモリ様、なのよね?カルカロス」
「は、その通りです。此度は我が家の事情にヤモリを巻き込んでしまいました」
「そうね、私からもお詫び致しましょう。ヤモリ様、我が息子、アリストスが大変ご迷惑をお掛け致しました」
アリストスさんのお母さん──マリエラさんに直接謝罪され、僕は生きた心地がしなかった。
何故なら、この人が入って来た際に客室の扉は全開になっており、廊下に控える騎士さん達もこの様子を見ていたからだ。
高位貴族、先代侯爵夫人に頭を下げさせた。
さっきの王様からの命令書の事もあり、周りからは僕がどう思われてしまうのか、考えるだけで恐ろしい。
「あっ、あの、頭を上げて下さい! 僕は何にも嫌な思いはしてませんから!」
「そんな筈はありませんわ。この通り、お詫び申し上げます」
「こんな広くて綺麗な客室に泊めてもらって、ゴハンも美味しかったし、たくさん本も読めたし、かなり快適だったので」
「では、ヤモリ様はお怒りではないと?」
「怒ってないですから!」
目の前の高貴な女性は頭を下げたままだ。早くなんとかしなければ。
焦る僕に、マリエラさんが尋ねた。
「では、また我が屋敷に来ていただけますか?」
「来ます来ます! だから頭を上げ――」
「聞きましたか、カルカロス。ヤモリ様は我が家にも出入りなさると約束して下さいました。だから貴方も、もっと帰っていらっしゃいな」
は、嵌められた!? 僕と学者貴族さんは大きく口を開けたまま、何も言えなくなってしまった。
「『男に二言はない』でしたか。異世界には良い言葉があるようですね」
しかも、僕がさっき言った諺まで完璧に理解して引用してる! 敵に回したくないタイプの人だ。
「ドナ、ヤモリ様をおもてなししてくれてありがとう。話が上手くまとまったのも貴女のお陰よ」
「とんでもございません奥様。わたくしは職務を果たしただけにございます」
当然、マリエラさんはメイド長とは面識がある。掃除や洗濯は年配メイドさんがやるとしても、この客室の維持管理にはお金が掛かりそうだから、マリエラさんが把握していない筈がないよな。
こんな感じで、僕の監禁生活は終わった。




